第24話
ドラゴンスレイヤー。それすなわち竜を屠るもの。そんな人がここにいるはずもない。
一人だけ心当たりがあると言えばある。ダリル王子だ。しかし彼は遠く北の果てにいる。
周囲はガヤガヤ、どよどよとしている。世間の人は竜を見たことがない。ちなみに私もない。それぞれの国が張っている結界と結界の隙間を悠々と移動しているとは聞くものの……。
「何があったのですか?」
ざわめく会場の中エドガー様は立ち上がり、飛び込んできた船員に尋ねた。
「ドラゴンスレイヤーのお客様ですか!?」
「違います」
「ドラゴンスレイヤーのお知り合いは!?」
「いますが、ここにはいません」
この押し問答を見るに、向こうは相当慌てているようだ。
エドガー様に近寄ろうと立ち上がったと同時に、再び船が大きく揺れた。
「きゃっ!!」
どさくさに紛れてそのままの勢いてエドガー様に抱きつく。レストランのそこかしこから悲鳴が上がり、食器類が嫌な音を立てて宙を舞う。
一回の揺れならともかく、こうも連続するとあまりに不審がすぎる。
その時、一斉に船内放送が流れた。魔力を消費するので滅多に使われないと聞いたのに。
『本船は現在、国境と国境の間、空白地帯の海域を航行しています』
先程の喧騒が嘘のように、船内は静まりかえる。
『先程の大きな揺れは、竜の接触によりもたらされたものです』
『現在船長および航海士数名が退去のための説得を試みている最中です』
『乗客の皆様におかれましては、船員の指示に従い、待機をお願いいたします』
竜が出た。ここは結界と結界のちょうど間、いわゆる『空白地帯』である。その隙間を狙って、竜がこの船にやってきたらしい。
「対応に向かっていますが、これまでにこのような事例はなく……」
エドガー様の目の前の船員はしどろもどろに続けた。当然、そんなものがあるはずもないのはもちろんだ。
「ど、どうしましょう……」
私は聖女だが、聖女なのでもちろん戦闘向きの能力はない。
船は再び揺れた。ぶつかったとかではなく、説得を試みているのに竜があえて船を痛めつけているのだ。
「戦ってどうにかなる相手ではないのだから、様子を見るしかなかろう」
先程の揺れの余韻がまだ続いており、エドガー様は私の腰に手を回す。
「部屋に戻って、救命艇に乗りますか?」
乗客の反応は三者三様と言ったところで、隅っこに固まっている人、部屋に逃げ帰る人、興味深げに観察している人と、行動はバラバラである。
「普通の沈没とは違うからな」
船が沈むだけならば、避難すれば良い。しかし竜が一息火を吹けば、たちまち小舟は燃えてしまう。
「エドガー様……」
『つまらん奴らだな! もっと面白いやつはいないのか?』
どうしましょうね、と話を続けようとした私の声を遮るように、船外からくぐもった低い声が聞こえてきた。これが竜の声だろうか?
『強い魔力を感じるぞ! 出てこい。儂と遊ぶんだ』
彼が指名しているのは私だろう。それならば、行くしかない。『遊ぶ』の内容がいまいちわからないが、何かできるかもしれない事を見過ごしているのはだめだ。
「私行ってきます。エドガー様は避難してください……」
「何を言っているんだ。君だけが向かうなんて、そんな事はあり得ない」
「呼ばれているのは私ですし」
「ダメと言われてもついていくぞ」
そんな危険な事をさせられない……と思ったが、冷静に考えると私が死ぬとエドガー様も死んでしまうのであった。それなら一緒に行きましょうと連れ立ってレストランを出て行こうとするが、船員に呼び止められる。
「お客様、魔物との対話にご自信が?」
「いや……そうでもないが」
エドガー様が正直に答えてしまったので、船員さんは悲しげな表情をした。ここは嘘でもいいから「私に任せておきなさい」と自信ありげに語ったほうがよかったのではないかと思う。
「それではダメですよ……」
私が船員だったとしても、今の返答では不安を感じるだろう。
エドガー様は『致し方ない』と言って胸元から何かを出そうとしたが、ふたたび船が大きく揺れて、その場にいた全員がバランスを崩した。
「この隙に通ろう」
エドガー様は見た目のわりに運動神経が良いので、さっと立ち上がり、私の手を引いて船内を進む。
ゆらゆらと揺れる船に、平衡感覚がおかしくなる。
壁伝いに進み、四つん這いになりながら階段を登り、やっとのことで甲板まで出ると、大粒の水滴が顔に当たった。いつの間にか雨が降っているのか、それとも波飛沫か。どおんと嫌な音が聞こえ、空気がビリビリと震える。
「救命胴衣を着てから来るべきだったか?」
海に投げ出されてしまってはひとたまりもない──エドガー様がそう口にした瞬間に、立派な制服を着た小太りの男性がこちらに飛び込んできた。ちょっと服が焦げている。自己紹介をしている場合ではないが、おそらく船長さんだろう。
「お、お客様、お戻りください」
「そうはいかない。竜が呼んでいるのは我々なのだから」
「では、あなた方が例の要人と?」
エドガー様と船長さんが何やら話している間におそるおそる階段から身を乗り出すと、船の先端に真紅の鱗を持つ竜が一匹佇んでいた。どしどしと苛立たしげに足踏みをしており、甲板はぼろぼろになっている。
「本当にいた……」
慌てて顔を引っ込める。存在を疑っていたわけではないのだが、いまいち現実味がなかったのは確かだ。
唸り声がする。彼は不機嫌のようだ。
『つまらん、つまらん、つまらん! どいつもこいつも。儂をもっと楽しくさせろ!』
こうして喋っているのを聞くと、実は結構若い個体なのではないか? と感じる。全く関係ない事だけれど。
「わ、私、きちんと会話できるかな〜……」
なんとか穏便にお帰り願わなくてはいけないのだが、まずはどうやって切り出すべきか。
こんな時はエドガー様に相談するに限る。後ろを振り向くと、ちょうどエドガー様が私の肩を引こうと手を伸ばしている途中だった。水をかぶったせいか、メガネを外しているエドガー様の顔は『何か』を決めた表情だ。
「名案を思いついたんですね!?」
私は事態の円満解決を確信した。きっと何か、ものすごい作戦があるに違いない……!
「名案でもないが……精霊召喚をしようと思う」
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