第2章 十六竜議会

第9話 クロの正体と爪席の懸念

「レジェンキャロットの論文は10日後くらいまでに書くとして、まずはアルストラに行って海鮮でも食いたいな」


 アカが顎に手を当てながら言った。

 その奔放な発言にクロも呆れる。


「おいこら、それを書くのは俺だろ。寝るなってことか?」


「いやだって、やることいっぱいあるのにクロが書きたいって言うんだもん。しょうがないじゃん」


「それは当然だろ。今回で3度目の成功だ。これを記録に残さなかったら死んでも死にきれん」


「ほらね。とにかく早めに書き上げることだね。竜議会・・・もそろそろ気付く頃だと思うし」


「……全く面倒だな」


 クロはシワが寄る眉間を手で押さえた。



 いつからこんなに忙しくなってしまったのか。

 原因は分かっている。アカと出会ってしまったことが全ての始まりだ。

 クロはただ、希少食材やドラゴンの研究をしていられればそれで良かった。希少食材やドラゴンには未知の部分が多く、それらを解明できれば人類の発展に大きく貢献できるとクロは確信していた。そしてそれが自分の使命だとも思っていた。


 希少食材やドラゴンを研究したり調理したりするには特殊な技法が必要とされることが多い。その研究調理の過程で調理技術も副次的に向上し、一般の料理人をはるかに凌駕する域まで到達した。

 また、希少食材は人が立ち入ることの難しい場所に成育している場合が多いため、探索能力や身体能力が高いレベルで求められた。

 そしてドラゴンとなるとまた話が変わる。一般人が単独で捕獲することはまず不可能であった。それゆえ、上等であればあるほど依頼料が高くなり当然のように仕入れ価格も跳ね上がっていく。いちいち人伝ひとづてに仕入れをしていては肝心の研究費がすぐに底をついてしまうのだ。


 そこでクロは自ら捕獲に挑むことで費用を抑えることにした。それを続けている内に戦闘能力まで上がってしまったのだ。もともと学習能力の高いクロにとって、自然的な動きをするドラゴンは相性が良かった。対象を観察し、攻撃を試し、それがダメならまた別のアプローチを試した。実験も討伐も料理も根本的なところでクロにとっては同じものだった。

 強さと希少性を加味し十六竜議会によってドラゴンに与えられる等級がある。それが最上位である1等ドラゴンであったと、倒した後に気付くことさえあった。やけに苦労したこと振り返りながら「十六竜議会の評価もかなり真に近いものなのだな」と関心したこともあった。

 そうして時おりドラゴンを狩り、希少食材を集め、各地を渡り歩いていたあるときアカと出会った。

 自らと同等かそれ以上の戦闘能力を持ち、自らと同等の調理技術を持つ者。どうしてそれほどの力を持っているのかはいまだに分からない。たずねれば普通に話してくれた気はする。しかしアカの方からクロに何かを訊ねてくることもないため、クロも特に気にせず適当に付き合って来た。ビジネスパートナーとして信頼はしているが、それ以上踏み込むことはお互いにしてこなかった。

 2人だと効率が良いためそうしているに過ぎないが、クロにとってはそれで十分だった。ドラゴンを狩り、料理を作り、研究をする。そうして過ごす日々は今にして思えばとても楽しかった。


 そしてあるとき、そんな趣味に明け暮れる日常に終わり告げねばならない日がやってきた。

 アカとクロが旅の途中彼らに託されたその契りが、今もなお2人に重くのしかかっている。少なくともクロはそう思っている。アカの方はそこまで重く気にしている様子はなく、むしろ状況を楽しんでいるようにさえ思えた。


 とにかく、これからの事を考えると頭が痛くなってしまう。

 クロは1人短いため息を吐くと、またいつものようにアカの隣を歩き始めた。



─────────────────



「不味い。不味いですね非常に」


 そう言って男はナプキンで口を拭くと、そのままナプキンを床に投げ捨てた。

 男は口元にコールマンひげを蓄えていた。ナイフの扱い方やその立ち振る舞いからは気品が感じられ、細身の体はぴっしりとした赤みがかったの軍服に包まれている。腕部には竜の爪を象った紋様もんようとその上に「一」の文字が刻まれていた。その姿からも常人ならざることが一目でわかった。


「このまずい料理、そして汚い部屋、これが客人をもてなしていると言えるのですかねぇ」


 男はゆるりと立ち上がるとそばに立つ部下らしき者に「片づけるように」と命令する。作らせた料理は3品。「この場で作れるモノで最高の料理を3つ」という男の命を受けて当直の料理番が至急こしらえたものだった。しかし男はそれぞれ一口ずつ手を付けるとそれ以上食すのをやめ、悪態をついた。通常であればそんな勝手なことをされては料理番も、ここに所属する皆も気分を悪くするに決まっている。文句の1つでも言ってやるのがすじというものだ。

 しかし、男が何をしようと何を言おうと、逆らうことはできない。ここにいる全員がそうである。逆らうことなど許されなかった。


 そんな状況で、この場の責任者である所長が口を開く。


「申し訳ありません。まさか爪席そうせきに座する方がこのような場所においでになるなど思ってもいなかったもので──」


 嫌味混じりに白々しくそうまくし立てる所長を男は一瞥いちべつする。

 すると突然、所長の横から男の部下が腕を振り抜き、所長を勢いよく壁に押しやる。首元を押さえ込み、所長の足が一瞬宙に浮く。


「うッ……ぐッ……!」


「よい」


 男が手を挙げ合図すると部下は「はっ」と頭を下げ所長から腕を外す。

 所長はその場に崩れ、喉元を押さえて咳き込んだ。気付くとすぐ横に男が立っていた。


「自らこうべを垂れるとは身分の差を理解した良い心掛けです」


 仕返しのように嫌味ったらしく言う。


「さて、さっさと用件を済ませるとしましょうか。こんな料理の1つも満足に出せない場所にいつまでも居座るほど私どもも暇ではありませんので」


 男はその場で所長を見下ろしながら続ける。


「先日、ここの門を許可無しに開いた理由を聞かせてもらえませんかねぇ? あ、ちゃんと真実を答えてくださいね。事と次第によっては竜議会法第2条第3項にのっとりこの場の全員に辞職してもらわねばならなくなりますので」


 男がそう言うと、その場に集められていた職員たちが固唾を呑んで所長の方に目をやった。所長の返答次第で自分達の処遇が決定する状況である。当然のように緊張が走っていた。

 ここで下手なことを言えばクビになるどころか、本当に首も飛びかねない。

 そんな状況を踏まえ所長は意を決する。そしてまだ痛む喉を押さえながらを口にする。


「……通すだけの資格を有されていたため、私の判断で門を開きました。許可を取らなかったのは、許可を取る必要がないと私が判断したからであります」


 所長はまっすぐと男の目を見て言った。

 男は表情を変える事無くしばらく所長の胸元を見つめると、やがてきびすを返し元いた場所に戻り椅子に座った。


「命令があるまで全員屋上に拘束」


 「はっ」と部下の1人が短く返事をすると所長を強引に起こし、部屋の外に連れ出した。他の職員も連れ立って部屋の外へと押しやられる。

 部屋の中が静かになると男に向かって部下の1人が声をかける。


「スピノール様。どうでしたか?」


 スピノールという男は声をかけられると、背もたれに寄り掛かって組んだ足の上で手を組み直す。そして天井を見つて考え事を発露するように喋り出した。


「あの男は嘘をついてはいませんでした。知らない者はいないでしょうが、私の耳はアルドレア様の加護により心音すらも聞き分けることができるのです。嘘をいている者はその時に僅かながら心音に揺らぎが発生しますが、あの男にはそれがありませんでした。つまり私によればあの男の言っていることは真実になる。そして私の耳に間違いはない」


 ──門を通すだけの資格。


「竜門の通過基準は何ですか?」


 スピノールが部下に問う。


「十六竜議会の許可を受けた2級以上の竜位を持つ竜師です」


 部下がすらすらと答える。ここにいる者ならばこのことは常識中の常識である。こんなことは聞くまでもないこと。スピノールは今一度、竜門所の仕組みについて整理する。


「3級竜師は文字通りに門前払いにされます。さすがにここの所長も3級を通すほど甘くはありませんし、理由もありません。2級の竜位を持っているならば竜門所のデータベースに登録されている爪紋そうもんを元に身元が特定されあらかじめ竜議会の許可を得ている場合にのみ通れます。1級も同様ですが、1級の竜位を持っている者であれば竜門所での申請が可能です。そこから竜議会によって直接の許可が出れば即日通れます。

 例外であるのは、私のように『そう』の位を冠している者か、または竜議会そのものである『よく』の方々です。私を含め竜議会の方々は許可を取ることなく自由に通ることができます。もちろんデータベースには登録されていますから『爪』以下の私の行動は記録として残りますが……。つまるところ『爪』以上の者にはそれだけの資格があるということです。

 私がここに来たのは『許可を受けていない何者か』が竜門をくぐったという竜議会からの通報があったからです。しかし所長が言っている「資格を有している者」を通したというのと矛盾する。どちらも真であると仮定するならば……」


 スピノールは椅子に深く座り直す。そしてある結論を導いた。


「未確認の竜証保持者ドラゴンホルダー……?」


「っ……!?」


 その場にいた部下たちが驚きのあまり声にならない声を上げる。


「動きましょう。これは私の推測に過ぎませんが、もし本当にそうであるならば竜議会の存在を揺るがしかねない事態になります。スカラー」


 スピノールがその名を口にすると部下の中の一人がふわりと素早くスピノールの前にかしずく。


「はっ。直ちに周囲を捜索します」


 スカラーはスピノールが指示をする前に状況をかんがみて発言をする。整った顔立ち、そして肩まで伸びるさらさらの髪。遠目から見れば女性に見間違えてしまうかもしれない。


 スピノールは小さく頷く。それを受けスカラーは頭を下げ、数名の部下を引き連れて素早く部屋を出て行った。


「さて、残りの者はここの職員から情報を聞き出しなさい。場合によっては拷問も許可します」


 スピノールは拷問などの手荒な真似を好んでするような人間ではない。だがそれは拷問を受ける者のことをうれえてのことではなく、単純に食欲が削がれるからである。痛みで叫んでいる姿を脳裏に残したまま食事を楽しむような嗜虐しぎゃく趣味は無いのだ。

 しかし今回は手段を選んではいられなかった。

 スピノールは焦っていた。

 自分と同等かそれ以上の力を持つ者が自由に動き回っている。誰の管理下にもなく人間界と竜界を出入りする危険人物がいる。人間界の秩序を維持するためにはそういう危険人物を早々に片付けなければならない。それが力を持つ者の使命である。

 導いた結論はただの推測に過ぎないが、それがもし当たっていたなら……。そう考えると焦らずにはいられなかった。


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