2.ドMのドエミー

「いらっしゃいま……あ、ドエミーさん。昨日は来なかったっすね。どうしたんすか?」


 バーのマスターが店内に入ってきた女性に声をかける。


「こんにちは。昨日は課長に呼び出されて一日中怒られていました」


 神々の住む世界、「神界」。


 ここは神界の中でも最大の都市。


 この都市の外れに、バー「大宝律令701」はある。


「ヤラヌスさんは昨日もここにいたっす」


 バーの外観は赤茶色のレンガ。内装は黒い木目をを基調としたおしゃれな雰囲気。五つのカウンター席と四人掛けのテーブル席二つだけだ。


 しかしバーにしては珍しく食事のバリエーションも豊富で、お酒だけでなく料理にもマスターのこだわりが詰まった密かな名店である。


「ヤラヌスさんは結局来ませんでした。課長はそれについても怒っていましたね。こちらに怒りの矛先が向きまして、裁きの雷を何回食らったか覚えてません」


「とばっちり。それは大変でしたね」


「ええ。課長の雷、とっても気持ちよかったです」


「忘れてた。ドエミーさんはそういう人っすよね。座ってください。今日は何を飲むっすか?」


 マスターは長身の男性。黒のカッターシャツに白のベスト、臙脂色のネクタイ。黒い髪を一昔前のオールバックにしている。いつも眠たい表情になってしまう重そうな瞼が特徴的で、格好いいかそうでないか評価の別れる顔つきだ。


「じゃあファジーネーブルを」


「了解しましたっす。昨日はカクテル作らなかったんで腕が鳴るっす」


「顔面にぶちまけてください」


「え」


「大丈夫です。そのあとボクは魔法でお酒をすべて集めて飲みますから。一滴たりとも無駄にするつもりはありません」


「そういう意味じゃないっす」


 女性は背が低くやや童顔で、おとなしそうだが整った顔立ちだ。もちろん女神なので数百年以上生きているだろうが、小中学生くらいに見えてもおかしくない。


 頭髪はショートカットでスカイブルー。瞳も髪の毛と同じ色。服も青をベースにしたアイドルを彷彿とさせるようなデザインのドレスだ。身体の凹凸は少ないが、ミニスカートから覗く脚は陶器のように白い。


「これには深いわけがありまして」


「聞かせてほしいっす。俺が作ったカクテルを女神さまの顔にかけるなんて、理由を聞かなきゃできないっす」


「昨日のことです」


「課長に怒られたんすよね」


「そうです。課長に怒られていたボクは雷をその身に受けながらテンションはブチアゲでした」


「ぶちあげ」


「はい。連発で雷を受けているうちにその快感、いや感動が高まってきました」


「快感を感動に言い直しても俺には一ミリも理解できねっす」


「快感が高まってきて、ボクは笑みを隠しきれませんでした。全く聞く価値のない話とはいえ、怒られているんだから神妙なフリをしなくてはならないのに、うっかり笑顔を見せてしまったんです」


「ちょいちょい課長がブチサゲられてるっす」


「それに気づいた課長が一層怒り出し、飲んでいたマンゴーラッシーをボクの顔面にいきなりかけてきたんです」


「かわいいの飲んでる課長」


「かけられた瞬間、ボクは気づいてしまいました。美味しい。これが最高の飲み方だと」


「ここまでで共感できることがまったくないっす」


「その後、自宅に帰ったボクは自分で自分にかけてみました。しかしというかやはりというか、自分でかけたコーラではいつも通りの味でした。あのマンゴーラッシーの美味しさには敵わない」


「それ、マンゴーラッシーが美味しかっただけじゃないっすか?」




「違うんです!」


 カウンターに座っていたドエミーが机を叩いて立ち上がる。痛かったのか手のひらをおしぼりで拭いている。


「違うんすか」


「正確に言えば味は同じです。しかしわかりますよね、『好きな人との食事はおいしい』ということは」


「まあそれはわかるっす」


「そう、人も神も同じ。料理は味だけではなくシチュエーションも大切だということです。ボクにとっては顔面にぶちまけられること、それこそが最高のシチュエーションなのです」


 身振り手振りを交えてドエミーが話す。


「なるほど」


「だからファジーネーブルを顔面にぶっかけてください。ファジーネーブルを顔面に放射、略して」


「わーーーー! やめやめやめやめやめてほしいっす! わかった、わかりました。俺やりますからちょっと待ってくださいっす」


「お願いします」


 諦めたマスターは慣れた様子でカクテルを作っていく。そしてグラスに注ぐと、ドエミーに渡さず自ら手に持った。


「『大宝律令701』を開店してから三十年。お客さんのリクエストでお酒をかけてほしいって言われたのは初めてっす」


「いいですよ、思いっきりかけてください」


「じゃあかけるっす」


「ボクの顔面を真っ白なキャンバスだと思ってマスターの色にめちゃくちゃにドス黒く染めちゃってください」


「そういう言い回しやめてほしいっす。あとファジーネーブルなんで基本黄色っす」


「ごめんなさい」


「じゃあいきます。うりゃっ!」


 マスターがカクテルをかける。見事にドエミーの顔面にヒットし、彼女はきゃっ、と小さく声を上げた。そのままドエミーは自分の顔についたカクテルを舐め始める。


「やっぱりおいしいです。ありがとうございます。では残りを魔法で集めます。『煌く雫たちよ、我が名において原初の位置に回帰せよ』」


「すごい! 魔力の無駄遣い感がハンパねえっす」


「これで残った分はすべてグラスに入りましたので、こちらをいただきます」


「待ってくださいドエミーさん、こちらも飲んでみてくれないっすか。俺のおごりっす」


「嬉しい! 早速もらいますね。……これは! 顔面にぶちまけられたのと同じくらいおいしい。色も香りも似てますが何なんですかこれ?」


「ファジーネーブルっす」


「いや、ボクはこのおごってくれた方が何か尋ねたんですが」


「ファジーネーブルっす。顔面にぶっかけたのと同じっす」


「同じ味ですね」


「同じ味っす」


「じゃあ顔にかける意味は」


「ないっす」


「ないっすなんですね。今後は食べ物や飲み物を大切にします」


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