紅き瞳のフェリシア
砂塔ろうか
第1話 鳥籠の少女と囁き遣い
001 出会い
まだコートが脱げない、晩冬の朝。
——その人は川に浮かんで、流されていた。
「っ!? だ、大丈夫ですか!?」
長い赤髪の特徴的な人だった。その人は俯せでぷかぷか浮かんでいて、男の人か女の人かも分からない。ただ、こちらの呼び掛けに応じる様子も、呼吸をしてる様子もないことは、はっきりと分かった。
まずい。このままでは厄介なことになる。
このまま、川の流れに従ってもし、森の外にでも行ってしまったら……。
「ひ、引き上げなきゃ……! ええと、炎……は生きてたらマズいからダメだし……水操作も私の力量じゃ失敗しかねない…………ああもう! こうなったらしょうがない!」
私は息を大きく吸って、立っていた橋の縁から川の中へ飛び込んだ。
春が近いとは言え、冬は冬だ。川に飛び込んだ瞬間、全身を刺されるような痛みに襲われた。
「——ッゥ……っ! さっ、寒い……」
まずい。これは想像以上だ。冬の川ってこんなに冷たいんだっけ。
……こんなところにずっと居たら死んでしまう。さっさと助けて、陸に上がって、家に帰らないと……。
ひとまず、確実にあの人を背負って川を出られるよう、まずは身体強化の魔術を使おう。もしかしたらそれで、多少は楽になるかもしれない。
「——ぱっ、パキリパキリと殻が割れた! 生まれ出るモノっ、汝はなぜ生まれる。死にゆくモノっ、汝はなぜ死ぬ。……問いに答えはなく、ぱ、パキリパキリと殻は割れたぁっ!」
詠唱を終えると同時、魔力が全身を巡り、私の身体が芯の方から熱くなるのを感じた。よし、ちゃんと成功したみたいだ。
とはいっても、川の冷たさに変わりはない。急いであの人を担いで陸に上がらないと……。
川を少し泳いで、その人を捕まえた。俯せの身体を引っくり返してみると、整ったかんばせの、青ざめているのが見える。
これは死んでるかもしれないな……。
そう思いながら私は、かじかんだ両手でその人をしっかりと抱き締め、陸へと帰還した。
「…………はぁ、はぁ……。いくら身体強化があるとはいえ、やっぱり冬の川に飛び込むのは無茶だったなぁ……」
もっと別の方法はないか模索するべきだったと、今になって思う。
そして、ちらと引き上げた人の方を見てみる。軽く口と鼻に手を当ててみても、空気の流れを感じることはできない。呼吸、していないのだ。
……やっぱり、死んじゃったのかな。
はじめから、想定していたこととはいえ、やっぱり辛い。
それは別に、私の行為が徒労に終わったからなんかじゃない。むしろ、この人を川から引き上げるという行為それ自体に意味があることを、私は理解している。だから決して、徒労だったとは思わない。
だけど、その相手が死んでいるとなればやっぱり——この人は私の知らない人だけど——落ち込むし、悲しく思う。
「……せめて、弔ってあげよう」
それにしても、この人はどこから来たのだろう。この森の外の川の上流から流されて来た……とは考えがたいし、この森にわざわざ侵入して自殺したとも考えがたい。一体、この人はどうやって……いや、どうして、この森の中に……。
この、私のためだけの鳥籠にどうやって、入ってきたのだろう。
「…………がはっ」
「——!」
今、咳き込む音がした。もちろん私じゃない。ということは……。
「良かった! 生きてたんだ!」
「……だ、誰だ……君は……。もう、三ヶ月経ったのか……?」
驚いた。さっきまでぐったりとしているのにもう言葉まで話せるようになってる。呼吸していないっていうのは、私の勘違いだったのだろうか……。
「ああ、動かないで! さっきまでずっと、冬の川に浸かってたんだから。危うく死ぬところだったんだからね」
「…………冬?」
キッと、凍てつくような冷たい瞳を向けられる。
「……え。な、なに?」
「いま、冬って言ったのか? まさかまだ、一日も経ってないのか?」
「あ、あの……? わけがわからないんだけど……」
寒さで混乱してる? いや、それにしてはなんだか妙にハキハキとしている。これは、どういうことなんだろう……。
「……もういい。なあ、君。少し耳を貸してくれ。……つらいんだ。大声を出すのが」
「は、はあ……」
さっきまで元気に喋ってたような……そう思いつつ私は彼の口もとに耳を寄せる。
「……頭の耳じゃないのか」
どういうわけか、私には耳が4つあるのだけど、彼はおそらくそのことを言っているのだろう。側頭部についたエルフ耳と頭頂部についた狐耳。一応、どちらもちゃんと機能してるらしい。
だが、今はそんな話をしてる場合じゃないのだ。
「あの、用事があるなら速く済ませてくれませんか……? さっきから風が当たるたびに凍りつきそうで……頭も鈍痛が止まらないし……」
「奇遇だな。私も同じだよ」
「…………」
「済まない。それでは本題に入ろう」
ふっ、と耳に息を吹きかけられる。耳が余計に冷たくなり、さらに痛くなる。だけど同時に、なんでだろう、安心感みたいなものも感じた。それはまるで、うっとりと陶酔してしまうような、心地良さで……。
その人は私に囁きかける。色気を帯びた、男性にしてはやや高めの声音で、
「——このあたりに、溺死するのにぴったりな場所はないかな」
なにを言ってるのか、わけがわからなかった。せっかく死なずに済んだのに、溺死するのにぴったりな場所を訊くなんてなに考えてるんだろう。
そもそも、そんな場所を仮に知ってたところで、今し方彼を助けたばかりの私がそれを教えるわけないのに。まったくバカバカしい……寒さで頭をやられてしまったんだろうな、かわいそうに。
「ええと……それなら森の中心部に【聖域】って呼ばれてる湖が……」
「案内してくれるかい?」
「……まあ、いいけど……でも、」
「でも?」
「私が凍え死にそうだから、着替えてからでもいい?」
「ああ。分かった」
「あなたもそのままでは辛いでしょ。うちであったまっていって」
「お、それは助かるよ。悪いね」
そうして、私の家へ向けて歩き出す……………………あれ?
なんで私、【聖域】のこと話しちゃったんだろう。あそこは絶対に秘密の場所だって、師匠に箝口令敷かれてたのに……なんで、この人の自殺を助けるような真似を……。
(続く)
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