21.受け継がれる呪い
――
ずくん、ずくんと右手が痛む。
まるで見えない刃物に刺し貫かれたかのように、手のひらから手の甲まで、きれいに穴があいていた。傷口から魔族特有の青い血が滴り落ちている。
前世ではイヤというほど怪我をしたし、死に様もひどかった。痛みなんてとっくに慣れっこだが――それにしても痛いもんは痛い。
特に、この体では初めての激痛だ。顔くらいは、しかめる。
これが【転置呪】か――よくよく観察すれば、傷口に魔力がまとわりついているのがわかった。徐々に霧散していく呪いの残滓。逆にプラティの手には傷ひとつない。
「動じないわね、ジルバギアス」
プラティが感心したように言った。
「どんなに気丈な子も、初めての切り傷にはうろたえるものだけど……あなたは落ち着いているわ。小さい頃から、肝が据わっていたものね」
もうちょっとうろたえた方が良かったかな? 今さら遅いか。
「これで転置呪が使えるようになったんですか?」
そんな感じはしないが。ただ手が痛いだけだ。
「まだよ。次にその傷を、転置呪でもう一度わたしに移すわ。それであなたも理解できるはず」
感覚でね、とプラティは言う。
「わたしたちは親子で、その傷を与えたのはわたし。ここに強い呪術的なつながりがあるの。意識なさい、ジルバギアス。わたしたちのつながりを――」
プラティから伸びる魔力の手が、俺の傷口に触れた。
「【
ずるっ、と傷そのものが引きずり出されるという、異様な感覚を味わう。
刹那、俺は幻視した。
この呪いが、脈々とレイジュ族で受け継がれてきた歴史を。
もともとはある母親が――レイジュ族の始祖が、我が子の負った傷を、自らの体に移したのが始まりだった。傷を癒やす奇跡が扱えない闇の輩ゆえに。それでも我が子の苦しみを、少しでも和らげたいと願った母の愛の結実。
以来、子が怪我をするたびに、レイジュ族の親たちは、自らが傷を引き受けることで子どもたちを守ってきたのだ。
それが転置呪として洗練され、確立された。
そして、応用されるようになっていった。呪いの対象が、肉親だけではなく獲物や仇敵にまで拡張された。狩りや戦いにおいても使われるようになった。
――母の愛から始まった
我が子にわざわざ傷をつけてまで、効率よく継承するほどの。
「……始まりは、愛だったんですね」
それが今では、このざまかよ。俺は、血痕のほかは、傷ひとつなくなった自分の手を見ながらつぶやいた。
「今でもそうよ」
プラティは答える。再び右手から血を流しながら。
「だから、愛する我が子にしか継承できないの」
傷口を見ながら、微笑みを浮かべていた。魔王城では滅多にお目にかかれない、穏やかな笑みを。
「――さて。ジルバギアス。これであなたも駆け出しの魔法使いよ。もちろん実際に運用するにはもっと練習が必要だけれども――これで、不意に襲撃を受けても、即死さえしなければ何とかなるようになったわ」
不意に部屋の空気が軽くなる。
プラティが防音の結界を解いたのだとわかった。
「ガルーニャ! 入りなさい」
「! はいい!」
部屋の外から甲高い声が聞こえたかと思うと、新たにメイド服を身にまとった真っ白な毛の獣人が入ってくる。
何度か顔を合わせたことがある。馴染みの使用人だ。
「ガルーニャ。あなたをジルバギアスの側仕えに任命するわ。ジルバギアスを主と仰ぎ、その身を盾となさい」
「はい! ジルバギアスさまを主と仰ぎ、我が身を盾といたします!」
軍人のようにビシッと背筋を伸ばし、ちょっと舌足らずに復唱した使用人――ガルーニャが、俺の方を向いて深々と一礼した。
「ジルバギアスさま。いたらぬ身ですが、身命を賭しお守りする所存です。よろしくお願いいたします」
「お、おう……」
いきなり重い感じの部下ができたな……。
頷きながらも、目でプラティに説明を求める。
「白虎族は、我々レイジュ族が保護する獣人の少数民族よ。魔王国黎明期に、人族の迫害から救った歴史があるの。以来、代々レイジュ族に忠誠を誓って仕えているわ」
「はい! 人族の毛皮狩りから救っていただいた御恩がございますので!」
自らのモフモフの白い毛を撫でながら、ガルーニャが元気に言う。
……今亡き大陸西部の諸国は、獣人の国とたびたび衝突していて、獣人への迫害がひどかったとは聞いていたが……。
俺は年若く明るい獣人の少女を、複雑な心境で見つめた。
そんな俺の様子をどう思ったか知らないが、プラティが言葉を付け足す。
「白虎族の忠誠は本物よ、ジルバギアス。ガルーニャは今このときよりあなたを決して裏切らないし、裏切れない。もし不埒な輩が彼女の意志を捻じ曲げようとすれば、忠誠の誓いがその生命を絶つわ」
「はい! 主を裏切る前に、爪で心の臓をえぐって死にます!」
全く変わらぬ調子で、ガルーニャ。
「忠誠こそ我が一族の誇り。忠誠こそ我が一族に永き繁栄を」
まるで呪文のように。
「誠心誠意、お仕えいたします!」
この子は、それが当然だと教え込まれてきたんだろう。
「白虎族は決して裏切らない。それでいて獣人ゆえ魔法抵抗は低い。……いざというときの備えとして、彼女たちは理想的なの」
わかるわね? とプラティは笑う。
魔法抵抗が低い。つまり――簡単に【転置呪】の対象にできる。
それが、レイジュ族が彼女らを保護する理由か。忠誠心が高く、洗脳や脅迫には自死を選んで抵抗し、いざというときは怪我や病気を押し付けられる。確かにレイジュ族にとって、これほど都合のいい使用人たりうる獣人族はいない……!
「彼女をどう扱うかはあなたに任せるわ、ジルバギアス。部下の扱いを彼女から学びなさい。ガルーニャ、何か不満があった場合は、ジルバギアスに遠慮なく言うこと。あなたの忠誠には、それをするだけの権利がある」
「はい! わかりました! ありがとうございます!」
「……さて、今日は色々あったわね」
少しばかり肩の力を抜いて、プラティは小さく息をついた。
……ホントだよ。魔界から現世に帰還したかと思えば、休憩もそこそこにドラゴンで魔王城まで戻ってきて、そこから血統魔法の習得だぜ。どうかしてるよ。
「オルギ族の血統魔法については、のちのち手配するわ。今日は休みなさい、ジルバギアス」
そうして、嵐のようにやってきたプラティは、嵐のように去っていった。
白虎族の部下――ガルーニャを置き土産にして。
「何はともあれ、血統魔法の習得、おめでとうございますジルバギアス様」
部屋の隅で待機していたソフィアが、声をかけてくる。
「おめでとうございます!」
それにノッてくるガルーニャ。
『めでたいのー』
さらに俺の中で、白々しくノッてくるアンテ。
こりゃまた賑やかになったもんだな……教育係のソフィアも、実質側仕えみたいなもんだったから、これで二人体制か。
「……これからよろしくな、ガルーニャ。悪いようにはしない」
「はい! それでは、ご主人さま。何をいたしましょう?」
ピコピコと耳を動かしながら、ガルーニャが首を傾げて尋ねてくる。
「とりあえず飯の手配を頼む。あと風呂」
「かしこまりましたー!」
意気揚々と、部屋の外で待機している別の使用人に知らせにいくガルーニャ。
……できれば、あの子を身代わりにするような事態にならなきゃいいんだが。
魔王を倒すため、魔王国を滅ぼすため、粉骨砕身する俺ではあるけれど――さすがにドッと疲れが出てきたよ。
とにかく、今は飯を食って何も考えずに寝てしまいたい気分だ。
……今日くらいは、それでいいだろう。
『なんじゃーもう寝るのか? せっかくなら魔王城とやらを見て回りたかったんじゃがのー』
明日にしてくれ。
……俺ってもう、ひとりで心穏やかに眠れることってないんじゃないかな?
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