第3話 極上のドラゴンのステーキ

「ソースあとどのくらい?」


「20秒ほどだな」


「オーケー。こっちの準備はできてる。そのまま盛り付けに入るよ」


「了解」


 食材に素早く豪快に包丁を入れていくアカと、丁寧ながらも手際よくソースを煮詰めるクロ。その2人の緩急の対比は美しささえ感じさせる。そうして2人はとてつもないスピードで調理を進めていき、すぐに料理が完成した。



「お待たせしました」


 アカが皿を給仕サーブする。盛り付けられているのは分厚いドラゴンのステーキ。

 そこにクロが先程煮詰めていたソースを、ソースポッドで注いでいく。


「わぁ……」


 鼻孔をくすぐるソースの深い香りに思わず声をもらすシルビア。


「本日のおすすめ、シュクルード・トル・デ・ステーキでございます。厚めにカットしたシュクルードドラゴンの肉を少し特殊なフライパンで上下から火を通しました。お好みの大きさに切り分けた後、こちらでお好みの焼き加減でお楽しみを」


 そう言ってアカはステーキが盛り付けてある皿の横にぐつぐつと熱気を放つ小さな鉄板を添えた。

 そして一礼し一歩後ろに下がった。

 アカはかしこまった態度を崩さず、まるで高級料理店のウェイターのように振る舞った。その様子に少し戸惑いを見せるシルビア。

 そして入れ替わるようにシルビアの前にクロが立ち、小皿にソースを注いでいく。


「これもお好みで。あと、あいつはちょっとふざけてるだけだから。気にせず好きなように食べてな」


 クロはぶっきらぼうな口調でそう言った。そしてアカの態度は単にアカがふざけているだけだと、少し笑ってアカと同じようにその場から一歩下がった。

 その様子が何だか微笑ましく感じ、自分がどこにいるのかを忘れてしまいそうになる。ここがまさに死地のど真ん中だということすら。

 目の前の一品はそれら恐怖すら凌駕し、脳の欲望を刺激する。



 早く食べたい。



 シルビアはアカの顔を見上げる。

 本当に食べてもいいのか、と。

 アカは笑って小さく頷いて見せる。そして「どうぞ」と手を差し出してくれた。


 それを見てシルビアは申し訳なさそうにしながらも、安堵の表情を浮かべ、ナイフとフォークを手に取った。


 いざ、実食である。


「い、いただきます……」


 まずは分厚いステーキをフォークで押さえる。それはステーキを一口大に切るためだったが──


(え……うそ……!)


 力を入れずともフォークが肉に沈んでいく。もはやナイフで切る必要すらないほど柔らかく仕上げられていた。

 それでも、これはステーキに対する礼儀であると考え、ナイフを入れていく。

 スッとナイフを通した瞬間に溢れるのは、これまで見たことのない輝きを放つ上質な肉汁。日の光に照らされてより一層その輝きが増していく。この肉汁だけでも料理店で一品料理として出せるだけのポテンシャルを秘めているのではないか。

 そんな肉汁をこれでもかと含んだステーキを目の前に出されたら、いったい誰が抗えると言うのだろう。

 しかし衝撃はそれで終わらなかった。

 ステーキの上に贅沢にかけられているソース。そのソースと肉汁が絡み合った直後、香りの爆弾がシルビアの食欲をさらに爆発させた。

 濃厚ながらもすっきりとした酸味を含んで、上手く調和しているのがその香りだけでも分かる。


 次の瞬間にはその一口大のステーキを口に運んでいた。食の欲求には勝てない。それは生物であれば誰であっても同じである。


 そして訪れた至福のひと時。

 待望のステーキは口に入れた瞬間に溶けるほど柔らかく、それでも肉と分かる弾力を持ち合わせていた。そしてそれを包むのが輝く肉汁と濃厚なソース。そのダブルパンチがシルビアの口の中で暴れていく。噛めば噛むほどに溢れる肉汁がシルビアの細胞の全てを支配していく。


 他の獣肉とはもはや比べる気さえ起きない。

 これがドラゴンの肉。これがドラゴンのステーキ。


 シルビアの知る肉料理とは一線をかくす一品。

 シルビアは人目を気にせず、口いっぱいにそのうま味を堪能した。


「かー! うまそう過ぎる! 僕も食べちゃお!」


 そう言ってアカはシルビアの隣にどかりと座った。椅子ではなく地面にどかりと。


「うまい。我ながらうまい。良いデキだ。うまい……うまい」


 アカは自画自賛しながらドラゴンのステーキをバクバクと食べ進めていく。シルビアに負けないくらい感動しながら食べている。まるで初めて食べたかのように。


「アカさんは、いつも食べてないんですか? その、ドラゴンのお肉を」


「ん? 食べてるよ。でも何度食べてもうまいものはうまいんだよね。ほら僕、食べるの好きだからね。食べるためだけに生きてるようなものだから」


 ニッコリと笑顔で答えるアカ。思わずシルビアからも笑みが溢れてしまう。


 気付いた時には、あの分厚かったステーキを丸ごと平らげてしまっていた。


「ごちそう、さまでした……」


 人生を変える程の衝撃を一身いっしんに受け、その余韻を噛みしめながら。食事を終えた。

 これを食べるためならば、一生を捧げてもいいとすら思わせる一品だった。

 また食べたい。そのためにもこの一生を大切に生きよう。そう心に誓ったシルビアだった。




 シルビアが現実に戻って来るとまず感じたのはアカとクロに対する感謝、そしてそれと同じくらいの大きな罪悪感だった。

 これだけの料理を体現させた2人に向かって、「本当に料理人なのか?」などと失礼にも程がある言葉を口にしてしまった。

 まずはそれを深く反省し、再び頭を下げて謝った。


「本当に失礼なことを言ってしまいました。ごめんなさい! それなのに……こんなにも……こんなにも、美味しい料理をごちそうしてくれて――あ、あれ?」


 頭を下げると、いくばくもしないうちにシルビアの頬を涙がつたった。

 その涙はどうしようもなく内からあふれ出してしまったものだ。2人への申し訳ない気持ちや、自責の念を抑えておくことが出来なかったのだ。

 どこか強気に振舞っていた。無意識に、依頼主としての箔をつけるために。


 だから2人には自分のこんな情けない姿を見せたくはなかった。

 きっと笑われるから。滑稽で、間抜けな人間だと。


 どんどん感情が高まっていくシルビアは、その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになってしまう。



 だが、そこでシルビアの頬を伝う涙を、真っ白な布が受け止めた。


「その涙は、君が思っているほど汚れているものじゃないよ」


 シルビアの顔の高さに合わせるように腰を低くし、優しい笑顔でアカは涙をぬぐってくれた。そのすぐ後ろではクロが温かく見守ってくれている。


「その涙は負の感情から出たものじゃない。今は混乱しているから分からないのかもだけど、その涙はとても大事なものなんだよ。僕達料理人にとっては特にね」


 そう言ってアカはシルビアの顔を上げさせる。


「本当においしいものを食べた時に人はどうするのか分かるかい?」


 アカの問いかけにシルビアはふるふると首を振る。


「考えちゃうんだ。そのおいしい料理をまた食べたいってね。そしてまた食べられるのかな、ってね。本当においしい料理に出会った時、人は未来について考えて、その想像で涙を流す。今日の涙は君の正の感情から来た、嬉し涙だよ。僕達料理人は食べた人が涙を流すほど喜んでくれた時に、作って良かったなあって心の底から思えるんだ。だから、お礼を言うのはこっちの方だよ。食べてくれてありがとう」


 そう言うと、アカはシルビアの頭を優しくなでてくれた。

 シルビアは何度もお礼を言い、しばらく泣いたあと、アカの言葉と、その優しさを大事に抱きしめ、落ち着きを取り戻していった。



―――――――――――――――――



 その後、若干の恥ずかしさを抑え込みながら、クロが用意してくれたお茶を飲んで待っていると、すぐに出発の時間が来た。

 用意してくれた簡素なお茶までおいしいのだからもうどうしようもない。どこの茶葉なんだいったい。


「あの、そのドラゴンはどうするんですか?」


 アカが仕留めたシュクルードドラゴンに視線を向けるシルビア。先程シルビアが食べたステーキもあのドラゴンからぎ取ったものだ。だがそれにはほんの少量しか使っておらず、ほとんど丸々一翼がそこに残されている。


「あれはここに置いていくよ。流石にあれを全部運ぶのは、できなくもないけど邪魔だし面倒だからね。すでに連絡はしたからここを受け持ってる竜師が来てくれる。その人たちに運んでもらうよ」


 アカは簡単に言ったが、竜師と連絡を取るのは通常、竜門の検問所で取り次いでもらうか、大きい都市にある竜殿りゅうでんで直接依頼するしかない。最近開発されて話題となった携帯用小型電話機で連絡を取るという方法もあるのかも知れないが、それは一部の金持ちぐらいにしか出来ない芸当である。それに電話している素振りも無かったため、電話機を使った可能性は低いと言える。

 しかし、気にしてもどうしようもないことに気付いたシルビアはそれ以上深く聞くことはしなかった。

 それに、アカとクロは一流の料理人である。竜師に知り合いがいて、独自の連絡手段を持っていてもおかしくない。一流の料理人なのだからそのくらいはやってしまうだろう。一流の料理人なのだから。


 何故か、ホクホクと嬉しそうな表情を浮かべるシルビアにアカは小首をかしげた。


「帰った頃には町はおまつり騒ぎかもな。この等級のドラゴンはまず市場には出回らない」


 クロが言った。


「たまにはいいよねお祭り。依頼が済んだら皆で行こうか」


 アカが無邪気にそう返した。


「いや、実際に祭りになるわけじゃないだろ。言葉のあやだ」


 クロが冷静にツッコミを入れる。


「ありますよ。お祭り」


 だがそこに、シルビアが割り込んできた。

 

「3等以上のドラゴンが町市場に卸されたときは、そのめぐみを祝うとか何とかで毎回祭が開かれるんです。シュクルードドラゴンは2等ですよね? なので絶対ありますよ、お祭り」


「……まじか」


 ずっとポーカーフェイスだったクロは、読みが外れたのが悔しかったのか、驚いたのか、その時少し悔しそうに表情を崩していた。

 シルビアはそれが何故だか嬉しく思えた。人が悔しがっているのを嬉しいというのは少し変かもしれないが、新たな一面を知れたと自然と頬を緩ませてしまう。


「良かったなクロ! お祭りあるって!」


 ここぞとばかりにアカが茶化し、クロの肩をバンバンと叩く。


「分かった、分かった。良かった、良かった」


 ため息をきつつも、まんざらでもなさそうなクロ。


 料理の腕も一流で息もぴったり。


 この2人はとても良いコンビなんだなあとシルビアはしみじみ思った。口にしてしまうと、なんだか両方からツッコまれてしまいそうなので、これは胸の中にしまっておくことにする。



「行くよ。君の依頼を叶えに行こう」


 そうして手を引くアカ。

 この時名前を呼ばれたのが妙に嬉しくて、妙にくすぐったかった。

 この先も2人と一緒にいたいな。

 その時頭に浮かんだ言葉。それは本心からのものだった。

 

「え、ちょっ、待っ――」


 だが、その本心もすぐに揺らいでしまうことになる。


「だから! 飛ぶときは最初に―――!!」


 3人は目標であるドラゴンがいる海辺を目指し、文字通り勢いよく飛び出したのであった。

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