第4話

二人で男子トイレへと向かう。

長峡仁衛は小便器の方に向かうが、永犬丸詩游は近くの個室へと急いでいた。

それを見兼ねた長峡仁衛は永犬丸詩游に心配そうに伺う。


「あれ、永犬丸……腹痛いのか?」


「え?なんで?」


キョトンとする永犬丸詩游。

何故と言われても、個室に入るとすれば当然そうだろう。

当たり前な事を言われて長峡仁衛は困っていた。


「いや、個室の方行くから……」


其処でようやく合点がいった永犬丸詩游。

同時に呆れる様に、目を細めて長峡仁衛に向けてスカートの端を摘まんだ。


「……あのさ、長峡さ、ボク、スカートなんだけど」


「あ、あぁ……そうだな」


「小便器の方でスカート捲し上げてしろとでも言うつもりなのかな?長峡ってそんな変態だったっけ?」


幾らか饒舌なのは悪戯の言い訳をする際に口が回るからか。

早く捲し立てる為に長峡は言葉を返す事無く謝りを入れる。


「いや、悪かった……じゃあ、扉の前で待ってる」


「あのさ、音、聞かれるの嫌なんだから。立つなっ」


今度は顔を赤くして言った。

如何に男と言えどもそういうのは敏感なのだろう。

まして、永犬丸詩游は女として成り切っている。

そういう恥じらいの精神を持つものだと思いそうエミュレートしたのだ。


「そうだな……悪い、事故の後遺症かな……」


頭に巻かれた包帯の上から指で突く。


「もう、……でも用足しても帰るなよ、トイレ前でボクが戻るのを待っとけよな」


「分かった」


それを最後に永犬丸詩游が個室の扉を閉ざす。

彼の要望通り、早々に男子トイレから離れる長峡仁衛は外で待つ事にした。

外はひんやりとした廊下だった、近くには上層へと続く為の階段がある。


(しかし、まさか。病室近くのトイレじゃなくて校舎の方に行くなんてな)


周囲を見回す。

トイレの前には窓があり、窓から先は晴れやかな空が見えた。

心地良い日差し、外に繰り出して散歩でもすれば良い汗を掻くだろう。

そう長峡仁衛は考えて、そして今度は校舎に思いを馳せる。

この八十やそ枉津まがつ学園がくえんの生徒である長峡仁衛。

二年ほどの歳月をこの学び舎で過ごして来た。

だから校舎に入れば相応の記憶が蘇るだろうと思ったが……。


(全然思い出せないな……)


まったく記憶が蘇らない。

長峡仁衛は溜息を吐く。

早く記憶を戻したいものだと思った時。

ふと、廊下から誰かが歩いてくる。

その姿は、メイド服だった。

白く雪の様な色合いをした髪。

白と黒の色のみで構成されたメイド服。

鋭い視線。朱色の眼が長峡仁衛を貫く。


「―――なんだ、お前、長峡か」


ジィ、と見つめられた長峡仁衛。

そして知り合いであるかの様に彼女はそう呟いた。


「ん?あ、えっと……」


誰だろうと思ったが、当然ながら彼女の事など覚えている筈もない。

奇妙な沈黙が流れて、ふと彼女は思い出す様にそうかと頷き。


「そう言えばお前、記憶喪失なんだって?はは、なら私の事も忘れたか」


と軽く笑いを零した。

少し口調が強めなメイドだな、と。長峡仁衛は思う。

ゆっくりと彼女は長峡仁衛の方に近づいていく。

その赤い目に気圧された長峡はつい頭を下げる。


「す、すいません……」


そう詫びを入れた。

その言葉に彼女は少し悲しそうな表情を浮かべる。


「謝るなよ。そんな情けないお前は見たくないからな……しかし、今のお前は……」


近付く。近づく。彼女の足元が長峡仁衛の足元と重なり。

彼女の胸が長峡仁衛の胸に当たる、そして白くて細い彼女の手が長峡仁衛の手首を掴んで壁に押し付けた。


「うわッ、な、なに、を……」


おもむろに、長峡仁衛の首筋に鼻先を近づける。

すぅ、と深呼吸をする様に、肺に彼の匂いを充満させると。

感嘆する様に重苦しい息を吐いた。


「ふっ、……良い匂いがするよな、長峡」


少し顔を話すと、彼女は薄桜色の唇をぺろりと舐めた。

その行動を見て、長峡仁衛は言葉を失う。

彼女が綺麗で、その行動に魅了された、ワケじゃない。

彼女の行動は、そんな性的興奮を得る様な真似じゃなかった。

それはまるで、捕食者の様な、弱肉強食故に強者に命を握られた様な感覚。


「え、あ……」


さっと伸び出した手が、長峡仁衛の頬に触れられる。

彼女の冷たい指先が、頬を伝って顎に触れ、そのまま喉に手を添えた。


「美味そうな匂いだ。思わず涎が出る程にな……あぁ、たまらないなぁ、お前は。……お前との関係性が消えた今、このまま、頬張ってしまいたい程に……」


彼女は目を瞑り、想像し、頬を赤く染めた。

何の想像をしているのか、分からない、だが、長峡仁衛は、それを聞こうとは思わなかった。代わりに、彼女の発した言葉から話題を拾う。


「か、関係性、って、記憶を失う前の俺とは、どんな関係、だったん」


最後まで言葉を発する事は無かった。

彼女の指先が、長峡仁衛の首を軽く締めたからだ。


「ん?そうだなぁ……恋人だよ。私が追って、お前が逃げる、そんな甘い甘い関係だ……はは、けど今は違うよなぁ……あぁ、骨の髄までしゃぶりたい……」


口が開かれる。

彼女の歯は剣の切っ先の様に細長い。

牙とも呼べる歯が、長峡仁衛に向けて開かれる。

そして、ゆっくりと、その肉を噛み、千切ろうとした最中。


「く、ふっ」


ふと、着信音がなった。

その音に、一秒を待たず、彼女は長峡仁衛を話してスマホを取り出して通話を行う。


「はい。辰喰です。お嬢様。そうですか。では今から……あぁ、近くに長峡が居ますが、そうですか、では一緒に」


その連絡の相手は一体誰なのだろうか。

そう考える暇もなく、長峡仁衛は自らの首に手を添えて軽く咳き込んだ。


「く、はっ……はっ……」


通話を終えるメイド。

長峡仁衛の方に振り向いて、仏頂面で彼に話しかける。


「運が良かったな長峡、お嬢様がお前を呼んでいる。付いて来い」


「はっ……はっ……あの、その、前に……名前」


長峡仁衛は彼女の名前を知りたかった。

知れば何か思い出せるだろうと。

思い出せれば、何故こんな事をするのか分かるから。

だから、彼女に名前を伺った。

そして、彼女は長峡仁衛に向けて名前を告げる。


「ん?それは重要か?……まあいい。私は辰喰、辰喰たつばみロロろろだ。自己紹介を同じ相手に二度もするなど、なんとも不思議な事だな」


辰喰ロロ。その名前を聞いて。

長峡仁衛は、やはり、記憶が呼び起こされる事は無かった。

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