32.血塗られた栄光


 どうも、勇者の証たる聖魔法を使えたと思ったら、自分の指が焼け焦げたジルバギアスです。


 ほどなくしてソフィアが紙束を手に戻ってきたので、俺は何事もなかったかのような顔で他王子たちの資料を読み始めた。


 ――聖魔法の実験。念のため、利き手じゃない左手を使っておいてよかった。右手だったら勉強や稽古のときに隠しきれない。


 そして無詠唱だったので威力が低くて助かった。この程度の傷なら魔族の自然治癒力でなんとかなる。


 仮に転置呪の治療が必要なくらい、傷だったら――厄介なことになるところだった。プラティのような腕利きの術士なら、普通の火傷と聖属性の傷の違いくらい一目でわかるはず。


 どんな理由をひねり出すにせよ、聖属性の使い手が魔王城に潜んでいるというだけでとんでもない騒ぎになっただろう。本当に危なかった。


「……しかし今さらですが、なぜ戦歴なんかを?」


 ソフィアが白紙を1枚手に取り、ジッと紙面を睨みながら尋ねてくる。


「ある意味、興味本位だ」


 俺は率直に答えた。


「他の王子たちがどれくらい強そうに見えたかと、実際にどれだけ強いのかを比較したいと思ってな」

「なるほど、よいお考えかと」


 ソフィアの瞳から強い魔力の波が放たれ、ジジジッと紙が焦げるような音とともに紙面上にびっしりと細かい文字が浮かび上がった。彼女の、知識の悪魔としての魔法らしい。自分が得た知識を物体に転写できるそうだ。


「便利だよな、それ。ペンいらないじゃん」

「ところが、ペンはペンで必要なんですよ」


 印字した紙を俺の方に滑らせて寄越しながら、別の白紙を手に取るソフィア。


「記憶している文章をまとめて転写することはできますが、わたし自身が考えた文章を書く場合は、1単語ずつ転写していなければいけません。そういうときはペンで書いた方が早いんです」


 ちなみにソフィアはペンで書くのもクソ速い。お手本のような美しい文字を、常人の速記以上の速さで書き上げてしまう。


「それと、魔力を紙面に焼き付けているだけなので、魔力が弱い下等種族には読めません。ホブゴブリンども相手にした書類仕事だと使えないんです」


 過去に何か気に食わないことでもあったのか、ソフィアはフンと鼻を鳴らした。


「そして、書類仕事には重要なことなんですが、この魔法では署名サインしたことにならないんですよね。いずれにせよペンは必要です」


 そうなんだー、と頷きながら、俺は読み終わった資料を脇において新たな1枚を手に取った。


 今は、第3魔王子ダイアギアスの戦歴を読み進めている。……俺が本当に興味があるのは緑髪クソ野郎のそれなんだが、そんな事情を知る由もないソフィアは年齢順にアイオギアスの戦歴から渡してきた。


 仕方ないので、俺も順番に読み込んでいる。


 華々しい戦歴――とでも言うべきなんだろうな。アイオギアスはすでに大公の位を授かり、魔王位継承の条件を満たしている。


 ルビーフィアも同様。ふたりとも、4桁単位で敵対種族の兵を屠っていた。詳細な記録を見る限り、数値を"盛っている"こともなさそうだ。


 4桁……俺だって、前世では激戦続きだったが、せいぜい3桁だぞ。


 まあ、俺の"現役時代"は十数年だったのに対し、アイオギアスは16歳が初陣で、それから50年以上戦場を駆け回っていることを考えると――妥当な数なのかもしれない。


 しかも、主に魔力で劣る人族を殺して回ってるんだ。楽な仕事だろうよ、勇者として魔族や悪魔を相手取るのに比べたらなァ……!


 ルビーフィアは強力な火属性魔法の使い手のようだ。その戦歴は、『猛追』という言葉を連想させた。アイオギアスに追いつけ追い越せとばかりに。城や砦を丸ごと焼き払った、というような報告が目につく。ルビーフィアが陥落させた城塞には、おぼろげながら、覚えのある名前がいくつかあった。


 先輩勇者がそこで戦死した……というような記憶もある。誰が、どんな人が亡くなったのかは思い出せないが……


 そして、ダイアギアス。『女の子たちを待たせてる』発言で明らかだったが、数十人の魔族の娘や、ナイトエルフ、はては悪魔に獣人まで侍らせているらしい。彼女らは前線にも同行してきたらしく、報告書には軍人らしい文体で遠回しな苦言が呈されていて笑ってしまった。


 だがその実力は本物のようだ。地位は公爵。50手前の若さで、オルギ族の元族長オーアルグ伯爵より『格上』の扱いとなっている。


 雷の魔法を操るらしく、討ち取った数こそアイオギアスとルビーフィアに及ばないが、勇者、剣聖、エルフの魔道士と、いわゆる『強敵』相手の戦いが目立つ。


 何より恐ろしいことに、負傷した記録がない。連戦連勝の長兄たちでさえ、何度か手傷を負ったと記されているのに。


 ダイアギアスの戦歴は、数が少ない。にもかかわらず、多大な戦果を上げている。効率という点では兄と姉を遥かに凌いでいる――


 ルビーフィアの派閥ということだったが、こいつはこいつで、実は魔王を目指してるんじゃないか? そんな気もしてくる。


「こちら、第4魔王子の戦歴です」


 ……とうとう来たか。


 俺は澄まし顔で報告書を受け取った。


 第4魔王子エメルギアス。14歳で初陣。成人前に戦場に出たか。辺境の小国に攻め込んだ――ウィリケン公国。陥落させた都市はグアルネリ、そして周辺の村々――エクルンド村、リンドヴァル村、トゥーリン村――


 タンクレット村。


 ぱちん、と頭の中、何かが、欠けていたものがはめ込まれるような感覚があった。



 



 思い出した。村長の名字が、タンクレットだった。数代前に開拓した村だって、言ってたっけ。俺の故郷だ。タンクレット村だ。丸太で組み立てられた家々。木こりの斧の音。懐かしい森と土の匂い――それらが一気に蘇る――


「……あの、ご主人さま。大丈夫ですか?」


 控えていたガルーニャが、心配そうに声をかけてきた。


 いつの間にか、俺の目から涙が溢れ出していた。


「……ちょっと、目にゴミが入っただけだ」


 俺は瞑目して、涙と一緒に、懐かしい気持ちも拭い去る。


 ひとつ、はっきりしたことがあった。やっぱりお前だったんだな、エメルギアス。俺の故郷を滅ぼしたのは。


 確信はしていたが、これで確定した。


 やつの戦歴への興味は、ほとんど失せていた。だが残りの文面にも目を通す。前線で奮戦、勝利、負傷、治療ののち復帰、奮戦、負傷――兄姉たちに比べると、見劣りする感は否めない。



 ――と、扉の外から、聞き慣れた足音。



「ジルバギアス。陛下とのお食事はどうだった?」


 プラティが部屋に入ってきた。


「とても、有意義でしたよ母上」


 報告書を脇にやりながら答える。


「来週は、父上のお仕事を見学することもできそうです」

「まあ! 素晴らしいわね」


 扇子を広げて、口元の笑みを隠すプラティ。よくやった、と言わんばかりだった。


「陛下は勤勉な者が大好きなの」

「他の王子もそう言ってました」


 プラティが目を細める。


だった? 王子たちは」

「アイオギアス、ルビーフィアの両名から派閥に誘われましたよ」


 俺はひょいと肩をすくめてみせた。


「5歳児の手助けが欲しいほど切羽詰まってるのか? と言うと、両方とも引っ込みましたが」


 プラティが目を丸くして、側仕えのナイトエルフのメイドがブフゥーッと噴き出した。珍しいな、普段は必要がなければ口も表情も出さないのに。


「も、申し訳ございません……!」


 メイドは肩を揺らしながら、うつむいている。必死で笑いをこらえているようだ。見れば他のナイトエルフも口の端をピクピクさせていた。どうやら彼女たちのツボに入ったらしい。


「それ以上ないくらいの返しね」


 プラティは純粋に感心している。


「現時点では明らかに対立することなく、向こうから身を引かせた。第三極の第一歩としては理想的ね、見事よジルバギアス」

「ありがとうございます」

「他に、何か感じたことは?」

「……個性的なメンツだなと思いました。長兄と長姉はともかく、他が」


 思い返す。


 魔王一族とは思えないほど、和やかな食事の時間だった。


 だがあの食卓は、同時に、おびただしい流血と屍の山で成り立っている。


 それを忘れてはならないし、決して許すつもりもない。


「俺が見て取った彼らの強さと、実際の強さを、記録から比較・検討しているところです。ソフィアに頼んで用意してもらいました」


 プラティが資料にざっと目を通す。


「たしかに、伝聞よりはよほどまともな情報源ね」

「仮に魔王を目指すならば、母上」


 俺は改まって問いかけた。


「彼らとの戦いは――殺し合いは避けられない。そうですね」

「そうよ。間違いなく衝突することになる」


 視線を険しくするプラティ。


「怖気づいたかしら?」

「いいえ。……以前、俺は魔王になろうとは思わない、ただ強くなりたいだけだ、と言った覚えがありますが」


 俺は意識して、不敵な笑みを浮かべた。


「こう言っちゃなんですが……、俄然やる気が湧いてきました」


 何の、とは言わないが。


「ふふ」


 ぱちんと扇子を畳むプラティは、俺と同じくらい、獰猛な笑みを浮かべている。


「頼もしいわ、ジルバギアス」


 お前もな、プラティ。頼りにしてるぜ。


 ……その日が来るまでは。

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