24.命運をかけて
兵士たちは猛然と、一体となって突っ込んできた。
殺意全開。侮りも手加減も一切ない。真ん中の兵士が素足で地面を蹴り上げ、砂を飛ばして目潰しまでしてくる念の入れようだ。
頼もしいぜ、まったく。
できれば肩を並べて戦いたかった。
目潰しの砂をかわしながら、俺は転がるようにして横へ跳ぶ。
正面から受ければ袋叩きにされる。何人かが俺に掴みかかり、動きを封じてナイフを奪えば終わりだ。
だから俺は動き続けるしかない。隊列を、連携を切り崩す。
しかし横へ移動した俺に、当然、兵士たちも追従してきた。
横隊の一番端を基点に、きれいなターンを描く。あくまで俺を正面に据えて、5人がかりで圧殺する構え。
堅いな。本当に守りが堅い――
『――連携を禁忌とするかの?』
アンテが口を挟んできた。
なるほど、これ以上ないほど効果的だな。俺には影響ないし。仮に抵抗されたとしても隙を生み出すには十分だ。
だが、禁忌の魔法は使わない。人目が多すぎる。まだ手札は晒したくない。
それに――そんな無粋なことができるかよ。使うとしたら転置呪くらいだ。
『手札を晒すも何も、殺されれば元も子もないぞ』
そんときゃそんときだ。
横合いに動き続け隙を窺う俺と、追従して横隊を維持し続ける兵士たち。
「突っ込めー!」
「男を見せろー!」
「お見合いじゃねえんだぞー!」
外野から野次が飛ぶ。賭博場の闘犬にでもなった気分だ、クソがよ。
――しかし、このままじゃ埒が明かないのも事実。
俺はじっと兵士たちを観察した。
横隊の右端、年かさの兵士。多分、こいつが一番強い。
他は似たりよったりだが――左から二番目。少し動きが鈍い。足を痛めているか?
切り崩すなら、弱点から。常道だよな……
「ふぅ」
短く息を吸って、俺は黒曜石のナイフを右手から左手に持ち替える。
そして躊躇いなく、右手首の動脈をかき切った。
†††
円を描くような睨み合いのさなか、目を険しくした魔族の王子が動いた。
仕掛けてくるか――と身構える兵士たちは、意表を突かれる。
王子がいきなり自分の右手をナイフで切り裂いたからだ。
「何を……?!」
少なからず困惑する兵士たち、しかし経験豊富な年かさの兵士は、猛烈に嫌な予感に襲われた。
魔族が突拍子もない行動を取るとき――それは何かしらの魔法絡みだ!
「防御態勢!! ――【悪しき者ども呪いは我らを避けて通る】!」
盾代わりに左手を突き出し、今一度、魔除けのおまじないを唱える。困惑していた若い兵士たちも、訓練で叩き込まれた通りに同じ構えを取った。
さあ、何が来る!?
「――お返しだ」
接近しながら、王子が右手を振るった。右掌に溜められていた青い血がパシャッと飛散する。
――目潰し?
その瞬間、王子の威圧感がいや増す。魔力の展開!!
――血を介した呪いか!?
ヒュンッ、とかすかな風切り音。
「――かフッ」
左の兵士が妙な声を上げる。
その喉に――黒光りする刃。
黒曜石のナイフが、深々と突き立っていた。
自傷で動揺を誘い、目潰しで視線を引きつけ、魔力の展開で
それを瞬時に理解した年かさの兵士は、戦慄する。
――こいつ、本当にガキか!?
あまりにも、馴れている。不気味ですらあった。王子の威圧感、圧迫感がさらに増していく。
いや、しかし、ナイフはこちらの手に渡った!
ごぽごぽと血を吐きながらも、首のナイフを自ら引き抜いた兵士が、隣の兵士に手渡して倒れる。あとは任せた。そう言わんばかりに。
こちらは、4人。ナイフもある。王子は目潰しの代償に、右手も使えない。
「このクソガキぁ!」
ナイフを構えた兵士が、仲間をやられた怒りのままに斬りかかる。
「待て!」
油断するな――相手は狡猾な魔族、こちらが有利でも、どんな隠し玉があるか――
しかし頭に血が上った若い兵士は聞かない。
「それは、俺のナイフだぞ」
目を血走らせて突進してくる兵士に、王子は憐れむような顔をした。
「返してもらおう」
ピンッ、とふたりの間に、糸が張られるような感覚。
「待っ――」
突出した兵士は、魔力の盾の庇護から外れている。年かさの兵士がそれに気づいたときには、全てが遅かった。
「【
物の理が歪む。
「ッ!? がああぁぁっ!」
若い兵士がナイフを取り落した。その右手から鮮血が溢れ出している。
年かさの兵士は前に飛び出した。隊列が崩れるが、他に手がない。間に合え。どうにか間に合え!
間に合え――!
しかしその思いは届かない。
小柄な青い影が。
まだ少年としか言いようのない魔族が。
若い兵士に足払いをかけ、流れるように拾い上げたナイフで、その心臓を一突きにした。
声もなく崩れ落ちる若い兵士。広がりゆく血溜まりを前に、王子がビッ、と右手を振るってナイフの血糊を払う。
その手には、傷ひとつなかった――
「人族は脆いな。イヤになるくらいだ」
感情の読めない顔で、王子はつぶやいた。
その赤い瞳は果てしない虚無を秘めているようにも見える。
「……ふざけるなァ!」
怯みそうになる心を怒りで塗り潰し、年かさの兵士は叫ぶ。
「魔族め! どいつもこいつも……ワケのわからねえ手を使いやがって!」
ふっ、と赤い瞳がこちらを見据えた。
「……ホントにな」
苦笑、と呼ぶには苦すぎる笑みだった。なんだ? この顔は。まるで――
だが、その表情は一瞬にして拭い去られる。
ナイフを逆手に、王子が間合いを詰める。
年かさの兵士は腹をくくった。もしかしたら生きて帰れるかも、という僅かな希望は捨て去った。
この王子は。この魔族は。ここで刺し違えてでも倒さねばならない。
こいつが成長して戦場に出たら、何人が犠牲になるかわからない!!
「死ねええ!!」
掴みかかる。ナイフで刺されようが目を抉られようが、その喉笛に噛み付いてでも殺す覚悟だった。
しかし王子は動じない。むしろさらに加速する。こちらの考えは読めているはず。なぜだ? 掴まれても構わないのか?
ナイフがひらめく。来る――!
と、思った瞬間に王子の姿が消える。衝撃。世界がひっくり返る。ナイフで目線を引きつけ、足元に滑り込んでの足払い。
足癖が悪すぎる! まんまと引っかかった自分に腹を立てる暇もなく、ナイフの風切り音。上体を逸らすと、顔面に灼熱の痛みが走った。喉を狙った一撃をかろうじてかわしたらしい。
そのまま王子は走り抜けていく。先に若いのをやるつもりか?!
「クソッ――」
額から流れる血で視界が塞がれた。だが足音を頼りに追いすがる。目元をぬぐう。目に光が戻る。
魔族の王子の背中に、掴みかかる。
「俺ごと――!」
やれ、と言おうとして、絶句した。
残りふたりが血溜まりに沈んでいた。
ひとりは喉をかき切られ、もうひとりは心臓を一突きにされ。
ほぼ即死。苦しむ時間さえ与えない。あまりにも鮮やかな手際。
そして愕然とする自分の左胸を、冷たい感触が貫いた。
黒曜石の、ナイフ。
それを握る魔族の王子は、この世の全てを呪うような、壮絶な顔をしていた。
「お前たちの死は、決して無駄にしない」
血が滲むような言葉。怒りか? 悲しみか? わからない――
悔しさも未練も何もかも、熱い血潮とともに流れ出していくかのようだ。
意識が急激に薄れていく。
身を寄せた王子が、耳元にささやく。
――闇の輩に死を。
兵士は、目を見開いた。
なぜ、と問いかけようとして。
しかし時間は残されていなかった。
そこで、ふっつりと意識が途絶える。
あとに残されたのは、驚愕の表情のまま倒れ伏す死体だけ――
†††
おおお、と練兵場が歓声に揺れている。
まだ幼い王子が、黒曜石のナイフひとつで、訓練された人族の兵士5人を打ち倒したのだ。
討ち取られた人族の兵士たちも、決して惰弱な『獲物』ではなかっただけに、誰も彼もが心沸き立ち、惜しみない賞賛を送っていた。
そして喝采を一身に受けた王子は、血塗れのナイフを天に掲げ、それに応える。
その表情は読めない。
ただ、つっ、と一筋の涙がその頬を濡らしていた。
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