魔王の教訓

「あの……様には、……わないでください」


「え~、どうしよっかな~~。……の嘘で、わたしも迷惑かけられてるからな~~」


「それは……ごめんなさい。でも、おねがいします……様のおそばに……れなくなっちゃいます……」


「わたしが言わなくたって、……ちゃんにバレちゃうのは時間の問題だと思うけどぉ? 元魔王軍の人なら、知ってる人多いんだから」


「……そう、なんですけど……」


 詰め所を出ると、なにやらニニルとフェルナが話をしていた。

 そういえば、ニニルはずっと外で待っていたんだったか。

 オーク討伐に向かったフェルナを急いで追うはめになるかと思ったが、運よく引き留めていたらしい。


「あ、ディルグちゃん♡」


「外にいたのか。ちょうどよかったぞ」


「ディ、ディルグ様っ……!」


 ニニルは俺を見るなり駆け寄ると、背後に隠れるようにくっついた。

 そんなニニルを見て、フェルナはなぜか呆れたような表情をしている。

 二人とも声を抑えていてあまり聞こえなかったが、何を話していたのだろうか。

 ガキ同士の会話の内容になど興味はないのだが、フェルナには相当の実力と将来性がある。

 現在の配下と、将来配下になるかもしれない者の関係性はある程度把握しておいた方がいい。


「そういえば、二人は知り合いなんだったか?」


「あ、はい。魔王軍があった頃から、何度か会ってます。フェルナちゃんとは、年齢も近かったので……」


「魔王軍の軍人が戦場に出る時、拠点に子供を預けることがあるでしょ? 私、ほとんどずーっと預けられてたから、ニニルとも話したことあるんだぁ♡」


 フェルナは「ねー♡」と言いながら、ニニルにニッコリ笑みを向けている。

 それを見て、ニニルはどこかホッとしたような顔で頷いた。

 どうやら、それなりに良好な関係らしい。


「そ、それより、あの……元魔王軍の、幹部の方とはお会いできましたか?」


 ニニルが聞いてくる。

 気になるのならば中までついてくれば良かっただろうとも思ったが、ニニルはまだ年若い少女だ。

 あまり気が強い方でもないだろう。

 兵士の乗る馬に轢かれかけた後でもあるし、屈強な兵士が単純に怖かったのかもしれない。


 ……その兵士の倍以上に屈強な俺は怖くないのかという話になるが。


「いたにはいたが、どうやら五年で相当腑抜けたようだ。あんな状態では、従える価値もない……今は、監視塔を占拠したとかいうオークの討伐が優先だな」


「……オークの討伐、ですか?」


「え? ディルグちゃん、一緒にきてくれるの?」


「貴様のようなガキが本当にオークの集団を討伐できるのか確かめてやろうと思ってな。まぁ俺ならばオーク程度一人でいくらでも殲滅できる、貴様の手に余るようならば、力を貸してやらんでもない」


「わ、ディルグちゃん、やっさし~♡ でもぉ、オークは初めてだけど、わたしこれまで何度か魔獣の群れを倒したことあるんだよ? ディルグちゃんの力なんて借りる必要ないと思うなぁ」


「知恵が回る魔獣は危険だ。言葉を持たず本能のまま生きているだけで、オークは小賢しいところもある」


「ふーん?」


 俺からすれば、オークが相手だというのに経験豊富な護衛をつけようとしないシャルミアの正気の方を疑う。

 オークの攻撃方法は武器や拳による近接的なものだけではなく、投擲、罠、原始的な魔法……通常の魔獣と比べ非常に多岐に渡るのだ。

 百戦錬磨の魔王であるこの俺ならば群れを相手にしようと一撃すら貰わない自信はあるが、流石にフェルナの年齢で同じことができるとは思わない。


 そんなことを考えていると、フェルナが人を品定めするような半目で言ってきた。


「……本当は私の事、後ろから襲っちゃおうって思ってるんじゃないのぉ? "魔王様"に拘りがあるんでしょ?」


「馬鹿にするな! 確かに貴様のようなガキを魔王などと認めてはおらんが、俺は魔王であると同時に誇り高き牛鬼族の戦士だぞ! 貴様のようなガキを不意打ちして勝ち誇れるわけがないだろうが!」


 俺の価値観の大部分は、屈強な戦士である牛鬼族の街で育まれたものだ。

 ルール無用の戦場ならいざ知らず、魔族内部での権力闘争に不意討ちや卑怯な手段を用いるなどあり得ない。


「いいか忘れるな。俺がその気になれば、貴様などいつでも倒すことができる。あくまで今回は、魔領を統べる真の魔王として民を守るべく動こうとしているだけなのだ」


「ほんとに~~?」


 "いつでも倒せる"と言ったことがおかしかったのか、フェルナはニマニマとしながら俺の方を見ている。

 どうやら、先ほどの戦いで完全に舐められてしまったようだ。

 今すぐにでも序列というものを叩き込んでやりたいところだが、魔領を守る魔王として、危険を前に無駄に争うことだけはしないと決めている。


 俺は自分の心臓を示すように、右手を胸の前に掲げた。


「仕方がない。牛鬼族戦士の誇りにかけて、今日一日は貴様の身の安全を保障する。……ほら、これでいいだろう。戦士の誓いは易々と立てるものではないのだが、今はオークの討伐が最優先だからな」


「戦士の誓いなんて、わたし知らないんだけど……まぁいっか。パパもディルグちゃんのことは信頼してたらしいし。万一襲われても、ディルグちゃんなら返り討ちにできるしね♡」


「パパ? そういえば、魔王軍に預けられていたと言っていたな」


 シャルミアからも、魔王軍の関係者の子供がアルメディアによって選別され、新世代になったのだと聞いた。

 もしかすると、俺のよく知る魔族の娘だったりするのだろうか。


「そうだ! ディルグちゃんがついてきてくれるなら、良いものあるんだ。ちょっと待っててね♡」


 しかし、それを聞く前に、フェルナはどこかへと飛んでいってしまった。









 ――数分後。

 フェルナが重力魔法でふわふわと浮遊させながら運んできたのは、大きな背負子だった。


「ついてくるならこれお願いね、ディルグちゃん♡」


「……まさか貴様、この魔王ディルグを荷物持ち扱いしようなどと考えていないだろうな」


「ディルグちゃんがこれ運んでくれたら、倒したオークの素材とか、簡単に持ち帰れるでしょ? 私はディルグちゃんと違ってかよわい女の子だし、こういう時あんまり戦利品が持ち帰れなくて困ってたんだぁ~♡」


 当然のように荷物持ち扱いする気だったようである。

 よく見れば、負担を軽くするために肩の間に挟む当て布まできちんと持ってきていた。

 ……まぁ配下に対する配慮であれば気が利いていると言えるが、俺は決してフェルナの配下ではない。


「物資を無駄にしないその考えだけは褒めてやろう。だが、この魔王ディルグを顎で使えるとは思わないことだ」


 もし俺が魔王でなくただの戦士であったなら、荷物持ち程度、軽く引き受けていただろう。

 だが、俺が畏怖されるべき魔王である以上、こんなガキ相手だろうと決して舐められてはいけない。

 ハイハイと言われるままに雑用を引き受けては、魔王という存在そのものの軽視に繋がってしまう。


「いいでしょ荷物ぐらいー。ディルグちゃん、わたしに負けたんだからさぁー」


「あれは負けたわけではない。俺が真の実力を出す前に転移しただけだ」


「意地張っちゃってー♡ 私はディルグちゃんがよわよわでも、見捨てたりしないから大丈夫だよ?」


「だ、誰がよわよわだ誰が! この最強の魔王ディルグに向かってその不遜、いつか償うことになると覚えているがいい!」


「もー、シャルミアちゃんはすぐ言うこと聞くようになってくれたのに、なんでディルグちゃんは全然言うこと聞いてくれないの? 私の重力魔法の力、ちゃんと見たでしょ? 圧倒的に私の勝ちだったじゃん!」


 それは、魔王だからだ。

 と言いたいが、人族との戦争を経験していないフェルナにはきっと意味が理解できないだろう。

 なぜ俺が頑なに負けを認めないのか。

 フェルナは”意地”と言ったが、それは違う。


 ――魔王である以上、決して負けてはならない。


 これは、忘れてはならない俺の"教訓"なのだ。









「なっ……! ハイスライム族が、人族に寝返っただと!?」


 キュールグラードが最前線になるより数年前……十五年程前だろうか。

 魔王軍が結成されてそう間もないその頃、ある悲惨な事件があった。

 ――突然の、ハイスライム族の裏切り。

 ただでさえ敗北を重ねていた魔王軍に痛打を与えたその出来事は、魔王軍が攻め寄せる人族軍を平地戦で迎撃しようとしていた時に起こった。


「ハ、ハイスライム族長シュラオを筆頭に、ハイスライム族全体が我が軍に攻撃を繰り返しています!」


「なぜ裏切った……! 裏切ったところで、魔族を皆殺しにするまで人族は止まらんのだぞ……! この戦いで、どこに裏切る理由があるというのだ!」


 魔族と人族の戦争のきっかけは、人族の国で信仰されている女神のとある託宣からだと言われている。

 魔族の始祖はかつて天界を追放された邪神であり、その末裔である穢れた魔族もまた、浄化しなくてはならない。

 人族の侵攻理由がその女神に対する狂信にあることは、当時、魔族誰もが知っていた。


「報告! ハイスライム族の奇襲を受け、魔王軍左翼、混乱しています!」


「報告! 人族軍に動きがある模様です! 魔法使いらしき後衛部隊が、前方へ出てくるのが確認されました!」


「っ……! 今すぐ防御魔法を張らせろ! 人族はこの隙に大規模魔法を放つつもりだぞ! 最優先だ!!」


 人族の手に落ちた魔族の街は必ず破壊され、魔族は一人残らず大規模魔法"女神の焔"により、"浄化"される。

 それは軍人であろうと、魔領に住むただの民であろうと、まだ歩くこともできない幼子だろうと変わらない。

 まとまりのない魔族たちが魔王軍を結成できたのは、ただ自らの生存という目的と手段が一致したからこそだ。


「報告! 左翼、混乱を抑え込むことができません! 防御魔法、展開率は半数以下です!!」


「クソッ……!! ハイスライム族はいったい、何を考えている!」


 ――だからこそ、あり得ない裏切りだった。


 ハイスライムが歴とした魔族である以上、裏切った先に待つのは死以外にない。

 だが事実としてハイスライムは、魔王軍に攻撃を仕掛けた。

 後にわかったことだが、その理由が「人と同じ姿を保てるハイスライムならば、人族と同じ権利を保障する」という、信じるにも値しないような人族側の甘言を信じたのだと知った時、あまりの愚かさに愕然としたものだ。


 ハイスライムの裏切りは、"もし順調に進んだなら"こうなる予定だったらしい。

 ハイスライムが魔王軍の左翼を混乱させた後、人族が軍を進めて魔王軍右翼を攻撃。

 時間稼ぎをしているうちに、人族はそのまま魔王軍を包囲し、勝利する。

 その功績をもって、ハイスライムは名誉人族として市民権を得る……。


 もちろん、そうはならなかったが


 人族はハイスライムが裏切った直後、無情にもハイスライムたちもろとも左翼一帯に大規模攻撃魔法を放った。

 混乱していた左翼は防御魔法を展開させることもできずに一撃で半壊、裏切ったハイスライムたちにいたっては、大規模魔法の直撃を受け生き残りは数十人もいなかった。

 もともと人族には、いくら姿を寄せることができようと魔族の一種族であるハイスライムを厚遇するつもりなどなかったのだ。

 当然のことである。


「大規模魔法により左翼崩壊っ! そっ、それにあれはっ……使徒『神剣』です! 使徒の率いる一団が左翼に突入し、中央の側面へと突撃を開始しました!」


「……アレを放っておけば、中央までも無防備な横っ腹を突かれる形になるな。俺が『神剣』を止める。撤退の指揮は任せたぞ」


「ま、魔王様っ!? 『神剣』は過去にあのアルメディア様が作られた魔鉄鋼製のゴーレムすら切り裂いています! 混乱した戦場に魔王様をおびき出し、討ち取ることが敵の真の狙いかもしれませんっ!」


「どちらにせよ、止めねば魔王軍は戦い続けられるだけの戦力を失くして終わりだ」


 ――結果的には、魔王軍は壊滅しなかった。


 強襲してきた敵の使徒『神剣』を逆に討ち取り、勢いのまま追撃しようと気を逸らせていた敵指揮官の首を取ることで、追撃を阻止することができたからだ。

 だが周りが敵だらけの中、勇者を除けばもっとも近接戦闘に長けた使徒である『神剣』を相手に俺が生き残ったのは、本当に運が味方したに過ぎない。

 あとほんの少し俺が弱ければ、首だけになっていたのは俺で、魔領はあの日を契機に滅んでいただろう。

 それだけの窮地だった。


 そして戦後、俺は瀕死のハイスライムの長を戦場の跡で見かけた。

 普段は人に化けているハイスライムだが、腹部より以下のコントロールが効かないようで、既にその姿を維持しきれないような状態。

 当時は再生の秘跡の存在も発見されていなかったため、そこまでの重傷を負った魔族を救う術はなかった。


「……魔王ディルグよ、すまなかった。だが、あれしかなかった。我らが生き残るには、人族につく以外ないと本気で思っていたのだ。……奴らに、目の前で同胞を焼き尽くされるまでは……」


 死に至る程の苦痛に喘ぎながら、ハイスライムの長が言った言葉だ。

 それを聞いた瞬間、俺に付き従っていた魔族たちが、『魔獣上がりの低能種族が』とハイスライムをあざ笑い、罵倒したのを覚えている。

 俺もハイスライム族長は、種族を率いる族長にあるまじき愚かな判断をしたと思った。


「……すまなかった、リーゼ。すまなかった、エト。すまなかった、アルシア。……すまなかった……愚かな父をどうか許してくれ、シャルミア……」


 だが朦朧とした意識の中で、死の間際まで同胞への謝罪を続けていたハイスライム族長の深い悔恨を、その一言だけで切り捨てることはできなかった。


 ハイスライムという種族は、その亜人というよりは魔獣に近しい性質から"魔獣上がり"と蔑まれることもある。

 しかし、決して魔獣のように知能が低いわけではないのだ。

 事実、当時ハイスライムの子供であったシャルミアは、この戦いの後魔王軍に志願兵として参加し、怒涛のように功績を上げ続け、最終的には魔王軍副官にまで昇りつめた。

 策略を含め間接的に人族を殺した数で言うならば、魔王である俺よりもシャルミアの方が多いと言える程。

 今となっては、魔獣上がりなどとシャルミアを侮蔑できるような魔族はどこにもいない。


 ……何がハイスライム族長に愚かな判断をさせたのか。


 人族との戦争を振り返れば、答えは簡単だった。

 それは敗北の連続。

 奇襲から始まったこの戦争で、魔領の南部は大半が既に灰となり、南部を丸ごと見捨てて防衛線をキュールグラードまで下げる他ないという程の劣勢だ。

 魔族は人族に決して勝てず、いつか皆、無残に殺されてしまうのだという――絶望だけがそこにあったのだ。


 死の恐怖は戦いに向かう足をすくませ、判断力を鈍らせる。

 俺がバラバラだった魔領を統一し魔王軍を結成してからはマシになったといえども、戦場は勝ちを拾えることの方が少なく、日に日に戦線はジリジリと後退していく。

 そしてそんな現実を見続け、怯え、絶望したハイスライム族長の目の前に現れたのが、人族の甘い嘘である。


 ……ハイスライムの長は嘘を信じたのではなく、嘘に『縋りついていた』。


 それを理解した時、俺は自分の在り方を変えた。

 魔族が戦争を続け生き残るためには、精神的支柱が必要だった。

 それも絶望の中にあった魔族が最後に縋れるような、圧倒的に強い柱が。

 ……きっと俺が『魔族の義勇兵たちを率いる一人の牛鬼族戦士』から、本当の意味で『魔王』になったのは、この日だったのだろう。


 ――最強の魔王たれ。


 それはかつて俺が戦乱の中で学んだ教訓であり、俺自身に課した義務であり――魔王を名乗る以上、そうあらねばならないと信じているものだ。

 だからこそ、『最強の魔王ディルグ』が誰かに舐められるなど、決してあってはならないのである。

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