遺跡
事後処理をグレゴールに任せ、ニニルの転移魔法でキュールグラードへ帰還した。
そして、まずはシャルミアに会うことにした。
グレゴールたちの言っていた古参武官の冷遇……そのあたりのことを確認するためだ。
しかし詰所に入ってみるとシャルミアは不在、兵士たちに聞いてもあくまで軍外部の魔族だからと行先は開示されなかった。
「……シャルミアさん、いなかったんですか?」
「あぁ。監視塔が落ちたという時に拠点を離れているなど、昔のシャルミアを思えばありえないのだが」
「どうしたんでしょうか」
「……まぁ、軍の副官というのは忙しいものだ。特に頭があんなクソガキではな」
不自然ではあるが、事実として今の俺は軍外部の魔族である。
ここで無理を通そうとして、ただ軍規を守っているだけのキュールグラード兵と完全に敵対するのは得策ではない。
もう一つの目的であったオーク素材の売却をし、詰所の外で待っていたニニルと合流し今に至る……といったところである。
「もうすぐ日も暮れちゃいますね」
「そろそろ宿を決めねばならんが……まぁ、当面は再生の秘跡で寝泊まりすればいいか」
五年前、本城にあった俺用の寝室は、既に他の誰かのものにでもなっているはずだ。
おそらく使用はできない。
そもそも軍外部の魔族という扱いでは、本城の門を通ることすらできないだろう。
再生の秘跡であれば金もかからないし、ニニルの肩の怪我の治療にもなる。
秘匿性の高い拠点ではあるが、転移魔法で行き来する分には問題もない。
「ディルグ様、それじゃあ転移魔法を使いますね」
「いや、少し待て」
再生の秘跡に戻る前に、調達しておきたいものがひとつある。
今から向かえば、おそらく閉店の時間にも間に合うだろう。
「先に買い物をするぞ。転移は刻紋用の墨を調達してからだ」
シャルミアとの再会やオーク討伐で後回しになってしまっていたが、ニニルに刻まれた『新世代』の刻紋を見た時、あるアイデアを思いついていた。
――俺自身を強化するための刻紋。
上手くいけばフェルナと正面から力比べができるような、非常に強力な刻紋だ。
そしてそれを刻むには、専用の墨が必要なのである。
希少な魔法金属が高濃度で溶かされた非常に高価な代物だが、おそらくオークの売却金があれば小瓶一つぐらいは買えるだろう。
五年前に持っていた金があれば樽で買えるのだが……死んだことになっている以上、おそらく俺の個人資産は既に魔王軍の運用資金あたりに代わって消えているはず。
……具体的な金額を思い出そうとして、やめた。
失ったものに思いを馳せても、意味はない。
しばらくは、後日入るはずの岩鎧竜の売却金でも当てにするしかないだろう。
つい吐きそうになったため息を呑みこむと、記憶を頼りに触媒屋へ向かうことにした。
☆
買い物を終え、再生の秘跡へと転移した。
この再生の秘跡だが、遥か太古……神や天使といったモノが地上に実在していた時代の遺物だろうと推測している。
それを示すように、壁には神々しい光を放つ指導者が、人に角を、獣の耳や尾を、翼を与えている様子が描かれていた。
この壁画は、人族風に言えば『天界を追放された邪神が人を穢して魔に堕とした』ということらしい。
人族の大多数が信仰する聖神教の経典には、そう書かれている。
つまりここが建造されたのは魔族の発祥期……数千年は昔の可能性もある、非常に古い遺跡だ。
だが、今改めて遺跡の内部を見渡せば、ここは随分と綺麗に見えた。
石畳は綺麗に磨かれ、砂や埃はほとんどない。
広い遺跡の内部には増設された暖色の魔灯が灯り、温かみが感じられた。
目覚めた時は気づかなかったが、部屋には転移魔法で運び込んだらしき木製家具も置いてある。
この部屋の外の通路に、壁に掘られた穴に物干し竿が差し込まれ、シーツや服が干してあるのまで見えた。
――これは全て、ニニルがやったのだろう。
汚かった遺跡をここまで生活感に溢れたスペースにしたことを褒めていいのか、貴重な歴史的資料でもある遺跡をもっと大切にしろと叱ればいいのか、少し悩んでしまうところである。
まぁ、掃除や手入れ自体は良いことだ。
五年間住んでいたというのであれば、多少のことは許容範囲か。
「ディルグ様っ、ごはんにしますか? それとも、先にお風呂がいいですか?」
歴史的資料の代表である大壁画の前で、ニニルが聞いてきた。
おそらくニニルにとって、ここはもう家も同然なのだろう。
リラックスしているのか、外にいるときより表情が明るい気がする。
しかし、風呂というのは初耳だ。
遺跡の外に大きな桶のようなものを置いて、簡易的な風呂を作ったのだろうか?
食事をとったときには、そんなものは見当たらなかったが。
「……風呂だと?」
「はい。遺跡の部屋の一つに、穴をあけたら近くの谷まで排水できそうなところがあったので、投石でドカーン! っておっきく穴をあけて、お風呂にしてみたんです!」
「遺跡をもっと大切にしろ」
「……ご、ごめんなさい、駄目でしたか?」
つい反射的に言ってしまったが、ニニルは俺が眠っていたせいで五年間この遺跡で過ごしていた。
その年月と衛生面を考えれば、風呂はあった方が良い。
それに入り口は完全に破壊してしまっているのだから、もはや今更である。
「いや、俺が言えたことではなかったな。駄目ではない。その風呂には貴様が先に入るがいい。俺にはやっておかねばならないことがある」
風呂の湯は、おそらく魔道具を使うのだろう。
この遺跡に置かれている魔灯のような魔道具は、魔領全土にも広く普及している。
出力の小さな魔法であれば、魔道具に使う刻紋用触媒もごくごく安価なもので済むからだ。
そういった安価な普及品に、湯水を出すような性質のものも存在する。
「……よければ、ディルグ様も一緒に入りませんか? ディルグ様のお背中を、お流しさせていただこうと思っていたので……あの、その……従者っ、従者なので」
ニニルがおずおずと、こちらの反応を窺いながら言ってくる。
だが、従者だからといってそこまでする必要はない。
そもそもニニルは五年前も従者だったが、当時ニニルに任せていたのは、食事を運ぶことと、角を磨くことぐらいである。
角磨きは牛鬼族にとってあくまで靴磨きのようなものであり、身体を洗われることとは抵抗感が大きく違う。
「必要ない。自分の疲れを癒すことだけ考えておけ。明日も貴様には転移魔法を使って貰うことになる」
ニニルはなぜか、困ったような顔をして返事をしない。
なにやら不満がありそうだ。
……。
魔王軍時代にも、忠誠心から背中を流させてくれと言う魔族はいるにはいた。
大抵が俺と戦場を共にし、振るわれた魔王の力に心酔した屈強な武官たちである。
その程度は配下とのコミュニケーションとして構わなかったのだが、今回は性別の壁がある。
しかも本当にただの幼子のようだった五年前とは違い、今のニニルは『子供だから』と断言していいか微妙なラインだ。
「貴様も十分に……とは言わないが、成長した。互いに軽々しく肌を見せるべきではない。それぐらいわかるだろう」
「せ、成長っ……! ディ、ディルグ様からは、どのあたりが成長したように見えますかっ!?」
俺の言葉を聞いた途端、困り顔を一瞬で嬉しそうな顔へと変えるニニル。
自分の胸や腰のあたりをペタペタと触ってみたり、俺の前でクルッと回ってみたりしながら、ニニルは返事を待っている。
……質問に答えるつもりはない。
今言ったのはあくまで一般論の話で、身体のどこがどうだとか、そういう問題ではないのだ。
黙っていると、ニニルは何か天啓でも落ちたかのようにハッとした顔をする。
「脱いだ方が、ディルグ様もわかりやすいですよね」
「か、軽々しく肌を見せるなと言っているのだ!! いいから、貴様はとっとと一人で風呂に入ってこい!!」
「っ……ご、ごめんなさいディルグ様……。それじゃあ、軽々しくない時にお背中流させていただきますね」
「本当にわかっているんだろうな……」
ハッキリと言ったはずなのだが、あまり伝わっていない気がする。
ニニルは俯きながらも、頬に両手を当ててどこか嬉しそうだった。
☆
買ってきた刻紋用の墨瓶の分量は、二、三回分程度。
俺が今回刻む刻紋に足りないことはないだろう。
その小さな丸い瓶を指の中で転がし、再びポケットの中にしまいこむ。
作業の前に、やらなければならないことがあるからだ。
「……『奴』がここに来ていたのならば、必ず遺跡の内部にあるはずだ」
『感知』を使って、付近の魔力の流れを見る。
そして怪しい部分の石畳を一枚つまみ、ひっくり返した。
裏には何も描かれていない……ただの石畳だ。
どうやらダミーを仕込んでいるらしい。
だがダミーがあるということは、本命もあるということ。
それを繰り返していくと、すぐに淡く輝く刻紋が刻まれた石畳が見つかった。
大胆にも俺が眠っていた祭壇……その真横の石畳の裏だ。
「『転移陣』。……やはりあったか。もしニニルを処刑していたら、『奴』は百回処刑せねば釣り合いがとれなくなるところだったな」
オーク討伐の後に発覚した、ニニルが俺の存在を隠蔽した事件。
その責任を強く追及しなかったのは、ニニルがガキだとか、俺の敗北にこそ理由があったというのもあるが……もう一つ、決定的な理由があった。
俺がここで眠っているという事実を知りながら、見て見ぬ振りをしていた『旧世代』がいることを知っていたからだ。
見て見ぬ振りをした『奴』が、どんなことを考えていたのかは想像がつく。
おそらく、俺の肉体をニニルに守らせたかったのだ。
ニニルから聞いた話でしかないが、そいつは俺が勇者に敗北した直後から『新世代』を作るという大仕事に追われ、非常に忙しそうだった。
俺が魔王軍内の誰かに勝手に起こされて死んだり、寝ている間に魔獣に襲われたりしてほしくはないが、自分で見守ることは現実的にできない。
……そこで白羽の矢が立ったのがニニル、ということに違いない。
ニニルは孤児のせいか、俺のことを親か何かだとでも思っているような節がある。
もしニニルのことを知っていれば、ニニルが俺の身体を発見したらどう行動するか、予測することはできたはず。
そして奴は『見込みがある』とでも適当に煽てながら、ニニルに『新世代』の力と『転移魔法』という便利な技術を教え込んだ。
思った通りこの遺跡に閉じこもったニニルを見て、予測通りだとほくそ笑んでいたことだろう。
その後も、奴がなんらかの手段でニニルの目を盗み、たびたびこの遺跡を訪れていたことは、この転移陣を見ればわかる。
だがニニルの目は誤魔化せても、魔王である俺の目は誤魔化せない。
今日か、明日か、一週間後かはわからないが……この転移陣から、奴は必ず俺に会いに来るはずだ。
――転移陣の前に座り込み、紙と筆を使って刻紋の下絵を描いていく。
ちょうど十分程後。
それが粗方完成する頃、転移陣が光を放った。
「今日だったか。目覚めた当日にやってくるとは、随分と耳が早いな」
「やぁ、久しぶりだねディルグ。目覚めてくれて嬉しいよ、キミの馬鹿みたいな寝顔にも飽き飽きしていたところだからさ」
黒い長髪をいじりながら目の前に現れたのは、漆黒の魔女だった。
純魔族にしては比較的小柄であり、華奢なシルエット。
その女は、余裕あり気な笑みをたたえて、地面に座る俺を見下ろしている。
――魔王軍幹部、魔術師アルメディア。
魔領最高の刻紋魔術師であり、俺と共にエーテル研究を行っていた魔王軍最高幹部。
この再生の遺跡の動力は、龍脈から汲み上げられたエーテルだ。
研究対象であったこの遺跡の存在を、目の前の魔女は当然知っていたのである。
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