蒼い夜の澪標

木野かなめ

第1話

 ぼくが大学二年生の頃の話だ。


 誰がどこの学部に所属しているとか関係なく、いろんな友達が毎晩ぼくの部屋に遊びに来ていた。

 みんなで麻雀をしたり、ぼくのギターを聴いてもらったり、関西ウォーカーを読んで「彼女ができたらどんなデートしたいか」なんて話をしたり。


 そんなある日の夜。

 友達の一人が『スタービーチ』というサイトを教えてくれた。知らない人とメールアドレスを教え合って、仲良くなれるサイトらしい。後から考えたらそれは、出会い系サイトというやつだった。ちょうどそういったサイトが出始めた頃だ。

 すぐに『スタービーチ大会』なるものが始まった。四人は無言。みんなで携帯電話をいじくりながら、電波を飛ばしまくるわけだ。一通や二通じゃ成功しない。ぼくはお腹が空いたので、小籠包しょうろんぽうをレンチンして食べた。みんなも「腹減ったぁ」というものだから、シンラーメンを茹でてやった。「こんなうまいラーメン食べたん初めてや」っていう奴もいた。大げさだなぁと思いながら窓を開ける。気持ちの良い晩春の夜風が潜りこんできて、カーテンを押した。国道から響く車の通過音。オレンジの街灯が下から照って少し眩しい。ぼくたちはまた出会い系サイトに興じることにした。午前二時なんて、まだまだこれからな時間帯だった。


 次の日、一通のメールが届いた。ちょうど民法2の授業が終わった後だった。アルバイトに行くまでにはまだ時間がある。一度家に帰ろうかとも思ったけど、すぐに学食に行ってサイトを開き直した。


 きてる。

 メールが、届いてる。

 知らない女の人からのメールだ。


 ぼくは氷だらけのコーラを飲みながら、その人のプロフィールとメッセージを読んだ。

 どうやら青森県に住んでいるらしい。24歳だから、ぼくよりちょっとお姉さんか。ジュディーアンドマリーが好きで、ぼくの雰囲気が気に入ったからメールをしてみようと思ったんだって。

 ぼくもその人の、なんだか優しい感じがいいなぁと思った。人柄って、文字を通じて出てくるような気がする。ぼくは丁寧に丁寧に返事を書いた。サイトの方じゃない。メールアドレスを教えてもらっているのだから、そっちに直接送ればいいんだ。ぼくはジュディーアンドマリーの好きな曲を書いた。「LOVER SOUL」と書いた。すぐに返事は来ない。学食の厨房からは、ガチャガチャシューシューと調理の音が聞こえる。ぼくはしばらくぼーっとしていたのだけど、アルバイトの時間が近づいてきたので学食を後にすることにした。


 その人から返事が届いたのは深夜になってからだった。ぼくが、古本市場で買ってきた漫画を読みふけっていた時。その人は、「なみ」という名前だった。


『起きてたんだね!』と彼女が書いて、

『うん。いつもこの時間は起きてるよ!』とぼくが返す。


『プロフに関西の大学生って書いてあったけど、なんの勉強してるの?』

『法律だよ。なみさんは社会人?』

『わ、かしこ! わたしは仕事をしているよ』

『なんの仕事?』

『なんでしょう。当ててみな?』


 携帯電話をポチポチとやる。指が楽しい。指が喜んでいる。その熱が伝わったからか、携帯電話が少しずつ熱くなっていくような気がした。キャスターマイルドの封を切り、一本を口に咥えながら、『遅いから……飲食店とか?』と打つ。なみさんからは即座のお返事。ぼくはライターの石を、軽く擦った。


『風俗で働いているよ』


 風俗っていうのはあれだ。男と女があれやこれやするやつだ。

 恥ずかしいことに、当時のぼくの知識といえばそんなものだった。どこで、どういうシステムで男女が同衾するのかなんてまったく知らなかったんだ。


『じゃあ、今もお仕事中?』


 その言葉は自然と出てきた。ぼくはコブクロのアルバムが入ったMDをプレーヤーに入れる。YELLという、爽やかな曲が下宿の壁をなぞっていった。


『そうだよ。終わる時間はまちまち。今日はたまたま店で待機なんだよ』

『お客さん、来ないんだ』

 もう時間も遅いからなぁ。


 だけど、なみさんの文字は凜としたものだった。


『たまたまだよ! けっこうかわいいって言われるし! いつもは(笑)』

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