十夜物語
睦月 葵
第一夜 奇妙な休日(お題:おうち時間)
この一年、コロナ禍・新型コロナ感染者数・コロナ対策・自粛・三密回避・PCR検査に緊急事態宣言等々、世界的にパンデミックとなった未知の感染症に関する話を聞かない日はなかった。TVやラジオのニュースでも、ネットの情報でも、職場でも、家庭の中でも……。
事が、『未知の感染症』の話題だけに、明るい話はほとんどない。一年が過ぎても、未だにそうだ。辛うじて、ワクチン開発の成功が明るいニュースといえるかもしれないが、必要にして充分な量が日本国内に、そして医療・介護関係者ではなく、高齢者でもなく、基礎疾患も持っていない一般の国民───例えば俺のところに、いつ届くのかは、全く以って不透明だ。
俺より自宅時間が増えた妻や子供達は、言い方は悪いが暇を持て余していて、俺がリモートワークで家に居る時などは、断捨離をするだの、DIYでプチリフォームをするだの、外に遊びに行けない子供達と遊んで欲しいだのと、下手をすると会社に行っている時より忙しい。
勿論、普段はゆっくり接する機会がない子供達と過ごすのは嬉しいし、いわゆる『おうち時間』を有効に過ごすことには意義があると思う。
だが!───だが、しかしっ!
リモートワークは、その名の通り仕事なのだ。
そして、この社会と会社の危機に、自ら仕事を成し遂げられない社員は、やがて排他されて行くのである。
会社は、雇用を守るとは公言する。政府は、雇用を守る為に持続化給付金を支給するとは言う。けれども、それが会社の懐を通る限り末端の社員に満額届くことはないし、一年も続いたこの事態に、使えない社員をなんとか切ろうと虎視眈々としている会社の意図も、ヒシヒシと伝わって来ているのが現状だ。
仕事の手を抜けば、自分の身が危うい。
家庭内のフォローの手を抜いても、自分の身が危うい。
給与の出る仕事と生活の平和を守る仕事の両輪は、実際のところ三百六十五日・二十四時間勤務の超ブラック勤務体制だと言わざるを得なかった。
つまり、何が言いたいのかというと、少々疲れてしまったのである。
『疲れた』といえば一言で終わってしまうが、コロナ禍以前の疲れとは何だか違う。疲労だけではない。毎日変化の少ないニュースを聞くことにも飽きたし、小耳に挟んだだけでもイライラする。どこがゴールか判らないマラソンを、延々と走り続けているような気さえする。
『もう少しだから頑張れ』と言われれば、何とか頑張ろうとするのが日本人の特性だ。俺だって頑張ってみせる。大事で愛しい妻子がいるのだから。
だから誰か、ここがゴールだと教えてはくれないだろうか……。
そんな、ぼやきとも弱音ともつかない事を、仕事帰りに街中でばったり会った大学時代の友人にぶちまけてしまったのは、奴がやけに元気そうに見えたのと、俺が自覚以上にすっかり参ってしまっていたからだろう。
奴───一ノ瀬大輔が同じ街に居る事は知っていた。けれど、これまで会わなかった相手を見付けられたのは、道行く人がすっかり減っているからかもしれない。
「ああ、そっか───そうだよな。いい加減疲れちまうよな」
久しぶりに会った旧友に、石を投げれば当たるほど乱立している某コーヒーチェーン店に引きずり込まれ、
「なあ、大の字───本気の休息が必要なんじゃないか? お前だけの休みがさ」
『大の字』と呼ばれて、不意に涙が出そうになった。いや───実際に一・二滴は出てしまった。
そう、学生の頃、俺はそう呼ばれていた。『青山大介』が俺の名前だ。係長でもパパでもあなたでもなく、ただの俺の名前。青山の『あ』と一ノ瀬の『い』で、名字で並べられると近くにいたのがコイツだった。ついでに、漢字違いの『ダイスケ』同士で親近感も強かった。
「判った。奥さんに電話しろよ。んで、俺に代われ。上手く言ってやるから。今夜、お前は俺んちへ
力強く宣言した一ノ瀬は、本当にその場で話をまとめ、急な成り行きに呆然としている俺を近所だからと担ぐようにして、独り暮らしだという賃貸マンションにお持ち帰りしたのである。
帰る途中で俺達は、コロナ禍になって増えた飲食の店のテイクアウトで夕食を仕入れ、コンビニでビールを含む各種飲料と朝飯になる物を調達した。一ノ瀬曰く、『料理ぐらい出来るが、休みと決めたからにはしなくて済むことは出来るだけしない』というのが正しいのだそうだ。
招待された一ノ瀬の住まいは、一部屋とちょっと広めのLDKという、三十代ちょい手前の独身男らしい部屋だった。全体にモノトーンと濃い目の青でまとめられたインテリアはスタイリッシュなのだが、ソファーや食卓の椅子に放り投げられたタオルや衣類のせいで、近寄り難さを感じない。先にシャワーを浴びて来いと追いやられ、云われるがままシャワーを済ませ、借り物のスウェットに着替えた俺がリビングに戻った時には、レンチンしたテイクアウト容器の夕食と取り皿と缶のビールで、食事の仕度は終わっていた。
学生時代の思い出を中心に、他愛もない話をしながら寛いで飲み食いしているうちに、俺は何だかこの部屋にそぐわない物を見てしまった。
神棚である。
「イッチー、お前のところは神道だったか?」
俺の視線を追って質問の意味が判った一ノ瀬は、照れ半分・苦半分の笑いを浮かべて説明してくれた。
「あれは、最初の自粛が始まった頃に、中学の頃からの連れが突然来て、勝手に設置していったんだ。まあ、気にするな」
そうは言われても、気にしないことも難しい。何故ならその神棚は、これまで見た事がある物とは少し違っていたからだ。
同じなのは神棚の形と、榊とお神酒が備えられていること。違うのは、本来なら神社や祭神の名が書かれている御札が、まるっきり白紙であること。そして、その御札の正面に、ゴルフボールよりやや小さい朱色の半透明の珠が飾られていることだった。
だが、それを追求することは出来なかった。本当に自覚以上に
俺がそうなることを予測していたのか、一ノ瀬は寝室に使っている部屋の自分のベッドに俺を連れて行き、ただ「ゆっくり寝ろ」と云ってくれた。覚えているのは辛うじてそこまでで、俺は沈み込むような眠りの底に沈んで行った。
それからのことをどう語ればいいのだろう?
深く眠っていた筈の俺は、部屋の主である一ノ瀬とその旧友という顔も知らない人間以外に話しても、信じて貰えないような経験をしたのである。
間違いなく爆睡していた筈の俺は、夢の中で目が覚めた───いや、奇妙な気配を感じて、眠りの中なのに意識が戻ったというべきだろうか。
『一体何が?』と思う間もなく、何か巨大な布団のような、スポンジのようなものが体全体にのしかかって来たのだ。確かに眠っていて目を
『何だこれは? どうしたらいいんだ?!』とパニクリかけた時、更に別のものが近くにいることに気付いた。
黄金色の瞳をした闇に溶ける獣。
それは、間違いなく俺に狙いを定め、野生の獣の俊敏さで俺の喉笛に飛び掛かり───俺の意識は、そこで完全に途切れた。
次に目覚めたのは、すっかり朝になってからだった。
ブルーグレーのカーテン越しに夜が明けているのが判る。
けれども、昨夜の記憶もしっかり残っていて、何故自分が無事に目を覚ましたのかが判らない。
釈然としないままリビングへのドアを開けると、ソファーで一夜を過ごしたらしい一ノ瀬が、チェシャ猫のような笑みを浮かべて「おはよう」と云った。「その顔だと、あの連中が出たらしいな」とも。
勿論俺は、俄然説明を求めた。あのスポンジもどきと獣もどきが何だったのか、お前はそれを知っていたのかと。
「知っていたぜ。俺も洗礼を受けたからな。アレの正体はそれだ」
指差した先は、
そういうと、一ノ瀬はもう少し丁寧な説明をした。
スポンジもどきは御札の化身で、溜まった悪い気を吸い取ってくれるのだということ。獣は朱色の珠の化身で、心身共に弱っていた俺にくっついていた悪いモノを剥ぎ取ってくれたのだということを。
「中学の時からの連れってのが、霊能者───じゃないな、
云われてみれば、昨日までまとわり付いていた疲労感が無くなっている。首や肩回りに張り付いていた嫌な感じもだ。だからといって、素直に感謝出来るかというと……。
「少しぐらい事前に説明しろよっ!!」───である。
一ノ瀬によると、その巫覡もどきの旧友は、さすがにこのパンデミックは見逃せないと噂のアマビエを捜しに行っていて、アマビエ組合に交渉して疫病退散の算段に動いているとのことらしい。
妖怪に組合があるのかどうかは疑問だが、色々な立場の人々が、それぞれにベストを尽くしていることだけは理解出来た。
それならば、自分のコンディションも改善したことでもあるし、きっともう少しは頑張れると思うのだ。
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