そして、舞台から人が消えた
晴海幸太
【短編】そして、舞台から人が消えた
小高い丘から海が見下ろせるE高校は自由な校風で知られ、文化・芸術の分野で活躍する卒業生を多数輩出していた。目の前は海、振り返ると山という自然豊かで、周囲の目を気にしなくていい環境が生徒の個性を伸ばしている要因だったが、もう一つ大きな理由があった。それは、毎年秋に行われる文化祭の存在だ。
E高校の文化祭は通称「イーフェス」と呼ばれ、出来るだけ多くの生徒を舞台に上げ、表現する喜びを体験させるという理念があった。その結果、内向的な生徒が思わぬ才能を開花させるという例は枚挙にいとまがなかった。「観客席から舞台の上」へ場所を変えた人間を称賛する文化は、多くの繊細な生徒を勇気づけていた。
その年も夏休みが終わった辺りから生徒たちはそわそわし始めていた。「今年こそ舞台に上がってみたい」、「去年以上に観客を圧倒するパフォーマンスをしたい」と、皆がステージ上で輝く自分に想いを馳せ、エネルギーをため込んでいた。
ところがそんな彼らに水を差す出来事が起きた。
今年度から新たにE高に赴任してきたA校長が、イーフェスの方針を変更すると言い出したのだ。A校長いわく、「今年から地域住民にもイーフェスを開放し、生徒の素晴らしい活動を地域住民にも知ってもらいたい」ということだったが、内心は、市内でも有名になっていたイーフェスという強いコンテンツを自分自身のアピール材料として使いたかったからだった。
当然、生徒や教員からは反対が起きた。
しかし校長はその声に耳を傾けず抑え込んだ。「これからは外に発信していく時代だ」とか何とか言って。生徒たちは校長の方針変更に嫌悪感を示したが、それ以上にイーフェスに対するポジティブな想像が上回ったため、受け入れざるを得なかった。
そして二日間にわたるイーフェスは、その初日を迎えた。
教師や生徒の心配をよそに、午前の部は外部からの見学者はまばらで大きな混乱は起きなかった。生徒たちはこの日のために一生懸命に練習をした歌、ダンス、お笑い、演劇など、ステージ上で思い思いのパフォーマンスをした。
もちろん上手い下手はあった。緊張のあまり舞台上で固まってしまう生徒もいたが、「何度でもやり直しを認める」文化がE高には根付いており、観客席の生徒たちは精一杯の拍手でエールを送った。それがイーフェスの魂でもあった。
午前の部が終わると、舞台に上がった生徒たちはみな高揚していた。舞台での歓声が、今もなお響いたまま止まないのだ。最後までやり切った者には大きな歓声が、観客を魅了した者には割れんばかりの喝采が与えられた。その空間は他にはない一体感があった。
が、昼休みに入った時に事件が起きた。
各々が昼食を取っている中、一人の男子学生を中心にざわつき始めている。
「これ、見ろよ」
その学生が差し出したツイッターの画面には、午前に登壇した生徒がダンスの途中にスリップして転倒した場面が、5秒の動画として切り取られていた。「こんなの、一生の恥だろ」と雑なコメントを添えられて。
動揺する輪の中で、別の生徒がハッシュタグ「イーフェス」で検索をかけると、午前の演目全てを批評し、点数を付けている投稿を発見する。
「十時十分お笑いライブ。三十五点。芸人のネタを丸パクリでオリジナリティなし。 #イーフェス」
「十時三十分バンド演奏。十五点。ひどいギターテクニック。よく舞台に上がれるなと思うレベル。 #イーフェス」
午前の部の演目すべてに、鋭い言葉の刃が向けられていたのだ。そしてそれを見た他校の生徒が、嘲笑しながらいいねやリツイートで拡散していた。
生徒たちは外部からの見学者を疑った。E校は校内でのSNSは禁止されており、これまでにそういった事は起きていなかったからだ。見学を許されていたのは、校区に住む二〇歳以上だけだ。
生徒たちは急いで職員室に駆け込むと、教師に自分たちが目にしたものを懸命に伝える。説明を受け憤慨した教師はすぐに生徒とともにA校長を探すと、体育館の脇で地域の自治会長と談笑しているところを発見する。
「校長、これを見てください。大変な事態になっています」
「キミ、ご来賓の前でいきなり失礼じゃないか。今自治会長さんと…」
「一刻を争うことです!」
校長は怪訝そうに差し出された携帯を見るが、理解できない。
「どういうことだ?」
「誰かがイーフェスの様子を無断で撮影し、インターネットに投稿したんです。しかも生徒を貶める悪口ばかり。投稿の内容から多分、午前中に来ていた外部の見学者だと思います」
校長は慌ててその教師の腕を取り、自治会長から離れた場所へ連れていく。
「馬鹿モン! せっかく自治会長様に来ていただいている前で、何てことを言うんだ。見学の方と決まったわけじゃないだろ」
「そうですが…」
「キミたちがやるべきことは、それを削除することじゃないのか?それをやってから来なさい」
「いや、ですが校長、見学者を一旦止めて頂かないと生徒たちが思い切り表現出来なくなってしまいます。イーフェスの主役は生徒なんですよ」
「何を言っているんだ。今、自治会長からちょうどいいアイディアをもらったところでね。商店街の大型モニターにこの様子を中継して頂ける事になったんだ」
「何を言っているんですか、この状況で。生徒の了承を取っていません!」
「うるさい。判断するのは私だ」
そう言うと、校長は自治会長の元へいそいそと戻っていくーーー。
動揺する生徒たち。
噂は校内でも広がっていくが、時間は待ってくれず午後の部が始まる。そんなことは露知らず、舞台に上がっていく生徒たち。この瞬間のために秘めていたエネルギーを解放していく。
演奏が終わり、ホールで起こる歓声。はじめての人間はこれ以上の喜びを経験したことはないだろう。しかしそれは、悪意に満ちた外の世界にも晒されていた。
商店街のモニターに大映しになっているイーフェスの様子。それを見て、好意よりもいつだって多い悪意が顔を出し、堰を切ったようにネットの世界に流れていく。書き込みを監視していた教師は削除するよう、一つ一つにリプライをするが、まるで追いつかない。
午後の部が終わった頃には、生徒のほとんどがネット書き込みの事実を知っていた。スポットライトを浴びる舞台は、厳しい批評の場に変わっていた。
あまりにむごい世界―――じゃあ、あの歓声は小さな世界のまやかしだったのか。まだ経験の少ない高校生たちは心の整理が出来ず、深い傷を負っていく。
初日の公演がすべて終わると、教師は翌日ステージに上がる予定の生徒に対し、「明日は棄権しても構わない」と伝える。しかし一年間この日のために練習してきた生徒たちは当惑する。
一方、校長はといえばネットの惨状を理解できておらず、「身に危険が及び場合は警察に訴える」と、今もなおピントがずれている。
そして二日目―――。
教師は最悪の場合、誰もステージに上がらないことを覚悟していた。しかし、ステージ上には生徒たちの姿があった。が、昨日とは異なるのは彼らがみな仮面を被ったり、コスプレをしていることだった。
帰宅後、彼らは彼らなりに対抗策を考えていたのだ。もちろん一部、棄権するグループもいた。
そしてイーフェス二日目が始まる。
やはり、皆が身を隠しているため昨日までの空気とは異なり、妙な緊張感が漂っている。が、その空気を打ち破る生徒が現れる。
両目を覆ってしまうぐらい、前髪が伸びた金髪のウイッグを被り、観客席に背を向け、ステージの上に立つ。そして肩にかけたギターを独特のリズムで鳴らし、ハイトーンから重低音まで流れるように自分の声を操っていく。
一音目から聴衆の心を掴むと、四分間、最後の音が鳴り終わるまで一度も離す事はなかった。演奏が終わるとしばらく静寂が続いた。が、すぐに割れんばかりの歓声と拍手が注がれる。その生徒は照れくさいのか、そそくさと舞台袖へ消えていった。
その四分間の奇跡は、商店街で中継されていた。そして口汚い批評家たちでさえ、賛辞を送った。
「才能が世に出る瞬間を目撃した」
「歌姫誕生じゃね?」
演奏を一部始終見ていた校長は、自分自身の体感よりも、周囲の反応からその価値を嗅ぎつけ、すぐに私が発掘したんだとツバが付けた。専属プロデューサーにでもなった気でいる校長は、ひとり小賢しい算段を始め、ほくそ笑んでいた。
しかし、ウイッグの歌姫は二度と姿を現さなかった。
校内にいるはずなのに誰もそれが誰なのか分からない。歌「姫」かすら定かではない。校長やその取り巻きは、その歌姫が演奏した日の足取りを辿ってみたが、彼女が登場したのは当日エントリーが可能なフリータイムの枠で、動画を見返しても表情や顔の特徴を見事に隠しているため、特定出来なかったのだ。
それからというもの、穴に入って出てこないシャイな金の卵をおびき寄せようと、校長以外にもビジネスの匂いを嗅ぎつけた人間たちが、甘い顔をして小高い丘に集まった。契約金を書いたプラカードを掲げる音楽関係者や、ビジネスプロデューサーと名乗る男など。
そして、そういった人間がなかなか消えなかったのは、校長自身が先陣を切って金の卵を見つけようと、大学の推薦枠や評定の操作など人参をぶら下げていたからだ。「金の卵さん、早くこっち来なさいよ」と。
それから半年が経った。しかし、結局、歌姫は姿を現さなかった。
生徒の間では外部の人間が飛び入り参加した説や、男子生徒説、プロとして活動する卒業生が乱入した説まで浮上したが、誰も事実に近づくことは出来なかった。
今になって、今年のイーフェスをツイッターで検索をしてみる。そこにはわずかな激賞と、多くの罵声が今もなお漂っている。意図せず市場に出され、値札を勝手に貼られたパフォーマンスの数々。
それを見て「やっぱり」と震えている少女の顔は、人よりもまぶたが厚く、若干鼻が低く、丸く、わずかばかり肌がくすんでいた。その比較的細い目で自分の顔が映る手鏡を見ると、床にそっと置く。
「あれで正しかった」
彼女にしてみれば、前髪で隠していた顔の大部分がコンプレックスだった。もし、人前にこの醜い顔を晒していたら、と考えただけでゾッとする。舞台でもらった歓声は一度きりの思い出としてしまっておこう―――。
思春期の彼女がそのコンプレックスを受け入れるにはたくさんの時間が必要で、別人格を作り上げるには知識や経験が無さすぎた。それよりも恐怖が先に立ち、顔をそっと手で覆う方が早かった。
ベッドの上でギターコードを練習するその下には、ホコリを被った金髪のウイッグが横たわっていた。
翌年も、イーフェスは開催された。
A校長はネット対策を強化すると宣言し、教師総動員でネットを監視させた。その上で外部の見学者を入れ続けた。敏感な生徒たちは失望し、その年は数組しかエントリーしなかった。そして舞台の幕が上がると、そこにいたのはまともに練習をせず、目立ちたいだけの生徒だけだった。
再び歌姫が現れるかもと期待していた胡散臭い人間は失望し、ネットでは目立ちたがり屋の無邪気な生徒を鋭い言葉で何十回も刺した。
次の年、イーフェスに参加する生徒はいなかった。
校長はこの後に及んで見学者の受け入れを中止したが、誰も戻って来なかった。深い傷を負った生徒たちが、舞台に背を向けているだけだった。
そして、舞台から人が消えた 晴海幸太 @harumi_kota
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