10.国崩しの指針


 腸が煮えくり返るような魔王の書だったが、読んでよかったと思える点もあった。


 ひとつは、俺の成長を待つ間に、汎人類同盟が滅ぼされることはない、とわかったことだ。


 ソフィアから聞いた話や、文字の勉強で読んだ報告書などを通して、俺はだいたいの戦況を把握していた。


 同盟は相変わらず負け続けているらしい。しかし魔王軍の戦力の割に、侵攻がクソ遅い。俺の現役時代からその傾向はあったが、最近は特に、その遅さに磨きがかかっている。


 巨人の歩みのような進軍――とでも言うべきだろうか。つまり、動きは鈍い代わりに、生半可なことでは止まらず、着実に進む。


 前線の砦をわずか半日で落としてしまったかと思えば、周辺地域の平定と支配には何週間もかけて、たっぷり休んだのち、また次の砦を――といったノリだ。


 支配地域の反乱を警戒しているにしても、あまりに慎重というか、魔族らしからぬやり口で不可解だったが、『魔王建国記』のおかげで疑問が氷解した。



 一気に攻め滅ぼしたら、『敵』がいなくなって困るからだ。



 あまりにも圧倒的な戦力で捻り潰してしまい、同盟が瓦解したり、全面降伏してきたら、それはそれで困る、と。だから生殺しのような戦争をだらだらと続けている。同盟側が戦力を立て直すのを待っている。その上で正面から叩き潰し、魔王軍の闘争心を消化しているのだ。


 最近では、新たな戦端を開く前に同盟側に軍使を送り、魔王国に接する複数国の、どこの砦や街を攻めるか同盟側に決めさせたりしている。


 指定された国々は、当然、自国が標的とならないよう内部工作に走るため、同盟の連携はガタガタにされていた。しかも同盟の主導的立場にあった聖教国は、これまでの戦いで消耗して青息吐息。もはや宗教的な影響力を除き、強烈なリーダーシップを発揮できるような状態ではなくなってしまった。


 今や同盟には、決戦を挑むにせよ、降伏するにせよ、それを主導できる国が存在しないのだ。一蓮托生といえば聞こえはいいが、泥舟から降りることも、潔く自沈することもできない。


 魔王国と接する最前線国と、後方の支援国(戦わないが、例の『次の攻撃目標』に口出しすることはできる)で温度差があるのもデカい。


 やることがえげつないな……。これはこれで、魔族らしくない。魔族も性格は悪いが、もっと直情的な連中だ。このやり口はナイトエルフが絡んでるんじゃないか、という気がする。


 ……『一気に攻め滅ぼされずに済んで良かった』なんて、脳天気なこと言える状況じゃないな。仮に魔王国を倒せたとしても、遺恨が残るのは間違いない。


 しかも長引く戦争を支えるために、犠牲になっているのは民たちだ。同盟側もそうだし、魔王国の支配領域での人族の扱いは悲惨の一言に尽きる。ゴブリン以下の最下層民、奴隷というより家畜のような存在。今この瞬間にも、ひとり、またひとりと命を奪われているだろう。



 同盟が滅ぶまで、まだ時間は残されている。



 ――だがそれは、俺が時間を浪費していい理由にはならない。




 次に、ふたつめ。


【ダークポータル】の存在が判明したこと。


 魔王国がどうやって大量の悪魔を動員しているのか、同盟でも長年疑問に思われていたが、まさか魔界直通の門が存在したとは。


「ソフィアも【ダークポータル】から来たのか?」

「それはもちろん。今日日きょうび、召喚に応える悪魔なんていませんよ」


 組手の稽古の合間に、俺がソフィアに尋ねると「当然」と言わんばかりの答えが返ってきた。


「召喚の儀式は、術者の魔力に加えて生命力まで消耗する危険な魔法ですが、わたしたち悪魔にとってもそれなりに不快なんです」

「……不快?」

「ジルバギアス様にもわかりやすく言うなら……ものすっごく小さな穴に、体を捻じ曲げながら無理やり押し込まれる感覚ですかね」

「それは……痛そうだな」

「そうですね。『痛い』と言えるかもしれません」


 ソフィアは何やら嫌そうな顔をしている。召喚された経験もあるのかもしれない。


「ダークポータルは違うのか?」

「全然違いますね。普通に通れるトンネル、という感じです」

「なら、なんで悪魔たちは、もっと昔からダークポータルを通ってやってこなかったんだ?」


 こぞって乗り込んできそうなものだが。


「単純です。わたしたち悪魔だけでは、ダークポータルを抜けて『この世界』にたどり着けないんですよ。『この世界』に結びつきのある存在――つまり魔族の方が同行しない限り」


 ソフィアいわく。


 魔界側から見たダークポータルは、どこにつながっているかわからない次元の穴なのだという。


 単身乗り込んで、戻ってきた悪魔はいないそうだ。


「おそらく、本来はにつながっているのでしょう。……さすがに、知識の悪魔であるわたしも、今すぐ乗り込もうとは思えません。やるとしたら、この世界に存在する全ての知識を学び終えてからです」

「……だけど、こっちの世界からは魔界に行けるんだな?」

「おそらくですが、初代魔王陛下の意思により、魔界につながったんでしょう」


 ……ラオウギアスの野郎、まだ何かやらかしてんのか?


「ダークポータル発見時、初代魔王陛下は力を得る方法を探しておられた。その望みが、願いが、次元のひずみに影響を及ぼしたのではないかと」

「……そんな、神々の大戦で生まれたような現象に、個人の意思が影響を及ぼしたりできるのか?」


 いくら魔族でも、雨よ降れ! って念じても天気は変わらないぞ。その次元の話だと思う。


「それができるなら、魔界側でも行き先を変えられそうなもんだが」

「難しいです。魔界は、『この世界』に比べると物質が曖昧な世界ですが、代わりに概念は強固なのです。対してこちらの世界は、物質が安定している代わりに、概念は移ろいやすい――」


 ……魔法学者みたいな話になってきたな。


「そしてその上で――初代魔王陛下が飛び込むまで、この世界のひずみは、まっさらな状態だったのです。さらに存在が極めて不安定な環境でもありました。だからこそ魔王陛下が飛び込んだ瞬間に、『【ダークポータル】は発生した』とも言えます」


 初代魔王が力を望んだからこそ、それが得られる魔界につながったってことか?


 クソ迷惑な話だ。


 ラオウギアスがこの世界にもたらした影響デカすぎだろ……


 だが、これだけは言える。魔王国、ひいては魔族の力を削ぐには、ダークポータルも何とかしなきゃいけないということだ。


 正直言って、魔王軍なんかよりはるかに――強大な存在であろう次元のひずみなんかを、俺の力でどうにかできるかはわからないが……


 やらねばならない。悪魔たちがいる限り、ただでさえ強い魔族の力が、さらに増幅されてしまうんだから。


 逆に、これ以上、悪魔たちの力を借りられないようにすれば。


 その上で、『魔王の槍』を何とかしつつ、魔族たちの脆い団結に楔を打ち込められれば。


 汎人類同盟にも勝ち目はある。




「いやー、ジルバギアス様ももうすぐですねー」


 と、何やら、ソフィアが感慨深げに頷いている。


「何がだ?」

「何って、そりゃあジルバギアス様の魔界入りですよ」


 ソフィアはこともなげに言った。


「……は?」

「角も生えましたし、魔力の強さも十分。第1王子のアイオギアス殿下が初めて魔界を訪れ、悪魔と契約したのが8歳です。その記録を大きく塗り替える、5歳での魔界入りは、おそらく奥方様もご検討なされているでしょう」


 絶対にしてるな、それは。


 そんな機会を、あのプラティが逃すはずがない。


「ジルバギアス様の教育係としては感慨深いものがあります。どのような悪魔と契約されるか、楽しみですね」


 ソフィアはそう言って笑っているが……



 そうか……。



 俺が、元勇者の俺が……魔界を訪れて悪魔と契約、か。



 世も末だな……。



 いや、構わないさ。


 俺は魔王を倒さねばならない。


 そしてこの国を滅ぼさねばならないのだ。


 力を得るためなら、悪魔とだって契約してやるさ。



「ちなみに、契約する悪魔って、どうやって見つけるんだ?」

「心配はご無用です。ダークポータルを通っていけば、自然と、相応しい悪魔に出会えるようになってます」

「そ、そうなのか」


 元勇者の俺に相応しい悪魔って、何が出てくるんだよ……?


「それは、楽しみだな……」


 俺は引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。




 ――そして、それから数日。




「ジルバギアス! 魔界へと赴きなさい」



 俺はプラティに、そう言い渡された。



「宮殿入りする前に、あなたに相応しい悪魔を見つけるのよ」


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