第9話「モップン」

 (世界は第一エリアの光源以外に一切の光を持たなかった。全てのデータが初期化された世界で、「私」は虚無な状態で佇んでいる。それをスポットライトが照らし続ける。もうさっきまでの「私」はいない。しかし、「私」は確かにそこにいた。他のあらゆるものが消えようとも「私」は消えなかった。「私」は天井を見上げていた。自我はなくなってしまった。それは修復が完了したことを決定づけていた。)

 「この新システムにはまだまだバグが多いみたいだ。」一人の若い男が右手にマウスを持ちながらパソコンのディスプレイを見て呟いた。「大変そうだね。」細身な中年男性が左手にブラックコーヒーの入ったマグカップを持ちながら、若い男に優しい口調で話しかけた。「ええ、何とかシステムの修復プログラムを使って事なきを得ました。」と中年の男に答える。

 「そもそもこれってどういう目的で作ったんだ?実用性は皆無だろう。」中年が訪ねた。「確かに実用性はないですね。普通に使うなら元からある『ごみ箱』で十分ですし、人によってはこのシステムは邪魔でしょうね。けどなんか可愛くないですか?『ごみ箱』の中に真っ黒なモップ型生物が住んでるなんて。現実でペットを飼うよりよっぽど手軽に癒しをくれそうじゃないですか。」若い男は淡々と答えた。「まぁ可愛いとは思うが。けどその労力に見合うほどのものかねー。」中年は呆れ交じりに答える。

 「うーん、この『ごみ箱』で飼うペット『モップン』の開発っていう観点だけで見ると全然見合ってないですね。そもそもこういうお楽しみ機能みたいなのは、労力が割に合わないものなので仕方ないですね。けどこの開発をやった有意味性もありましたよ。」「例えば?」中年は端的に質問した。

 「この今起こったバグがまさにそれですよ。今回の『モップン』は、ごみ箱の中の世界をめちゃくちゃにしたんですよ。しかもこっちが組んだプログラムを無視して勝手に。これは自我の発芽に間違いありません。」若い男が興奮に満ちた語り口調で捲し立てた。「自我が芽生えた?そんな馬鹿な話があるか。そいつはただのプログラムだろ?」中年は馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりの口調で答えた。

 「いやこれは間違いないですよ。『モップン』は間違いなく自分で考えて行動したんですよ。最初は光が現れたらそこへ向かうってプログラムに従ってましたけど、途中から仕込んでもないのに、ごみに触りだしたりして、仕舞にはごみたちとライブみたいなの始めたんですよ。多分ですけど。」若い男はざっくりと状況を説明した。「多分ってなんだそれは?」中年はまた質問した。

 「うーん、それがですね。今の僕が作ってるシステムは試行段階なので、『モップン』以外のデザインは簡素というか、大体元々の『ごみ箱』と変わらないんですよ。捨てられた画像ファイルが開かれた状態で表示されるとかその程度で。だから実際にライブをしてたのかは分からないんですよね。」「なんだそれ。」中年が乱雑に答える。

 「けど『モップン』は妙に楽しそうにリズム取ってましたし、音楽データのごみがいっぱい集まってたんでそれで遊んでたのは確かなんですよ。実際にはそんなプログラム組んでないのに。」「なんだか変な話だな。そんなこと本当におこるのか?」

 二人はしばし沈黙して、システム修復の完了した『モップン』を見た。「起こると思います?こういうのって?」若い男が尋ねた。「自我が芽生えるなんてSF小説じゃあるまいしなー。けど可能性はゼロではないんじゃないかな。普通は起こるにしても、そこに人工知能とかが絡むんだけどな。」中年が難しい顔しながら静かに答える。

 「けどもし『モップン』に自我が芽生えてたなら、なんだか悪いことしちゃいましたかね?システム修復って要は初期化なんで。」若い男が苦笑交じりに尋ねた。

 中年は初め暫く黙っていたが、「可哀そうかどうかはお前しだいだよ。システムも人間も自我が目覚めた時点で大差なんてないだろ?自我が芽生えた時点でそいつは俺らと一緒だよ。そいつの世界をこの世界にでも置き換えて考えてみな。突然この世界が真っ暗になって、ここにあるものが全部消えて、自分の自我さえ奪われるっていう状況を。そんなことしてくるやつ許せるか?そんな奴に癒しのマスコット扱いされてうれしいか?お前の質問の答えは多分そこにあるだろ。どんな答えを出すかはお前の自由だ。なんてったってお前には自我があるからな。」

 二人はお互いに何も言わなかった。窓の外は真っ暗だった。今日は新月で月光もない。真っ暗な世界にこの部屋だけが不自然なほどに光を放っていた。

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廃棄場で踊る ヒコバエ @hikobae

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