第17話 竜の意思による契約
アルドレアの準備が整うまでの間、アカは先程と同じ部屋で待つよう言われていた。相手をするのは当然スピノールだ。
「再びお時間をいただき申し訳ありません」
「そんなにかしこまる必要はないよ」
深く頭を下げるスピノール。アカは後頭部をガリガリとかいて苦笑する。
「いえ、あくまでもお客として招いている
と、冗談交じりにスピノールはコーヒーをすすった。
「ミルクを加えてみましたが、かなりまろやかになりましたね」
「……うん。まあこれなら苦みに抵抗がある人にも普及できるかもしれないね」
さっきのアドバイスを元に、さっそく手を加えたコーヒーが4人分用意されていた。
アカを囲んでいた竜師達のほとんどがアルドレアの方に着いていき、今ここにいるのは4人だけだった。長机を挟んでアカとスピノールが座り、スピノールの後ろにスカラーが仁王立ちしている。自慢の大剣も一緒だ。さっきと違うのはスピノールの右側にフーリエという竜師がいるということだ。
「君は、さっきもいたね」
アカがフーリエに視線を移す。
「どうも初めまして! 第11翼所属『
元気な声が部屋に響く。居並んでいた竜師の中では相当若い見た目の好青年だ。
さっぱり短髪の黒髪に笑顔が張り付いている。元気が良いのはアカ好みでもあり、この年で『爪』の三席に就いているということはかなり有能なのだろうと思われた。
スカラーとは違い、堂々と椅子に腰かけている。フーリエの前には書類が散乱しているため書記か何かの仕事を任されているのだろう。
「さっきはあの速さによく対応できたね」
アルドレアが剣を振り下ろした時にフーリエは窓から飛び出していた。アカはそれを見ていたのだ。
「いやあお恥ずかしい! 少しばかり逃げるのが得意と言いますか何と言いますか……」
と、フーリエが調子にのっていたところ、横からスピノールが冷ややかな目で睨みつけた。
「あの状況でアルドレア様をお守りすることもなく逃げていたと?」
アカの指摘でフーリエが逃げていたことをスピノールは今知った。
「い、いえあの場には十分に戦力が残っていたので、その後の対処を考えて各所に通達に参ろうとした次第でありますよ筆頭殿!」
スピノールの追求を交わすべく早口でそうまくし立てた。平然とした顔をしているがスピノールから見えない背中側に確かな冷や汗が流れていた。
これはなかなか面白い奴だな、とアカは静かに笑った。
「まあそれは後からきっちり調べるとしましょう。今は、今後について話し合っておきたいのですが、それでよろしいですか?」
アカは頷く。
アルドレアを怒らせはしたが、アカの持つ情報に価値があると思わせることには成功した。1回目は人を見るための、いわば顔合わせが主目的であり、そこから仕切り直し。2回目の席を設けることこそがアカとスピノールが望んでいたスタート地点であった。アルドレアの精神状態を分かっていたスピノールはアカやクロがどう出てくるにせよ、最初からそうするつもりであった。もちろんアカとクロもそうくるであろうことを前提に計画を立てていた。
だからこれで、ようやく次のステージに進める、というわけである。そのための中段階として、話のすり合わせをしたいのだろう。アカからも確認しておきたいことがいくつかあったので異論はなかった。
「勢いで名前出しちゃったのは良いんだけど、ガレスさんってこことはどういう関係があったの? 第7翼の人だってのは知ってるんだけど。本人からはいろいろ聞けなかったからさ」
勢いではなくそれも計画の内であったが、そこは言う必要はないと判断する。
一瞬表情を曇らせかけたが、スピノールはそれをすぐに修正しコーヒーに口をつけた。そして淡々と事実を語っていく。
「ガレス殿の第7翼陣営と我々第11翼陣営は同盟関係にありました。あなた
スピノールは指を交互に組んで長机に置いた。
「そのまま放っておけば争いが起きるのは自明。この世界の真理に届き
スピノールは自分で言いながら、その加護の下に甘んじている自分の状況に自嘲する。だが十六竜議会の翼の方々に不満があるわけではない。自由を享受するだけの力が彼らにはあるのだから、それが真理なのだ。
「十六竜議会という組織はこの世界に元々あったわけではありません」
「あくまでも枠組みってことだね」
「その通りです。十六竜議会という組織があってそれから彼の御仁方がそこに座ったのではなく、彼の御仁方があらせられる場所に十六竜議会という組織を当てはめたに過ぎないのです」
スピノールがそう言い終えると、アカは腕を組んで椅子にもたれかかった。
(そうか……。そうなるとやっぱり一つずつ潰していくしかないよね……)
アカは目的のためならば他人に迷惑がかかったとしても多少は仕方がないと考えていた。人は誰しもが誰かに何かの影響を与えて生きているものなのだ。それが善行であっても悪行であっても関係はない。アカはそのことを割り切って行動していた。例え世界中の人間に迷惑がかかったとしても、それは結局のところアカには関係のないことなのであった。それはアカに限らず誰の心にも住んでいる欲望の悪魔なのである。
「バラバラだった意識をとりあえず一つにしたわけだね。それでも根本的な解決になるわけじゃないから、いざこざはずっと続いてるわけだ」
「ええ、そういった経緯もあり、当然ながら議会は現在、いくつかの派閥に割れてしまっている訳です。その一つである『穏健派』あるいは「人間派」と呼ばれる派閥に、我が主であるアルドレア様と第7翼であるガレス殿が属していた訳です。そして第13翼と第15翼の方々とも同じく協力関係にありました」
スピノールはあえて第13翼と第15翼に座する者の名を口にしなかった。
アルドレアに情報を差し止められているのだろうとアカは勝手に察してそこには口を挟まなかった。
「他にはどんな派閥が?」
「それぞれが名乗っているわけではないので、精細にはかけますが『過激派』と『竜派』、それから『中立派』に分かれています」
「なるほど……」
おそらく今争いが起きているのは『過激派』または『竜派』と『穏健派』とのいざこざによるものだろう。
「もはやここまで来たら隠し立てる必要もないでしょう」
そこでスピノールが1枚の紙を差し出してきた。
それはある契約書であった。
「我々は今窮地に追いやられています。この契約に誓ってくださるならば全てを話しましょう。そうでなければこれ以上の情報はお伝えすることはできません。事が済むまでここで拘束させていただきます」
急を要している。スピノールが知略を練ることなく素直に頼み込んだことからもそれが伝わってくる。スカラーは面白くなさそうに眉をひそめ、フーリエは面白そうに笑みを浮かべていた。
契約書の内容を1分も経たない内に読み終えるとアカは指先を切り、1滴の血をそこに垂らす。すると、血の付着地点を中心にして光にも似た輪が出現し、広がって消えていった。
その判断の早さにスピノール達は驚愕した。
「この契約方法を知っていたのですね……」
「うん。これはガレスさんに教わった。土壇場にだけど」
契約には『竜の意思』が刻まれていた。『
契約の方法を伝える前にアカがそれを行ったことに他3名は驚いていたのだ。
いや、それよりも──
「内容は、それで良かったのですか?」
「うん? こっちの要望もそっちの要望もちゃんと盛り込まれてたし、読んだ限りじゃ文句の付けようもなかったよ。良い文官がいるね」
事前にスピノールと交わした念話でのすり合わせを完璧に書面で仕上げてあった。アカはちらりとフーリエを見る。「ありがとうございます」とフーリエは頭を軽く下げた。
「とにかくこれでようやく信用してもらえるかな? 契約は絶対だし、僕達が裏切らないっていう確証も得られたでしょ?」
「はい。そこはお互いに気にせずに事を運べるようになりました。これによりアルドレア様もどうにか説得できると思われます」
「それは助かる」
アカはそこでようやく一息つくことができた。
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「アルドレア様、入ります」
ノックをして応接間の扉を開けるスカラー。
その後ろからアカが続き、フーリエも着いてきていた。スピノールは事前にアルドレアの元へ出向き、契約も含めてアカのことを説明しておいた。
アルドレアが座っているのは執務用の簡素な椅子だった。先程とは打って変わってアルドレアの表情は非常に落ち着いていた。
「幾分か、増しになられましたかな」
スピノールが問いかける。
「ああ、このコーヒーとやらのおかげかもしれぬな」
本気では言っていない。だがその発言は場を和ませた。
「アルドレア。契約は絶対だ。安心して背中を任せてよ」
気安くそう呼び捨てたアカに、スカラーがピクリと反応する。大罪とも言える蛮行だが、アルドレアはそれを軽く受け流した。
「私をそう呼んで許されるのは同じ翼の位を冠している者のみなのだがな、まあ良い。今回の契約は対等な立場としてのものだ。その間は好きに呼べ。私もお前のことはアカと呼んでやろう。親しみを込めてな」
冗談交じりに、皮肉ともとれる発言。
優しくなった、というよりは良い意味で覇気がなくなっていたというべきか。出会ってすぐの押し潰す気配が今はまるで静かに眠っているようだった。
契約によって安全が保証されたことによる安堵から来るものなのか。
(いや、こっちが本来のアルドレアなんだろうな……)
アカは思いを馳せる。ガレスが死に
「少し聞かせてくれないか。ガレスのことを。何でもいい、お前らが殺したわけではないことは最初から分かっていた。試したようなことをして悪かったな。少しでいいんだ、少しでもガレスのことを、私が……私だけでも
その思いは本物だった。嘘偽りのない本物の心をそこに感じた。
この時点で、アカはガレスとの全てをアルドレアに伝えるべきだと判断した。そして口を開こうとした瞬間──アカ以外のその場にいた全員が臨戦態勢に入った。
何者かがこちらに近づいてきている。途轍もない速さで、途轍もない気配を放ちながら。
アカは珍しく苦酸っぱい表情を浮かべていた。これは予想外の出来事である。こちらに向かっている人物をアカは知っていた。その気配とスピードには覚えがあった。それはスピノールとスカラーも同じだった。
時を移さず、城が揺れる。轟音と共に何者かが壁を突き破り、城へと侵入してきたのだ。そこは謁見の間。
大至急、謁見の間へと向かう一同。
この後の展開をどうするべきかうんうんと頭を悩ませながらアカも着いていく。
謁見の間に一同が到着すると、天井よろしくポッカリと壁に空いた穴が目に入った。そしてその瓦礫の山からからある人物が姿を現す。黒髪の少年である。
「……クロく~ん?」
「帰るぞ、アカ。状況が変わった」
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