第32話

 デイヴェックが笑いを堪えている間に、アリアンナは床に降り立ちドレスなどの居住まいを正すと、改めてと言わんばかりに最高礼をする。




 「……大変お見苦しいところをお見せ致しました。お初にお目に掛かります、ジョルト・キャセラックが娘、アリアンナと申します。以後お見知りおきを」




 先程のことが嘘だったかのように丁寧で優雅な挨拶をする。


 返すデイヴェックの口元にはまだ笑みを残す。




 「丁寧な挨拶、感謝致します。こちらこそ兄共々お付き合い頂ければと思います」


 隠しきれていない笑いを仕舞いデイヴェックは挨拶を終えると「座りませんか?」とアリアンナに椅子を勧めた。




 貴族らしく相手を褒めることから始まり、王城での生活や困っていることなどないかなどを聞かれ、淑女らしく楚々と受け答える。


 向かいに座りにこにこ話すデイヴェックの姿は、なるほど、国民の婦女子の皆様の憧れの王子様然ぜんとはこういうものかと、何気なしに観察気味に見てしまう。


 しかし、話す内容は急ぎのものでもなければ今わざわざここまで来て話すことでもないように思える。


 当たり障りのない対応をアリアンナはしているが、デイヴェックの真の目的が見えず考えがまとまらなくて、この場にはいないデルヴォークの面影をついデイヴェックの中に探してしまう。




 「何か?」


 「い、いえ!」




 じろじろ見過ぎたのであろう、聞かれて慌てて笑って濁す。




 (……それにしても何で来たのかって聞いてしまってもいいのかしら?)




 デイヴェックは相変わらず、笑顔でアリアンナを見ている。


 小さく咳払いをし、先に話題を変えたのはアリアンナだった。




 「……それで、このような場所まで私を探しに来られたお話は何ですか?」


 「キャセラック嬢の部屋に遣いを出したら図書室だと言われまして、興味本位で来てみました」


 「はい?」




 淑女にあるまじき返答を返してしまった。


 そもそも遣いを出したという事は、アリアンナに何か用事があったわけで、外出している先が図書室でなぜ興味が沸くのか?




 「普通のご令嬢であればダンスとか刺繍とかなさることがあるではないですか。兄上に気に入られるようなことでもいい。なのに、キャセラック嬢は王立魔術学院にご興味があるとか砦視察にご自分で馬で行かれるとか。そして今日もおよそ女性が近寄らない図書室に行かれるなど気にならない方がおかしい」




 「……」




 ……そうなの…かしら?


 ……こうして改めて言われると……そうね……それも王族の方に言われるなれば、考えなくてはならないことがあるかもしれないわね




 淑女らしからぬ振る舞いかどうかをもう一度改めねばと本当に心から思う。


 しかし、実家であるキャセラック家でアリアンナの行動をどうこう言われたことはないし、自分の受けてきた教育が間違っているとは思わない。


 まして図書室にいることを疑問に思われるとは。


 ただ魔術は置いておくとしても、普通のご令嬢は乗馬はしても剣を使わないだろう。であれば、キャセラック卿の教育指針に問題が……


 思わずデイヴェックの前だということを忘れ、育ってきた環境を振り返る。




 「ただ、先程の貴方の魔術を見れたので得をした気分でもあります」


 「……それは……ありがとうございます」 


 「ところで。一つお聞きしたい事がありまして」


 「はい」


 「兄に何かねだりませんでしたか?」


 「……?」




 妖艶なというか、整った眉目に笑顔を浮かべて話を急に変えるデイヴェックにようやく本題が来たかと思い、意識を彼に戻したが何を言われているのか見当が吐かない。


 向かいに座るデイヴェックは変わらず柔らかい笑顔を崩さないが、彼から感じる空気がほのかに寒くなったような気がした。




 (……ねだる?何かしら?)




 ねだる、ねだると頭の中を泳がせても特に浮かんではこない。


 デイヴェック言うように自分はどこかで誰かにおねだりをしてしまったのであろうか。


 今度こそ本気で眉間に皺を寄せたアリアンナになおもデイヴェックが言う。




 「……兄の何者なにものでもない貴方が、兄に何かを望まれるのは貴方にとってもあまり良くないように映ることになりかねませんよ」




 笑顔のままだが、声に厳しさが感じられる。


 暗に、国の最高責任者の並びの地位にいるデルヴォークに、自分の意を利かせたことは今回はささやかでも良くない噂になれば一族諸共大変なことになると、デイヴェックからの警告と理解する。


 そこでようやく考えが至ったアリアンナがデイヴェックに確認をする。




 「……もしかして私が殿下に話した王立魔術学院のことですか?」




 デイヴェックは無言で方眉を動かしただけだったが、十分な返事だった。


 確かに、制服やら王立魔術学院の入学を ”頼んだ“ かたちと思われてもおかしくない。


 アリアンナは自分の迂闊さに羞恥で顔は熱くなるが、指先が冷たくなるのを感じる。


 デルヴォークにも迷惑が掛かってしまっていたら申し訳なく思う。




 「そのようなつもりでは決してございませんが、申し訳…」


 「ただ、貴方が分かっていてくれればいいのですよ」




 アリアンナの様子を見ていて正しく理解したと思ったデイヴェックはアリアンナの言葉に自分の言葉を被せる。


 兄がこのことを不快に思っているわけではないのを知った上で、相手の令嬢の意図が知れればいいと思っただけで謝ってほしいわけではない。


 まぁ釘を刺すことは忘れないが。


 折角あの兄が無意識でも女性に何かをするのであればグレーになることは排除しておきたいだけなのだ。




 「はい。以後このような事がなきよう致しますので、デルヴォーク殿下にはその様にお伝えして頂ければと思います」


 「いえ分かっていてねだるのなら如何様にも。仮にも一国の王子ですからね、キャセラック嬢に恥をかかせるようなことはしないでしょうし」


 「……はい?」




 アリアンナは声だけで聴き返し下げた頭を上げる。


 デイヴェックはさっきまでの冷えた空気を一蹴して、また邪気のない笑顔に戻っている。


 そして無意識に王族たるデルヴォークに王立魔術学院の話をしたアリアンナを注意しに来た口で、今度はおねだりを推奨すると勧めてくる。




 「賢い人は好きですよ。そうだ。兄が貴方のお眼鏡に適わなければ私も視野に入れてみては頂けませんか?」


 「??は?」




 今度こそ本当に分からない。


 アリアンナはまたもや淑女らしからぬ返事を返してしまう。


 目の前でいたずら好きの顔をして声に出して笑われていると動揺が思考を停止させる。


 停止したままのアリアンナはくつくつと楽しそうに笑うデイヴェックを眺め、デルヴォークを思い出し、この方の妃となられる方は苦労しそうだと遠くで思い、決して自分はならないと心に留める。




 「では、私もそろそろ戻ろうかと思います。話せて楽しかったです」


 「こちらこそ、楽しいお時間とご指摘有難く思います」




 アリアンナもデイヴェックの離席に倣ならう。


 自分も今日はもう本を探す集中力が切れてしまったと思うので、先程一緒に落ちて卓の上に積んだだけの本を腕に抱える。


 デイヴェックの手が伸びて本を持つと申し出てくれた。慌てて断ったのだが、一度デイヴェックに渡ってしまった本は戻らず、殿下を荷物運びにしてしまったと恐縮したまま歩くデイヴェックに付いて行く。


 待たせていたサーシャも合流して全員で図書室を出る。


 デイヴェックが持っていた本は廊下で待っていたデイヴェックの従者の一人に渡され、アリアンナの持っていた本も預けられる。




 「楽しみにしていてくださいね」




 何を?と聞き返さなかった自分を褒めたいが、いくぶん返事がおかしくなったのは仕方がない。


 会ってからずっとデイヴェックの話は脈絡がなく地が出ないように会話を続けるだけで精一杯だからだ。


 「……?またお会い出来ましたなら」


 「そうだ。言い忘れていましたが」


 「?」


 「今回の一件大臣や侍従長は勿論、陛下も見過ごしませんよ。兄やキャセラック嬢の意思など関係なくね」


 「???」




 ここで最大級の笑顔をデイヴェックから贈られるが、言っている意味が分からない。


 (陛下が何……?)




 先程、謝りを入れたのにまだ何か失態しているのか……


 大臣に侍従長に陛下?陛下にまで怒られることをいつしたのか。


 まさかこの間の夜中にアリアンナの自室にデルヴォークが訪れたのが知れることとなったのか。


 だったらアリアンナではなくデルヴォークが怒られるべきでは?


 デイヴェックが現れてから何度目になるか分からないアリアンナの思考が止まっている間に、「それではまた」と身を翻し華麗に去っていくデイヴェックを心ここにあらずで見送る。


 隣でデイヴェックに見とれていたミシェルが覚醒して、きゃあきゃあ騒いでいるが遠い雑音に聞こえる。


 得体の知れない不穏な予感に身を包まれるような思いに、アリアンナは身震いしデイヴェックの言い残したことを反芻する。




 ……何か私の知らないところでまた罠に掛かった気がするのは何故かしら……


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