46.誤解です母上
どうも、勇者アレクサンドル改め、小さな骨の椅子に座らされて母親に詰問されている魔王子ジルバギアスです。
しばらくぶりの『自省の座』だ。(※4話参照) ケツがクッソ痛い。
「さて……どういうことなのかしら、ジルバギアス」
ぱさっ、と扇子を開きながら、プラティが
――どういうことかって? 俺が聞きたいぐらいだよ! 記憶を封印している間にもうひとりの『俺』が勝手に決めやがったんだ!
それにしても、プラティも間が悪いというか、フットワークが軽いというか。
リリアナの自我が戻らなくて動揺した俺が、彼女に覆いかぶさってガクガクと肩を揺すってるところに突っ込んできたものだから……。
『――何をやっているのあなたは――ッ!』
いやー絶叫絶叫。あんときのプラティの顔は見ものだったな。よくよく考えれば、俺に対して声を荒げたのはこれが初めてかもしれない……
ちなみにリリアナだが、俺が折檻用の椅子に座らされた時点で、「うーっ! わうっ! わうっ!」と、果敢にもプラティに吠えかかったが、ギロッとひと睨みされてすくみ上がり、「くぅーん」と情けない声を上げてベッドの裏に隠れてしまった。
駄犬……ッッ!
今は時折、ベッドの陰から顔半分だけを覗かせて、こちらの様子をチラチラ窺っている……。
「……まあ、色々とありまして」
遠い目をしていた俺だが、観念したように話し出した。
「先にことわっておきたいのですが、単純に性欲を持て余して暴走したわけではありません」
聖女をひと目見て気に入ったのは事実だが――という体で説明する。ナイトエルフたちとの交渉内容、リリアナを犬だと思い込ませて支配下においたこと、シダールを介して限定的な治療を請け負い、ナイトエルフの一派に強い影響力を持てたことなどなど。
「ふむ……」
扇子を開いたり畳んだりしながら、プラティは俺の話を吟味している。
「……治療の条件を要交渉にしたのは、なかなか良い手よ」
ただのエロガキの暴走ではないことがわかり、俺は自省の座から立ち上がることを許された。
「あなたとしては、治療の対価にどのようなものを要求するつもりなの」
ふむ……『ジルバギアス』もそこまでは具体的に考えていなかったようだが……
「具体的に考えていたわけではないのですが、情報は欲しいと思います」
「何の?」
「彼らが諜報で得た前線や同盟圏の動向。それも報告書として上げる前の、現場の生の声に興味があります。あとは魔王城で働く他の種族の
前者は俺にとっては凄まじい価値を持つ。同盟圏に巣食うナイトエルフの諜報網がそのまま目に見える形で手に入るのだ。将来的に俺の自由度が上がったら、どうにかして情報を同盟に流し、諜報網を壊滅させるような芸当も可能になるかもしれない。
後者は、魔族への反乱を企てる動きを察知できたらいいな、と思う。表立って支援することはできないが――くすぶる火種を間接的に煽って、事態を悪化させることならできるかもしれないからだ。
ちなみに、魔族に使用人として仕えているナイトエルフたちだが、彼ら独自の魔法により守秘義務が課されており、非常に口が堅い。シダールを介して、アイオギアスやルビーフィアの使用人たちから情報を得ることはできない、というわけだ。
裏を返せば、俺の周りの使用人たちも他派閥には情報を漏らさない。そういった点を高く買われて、今のナイトエルフたちの地位がある。
「……治療の報酬が情報では、少し安すぎるわね。あなたが欲しいなら情報を要求してもいいけれど、それに加えて、治療を受けた本人に一定期間の労役などを課してもいいかもしれないわ。あなたの手足としてね」
「なるほど。……メイドなどではなく、ということですよね?」
治療を受けるのは、主に戦士だろうからな。使用人ならもう足りてるし。
「ええ、もちろん」
ぱちん、と扇子を畳んだプラティは。
「近々、あなたを実戦に出すことを考えているの」
突然、とんでもないことを言い出した。
俺は顔が強張らないよう、何気ない表情を維持するのに苦労した。
「……初陣、ですか」
「そう呼ぶのはちょっと大袈裟かもしれないわね。正式な初陣ではなく、実戦経験を積む機会――演習とでもいうべきかしら」
プラティいわく。
同盟が崩壊しないよう意図的に魔王軍の侵攻を遅らせている影響で、この頃は兵力がだぶつき、一般戦力――魔力の弱い獣人やゴブリン、オーガなどのいわゆる当て馬部隊――の出番が減りつつあるのだという。
獣人たちは戦力として使い潰されずに済み喜んでいるようだが、問題はゴブリンとオーガたちだ。魔王国黎明期からお手軽戦力として魔王軍に貢献してきた彼らだが、ここに来てお役御免になりつつある。
少しでも戦果を挙げて昇進したい魔族の戦士たちが、「ゴブリンを投入するくらいなら自分に戦わせろ」と主張するようになったためだ。
俺が魔王の執務室で耳にした『ゴブリン・オーガ不要論』ってやつだな。
そして出番がなくなってしまえば――ゴブリンとオーガの存在は、目障りになってきた。オーガは大飯食らいだし、ゴブリンは臭くて不潔だし、何より頭が悪い。
魔族の戦士、ナイトエルフの猟兵、統率の取れた獣人部隊、アンデッドにドラゴン――戦力が充実してきた魔王軍は、気づいてしまったわけだな。
「もうゴブリンとかいらなくね?」と。
散々血を流させておいて酷ぇ話だとは思うが、……まあ俺もゴブリンに同情する気は湧かない。オーガは、ちょっと気の毒な感じがしないでもないが。
そんなわけで立場と待遇が悪化しつつあるゴブリンとオーガは、最近、部隊からの脱走が相次いでいるそうだ。これまで前線で略奪し放題、他種族(主に人族だが)のメスを
「ただ脱走して、森で野生化するくらいなら別に構わないのだけど」
問題は、廃墟化した砦や城を拠点に繁殖し、周辺住民に危害を加えるようになってしまうことだ。主にゴブリンが。
周辺住民といっても、獣人や(比較的)弱小魔族、ナイトエルフだったりするのでゴブリンにはそうそう遅れは取らないが、数が膨れ上がったら話は別だ。
あいつら、油断したらすぐに増えるもんな……しかも、文字通り周辺の資源を食い尽くすし。ゴブリンが1匹いたら10匹いると思え、という格言があるくらいだ。
だからまとめてゴブリンが脱走したら、ヘタに増殖する前に速やかに殲滅する必要がある。
「ちょっとした『遠出』を計画していたのよ。近くにたまたま、脱走兵が巣食っていそうな砦や城があるところに、ね。正式な初陣にはならないわ、書面上で『初戦果がゴブリン』じゃ示しがつかないもの」
「つまり、初陣に備えて、実際の軍事行動の雰囲気に俺を慣らしておく、というわけですか」
「その通り……なんだけど、あなたに限ってはそういう演習の必要性も感じられなくなってきたわ……」
プラティは苦笑している。
「今この瞬間、前線に放り込んでも、卒なく立ち回ってしまいそうだなんて考えてしまうのは、親の贔屓目かしら……」
まあ……正直、現時点ですでに前世よりも強いからな俺……しかも相手が魔族じゃなくて人族の兵士とかだろ。
普通にやれそうだ……俺の精神的苦痛に目を瞑れば。
「まあ、何事も経験ですよ母上。そういうことなら俺もやってみたいと思います」
前線で戦うよりはマシだ。
何ならゴブリンを何匹か見逃して、事態を悪化させてもいい。
「頼もしいわね。話を戻すけど、ナイトエルフたちへの治療の対価として、期間限定の戦力化という形も検討してみなさい。ナイトエルフたちの戦術は惰弱なものも多いけれど、人族も似たような手を使って来ることがあるから、参考にはなるはずよ」
交渉については、そうね――としばしプラティは考える。
「交渉も、あなたに任せましょう。もちろんあなたが望むならわたしがいつでも相談には乗るけど、基本的にはあなたが思うようにやって構わないわ」
「よろしいので?」
「何事も経験よ。失敗してもよほどのことでなければ取り返しはつく。ナイトエルフたちは、執念深い策謀家で油断ならないけれど、義理堅くもあるわ。彼らの扱い方を学んでみなさい」
「わかりました」
よし、いい感じで話がまとまったな。
人族相手の初陣も、まだまだ先になりそうだし一安心だぜ。
「……で、そのハイエルフなのだけど」
ギロッ、とプラティがリリアナに剣呑な目を向ける。
あー。やっぱりまだ終わってないかー。
「その……本当に、そういうことを、するつもりなのかしらジルバギアス」
奥歯に物が挟まったような言い方で尋ねてくる。
いやー面と向かって聞かれると、こっちとしても困るんだよなぁ。
「駄目ですかね?」
「……もう、あなたにはそういった欲求があるの? あのダイアギアスでさえ、色気づいたのは成人してからなのだけど……」
マジか――――
魔族ってそういう生態なんだ……かくいう俺も、シダールには「そういう欲求を感じ始めている」とは言ったものの、実際のところそうでもない。
ちょっと油断したらお胸に目がいってしまう、とかその次元で、いわゆるドロドロした性欲はまだ覚えていないのだ。
人族の体だったら、これくらい育ってたら、そりゃもう色々とアレなはずなのに、おかしいなとは思ってたんだ。
肉体は早熟でも、性的な成熟は遅いんだな魔族……。
「もしあなたが、……その、そういう不満を覚えているのなら。わざわざハイエルフを相手にしなくても、一族の者から相応しい相手を用意するわよ……?」
ええ……。
5歳児相手にそれは異常だろ……。
と思ったけど、よくよく考えたら、異常なのは俺自身だったわ……。
「実はですね。母上」
しかしこんなこともあろうかと、俺は理由を用意しておいたんだ。リリアナに執着する大義名分を。
「母上ならお気づきかもしれませんが――実は俺、ちょっと魔力が育ってまして」
俺の一言で、聡明なるプラティフィア大公妃は察したようだった。
「
リリアナと俺の顔を見比べる。
「
「はい。魔力を育てられます」
厳密には、かつての仲間をペット扱いで云々という禁忌だけどな。
「…………」
プラティは両手で顔を覆った。
「母上。全ては力を得るためです」
「………………わかったわ。そのエルフはあなたの好きになさい」
溜息をついて、プラティは立ち上がった。
「よかったな、リリアナ! お許しが出たぞ!」
俺がベッドの裏に隠れていたリリアナを抱き上げて、わざとらしくチュッチュすると、プラティはもう一度盛大な溜息をついてから、すごすごと部屋から出ていった。
『――ふふふはははははははッッ! あの顔! あの顔見たか!?』
アンテが爆笑している。
「わんっ!」
「よーしよし、これでお前も正式な我が家の一員だ!」
「わぅぅーん!」
わっはっは、可愛い奴め。
……はぁ。
――なぜ彼女の記憶が戻らないのか。
アンテと話し合って、ひとつの可能性が浮上した。
『おそらく、本人が戻りたがっておらんのじゃろう』
この7年間――あまりに辛く、苦しい記憶だった。
しかし、その辛い記憶を封じられて、自分を別の存在だと思い込んで。
こうして犬のように振る舞っているうちは、全てを
『本来の自分を思い出すことを、もはや禁じてはおらんが。本人にその気がないのでは、いかんともし難いのぅ』
もちろん――『リリアナ』を呼び覚ますことはできる。
【お前は犬じゃない 聖女リリアナだ】
強い魔力を込めた言葉で、そう言い聞かせてやれば。
だが、ぽやぽやした顔で俺にじゃれついて、頬を舐めてくるリリアナを見ていると――果たしてそれが、本人のためになるのか、俺にはわからなくなってしまった。
いずれにせよ、リリアナを逃がす目処が立たない限り、彼女は俺のペットとして魔王城で暮らさなければならない。
屈辱を堪えて犬真似をする羽目になるなら、まだ今の方がマシかもしれない。
だから――然るべき時が来るか、彼女が自力で思い出すまでは、このまま、そっとしておくことにした。
「本当にごめんな……」
ベッドで、リリアナの頭を撫でながら俺はつぶやく。
「わう?」
なにがー? とばかりにキラキラした目で、俺を見上げるリリアナ(犬)。
リリアナは、長命種らしからぬ破天荒なところもあったが、それにしても誇り高きハイエルフであったことも事実なのだ。
記憶が戻ったら恥辱のあまり壁に頭を打ちつけかねない。
俺に対しても、言いたいことは山ほどあるだろう。
そのときは――甘んじて受け入れるさ。
「その日が来ればいいんだけどな」
お前が自由になれる日が。
「……? わんわん!」
俺の初陣くらい、先の話になりそうだけども。
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