第2406話

「周囲の様子はしっかりと確認しろよ! いつドラゴニアスが来るか分からないんだ!」


 ザイの指示が周囲に響き、それを聞いた見張りのケンタウロス達はそれぞれに分かったといったような返事をする。

 現在、ザイ達がいるのはドラゴニアスの本拠地だった地下空間のあった場所から、それなりに離れた場所。

 まだ夕陽が完全に沈んだ訳ではないので、移動時間そのものはそこまで長くなかったのだが、その辺りはケンタウロスだからこその移動速度が功を奏した形だ。

 精霊の卵を運んでいるケンタウロス達も、移動するのにそれなりに慣れたのか、全速力とまではいかないが、それなりの速度を出せるようになっていた。

 ただし、離れた場所ではあっても、野営地に定めた場所は特に林があったり、岩があったりするような場所ではなく、草原のど真ん中だ。

 本来なら、当然のように林や岩があるような場所を野営地にしたかったのだ。

 だが、夜になるよりも前に到着出来る範囲内にそのような場所はなく……その結果として、現在の場所を野営地と決めたのだろう。


「ザイ、ここを野営地にするのは分かったが、テントはどうするんだ?」

「……最悪、レイが起きない場合はテントなしで眠る。出来ればそういう真似はしたくないから、レイには起きて欲しいけどな。食料の問題もあるし」


 一応、レイが地下空間に行く前に、念の為にということで、ある程度の食料は置いていった。

 だが、それはあくまでもある程度であって今日の夕食はともかく、明日の朝食……ましてや、昼食までともなると、明らかに足りない。

 もし明日の朝になってもレイが目を覚まさない場合、多少強引であっても無理矢理に起こすしかないだろう。

 それだけ、今の状況で食料というのは大事なのだ。

 レイの使う地形操作によって野営地の周辺に壁や堀を作ることも出来ない以上、ケンタウロス達はいつも以上に周囲を警戒する必要がある。

 ましてや、女王が呼んだドラゴニアスがまだ他にもやってくる可能性があるのだから、当然だろう。


(幸い、見張りという点ではセトがいるから、負担そのものは多くはない。……レイがいないという点で、不安を抱いている者は多いだろうけど)


 ザイは、野営地の中央にいるセトに……そして寝転がっているセトに寄り掛かっているレイを見て、そう考える。

 レイが戻ってきた以上、女王が倒されたのは間違いない。

 女王がどのような存在なのか、ザイも含めて多くの者がヴィヘラから聞いて事情を知っているし、非常に厄介な相手だというのも理解はしている。

 ……それでもレイが戻ってきた時に負けて逃げてきたのではなく、勝利して戻ってきたと判断したのは、レイという存在の強さに対して絶対的な信頼があるからだろう。

 そんなレイだけに、出来れば今のように眠らせるのではなく、それこそザイ達が使っているテントのように、もっとしっかりとした場所で眠らせてやりたいと思う。

 だが……残念ながら、テントの類は全てがレイの右手に存在するミスティリングの中だ。

 食料同様に、こちらも取り出すことは出来ない。

 レイの持つミスティリングの存在によって、偵察隊は移動に際してかなり楽をしていたのだが、その欠点が如実に現れてしまった形だ。


「ザイ、そろそろ食事にしない? 食べられる時に食べておいた方がいいし」


 近付いてきてそう告げてくるアナスタシアの言葉に、ザイは少し考えてから頷く。


「分かった。……一応聞いておくけど、アナスタシアはレイみたいに壁や堀を作ったり出来ないか?」


 レイからアナスタシアは精霊魔法の使い手だと聞いているし、今は精霊の卵という存在もある。

 だからこそ、レイの代わりにそのような真似が出来ないかと、そう思ったのだが……そんなザイの言葉に、アナスタシアは呆れの視線を向けて口を開く。


「あのねぇ。私はあくまでも普通の精霊魔法使いなのよ。レイみたいな非常識な存在と一緒にしないで」


 アナスタシアも一般的な基準で考えた場合、十分に腕利きと呼べるだけの技量を持つ精霊魔法使いだ。

 それこそ、土の壁を作ろうと思えば出来るだろう。

 だが……レイがデスサイズの持つ地形操作のスキルでやるのと比べると、当然のように規模は小さくなる。

 そしてザイ達が欲しているのは、野営地全体を守る為の土壁だ。

 そんなのは、とてもではないがアナスタシアには不可能だった。


「精霊の卵を使ってもか?」

「……あのね、あんたが精霊の卵に対してどういう認識を持ってるのかは分からないけど、あれを使うには、それこそかなり大変なのよ? そう簡単に使いたいから使うといった物じゃないのよ」


 そう言われたザイだったが、レイが戦えず……物資の類も出すことが出来ない今の状況を考えれば、多少の無理はして欲しいというのが正直なところだったし、そう言おうと口を開き掛け……


「それに、女王は精霊の卵を狙ってるんでしょ? 死んだかどうかはまだ分からないけど、ドラゴニアスそのものが精霊の卵を使ったら、その力に惹かれてやってくる可能性は否定出来ないんじゃない?」

「ぐ……」


 幾らか無理をしてでも頼もうとしたザイだったが、アナスタシアの口から出たその言葉に、それ以上は何も言えなくなる。

 実際にドラゴニアスの女王が精霊の卵を狙っていたという事実がある以上、アナスタシアの口から出た言葉を軽んじるようなことは出来なかった為だ。

 実際に精霊の卵の埋まっていた林に、何度となくドラゴニアスが襲撃してきたことを考えると、アナスタシアの言葉には強い説得力があったからだ。


「分かった。この件については、これ以上頼むつもりはない。……そうなると、やっぱり早くレイに目を覚まして欲しいところだな」

「それは否定しないわ。ドラゴニアスの女王をどうやって倒したのか、しっかりと聞きたいし」


 ザイの言葉にアナスタシアがそう呟く。

 本来なら、アナスタシアは好奇心を満足させる為にも、自分で直接地下空間に行きたかった。

 だが、精霊の卵を使った影響で……また、もし何かあった時に精霊の卵を使えるのがアナスタシアだけだという理由で、ファナやケンタウロス達と共に地上に残ることになってしまった。

 アナスタシアも、精霊の卵の重要性を考えれば、それは仕方のないことだと分かってはいる。いるのだが……それでも強い好奇心に突き動かされるように、地下空間に向かいたいと思っていたのだ。

 それをどうにかして我慢したのだから、女王についてレイから色々と聞きたいと思うのは当然だった。


「アナスタシアの気持ちも分かるが、今は眠らせておいた方がいい。……下手に今のレイを起こそうとすると、どんな目に遭わされることか」


 ザイの言葉は、決して大袈裟なものではない。

 レイのことが大好きなセトは、当然のように疲れ切って眠っているレイを起こそうとすれば、それを不満に思うだろうし、レイの側にいるヴィヘラもまた同様だ。

 どうしようもない状況ならともかく、自分の好奇心を満たす為に話を聞きたいからという理由でレイを起こそうとすれば、一体どんな目に遭うのか分かったものではない。

 それを理解しているからか、アナスタシアもレイを起こすといった行為をしようとは思わなかった。

 幸いにして、レイはただ眠っているだけなのだ。

 であれば、明日……あるいは今夜にでも目を覚ます可能性はある。

 なら、それくらいは待てばいい。

 ……好奇心の強いアナスタシアにとって、聞きたいことがあるのにそれを知っている者が眠っていて、それが起きるまで待たなければならないというのは、結構な忍耐力を必要としたが。


「取りあえず食事だ。……出来れば、動物でもいればいいんだが」


 ケンタウロスは、基本的には牧畜をして暮らしているが、それ以外にも草原にいる動物を狩って肉としたりもする。

 しかし、ドラゴニアスの本拠地の側でともなれば、食料になりそうな動物は、ほぼ喰い殺されてしまっていた。

 鳥ですら滅多に空に存在せず……そう思ったザイだったが、不意に夕暮れから暗くなりかけている空に何かが飛んでいるのを見つけ、アナスタシアをそのままに、素早く近くにあった弓と矢筒から取り出した矢を手に、狙いをつけ……射る。

 射られた矢は獲物に向かって真っ直ぐに飛び、やがてそれが真理であるかのように命中した。

 そうして野営地のすぐ外に落ちていく獲物。

 急いでそちらに向かい……野営地の外に出て射貫いた獲物を拾い上げる。

 それは、胴体だけでもザイの顔程の大きさを持つコウモリだ。

 果実の類を好んで食べるコウモリで、その肉は外見とは違って非常に美味でケンタウロス達にとっても人気の食材だ。

 ただし、草原である以上は果実というのはそう多くない。

 だからこそ、このコウモリそのものはそれなりに希少な存在だった。


「まさか、ドラゴニアスの本拠地の近くで……とはいえ、あればあったで問題なのだが」


 コウモリの大きさはザイの顔程と、それなりに大きい。

 だが、偵察隊全員が食べられる量の肉を取れるかと言われれば、当然のようにその答えは否だ。

 かといって、仕留めた人物ではあってもザイがそれを全部食べる……などといった真似をすれば、他の者達が貧相な食事で我慢しているのに、と。ザイに不満を抱く者が多い。

 つい反射的に矢を射ってしまったザイだったが、明らかに余計なことだった。


「ザイ、それは一体……何? 初めて見るけど」


 ザイの様子を疑問に思ったアナスタシアは、ザイの持っているコウモリに視線を向ける。

 エルフのアナスタシアだけに、当然コウモリを見たのはこれが初めてという訳ではない。

 しかし、ザイの持っているコウモリは初めて見る種類のコウモリだった。

 初めて見るコウモリである以上、アナスタシアの好奇心を刺激しない訳がない。

 同時に、そんなアナスタシアの様子にザイはいい相手を見つけたと安堵する。

 自分達で食べるのには問題があっても、精霊の卵を使って疲れているアナスタシアが食べるのなら問題はないだろうと。


「美味いぞ。お前の為に獲った……という訳ではないが、それでもお前が食ってくれると嬉しい。でないと……」

「え?」


 アナスタシアに話し掛けつつ、ザイは視線を少し逸らす。

 その視線の先にいたのは、この辺りの見張りをしていたケンタウロスの一人。

 そのケンタウロスが、羨ましそうな様子で……それこそ、出来れば自分が食べたいといった様子で、ザイの持っているコウモリに視線を向けていたのだ。


「……そんなに美味しいの、これ?」


 普通なら、コウモリを食べるということはない。

 いや、人や場所によってはあるのかもしれないが、少なくてもアナスタシアはコウモリを食べるといったようなことはしたことがない。

 自然の中で生きるエルフであっても、コウモリを食べたりはしなかった。

 中には薬の材料やマジックアイテムの材料として使われることもあったが。

 ……もっとも、もしレイが起きていれば、驚きつつも納得しただろうが。

 地球においては、中国や東南アジアといった場所ではコウモリは普通に食べられていると、以前TV番組で見たことがあったからだ。

 そんなレイとは違って、アナスタシアはコウモリを食べたことはない。ないのだが……幸いにと言うべきか、もしくは不運にもと言うべきか、アナスタシアは非常に好奇心の強い性格だった。

 ザイがここまで言うのなら……そして実際に他のケンタウロスが羨ましそうに自分を見ているのを知れば、そこまでされるコウモリは一体どういう味なのかと、好奇心が疼くのは当然だろう。

 とはいえ、調理機具の類はレイのミスティリングの中だし、香辛料の類も同様だ。

 そのような状況で出来る調理法といえば……それこそ、捌いて木の枝か何かに刺して焼くといったようなことしか出来ないだろうが。


「ありがとう。けど、今の状況だと美味しく食べるのは無理そうだから、レイが起きたら食べるということでいい?」

「駄目だ」


 自分の言葉に頷くとばかり思っていたザイだったが、一瞬の躊躇もなく否定されてしまったことを思えば、それに疑問を持つなという方が無理だった。

 だが、そんなアナスタシアの疑問は、すぐにザイが説明してくれる。


「この肉は鮮度が落ちるのが早い。今日中ならともかく、明日になれば間違いなく食べることは出来なくなる」

「それは……」


 ザイの説明には、納得出来た。

 実際、食材の中には悪くなるのが早いものも多い。

 いわゆる、足が早いと表現されるようなそれだ。

 だからこそ、悪くなる前に食べる必要がある。

 そして……好奇心に負けたアナスタシアは、料理を担当する者達にコウモリを捌いて焼いて貰い、ファナと一緒に食べることになり……ザイが美味いという理由に納得するのだった。

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