変質し続ける夢

     ◆


 男が二人、部屋に飛び込んでくる。

 黒一色の戦闘服。

 手にはサブマシンガン。

 発砲。

 光が弾け。

 衝撃。

 私は撃たれた。


     ◆


 部屋を駆け出す。すぐそばには顔見知りの男。服は私服で、手には拳銃。

 通路の先から戦闘服の男。

 銃撃が交差し、銃声が混ざり合う。

 黒ずくめの戦闘員の男が倒れる。私の横でも私を守った男が倒れる。名前は、なんだったか。

 逃げないと。

 駆け出す。

 通路を折れる。そこには非常時の脱出路がある。

 しかし出迎えたのは二人の戦闘服の男。

 サブマシンガンの銃口が二つ。

 引き金を引くのに躊躇いはない。

 閃光。

 視界に白い影。


     ◆


 私は走っている。非常時の脱出通路が使えないのはわかっている。

 誰の襲撃だ?

 今は二人、私のそばに男がいる。やはり名前はすぐ思い出せない。なぜ?

 隠し通路へ向かう。前方から二人、戦闘服の男の黒い姿。

 閃光。銃声。血しぶき。

 戦闘服の二人が倒れるけれど、こちらの味方も一人、倒れる。

 反射的にしゃがみ込み、彼の胸の銃創を押さえる。しかし非情に、血液の流れが止まることはない。

 痙攣を始める男から、もう一人が私を引っぺがし、手を引いて駆け出す。

 私は知っている。

 向かっている先の、荷物を搬入する裏口には敵がいる。

 私はそれを夢で見た。

 通路を飛び出す。倉庫に入る。人の気配。

 私はすぐ横にいる、明かりをつけようとする男を突き飛ばす。

 体に衝撃。

 意識が暗転。

 いや、元から部屋は暗い。


     ◆


 目を覚ましたとはすぐには理解できなかった。

 夢か。

 全部が夢。

 意識を覚醒させるのを待つ余裕はなかった。私は寝間着のまま、髪の毛をとかすこともなくベッドを降りた。普段なら室内だとしてもスリッパを履くけど、それさえもできない。

 余裕は全くない。

 部屋を飛び出す寸前に、素早く時計を確認。

 七月二十九日、二十二時三十一分。

 私は夢の中で何度も七月二十九日の二十二時四十分を見た。

 その時、この施設、新宿御苑の地下施設は正体不明の武装集団に襲撃される。

 部屋を飛び出し、通路を走った。素足のままで、床が冷たく感じられる。

 時間が時間だ、人の気配はないに等しい。

 頼りになりそうな能力者は元からいないが、今の時刻、おそらくヒルタもレイカもいないし、カナエはもちろんいないだろう。

 つまり施設が占拠されたとしても、組織がその指揮統制能力を失っても要である能力者たちは残ることになる。

 しかし犠牲は減らさなければ。

 通路を駆け抜け、我らがボス、カナイ・アヤメの部屋に飛び込んだ。ドアのロックは私だけが知っているパスコードで解除できた。

 彼女は私がいきなり入ってきたことに、それほど動揺しなかった。

「来る時が来たようね」

 いつも通りに冷静な、落ち着き払った声で言うと、彼女は席から立ち上がりもせずに、どこかに電話をかけ始めた。しかも同時に二つの受話器を左右に持って、やりとりし始める。

 少しすると二人の男がやってきて、それはカオリの部下である。戦闘訓練を積んだ、実働部隊。彼らはほとんど無言で私に服を着せ、そして上からパーカーのようなものを羽織らせた。

「技術班で開発中の防弾素材のベストです。気休めですが」

 名前を知らない男にそう静かな声で言われて、変に落ち着いた。

「いつになりそう?」

 カナイがこちらに声を向ける。

「二十二時四十分よ」

 私が言うと彼女は頷き、手の動きで私を避難させるようにボディガードに指示した。

 時計を見たい。

 そう思った瞬間、低い音と振動が床を伝わってきた。

 部屋の時計を探す。あった。二十二時三十九分。

「嬉しくない誤差ね」カナイが微笑む。「警戒システムを作動させて、脱出路以外の隔壁は閉じてあるわ。今のはほんの挨拶、〇番通路の隔壁の一枚を連中が爆破した音でしょう。こっちが読んでいるのも、織り込み済みね」

 言いながら端末を操作して、カナイが今度こそ席を立った。

 彼女が自ら私の護衛をしてくれるのは、正直、ありがたい。

 通路に出ると、どこか空気に焦げ臭い匂いが混ざっていた。

 それよりもサイレンが鳴り響いていることが、私の気持ちを緊張させた。

 これは夢の中での出来事ではない、現実のそれだ。

 四人で固まって通路を進む。通り過ぎたところでは隔壁が自動で降りていった。

 またも低い音と振動。

「どこの誰かは分かっているの? カリン」

「わからないわ。アジア系、しかし言葉をしゃべっていないから、はっきりと国籍はわからない。服や装備にも特徴はない」

「困ったわね。規模は?」

「不明」

 また重低音。今度はだいぶ近い。

「そろそろカオリが到着するでしょう」

 こんな時でも、カナイは動揺も狼狽もしなかった。

「カオリが来れば、敵も手を緩めるはず。イイダくん、オキガワくん、彼女をよろしく」

 その一言に、思わずカナイの顔を見るが、彼女は平然とした顔でこちらを見返した。

「私は少し、ここで踏み留まるから、先へ行って」

「カナイさん!」

「これは命令よ、カリン。いずれ、この落とし前をつけるとして、あなたの力は不可欠よ」

 答える前に、ボディガードのイイダ、オキガワの二人が私の腕を掴み、足早に通路を進む。

 カナイはもうこちらを見なかった。すぐに隔壁が閉まり、彼女は見えなくなってしまった。

 どうしようもない、

 今は、生き延びるしかない。

 向かっている先は緊急時の脱出路だけど、私はそこが危険だと二人に告げた。では、物資搬入口は、と聞かれたので、それも危険だと説明する。

 そこはさすがに組織の人間だけあって、私の言うことを疑ったりはしない。

「通風孔なら大丈夫かもしれない」

 私は自分で言っておきながら、かもしれない、とは何事かと思っていた。

 予知能力を買われてここにいるのに、かもしれない、と付け足さないといけない予知なんて、なんの役にも立たない。

 私が自分に自分で腹を立てる時間的余裕もないし、二人の護衛もあっさりと頷いた。

 議論の余地はないのだ。

 まともに検討する時間も残されていない。

 やり直しも効かない。

 ここは夢の中ではない。現実だ。

 三人で通路を走る。隔壁が開いて、私たちを誘導する。

 目の前で開きかけた隔壁が、突然、バラバラになってこちらに向かってきた。

 悲鳴をあげそうになりながら、護衛が私に覆い被さってくるのがスローモーションに見えた。

 耳が聞こえない。至近距離の轟音のせいだ。

 視界は煙でゼロ。倒れたまま顔を上げると、爆煙の向こうで銃火が瞬く。

 すぐそばで焦げ臭い匂い。イイダが発砲。オキガワは私に覆い被さったまま。

 私は目を閉じないことだけを考えた。

 やがて煙が空調の換気機能で消えていき、そこには戦闘服の男が三人、倒れていた。隔壁には人が一人通るのに十分な穴が空いている。

 私は立ち上がろうとして、オキガワが少しも動かないのに気づいた。

 不吉な重みが、私にのしかかっている。

「行きましょう」

 まだ機能を回復しない耳に、かすかにイイダの声が聞こえる。オキガワから流れた血が私の服を濡らしていた。

 イイダも負傷しているようだが、素早く動いた。私はほとんど引きずられている。

 空調のための巨大な装置が収まった部屋に辿り着く。安置された装置から、天井に三本の巨大な四角柱が伸びている。イイダが端末で空調を停止させる。そして素早く四角柱のパイプの一つを破壊し、人が通れる穴を開けた。

「自力で行けますか?」

 そう訊ねられ、行ける、と私は頷いた。イイダが少し申し訳なさそうな顔になった。

「俺は腹を撃たれています。おそらく、地上へは上がれません。一人で行ってください」

 何を言っているか、すぐには理解できなかった。

 この時になって彼の左脇腹が真っ赤に染まり、そこから流れた血がズボンを濡らしているのがわかった。視線を向ければ、周囲の床には血の足跡が無数に残されている。

 この重傷で、ここまで私を導いたのだ。

 私一人を逃がすために。

 しかし、一緒に逃げよう、とか、一緒に戦う、などとは言えない。

 私に彼を逃がす力はない。一緒に戦う技能もない。

 役立たずだ。

 私は唇を噛み締め、ありがとう、とどうにか言葉にした。

 イイダは一度頷き、部屋のドアが見える位置に移動し、拳銃の交換用の弾倉を床に並べた。ここで敵を食い止めるのだろう。

 私はパイプの中に入り、両手足を突っ張って上へ向かった。

 地下施設でも、それほどの深さではない。新しく建築したので、大規模な土木工事が不可能だったのだと聞いている。

 パイプの中はかび臭かったけれど、そんなことにかまってはいられない。

 張り付いた埃で手が滑り、そのたびに冷や汗をかいた。

 そんなことも、銃撃戦に飛び込むよりは、よほど安全だ。

 大丈夫。逃げられる。

 パイプの中を下の方から銃声が伝わってくる。もう何も考えないしかない。

 パイプは本当に短く感じた。終着点は金属製の網だ。ファンが間にあれば脱出できなかったと、ぼんやり考えた。

 目の細かい網を渾身の力で叩く。外れない。と、外で人が動く気配がした。

 なんだ、と思う間もなかった。

 いきなり網が吹っ飛び、ぬっと伸びてきた腕が私の襟首を掴む。

 引っ張り上げられ、地面に叩きつけられた。草と土が口の中に入る。不快な味。

 相手はこちらの背中にのしかかっている。

 一人、いや、二人だ。どちらも見えない。計算された立ち位置。

 先回りされていた。

 唐突に重い音がして、男が一人、倒れた。鋭い、何かが風を切る音がその向こうで遅れて響いた。

 私はやっぱり、目を閉じなかった。

 私を組み伏せている男が周囲を警戒し、次には頭が割れて、倒れこんだ。

 血まみれになって、私は起き上がる。

 誰? カオリか?

 駆け出そうとして、さっき叩きつけられた時だろう、左膝が激しく痛んて、動けない。すぐそばにあった名前もわからない木の幹まで這い寄った。両手を駆使して、やっと立ち上がった。

 そう、ここは新宿御苑。どのあたりだろう。周囲は木立だけれど、それほど樹木は密集していない。すぐそばに電灯がある。しかし時間からして閉園後。

 それよりもレイナは私をどうやって狙撃した?

 敵にも狙撃チームがいるのでは?

 なら私を救ったことで、カオリが狙われる可能性もある。

 もしくは、私を先に狙ってくるか。

 強烈な衝撃が胸にぶつかったのは、そう考えていた時だった。

 胸の中心が内側にめり込み、押しつぶされ、弾丸が背骨を見事に粉砕し、肉と骨と血と一緒に背中側へ吹き飛ばした。

 そうして私は絶命した。


      ◆


 まったく、こんなことになるんだから。

 私は草むらの真ん中に倒れている自分を理解して、立ち上がった。

 脱出する時、イイダに渡されたスマートフォンに着信。相手は不明だが、私はすぐに出た。

「無事ですか?」

 カオリの冷ややかな声。こんな時でも感情は最低限だ。その最低限の不安に、私は少し笑いそうだった。

「胸がものすごく痛いけど、生きてはいるわね。あなたは?」

「敵の狙撃チームは排除しました。脱出ルート、十一番が確保されています」

「地下は?」

「不明です。犠牲者が出るでしょうが、それは敵も同じです。警視庁、それと非公式に自衛隊にも応援を要請してあります」

 いいでしょう、と私は応じて、自分の命を助けてくれた胸を覆う、二枚の特殊金属製の板をベストごと外した。

 これじゃあまるで、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。

 草むらが動き、やってきたのは顔見知りの実働部隊の男。名前は、イシヅカ。

 こちらへ、と案内される方へ進む。脱出ルート十一番。

 そのまま私は新宿御苑を無事に、秘密裏に脱出した。サイレンがすぐそばで鳴っていて、それは地下施設の警報音ではなく、パトカーのサイレンだ。どこの組織がどう動いているのか、ヘリコプターのローターの低い音さえし始めた。

 騒々しい夜だこと。

 私はイシヅカと二人でタクシーで四谷まで行き、そこから駅員用の扉から四谷駅の駅舎のバックヤードへ入る。

 そこでさらに地下へ。

 ここは駅員でも知らない。工事関係者も厳密に身辺調査されていて、口外すると相応の報いが与えられると自覚してもいる。もちろん、その自覚に頼るわけもなく、全員が秘密裏に監視されてさえいる。

 それでも新宿御苑が襲われるのだから、ここも絶対に安全ではないか。

 秘密の地下通路は非常灯だけで薄暗く、やはりカビ臭く、埃の匂いも濃密だった。最近では使われていないのだとそれで知れる。

 部屋の一つに入ると、そこは食堂だったらしい場所で、椅子とテーブルが並んだままになっていた。

 前に見た通りじゃないか。

 そう、ここに最後に来たのは、三年前だった。夢ではなく、実際に私はここにいた。組織の黎明期に、あるいは揺籃期に。

 椅子の一つに静かに腰を下ろすと、壁際でイシヅカが直立した。

 沈黙。不安が拭えない時間が静寂の中で過ぎていく。

 少しすると最初に顔を見せたのはオキガワで、次はカオリ、そしてイイダがやってきて、他に数名の実働部隊の顔ぶれが揃ってから、まるで満を持したようにカナイもやってきた。

 カナイは少し疲れているようだが、怪我はないらしい。ただ服装は少し乱れていた。

「人的資源は最低限は守られたようね」

 カナイが席に着くと、すでに用意されていたミネラルウォーターのペットボトルが差し出された。非常食としてこの地下施設に備蓄されていたものだ。

 それから乾パンとチョコレートも出てきた。

「施設はダメになったけど」カナイがチョコレートを口の中で舐めながらもごもごと言う。珍しい行儀の悪さだった。「敵がいることはわかったし、おそらく、死体の一つや二つは確保できたでしょう」

 つまり私たちの側で射殺したか、それに類することをしたということだ。

 急に気分が悪くなり、私は一度、意識して深呼吸した。

 カオリが、敵が死体を回収する可能性に言及し、オキガワが死体を運ぶための車両を警察が捕捉する可能性を口にした。

「それにしても」

 私はカオリに視線を向けた。ちょっとふざけた話題が必要だった。少なくとも私には。

「見事な狙撃だったけど、どこで習ったの?」

 カオリがわずかに口元を緩めた。

「狙撃自体は警察、それと自衛隊で学びましたが、さっきの狙撃はレイカとカナエとの合わせ技です」

 つまりカナエの遠隔視の能力をレイカを通じてカオリが受け取り、その情報をもとにカオリが狙撃したということだろう。

「まったく、すごいわね、能力の可能性っていうのは」

 まったくね、とカナイも笑っていた。他の実働部隊の面々も、少し和んだらしい。

 それからの一日は慌ただしかった。

 警察官らしい背広の男が数人と、こちらは私服の自衛官が数人、やってきた。

 そしてワタライさんとヒルタさんがやってきて、未だに正体不明の敵について文句を連ねた。

 どうやら安全が確保されるまで待機していたらしく、レイカとカナエは遅れてやってきた。

 敵は私たちを壊滅させるつもりだったようだが、こうなってみれば、私たちはそれをうまく防いだことになる。

 できることなら、もう二度と自分が死ぬ夢は見たくないが、きっと見るだろう。

 どこかで絶対に、回避不可能な死がやってくることはわかる。それが今じゃなかった。それだけのことか。

 未来を変え続け、そうして、私は、どうなるのか。

 予知夢の内容を変えることができるのは、なぜなのか。

 神ではない私が、なぜそれをできるのか。

 神などいなくて、もっと別のシステマチックな存在が、世界を司っているのか。

 私は四谷駅の地下施設で与えられた自分の部屋を整え、ベッドに横になると普段通り、すぐに眠りに落ちた。

 この光景も見た。それも繰り返し。

 今日はいつなのか。未来なのか。現在なのか。

 ここはどこで、私とは何者なのか。

 この日は予知夢は、見なかった。



(続く)

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