20.血統の証明


 他にもやることがある、詳しい説明はソフィアに任せた、と言い残してプラティは嵐のように去っていった。


 部屋には、俺とソフィアだけが残される。


「……えーと」


 呆然と立ち尽くすソフィアの背中に、どう声をかけたものか、迷った。


 アンテのせいで、俺たちの関係が変わってしまった気がする。


 気まずい。


 すっげー気まずい。


 孤児院で年長ぶってた子が、おねしょで叱られてるところに出くわしたときくらい気まずい。そういや、あの子の名前も顔も思い出せないや……


 虫食いの記憶に俺が遠い目をしていると、ソフィアがやおら振り返った。


「――それではジルバギアス様。魔法のお勉強しましょう」


 キリッとした顔で、片眼鏡の位置を直しながら言うソフィア。


 気持ちを切り替えてきた……!


「わかった」


 その思いを汲んで、俺は何も言わず席につく。


「我も聞かせてもらおうかの」


 が、アンテも出てきて、――椅子がなかったので、そのまま俺の膝の上に座った。キリッとした顔のまま、脚がガクガクと震えだすソフィア。


「やめたれ」


 可哀想だろ。俺が眼前のアンテの頭にペシッと手刀を叩き込むと、「羽虫のごとき定命の者が……っ! この我の頭をはたくとは……っ! なんたる屈辱……っ!」とビクンビクンし始めた。


 こいつ……変態っていうよりさ、もはや――いや、みなまでは言うまい。ついでに俺の力がちょっと増大した。魔神の頭をはたく禁忌を犯したからかな……一部始終を目撃したソフィアは、白目剥いて泡を吹きそうになっていた。


 アンテ、お前は引っ込んでろ。授業にならないだろ。



          †††



 さて、魔法について。


「一口に『魔法』と言っても、呪術から奇跡まで色々とありますが、ここでは全てをひっくるめて魔法と呼びます」


 アンテが引っ込んで、調子を取り戻したソフィアがとくとくと語る。


「ジルバギアス様ものちのち、様々な魔法を学ばれるでしょう。ですが今、必要とされているのは一族伝来の魔法――血統魔法と呼ばれるものです」

「……血で受け継がれる魔法か」

「そうです。一族に代々受け継がれる魔法ですね」


 人族にもそういうのはあったな。門外不出の奇跡とか、秘術とか。


「魔族はみんな、そういう固有の魔法が使えるのか?」

「全員とは限りません。いわゆる、伝統と歴史ある名家の方々だけです」


 俺の中のアンテが『フン』と鼻で笑った。


 コイツも、魔族はつい数百年前まで辺境の蛮族に過ぎなかったことを知っているのかもな。そのくせ『名家』なぞ片腹痛いと言わんばかりだ。


「奥方様の一族、レイジュ家はその『名家』にあたります。魔王陛下ゴルドギアス様も、当然ながら名家のご出身です」

「――血統の証明。つまり、俺が両一族に伝わる血統魔法を2つとも習得すればいいということか」

「ご明察です」


 いいぞ。恵まれた血筋だとは思っていたが、魔族に伝わる固有魔法が2つも扱えるのは助かる。魔王一族と戦うとき、大いに助けになるだろう。


「それで……どんな魔法なんだ?」


 俺は逸る気持ちを抑えながら、努めて冷静に尋ねた。


 強襲作戦で魔王と戦ったとき――悔しいが、奴はほとんど手の内を晒さなかった。特に魔法らしい魔法は使う必要がなかったのだ。魔法抵抗でこちらの干渉を全てはねのけ、あとは純粋な暴力で俺たちをなぎ倒した。


「魔王陛下のご出身、オルギ族の血統魔法は【名乗り】です」


 何じゃそりゃ。


「戦う前に名乗りを上げることで、己を強化する魔法だそうです」


 あ、「我は魔王ゴルドギアスなり!」って叫んでから俺たち勇者を迎撃したけど、あれそういう魔法だったんだ……。威圧感が増したなぁとは思ったけどさ……


 あいつ、少しは手の内を晒してたんだな。単に俺たちが気づかなかっただけで。


「【名乗り】の魔法は、魔王陛下か、オルギ族の方から手ほどきを受けて習得されることになるでしょう。私もさすがに、どのように継承されるのかまでは、知りませんので」


 どこか口惜しそうなソフィア。一族伝来の魔法なんて、そりゃあ知識の悪魔としては知りたくて仕方ないだろう。


「次に奥方様のレイジュ族に伝わる血統魔法ですが――実はレイジュ家は医療の大家でして、魔王国においては魔族の方々の治療を手掛けています」


 !?


 医療!?


 プラティって医者なのか!?


 闇の輩は治癒の奇跡とか使えないはずだが!?


「それを支えるのが、血統魔法【転置呪】です」

「転置ってことは、呪いなのか?」

「強力な呪詛です。自分や誰かの傷病を、別の誰かに『転置』する、類感呪術の一種ですね」


 それは――つまり、治療というより――


「怪我や病気を、誰かにってことか」

「その通りです」


 ……納得した。


 まかり間違って治療の『奇跡』なんかじゃない、闇の輩に相応しいだ……


「しかし、そんな便利な呪いがあるなら、初代魔王は治療できなかったのか?」



 初代魔王ラオウギアスは、実は、人族の勇者によって倒された。



 戦場で油断したところを聖属性たっぷりの刃で刺され、その傷が原因でくたばったのだ。


 だがなぜ、ラオウギアスは治療できなかったのか。もしかして聖属性の傷は転置呪でも移せなかったとか?


「転置呪の対象は、自分より格下か、呪術的に強力に結び付けられた人物か、支配下にある生物でなければダメなんです」


 ソフィアは言った。


「当時もレイジュ族総出で、初代魔王陛下の治療を試みましたが、誰も初代魔王陛下に干渉できなかったそうです。魔王陛下ご自身が望まれても、あらゆる呪詛が跳ね返されてしまったとか」


 ……魔王の規格外な魔力。魔法抵抗の高さがアダになったということか。そういうところは『奇跡』と違って融通が利かないんだな。


 ざまーみろ。


「あるいは、魔王陛下ご自身が転置呪を使用可能であれば、問題なく治療できたのでしょうが」


 もしそうだったら、仮に傷を負っても全て相手に反射してくるような、史上最強の魔王が誕生していたわけか……


 ……ん?


 それ、強くね? レイジュ族出身なら、似たようなことができるってことだろ。


「レイジュ族って、もしかして、かなり強いのか?」

「はい。魔王国でも指折りに有力な一族です」


 ソフィアはあっけらかんと肯定した。


「レイジュ族の戦士は、魔力が貧弱な下等種族にはまず負けません。さすがに同格との戦いでは、相手が受け入れるか、よほど呪術的な工夫を凝らさない限り、まず呪詛は通りませんが」


 呪術的な工夫、か……。


 なあ、アンテ。


『なかなかどうして、面白い使い方ができそうじゃのぅ……』


 魔神は悪い声で笑う。


「ただ、そんなレイジュ族ですが――初代魔王陛下の治療が叶わなかったことから、一時期、かなり立場が悪くなってしまったようで」


 あー。


 容易に想像がつくわ。


 他の一族が、鬼の首を取ったように非難したんだろうなぁ。


「そんなわけで、プラティフィア様のご婚姻がかなり遅れてしまったという背景があります。魔王国へのレイジュ族の貢献を考えれば、筆頭夫人となられていてもおかしくはないのですが」


 ……魔王の治療失敗の咎で、不当に後回しにされたってことか。


 プラティの、あの異様な執着のワケが見えてきたぞ……。



 ――カツカツカツ、と足音が響く。



「ジルバギアス! あなたに血統魔法を授けるわよ」


 噂をすればなんとやら。プラティが再び姿を現した。


「ソフィアから、説明は受けた?」

「はい、母上。転置呪と、レイジュ族については」

「よろしい。賢いあなたなら、もう悟ったでしょう。我が一族の可能性を。レイジュ族、そして魔王陛下の血を継ぐあなたは――最強の魔王になる資格があるのよ」


 ドアをしっかりと閉めたプラティは、部屋中に魔力を行き渡らせ、ぶつぶつと呪文を唱えた。


 パンッ、と空気が張り詰めるような感覚。


「防音の結界よ」


 さて、とプラティは腰のベルトから、例の携帯型の魔法の槍を抜いた。


「転置呪の継承は、簡単よ。……呪いを受ける、ただそれだけ」


 槍の穂先、鋭い刃を撫でながら、プラティは懐かしむような笑みを浮かべる。


「ちょっと早いけど、あなたも戦場の痛みを知るときが来たのね」


 ……いやーな予感がするぞ。


 多少の痛みなんて、今さらビビらねえけどよ。


 それでも嫌なもんは嫌だ! 当たり前だよなぁ!


「覚悟なさい」


 言うが早いか、プラティは槍の穂先に、自らの手のひらを押し当てた。


 ズチュッ、と生々しい音を立てて、刃が完全に手の甲までを貫き通す。


 しかしプラティは口の端を少し引きつらせただけで――その凄絶な笑みそのものは全く揺らがなかった。


「すごく痛そうです、母上」

「ええ。でもあなたなら我慢できるわ。――【転置メ・タ・フェスィ】」



 次の瞬間、俺の右手を灼熱の痛みが貫いた。

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