アンサー

彼方 紗季

アンサー

 授業終了のチャイムが鳴る。昼休みが始まる。急いで昼の練習に行く運動部。固まって仲良さげに弁当を食べる女子。勉強をしている人。ふざけあってる男子。たった一人でいる奴。

 何もする事などない。昼食を食べた後、ただ眠るだけ。眠ったふりをするだけ。私はただの空気となる。

 私はここにいない。



 放課後、図書室に行くこと。これが私の唯一の楽しみである。

「こんにちは」

「あら、こんにちは」

 さっちゃんの目が輝いた。彼女は読みかけの本をしおりに挟んだ。

「今日はあの子来なかったわよ。確か……コーヘイくん」

 何故かいつも彼の名前を出す。

「へぇ」

「今年から図書委員ですって、よかったわね」

「へぇ、そうなんだ」

「嬉しくないの?」

「だって関係ないし、どうだっていいもん」

「ほんとに?」

「うん」

「隠さなくったっていいのよ?」

「さっちゃんの勘違いだよ」

 彼女はこの学校の図書館司書である。それと同時に、私の唯一の友でもある。何が根拠なのか、私が彼に好意を抱いていると思っているらしい。

「ねぇ、その本面白いの? あんまり進んでないみたいだけど」

「ん? あぁこれはね、私の人生を変えた本なの」

「へぇ初耳。どんなやつ?」

「うーん。何というか、考えさせる本ね」

「また随分とアバウトな説明だね」

「だって人によると思うのよ。この作品の捉え方って」

「面白そう。貸してほしいなぁ」

「確かこの図書室にもあったはず。ちょっと待ってね」

 彼女はパソコンに向かい合った。どうやら話を逸らすのに成功したようだ。

「あら、あるけど借りられてるわ」

「えー」

 なんて言ってみる。別にどっちだっていい。

「しかもコーヘイくん」

 どうやら私の運は尽きたらしい。

「次貸してもらうように頼んでみたら?」

「……やっぱりいい」

「そんなこと言わないの。せっかくのチャンスなんだから。頼んでみなさい」

 そう言ってにっこり笑う。


 コーヘイくんとは、去年同じクラスの男子だ。私みたいにクラスに一人でいる人ではあるが、どこか違う。彼の周りの空気だけ透き通っている。あたたかい光と冷たい雨の匂い。

 彼とそこまで親しくしていたわけでもない。ただ、私は彼女と話すために図書室に毎日来ていて、彼は本を借りるためによく来ていた。ただ、それだけだ。

「こんにちは」

「あらコーヘイくん、丁度よかった。今あなたの話をしていたところなの」

「私がこの本を借りたいって話してて、そしたら今コーヘイくんが持ってるって聞いたの。もしよかったら次貸してもらえるかな」

「いいよ。ちょうどこれ返しに来たんだ」

「よかったわね。今手続するから待ってて」


「『もしよかったら、感想聞かせて』とか言われたかったわねぇ」

「さっちゃん、少女漫画の読みすぎだよ」

「そんなことないわよ。だって、本当に言われた事、実はあるのよ」

「へぇ、本当にあるんだ。その人とはどうなったの?」

「さぁ、忘れたわ」

 彼女は少し寂しそうな目をしていた。


「ただいま」

「あ、お姉ちゃんおかえり」

「お母さんは?」

「買い物行ってる」

「ねぇ、なんか悩み事とかない? 美幸が解決してあげるよ?」

「どうせ何か悪い事でもしたんでしょ」

「ひどいなぁ。そんなことないよ」

「じゃあ何?」

「だってお姉ちゃん、最近なんか暗いんだもん」

「いつものことだけど」

「まぁたそんなこと言ってる。あんまりネガティブは駄目だよ! 幸せが逃げるよ!」

「……どうだっていいよ」

 自分の部屋に入ると、もうすっかり外は暗くなっていた。電気をつけると外から丸見えだ。カーテンを閉めてベッドに寝転ぶ。蛍光灯は眩しかった。



 目が覚め、カーテンの隙間から漏れている日差しから、もう朝であることを知る。昨日借りて読んでいた本が閉じていた。栞を挟まず寝落ちしてしまったらしい。

 寝ぼけた目で、最後に読んだ文章を探す。意外とまだ進んでいなかった。内容もあまり頭に入っていない。

『つまらなかった』ということなのだろうか。

「お姉ちゃん、起きて~」

 美幸の声だ。今日は珍しく機嫌がいいらしい。

「起きてる。今行く」

 本を枕元に置いてベッドから立ち上がる。また一日が始まる。今日は火曜日。

 

 昼休み、長い廊下を歩いて図書室に着く。昼休みでもあまり人はいない。カウンターには彼が座っていた。

「さっちゃんは?」

「あぁ、先生なら奥で本棚整理してる」

「あ、そうなんだ。ありがと」

 カウンターの奥にある部屋のドアをノックする。

「さっちゃん?」

 返事がない。ドアを開けてみる。彼女は例の本を見つめていた。

「さっちゃーん」

 彼女は我に返ったように、はっとこちらを見た。

「あら、来てたのね。ごめんなさい。気づかなくて」

目の横の皺を寄せて笑う。目が笑っていないようにも見えた。

「ううん、大丈夫」

 彼女は本棚にその本をしまった。そして何かを思い出し、目を輝かせた。

「そういえば今日から彼、当番なのよ。毎週来る楽しみが増えたわね」

「またその話なの。というかやめてよ、聞こえる。勘違いされるの嫌だ」

「あら、それもそうね。ま・だ・ね」

「それってどういう意味」

「どういう意味かは先生が知りたいわ」

 いい年して、おどけた顔をしている彼女を見ると、なんだかどうでもいい気分になってくる。彼女が、その少女漫画のような妄想を膨らますことで、少しでも若返ったような気分になるのも、案外悪くないかもしれない。

「先生、そろそろ昼休み終わるので戻ります」

「あら、もうそんな時間なのね。お疲れ様」

 彼には聞こえていたのだろうか。聞こえていたとしたら、彼はどのように思っているのだろうか。

 第一、何故彼は図書委員になったのか。図書委員は昼休みに当番があったり、新聞を発行したり、何かと集まりが多く、いわゆるめんどくさい委員会だ。前年度やっていた人がやるような委員会でもある。彼は推薦されるようなタイプでもないし、彼のクラスにもやりそうな人はぼちぼちいる。押し付けられたとも考えにくい。とすると、やはり自ら立候補した線が強い。つまり、何か図書委員をすることにメリットがあるのではないか。そのメリットとは一体何なのだろう。

 なぜ、この推理のようなことを脳内で行っているのか、自分でもよく分からない。ただ、少なくとも自分の思考回路が、彼女のような少女漫画路線にだけは走らないように、注意しなければならない。というかそもそも、そちらへの思考回路があるのかさえも疑問である。

「ありだと思うけどねぇ。彼もあなたの事、気にかけてる気がするんだけどなぁ」

「いや、ないよ」

 前言撤回。妄想されるだけでもぞわぞわする。胸の辺りがえぐられた感じ。なんだろう。きもちがわるい。



 家に着くと、誰もいなかった。美幸から友達と夕食を食べに行くと携帯に通知が来ていたのを思い出す。部屋に帰るとまだ夕日は差し込んでいない。ベッドに寝転がって枕元にある本を開く。やはり内容はところどころしか覚えていない。目を凝らして、どんなことが書いてあるのか理解しようとしても駄目だった。頭が少しぼうっとする。文字が頭の中をすり抜けていく。全く考えられない。本を閉じて、目を瞑る。頭の中のもやもやとしたものがゆっくり全身に溶けていく。

 また一日が終わろうとしていた。携帯に、一件の通知が来ていた。彼からだった。

「読み終わったら、感想聞きたい」

 たったこれだけだった。どういう事なのか一瞬わけが分からなくなった。めったに人と本の話をせず、ひたすら一人で本を読んでいる彼が、何故。甘い青春のような考えもよぎる。まさか、まさかね。彼に限ってそんなことあるわけない。彼には今のままでいてもらわないと困る。

だって、彼は他の人とは違うのだから。



 目が覚めると、もう窓の外は暗かった。カーテンを閉めて電気をつける。携帯を見ても、美幸からの後は、誰からも通知は来ていなかった。

 下から包丁の音がする。もう夕食の時間のようだ。もうすぐ今日が終わる。

 夕食と風呂を済ませて部屋に戻ると、携帯に通知が来ていた。

「その本どう?」

 さっちゃんからだった。彼女からだなんて珍しい。連絡先を交換していたことも忘れていた。いつもは教師と連絡先を交換なんてしない。クラスの担任と交換している子もたまにいるが、大抵よっぽど面白い先生か、若くて人気な先生かだと思う。さっちゃんは特別。

「まだ途中だよ」

 それだけ送っておいた。内容は頭に入ってないから、読んでないも同然だけど。

「珍しいわね」

 そうだね。私にしては遅いね。どうしたものだか。別に嫌いなジャンルというわけではないのに。いつも借りた次の日にはもう読み終わって返しているのに。別にやることがあったわけでもないのに。何故かこの本を読まない。読もうとしない。まるで読むことを拒んでいるようだった。

 さすがにそろそろ読み終えようと思って本を開く。初日からちっとも進んでいない。寝転ぶとまた寝てしまいそうだから上体を起こす。


 主人公である少年は本が大好きであった。誰とも話さず、行動せず、学校でも家でも本ばかり読んでいた。ある日、少年は図書室で一冊の本と出会った。百科事典何冊分かのような分厚い本。少年は夢中でその本を読み進める。少年にとって、クラスメイトのにぎやかな様子も、家族の話し声も、ましてや生活音ですら邪魔であった。少年はどこか静かな場所を求めてさまようことにした。

そして、彼は見つけた。誰にも邪魔されることのない場所を。彼はそこでずっと本を読み続けた。食べるのも、眠るのも忘れ、ひたすら本を読み続けて、読み続けた。

最後の一ページをめくった時、最後に、彼はこう言った。

「あぁ、もう僕は、ほんとうに一人なんだ」と。


 まるで、彼のようであった。少年はもしかしたら彼なのかもしれない。そう思った。そして、それは私の求めていた彼であり、そして、私なのかもしれなかった。

 一人でいる事を選んだくせに、一人でいる事の慣れない私。寂しくて、怖くて、さっちゃんという逃げ道を作った。彼女はいつも幸せそうに笑っていた。いつも私を受け入れてくれた。

ほんの少しの美幸への憧れ。もう捨てたはずのものへの執着心。

 そして、彼は私の求める私。理想の私。好意なんかじゃ、憧れなんかじゃ足りない。

 私は彼になりたい。私だけの世界、私が一人でいる事が当たり前の世界。私は私だけ。他の誰でもない私。きっとそこでは私は本当の自分で、私は本当に幸せになれる。

 彼の読んだ本を読むという事は彼に近づくこと。今までそう考えなかったわけでもない。私は彼になるために彼の全てを知りたいとまで思った。そうすれば、私は彼になって、私の理想になれる。私は幸せになれる。

だけど、それを拒んでいた。

 彼に理想の私を求めても、彼は彼で、私は私である。

 彼になれたからといって、幸せになれるとも限らない。美幸になっても、さっちゃんになっても、誰になっても、なろうとしても、私は私でしかない。

 少年は、ほんとうに一人になれて幸せなのだろうか。それを決めるのは少年自身である。どんなに私達が少年を憐れんでいても、少年は幸せなのかもしれない。

 私でもわからない私がいるのならば、他人はもっとわからないに決まっている。何故、私は彼らになれると思ったのか。何故彼らが幸せであると思ったのか。

 私は私がわからない。今が幸せであるのかもわからない。これから先が幸せであるのかもわからない。全て、何もわからない。



 私は本を閉じた。彼の、彼女の、読んだ本を読み終えた。だけど、同じようになれるわけはないのだ。


 私は今日も眠る。

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アンサー 彼方 紗季 @kanatasaki

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