16.悪魔談義と現世


 アンテが俺の中から出ていくまで、しばらくかかった。


 割と居心地が良かったらしい。が、居座られる方の俺は堪ったもんじゃない。名状しがたい異物感にしばし苦しむことになった。


『そのうち慣れるから気にするでない』

「慣れたくねーよこんな感覚!!」


 ゲップが喉元まで出かかっているのに出ない感じ。そう本人に伝えたらえらく気分を害していたが、いい気味だと思う。ついでに魔神を愚弄する禁忌を犯したからか、俺の力が少しだけ増大した。


 でも、そのせいでしばらく呼吸を禁忌とされ死にかけた。俺の中に入ってたら本人は平気なのズルくないか……?



 宮殿をあとにして、赤い空の下、黒い砂の砂漠を渡る。



 行きはあっという間に感じたが、帰り道は果てしない。



「なんか遠いな」

「こんなもんじゃろ。来るときはもっと早かったのか?」

「あっという間だった。……案内の悪魔に道を示されたからかな」

「……ああ、変わり者のオディゴスじゃな」

「知ってるのか? それに、変わり者?」


 意外だった。最上位かつ古参っぽいアンテは、そんじょそこらの悪魔の個体名とか把握していないだろうと勝手に思い込んでいた。


「格こそ魔神には遥かに及ばぬものの、オディゴスもなかなかの古強者よ」


 あ、オディゴスの方が『そんじょそこらの悪魔』じゃないわけね。


「アンテが古強者呼ばわりするってことは、相当な古参なのか」

「魔界の黎明期からいるやつじゃ」


 ……それは世界の始まりから存在するに等しいやつでは?


「あやつは珍しい中庸の悪魔での。どの勢力にも属さず、他者を導き案内することで魔界を生き延びてきた。……のじゃが、いかんせん魔界には迷う者がほとんどおらんでな」


 その気と力さえあればどこへなりとも行けるからのぅ、とアンテ。


「黎明期から存在するのに、力を育てる機会に恵まれなかったってことか」

「あるいは、外界からの来訪者を一番歓迎しておるのは彼奴かもしれん」

「なら、あいつこそ誰かと契約して外に行けばいいのに。現世に行けば、迷える者なんて掃いて捨てるほどいるぜ」

「あの者自身の権能が、ポータルの前に己を導いたらしい。来訪者を案内することが彼奴にとって最善なのか、それとも相応しき契約者にまだ出会えておらんのか……」


 それはあやつ自身にもわからぬことよな、とアンテは肩をすくめる。


「それに、格としては上位じゃからのー。使役するには対価として支払う魔力が高くつきすぎよう。契約する物好きがいるとも思えぬ」

「じゃあ、オディゴス優位の契約なら?」

「迷える者を片っ端から導き、案内する羽目になるじゃろう。魔族にそんな奇特なやからがおるか?」

「いないな」


 断言できる。哀れ、オディゴス。


 この俺が、人族の勇者が、まさか悪魔に同情する日が来ようとはな。


 オディゴスは……なんというか、自然だった。


 悪意の欠片も感じないというか。ソフィアよりまだ無害に思えた。


「聞き流したけど、『中庸の悪魔』ってのは?」



 黒々とした大河を渡りながら、俺は尋ねる。



 その河に流れるのは、水ではなかった。もっとドロドロとしたもので、波打つそれの上を俺たちは普通に歩くことができた。



「悪魔には3種類おる。美徳、中庸、背徳の概念を司る者たちがの」

「美徳の悪魔なんているのかよ?」

「ほぼ滅んだが、生き延びた者もおる。忠誠、誠実、勇気あたりじゃ。前2つは契約とも絡むから、なかなか強大な悪魔での。探せばそのへんにおるじゃろ」


 イヤだなぁ、探せばそのへんに強大な悪魔がいる世界……。


「しかし、迷う者を導くのって、美徳じゃないのか?」

「オディゴスは平等に導くからの。善き者も、悪しき者も」

「なるほど、そういうことか……ちなみにアンテ、お前はなんだ」

「はっ。美徳の魔神に見えるか?」


 聞いてみただけさ、と俺はつぶやいた。



 延々と荒れた大地が続いている。



 今のところ、他の悪魔とは出くわしていない。



 アンテみたいな化け物が横にいるからかもしれないし、俺が望んでいないからかもしれない。



「そういや、オディゴスにも俺の姿を見られたんだ。まずいかな?」


 もしかしたら道中も、俺が気づかなかっただけで、悪魔に目撃されていた可能性はある。謎の人族が魔界をさまよっていた、って事実はちょっとヤバくないか。


「正体が露見するかもしれん、ということか? まあ大丈夫じゃろ」


 歩きながら、頭の後ろで腕を組んでアンテは答えた。


「まず、オディゴスは聞かれん限り余計なことは喋らんし、魔界と現世の時間の流れは曖昧じゃから、お主と王子を結び付けられる存在がいるとも思えん。ポータル越しでなくとも、何かの拍子に人族が迷い込むことは――ごくごく稀じゃが、ある。召喚魔法の失敗とかでな」


 なので、大丈夫だろう、と。


「……楽しみじゃのぅ」


 にわかに、アンテが悪い笑みを浮かべた。


「何がだ」

「お主がどの面下げて魔族らしく生きておるのか。それを見るのが楽しみじゃ」

「……頼むから、余計なことはしてくれるなよ」

「心配するでない。正体が露見すれば、対価が受け取れぬではないか」


 ぎらぎらと輝く極彩色の瞳。


「契約が果たされるまで、我は絶対的な味方じゃ。安心せい」


 ……ダークポータルの破壊が一番最後になるのは確定的だな。



 ながく、ながく、歩き続けて、ようやくダークポータルが見えてきた。



 全体的に色が黒っぽい魔界において、真っ黒な円なんて背景に埋もれてしまいそうなもんだが、その圧倒的な存在感のせいで見逃す恐れはない。


「さらば魔界ー! しばしの別れじゃー! ふっふー!!」


 俺と手をつないではしゃぐアンテ。よっぽど飽き飽きしていたらしい。


 しかし……悪魔どころか魔神と一緒に現世に帰還、か。


 人生なにがあるか、わかったもんじゃないな……


「行くか」


 魔神を連れて、俺はポータルをくぐった。




          †††




 風の匂い。音。重さという概念を思い出す。


 空を見上げれば、青空に太陽。


 そうか。光とはこういう色だった。


 肉体の存在がはっきりとしている。


 ……はっきりしすぎている。


 慣れ親しんだはずの世界は、今この瞬間は、ひどく窮屈に感じられた。


「あー、そういえば、こういう感じじゃったのぅ」


 隣を見れば、んーっと伸びをしているアンテ。


 現世で魔族の身体に戻ったからか、その魔力が知覚できるようになった。


 ……魔力が渦を巻いていることはわかるが、とらえどころがない。


 ソフィアや小悪魔なんかは、もっとわかりやすい。小さな竜巻やつむじ風って感じだからだ。


 だが、こいつは……アンテは、それがよくわからない。


 悪魔というより、魔族のような――安定した存在のように思えるのだ。頭には慎ましやかに角も生えているし、疎いものなら魔族と誤認するかも知れない。


 しかし最大限に注意を払って、よくよく観察すれば、わかる。


 あまりにも、高密度に、魔力が凝縮されている。


 だから風ではなく、鋼のように感じられる。


 気づいた瞬間に、ゾッとするだろう。上級悪魔が擬態した姿だと解釈して。


 実態は、それよりもさらに悪辣だが。


「よく、抑えたな」


 その程度の小ささに。


「ほんのつま先よ」


 ニヤリと笑うアンテ。自分の一部だけを現世に下ろす、って結局どういうことなんだろうな? 定命の者にはよくわからんわ……


「さて、母にお前を紹介しなくちゃならない」

「お主の母親、のぅ。楽しみじゃなぁ……」


 ふふふふ――と不穏に笑うアンテ。頼む……頼むから余計なことは……


 改めて、あたりを見回した。悪魔と魔族の街、"コスモロッジ"――悪魔が逗留し、魔族が魔界入りした親族を待つための施設ということだけあって、ポータルの周りはぐるりと商店や喫茶店(のようなもの)で囲まれている。


 おそらく、プラティもそのへんにいるとは思うのだが……


「あ、いた」


 日陰の喫茶店のテラス席に、乗馬服(ばんぞくのすがた)を身にまとった魔族の女がいた。テーブルに突っ伏している。待ちくたびれたのか? いつも気を張って背筋を伸ばしているプラティらしくない、気の抜けた姿だな。


 にしても、現世ってすごい窮屈だな……俺は、肩を回しながら思った。全身が締め付けられてるみたいで、苦しい。


「母上、戻りました」


 俺が声をかけると、ピクッ、と動いたプラティが、のろのろと顔を上げた。



 俺は仰天した。



 ゾッとするような冷たい美貌のプラティが、げっそりと痩せて、目の下にはクマもあるひどい顔をしていたからだ。


「…………誰?」


 俺はさらに度肝を抜かれた。うつろな表情でプラティが問いかけてきたからだ。


「えっ、母上!? 俺ですよ、ジルバギアスですよ」


 魔界から戻ってきたら母が記憶喪失とか冗談じゃねえぞ。魔王城での俺の立場どうなるんだよ。


「…………え」


 しばし、茫然自失していたプラティだが、やがてその瞳に生気が戻ってくる。そのまま目を見開いたり、何やら怪訝そうにしたり、険しい顔をしたり、疑るような視線を向けてきたり、と百面相をしたプラティだが、


「……あなたの、おつきの悪魔の名前は?」

「え。ソフィアですが」

「あなたが最初に殴り合いをしたのは誰」

「それも、ソフィアですね」

「殴り合いになった理由は」

「俺が勉強しなかったからです」


 ガタッ、とプラティが椅子を蹴倒して立ち上がった。


 わなわなと震えながら、歩み寄ってくる。


 ん? なんか……プラティ、小さくなった……?


 視線の高さが、なんかおかしいな……?


「本当に……あなたなの……? ジルバギアス……?」


 俺の肩を掴んで、プラティ。


「は、はい……そうですけど……」


 困惑して視線をさまよわせた俺は、ふと、喫茶店の窓に目を向けて、愕然とした。


 磨き上げられた水晶の窓に、俺の姿が写り込んでいる。



 まるで、抜身の刀身のような。



 鋭利で精悍な雰囲気を漂わせる魔族の



 年頃は、人族でいうなら15~16歳くらいで。



 しかも、尋常じゃなくパッツパツな破れかけの服を着ている。



「……めっちゃ背ぇ伸びとる!!」


 俺は素っ頓狂な声を上げた。


「あなたなのね!? 本当に!! あなたなのね!! ジルバギアス!! よかった!! ジルバギアス――っ!」


 俺にひしと抱きついて、叫ぶプラティ。


 なんだなんだ、と周囲の悪魔や魔族たちの視線が集中する。


「どうやら、影響が出たようじゃのぅ、


 アンテがこれ以上ないほどニヤニヤしている。


 ……察するに、俺がポータルに入ってから、かなりの日数が経ってるのか?


 まさか何年も? そのぶん俺の身体も成長した? いや、それにしてはプラティの服装が出発時と同じだ。


「ジルバギアス――ッ! よかったーッ! ジルバギアスーッ!!」


 そして何より、こいつをどうするか、だ……


 俺は、俺にすがりついて慟哭するプラティの肩を抱きながら、途方に暮れるしかなかった。



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