解体

     ◆


 何の会議かは、誰も知らなかったらしい。

 四谷の地下にある拠点で、会議室に椅子が並べられ、おおよそが埋まっていた。総勢で五十名程だ。

 そこには俺たち、俗に試験班と呼ばれる集団と、技術班と呼ばれる集団、それぞれの全員がいることになる。

 我らがボス、カナイさんの姿はないが、これから来るのだろう。

 俺の横にはカオリがいて、この五分間に二度、適当な話題を振ってみたが、この無愛想な実働部隊の指揮官は控えめな笑みを返すのと同時に、「ええ」と「そうですね」しか答えなかった。

 俺はタバコを吸う習慣はないが、斜め前の席にいるワタライさんは明らかにタバコを求めている。

 おしゃべりをしているのは、並んで座っているレイカ、カナエ、そして我らがお人形ことカリンで、カリンがここにいるのも事態の大きさを示している。普段はほとんど隔離されているのだ。

 我らが切り札として。

 ジョーカー。

 無敵のカードだ。

 しかし今は三人の年の近い女子同士、この場にそぐわない、下北沢にある古着屋について話している。リードしているのはもっぱらレイカで、カリンは質問役、カナエはほとんど無反応に見える。

 まぁ、こういう光景を見ると、新宿御苑を襲撃されたのも遠い昔で、組織は平常運転に戻ったと思っていいのかもな、と俺なんかは思う。

 俺を拾ったのはカナイさんだが、それ以前に幸運だったのは、血液検査で能力が露見するまで、ひっそりと生活できる程度に能力に習熟していたことだ。

 もし俺が不完全だったりすれば、カナエが受けたと聞く人体実験まがいのことをされただろう。

 そう思うと、ここにいる実験班の連中は俺たちの天敵のようだが、向こうもこちらも仕事だし、その仕事は国家計画の一環だ。あまり文句も言えない。

 技術班の連中には何度も検査や実験やら試験やら、そういったことへの参加を求められ、全部に応じたが、彼らが何かを発見した、重大な発見をした、という話は聞かない。

 きっと科学の進歩は早いようで、遅いのだ。

 俺が生きているうちには何も発見はないし、ここにいる実験班の科学者だが研究者も、死ぬまで何も発見しない。

 その代わりに次の世代か、さらに次の世代がデータを蓄えて、計算を続けて、そうしてやっと本当の発見に行き着く。

 人間はそうやって、自分が死んだ後に何かを託すことを繰り返してきたとも言える。

 そんなことをぼんやり考えていると、扉が開いて、カナイさんが入ってきた。続いて、技術班のリーダーのナカハラ・セラという女性科学者が来る。

 驚いたのは、最後に入ってきた男性が、ビッグボスなどと呼ばれている、カンダ・ソウギだからだ。

 彼は警察官僚で、エリートである。階級は警視だったはず。しかもまだ四十には達してない。

 この部屋の全員が驚いたようで、気づくと沈黙がやってきて、その不自然な静けさの中で三人が並んで座った。

「今日は重大な通達がある」

 司会役もいないので、自然、カンダさんが低いよく通る声でいきなり言った。

 全員の視線が集中しても、落ち着きは少しも揺るがず、堂々としていた。

「我々の組織は、一ヶ月後をめどに解体される」

 解体……?

「ここにいる全員には、おおよそ希望する配属先に異動できるように取り計らう。国家機関、学術組織、民間の研究所でも、おおよその無理は通せる。いくつかの守秘義務は全員に発生するが、それは今の守秘義務とほぼ同じレベルだ」

 待ってください、と言ったのは技術班の青年で、律儀に挙手している。

 ここは学校かどこかか、と危うく言いそうになったが、そんなジョークに誰かが笑うような雰囲気でもないのでやめておいた。

 その青年が本当に学校よろしく質問した。

「研究データはどうなるのでしょうか。破棄でしょうか」

「警察庁、総務省、防衛省、それと厚労省において厳密に保管される。試験班の今までのデータの大半は厚労省と総務省、文科省で管理されるだろう」

 青年は顔を俯け、着席した。

 それからいくつかの質問があったが、おおよそは技術班からで、この組織にはあって他にはない設備の問題、外部とこの組織の技術水準の格差の問題など、そんなところだ。

 俺が危うく椅子から転がり落ちそうになったのは、隣でカオリが挙手したからだ。

 カンダさんが視線を向けると、カオリはすっくと立ち上がった。

「私たちが、国外へ出ることは許されるのでしょうか」

 この質問も驚きだ。

 意図はすぐにわかる。カオリの指揮する実働部隊を、国内の組織、たとえば警察や自衛隊などといった武装が公に許される場所ではなく、国外、もっと言えば国際的な民間軍事会社などで雇ってもらえるかどうか、それを確認しているのだ。

 しかしなぜ、そんなことをする?

 警官でも自衛隊員でもやって、余生を送ればいいじゃないか。少なくとも俺ならそうする。

 好き好んで戦場に立ちたがるものが、そんなにいるとはとても思えなかった。

 カンダさんは少しの沈黙の後、外務省との交渉が必要だが努力しよう、と初めて歯切れの悪い返事をした。

 ただ、カオリは特に追及しなかった。その様子は、別に許可などなくても勝手にやる、とでも言いたげで、やや不穏だ。

 それからはもう誰も言わず、あとは班長の指示に従ってくれ、とカンダさんは退出していき、カナイ、ナカハラの二人がそれぞれの部下を固まらせた。

「なんで組織を解体するのです?」

 開口一番、ワタライさんがカナイさんにそう声をぶつけた。こうして試験班だけで集まるまで、押しとどめていたようだと口調でわかる。

 一方のカナイさんは冷静だ。

「私たちは少し目立ちすぎた、ってことね。そして身を守ったがために、いざこざを抱えてしまった」

「外務省の陰謀のことですか」

「国内の治安維持に貢献する、というのが私たちの組織の一つの目的です。それが今、内部抗争の火種になっている。総務省、厚労省、防衛省、それらが入り乱れる大規模な混乱は避けるべきだとあなたもわかるでしょう?」

 理屈ではね、とワタライさんが唸るようにいう。

 それがどこか聞き分けのない子供を連想させて、俺は忍び笑いをしてしまった。ワタライさんにめちゃくちゃ睨まれたので、すみません、と謝罪するが、その声も震えてしまう。

「私たちはどうすればいいですか?」

 そう質問したのはレイカで、なるほど、それを最初に聞くべきだったな、と俺も気を取り直した。

 能力者が一般人のふりをして社会に溶け込むのは、実際、それほど難しくはない。

 問題は、どこかの組織に狙われる可能性だ。

 能力を持っていれば、それを利用したいだろうし、それ以前にこの組織に参加したことで、俺たちはただの能力者以上に様々な情報や事情に通じてしまっている。

 外国の勢力に限らず国内の勢力でも、俺たちを確保したいものはいるだろう、と考えるのが普通だ。

「とりあえずは、警察庁から常時、護衛を張り付かせることは可能だと返事をもらっています」

 カナイさんがそう言った時、俺は思わず唇を舐めていて、レイカが不安そうな顔になり、カオリは目を細めた。カナエは無反応だ。

「つまり、私たちに自由はないってことですか?」

 そうレイカが確認すると、契約書にはその項目があったわよ、とカナイさんは笑っている。

 確かに、契約の中に、危険を受け入れる条項も、監視や警備を受け入れる条項はあった。俺はよく覚えている。

 ただ、いったいいつまで、俺たちは監視され続けるんだろうか。

 死ぬまでだろうか。

 それはどことなく、恐ろしい気がした。

「退職金って出ます?」

 いきなりそう発言した声に、全員がそちらを見た。

 そこには目立たない様子で、女性が一人立っている。

 つい最近、仲間に加わったばかりのササキ・ハルカという名前を名乗る、発火能力者だ。

 カナイさんは申し訳なさそうな顔になった。

「あなたはまだ、日が浅いから、形だけになるでしょうね」

「そんな私でも、職は斡旋してもらえる?」

「もちろん。あなたは貴重な人材ですから」

 ならいいです、とあっさりとササキは引き下がった。

 不思議な女だが、嫌な感じはしない。どこかふわふわした、とりとめのなさがあると彼女を見ると感じる。風に吹かれる草、気流に乗って飛び続ける鳥、自由自在な生き方、そんなものが連想されるのだ。

 配属可能な異動先を一覧にして各自の端末に送るので、それを見て身の振り方を決めてくれ、とカナイさんは言って、それで解散になった。実験班の方ではだいぶ激論が交わされているが、俺たち試験班は揃って部屋を出た。

「どこかで傭兵でもやるのかい」

 カオリがすぐ後ろにいたので、肩越しに振り返ってそう確認すると、彼女は微かに笑った。

「技術が錆び付くのが一番よくないから」

「自衛隊の訓練じゃ、生ぬるいのかな」

「訓練は訓練、実戦は実戦ね」

 まあ、それもそうか。

 俺もこの組織に所属して活動する中で、修羅場と呼べるものは何度もあった。

 死を意識したことだってある。

 実際の生死の境は想像は遠く及ばないし、訓練とはまるで違う。

 そこには二度目がない。

 終わるか、終わらないか、その二択を強いられる。

 その時の負担は、なるほど、カオリがいう実戦という奴の中にしかないかもしれない。

「あなたはどうする?」

 珍しくカオリの方からそう質問してきた。

「俺か? そうだな、どこかで事務員でもやるさ」

「事務員……?」

「そう。普通の人間のふりして、書類仕事をする。それが一番の理想だな」

 理解できない、という表情のカオリが可笑しくて、思わず笑っていた。

「誰にも命を狙われないし、誰かを監視したり、心を覗き込んだり、そういうことをしないでいい仕事。安全で、平凡で、健全な仕事に就きたいってことさ。こんなヤクザな商売じゃなくてね」

「今の仕事が嫌い?」

 そう言われると、答えに困るな。

 どうかな、などとお茶を濁しながら、自分の感情をもう一度、考え直した。

 やりがいのある仕事だった。充実してもいた。

 自分が求められていると感じたし、それに応えることができる自分が誇らしいこともあった。

 ただ、やはり何かがおかしい。

 俺がいるべきではないのではないか。能力云々以前に、何かが余計なのか、もしくは何かが足りないか。

「嫌いじゃないが、向いていないな」

 そう答えると、そんなこともないはずだけど、とカオリが低い声で応じる。嬉しいことを言うじゃないか。

「そうかい? 意外にこれで、必死だったさ」

「なら私こそ、向いていない」

 珍しくカオリが躍起になっているが、それは俺も同様のようだ。

「あんたの技能は必要だったさ。なんせ俺たちは、誰も格闘技だの射撃だの、そういう技がこれっぽっちも使えない」

「だからこそよ。私たちは、社会とは別の場所で呼吸して、別のものをすすって生きている、そういう人種なんだから」

「かもしれないな」

 もう少し何か言い返しても良かったが、それはやめて、矛を収める気になった。さっきまでの不自然な衝動は、どこかへ消えていた。

 実は誰もが、自分自身の不足を意識して、それをどうにかしようとしているのか。

 それがうまくできるものと、できないものがいる。

 あるいは、どこかで折り合いをつけて、諦めるのか。

 それから半月をかけて、俺は次の職場を見つけた。

 事務職がいい、と繰り返し要請して、その度に別の仕事はどうかと返事があったが、ごり押しをした。そして結局、地方にあるスキー場の事務職という、訳のわからない職場が斡旋された。

 冬はスキー客であふれ、春から秋の間はゲレンデがあるところに一面の花が咲き誇り、それはそれで人がやってくるらしい。

 一度、東京を離れて面談を受け、不機嫌そうな中年男、背広ではなく作業着を着ているその責任者は、憮然とした口調で「もういいですよ」と面談を中途半端に切り上げた。

 別に腹も立たないし、心を覗いてやろうとも思わなかったが、感触としては採用される、と俺は見ていたし、実際、三日後には採用の通知が来たのだから、俺の目もそれほど狂っちゃいない。

 四谷の地下の施設は大規模な引越しの最中で、俺も自分のデスクを片付けるのだが、保存するものと破棄するもので取捨選択しないといけないし、いちいち、確認を取る必要もあって、遅々として進まない。

 今回の撤収を指揮している事務員のチームがあるが、明らかな人手不足で、俺が判断を仰いても、返事まで半日かかるのもざらだった。そうして確認が渋滞していく。

 同じような状態なのだろう、ワタライさんが俺を喫煙室に誘ってきた。

 通路を歩きながら、すでにワタライさんはタバコを一本、箱から取り出していた。

「お前、地方に引っ越すのか?」

 そう言われて、俺は、そうします、と頷いた。

「精神感応能力者が、地方で何をやる?」

「スキー場の事務です」

「スキー場……? お前、スキーの経験があるのか?」

「いえ、まったくありません」

 これだからなぁ、とワタライさんは唸っている。

 喫煙所は混雑していて、煙が立ち込めている。技術班の連中もいて、向こうも事務手続きが滞っているようだ。

 やっとワタライさんがタバコに火をつける。俺は未だに喫煙の習慣がない。しかし他人が吸っていても気にはならない。ただ高い金を払ってタバコを買う気になれないだけだった。

 何せタバコという奴は、全部が煙と灰になってしまう。

「ワタライさんはどうするんです?」

 こちらからそう話を向けてみると、オマワリに戻る、と返事があった。

「へぇ、警官ですか。警視庁、じゃないですよね。やっぱり地方ですか?」

「ど田舎のな」

「元の鞘ですね」

「バカ言うな」

 ワタライさんが顔をしかめる。本気で嫌そうだった。

「この組織に所属していたことで、俺の経歴ははっきり言って傷だらけだよ。どうせ警察に戻っても大して出世はできないし、どこかで駐車違反の切符でも切るか、書類仕事だろう。お前と同じ未来かもな」

 それは悲しいですね、などと口にしたらきっと怒られるので、うーん、と唸っておいた。

「ヒルタ、お前、本当にスキー場だかの事務員で一生を終わらせるつもりか?」

 意外に鋭い眼差しが俺の瞳に据えられる。

 参ったな。

「それも悪くないっていうか、世の中の人間の大半は、平凡で、当たり障りがなくて、輝きもしなければ曇りもしない、そういう人生を生きると思いますよ」

 沈黙。

 聞いたようなことを、と言って、ワタライさんがため息を吐くように煙を吐き出した。

 それからワタライさんは、自分の娘の話をし始めた。何度か聞いているが、職場が変わってもなかなか会えないだろうと嘆いているのは、どこか滑稽だ。

 秘密組織にいるがために会えなかったのが、今度は単身赴任のせいで会えない。

 ままならないものだけど、世の中、こういうすれ違いもままあると言える。

「面白かったんだがなぁ」

 ワタライさんがそう言っても、俺はどうも答えられなかった。

 面白かったことには面白かった。

 ここで終わりになるのは、どこか惜しい。

 ただ、いつまで続くかわからない、不安定な場所でもあった。

 それが今、終わりになるのだ。

「そうですね」

 やっと俺がそう返すと、今度はワタライさんが黙った。

 それから俺の携帯端末が音を立て、事務員からの返答がやっときたことを伝えた。

 行きます、と俺はワタライさんに断って、喫煙室を出た。

 一人で通路を歩きながら、つい一週間前に実際に見たスキー場の様子を思い出した。

 季節は秋で、花が咲いていたが、どこか鮮やかさは欠いていた気がする。

 冬が来て、真っ白になれば、またイメージも変わるだろうか。

 あの場所が俺が生きる世界になる。

 それは闇の中、誰にも知られない世界ではない。

 まずはそれに、慣れなくちゃな……。



(続く)

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