第2443話
「ふぅ」
ギルムの中の錬金術師達が集まっている場所……トレントの森の木を魔法的に加工する場所に、伐採した木を置き、即座に脱出したレイは安堵の息を吐く。
錬金術師は好奇心で動く者が多い。
そのような場所に妖精を連れていったのだから、それこそ一体何が起きてもおかしくはなかった。
幸いにして、妖精のニールセンはレイのドラゴンローブの中にいる。
それどころか、簡易エアコンのおかげで快適な為かドラゴンローブの中で眠っていた。
レイが身体を動かしても眠り続けているのだから、それだけドラゴンローブの中は快適なのだろう。
……正直、そんなニールセンに思うところはあったレイだったが、だからといってニールセンが起きていれば間違いなく大きな騒動になっていた可能性が高いので、そういう意味では助かったのだろう。
「さて、次はいよいよ本番だな」
「うむ。ダスカー殿との面会か。……ダスカー殿、本当に大丈夫なのだろうか?」
錬金術師達のいる施設の中には入らなかったエレーナが、レイの言葉を聞いてそう告げる。
もしエレーナが施設の中に入っていれば、それこそ錬金術師達がエレーナの持つマジックアイテムに興味を抱いて迫っていただろう。
トレントの森で遭遇した冒険者や樵であれば、エレーナに対して失礼な真似をするようなことはしなかったが、この施設にいる錬金術師達にそのようなことを期待は出来ない。
エレーナの持つ連接剣のミラージュは、特に錬金術師達の好奇心を刺激するのは間違いなかった。
そういう意味で、エレーナが施設の外で待っていたというのは当然のことだったのだろう。
「それで、ニールセンはどうしている? 騒動にならなかったようだから、問題はないと思うのだが」
「ああ。ドラゴンローブの中でぐっすりと寝てるよ。……とはいえ、いつ起こせばいいのかが問題だが」
今この状況でニールセンを起こすようなことがあった場合、領主の館に向かうまで、どこにでも興味を持つだろう。
それこそ、好奇心に負けたニールセンが街中を飛び回る……といったようなことになっても、おかしくはない。
だからこそ、レイとしては出来れば街中でニールセンを起こすような真似は避けたい。
かといって、このままニールセンを眠らせておいてダスカーの前に到着してから起こすといったような真似をした場合、ニールセンに責められる可能性は高い。
ニールセンにしてみれば、交渉相手――そのような認識が本人にあるのかどうか微妙なところだが――の前でいきなり起こされるのだ。
普通に考えれば、自分を運んできたレイにそのような状況で不満を抱くなという方が無理だろう。
「ふむ。だとすれば、ダスカー殿に会う前に少し時間を貰ってどこかの部屋を用意して貰い、そこでニールセンを起こすというのはどうだ?」
「……一番手っ取り早いのは、やっぱりそれか」
エレーナの言葉にレイもそれしかないかと納得する。
(いっそ、グリムに妖精が転移出来ない鳥籠でも作って貰うか? ……ああ、グリムか。そう言えばグリムに妖精のことを聞いてもよかったかもしれないな)
本当に今更の話ではあったのだが、それでも今回の一件を考えれば長く生きている――アンデッドである以上、死んでいるという表現の方が正しいのだろうが――グリムであれば、妖精について何かレイの知らないことを知っていてもおかしくはない。
(ドラゴニアスの死体を向こうの世界に置いてきたのが、素材として使えるかどうかも知りたかったし、この件が終わったら地下空間に顔を出してみるか。……アナスタシアのいる場所にニールセンを連れて行ってもいいのかどうか迷うけど)
そんな疑問を抱きつつ、レイはエレーナやアーラと話し、セトを撫でるといったような真似をしながら、領主の館を目指す。
途中で何人かセトと遊びたがっていた者もいたのだが、レイが仕事中であるというのを察して……もしくはエレーナという有名人が一緒にいるのを見てか、話し掛けてくる者はいなかった。
何人かが話し掛けようとしたのだが、そのような者達も事情を知っている仲間達が止めている。
そうして、やがて領主の館に到着し……
「まさか、ダスカー様の方で忙しいとは思わなかったな。今回は助かったけど」
領主の館の一室で、レイはそう呟く。
レイ達がダスカーとの面会を求めたのだが、そのダスカーは現在他の者と会っているので、少し待って欲しいと言われ、この客室に案内されたのだ。
「そうか? だが、ダスカー殿はギルムの領主だ。それに増設工事中ともなれば、利権にありつきたい者も多いだろう。それだけに、ダスカー殿に会いたいと思う者は多い。そういう意味では、このようなことは珍しくないと思うがな」
エレーナにしてみれば、このくらいのことは当然といったことだったのだろう。
とはいえ、レイの場合は今までダスカーに会いにくれば、いつでも好きな時に会えたことが大半だった。
それを思えば、やはり今回の件は少しだけ意外だったのだ。
「けど、エレーナ様とレイ殿が来たというのに、すぐ会えないということは……誰が来てるんでしょう? 余程の大物が来てるのでは?」
「アーラの言う通りだろうな。俺はともかく、エレーナがいるのにダスカー様がすぐに会えないとなると……国王派の誰かか?」
エレーナという存在は、ダスカーにとっても決して粗略に出来る相手ではない。
それこそ、貴族派からの親善大使的な存在なのだから。
……実際には、貴族派の貴族がギルムの増築工事を邪魔しないようにする為の牽制や見張りといった意味合いが強いのだが。
もっと正確には、エレーナがレイと会いたいというのが最大の目的だったりするのだが。
ともあれ、エレーナはダスカーにとっても重要人物なのは間違いない。
本来なら、貴族街にあるとはいえマリーナの家ではなく、この領主の館で寝泊まりして貰う方が相応しい程に。
しかし、エレーナからの要望で……また、ダスカーの幼い頃の黒歴史を知っているマリーナからの要望により、現在のような状況になっていた。
「レイ、そろそろニールセンを起こした方がいいのでは? 今なら、まだダスカー殿が来る前だし」
「ん? ああ、そうだな。ニールセン。おい、ニールセン。そろそろ起きろ」
レイはドラゴンローブの懐からニールセンを取り出すと、そう呼び掛ける。
真夏に涼しい空気に眠っていたニールセンは、レイの掌の上で何度も揺すられて目を開ける。
「ん……んん……あれ?」
レイの掌の上で、ニールセンは周囲の様子を見る。
そこに広がっているのは、自分が全く見たことのない景色。
先程まで……ニールセンが眠る前までは、トレントの森にいた筈だった。
だというのに、そんなニールセンが目を覚ますと一度も来たことのない場所にいたのだから、それでニールセンに驚くなという方が無理だろう。
とはいえ、ニールセンが驚いたのは数秒で、次の瞬間には好奇心が勝って周囲の様子を物珍しげに見回していたのだが。
「うわ、うわ、うわ。何これ何これ何これ」
羽根を羽ばたかせて空中を飛び回りながら、ニールセンは客間の中を飛び回る。
森や林といった自然の中しか知らないニールセンにとって、今こうして目の前に存在する諸々は非常に珍しいのだろう。
「落ち着け! ……一応言っておくけど、この部屋の中にはある家具や壺、絵画といったのはかなりの高級品だ。壊したりしたら、交渉で損をするだけだぞ」
実際には、レイはそこまで本物を見抜くような審美眼がある訳ではない。
それでも、ダスカーがレイやエレーナの為に用意した客室である以上、そのような場所にわざわざ偽物を用意するとは思えなかった。
ダスカーの……いや、これらを仕入れる担当の審美眼を誤魔化すことが出来る贋作の類がある可能性もあったが。
ただし、辺境という本来なら希少な品がありふれた存在になるくらいに集まる場所で仕事をしている者だけに、その審美眼は非常に鋭い。
……とはいえ、素材と芸術品という違いがあるのだが。
「分かってるわよ。でも、珍しいんだからいいじゃない。……わっ、わっ、何これ。何かあった時に隠れる場所?」
そう言い、ニールセンは部屋の端に置いてある壺の中に入る。
レイにしてみれば、特に高価そうな代物には見えないのだが……それでも、この部屋に置かれている以上、芸術品や美術品として相応の価値があるのだろうというのは容易に予想出来る。
「それは壺だ。本来なら花とかを飾ったりする奴だな。……そもそも、そんな壺の中に入れるのはニールセンくらいだろ。……イエロも入れるか?」
「入ろうと思えば入れるだろうし、イエロも小さいだけあって好奇心が高いからな。ここにいれば喜んで入ったと思う」
レイの言葉にエレーナがそう答える。
実際、マリーナの家の中でもイエロは色々と飛び回っているのだが……レイがそれについてあまり知らないのは、セトが来ればイエロはセトと一緒に遊んでいる為だ。
イエロがマリーナの家の中を探検しているのは、あくまでも遊ぶ相手がいないからというのが大きい。
セトのような友達が来てくれれば、当然イエロは自分だけで遊ぶのではなくセトと一緒に遊ぶ。
そしてセトの身体の大きさではマリーナの家の中に入ることが出来ない以上、遊ぶ場所は中庭になるのだ。
だからこそ、レイはイエロがマリーナの家の中で動き回っている光景を見たことはない。
「ほら、取りあえずこっちに戻ってこい。こっちには焼き菓子があるぞ」
壺の中にいる状態では色々と危ない――ニールセンの身ではなく壺が、だが――と判断し、レイはテーブルの上にある焼き菓子でニールセンを呼び寄せる。
ニールセンは壺の中に入って遊ぶよりも、焼き菓子の方に興味を惹かれたのだろう。
羽根を羽ばたかせながら、テーブルまで移動してくる。
「焼き菓子ってこれ? 何だかいい匂いがしてるけど」
「ああ。……食べたことがないのか?」
「そうね。初めて見るし、食べるわ」
焼き菓子……レイの認識ではクッキーか。
ニールセンは自分の身体の半分程もの大きさがあるクッキーを手にご満悦の表情だ。
「あぐ」
そんな巨大なクッキーに齧りつくニールセン。
当然の話だが、クッキーである以上は囓るとその破片がこぼれ落ちる。
その破片ですら、ニールセンにしてみれば自分の手くらいの大きさなのだ。
零れたクッキーの欠片も、ニールセンは嬉しそうに食べていく。
(こうして見ていると、人が命を落としかねない悪戯をするような奴には思えないよな)
嬉しそうにクッキーを頬張っているニールセンは、控えめに言っても愛らしい。
とてもではないが、現在トレントの森で様々な悪戯をしているような者達の一味だとは思えない。
「美味いか?」
「ええ!」
輝くような笑顔というのは、恐らくこのような笑顔のことをいうのだろう。
そんな風に思いながら、レイは自分もまた一枚クッキーを食べる。
(取りあえず、これでニールセンがクッキーに夢中になってる間は、部屋の中の物が壊されたりとか、そういう心配はしなくてもよさそうだな)
とはいえ、クッキーの枚数はそれなりにあるとはいえ、ニールセンは明らかに自分の身体よりも大量にクッキーを食べているように思える。
それでも全く食べる速度が衰えず……それどころか、体型に全く変わりないのを見れば、食べたクッキーは一体どこに消えたのかと、そうレイが不思議に思ってもおかしくはないだろう。
「ふふ」
そんなニールセンを見ていたレイの耳に、小さな笑い声が聞こえてくる。
それを見たレイは、少しだけ驚いた。
何故なら、笑ったのがアーラではなくエレーナだったからだ。
これがアーラが笑ったのなら、レイもそこまで驚かなかっただろう。
だが、エレーナがニールセンを見て笑みを浮かべているのは……そう、レイにとっては意外であり、そして意外だからこそエレーナの笑顔に目を奪われる。
エレーナは、当然ながらそんなレイの視線に気が付いたのか、不思議そうな視線を向ける。
「どうした?」
「あ、いや。うん。何でもない」
太陽の光がそのまま髪となったかのような黄金の髪から目を逸らし、薄らと頬を赤く染めつつ、照れ隠しのように紅茶を飲むレイ。
尋ねたエレーナの方は、そんなレイの様子に不思議そうな表情を浮かべる。
「ふむ、そうか。……ん?」
レイの様子に疑問を抱きつつも、レイがそう言うのならと話を終えたエレーナだったが、その視線が不意に扉の方に向けられる。
そして、一瞬遅れてレイが、そしてアーラが扉に視線を向けると……やがて扉をノックする音が部屋の中に響くのだった。
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