第2405話

 その周辺に広がっているのは、無数のドラゴニアスの死体だ。

 そんな無数の死体を、血と夕陽が赤く染めていた。

 正確には、知性を持つ上位種の姿はなく、普通の……飢えに支配されたドラゴニアスの死体だが。

 そんな死体から少し離れた場所では、現在ケンタウロス達が集まって、治療を行っている。

 幸い死んだ者はいなかったが、重傷者……ドラゴニアスに肉を喰い千切られた者の数は多い。

 現在はそんなケンタウロス達の治療を行っているのだ。


「がああああっ! くそっ、痛ぇっ! あのドラゴニアスの奴、俺の腕の肉を……」

「静かにしてください。そうやって騒いでいれば、身体にも悪いですよ!」


 治療をしているケンタウロスの女が、薬を塗る。

 その薬が染みたのか、再び怪我をしているケンタウロスの口からは悲鳴が上がる。

 そんな光景は、そこら中で見られる。

 ……いや、このケンタウロスは、治療をしてくれるのが女であるということを考えると、まだ運がいいのだろう。

 他の場所では、比較的傷の浅い男がそれなりに深い傷を負った相手の治療をしたりといった真似をしている。

 男としては、やはり男よりも女に治療して貰った方が嬉しいのは当然だろう。


「それにしても……レイの懸念がこれ以上ない形で当たるとは思わなかったわね」


 そう言ったのは、誰よりも激しくドラゴニアスと戦いつつも、返り血の一滴も浴びた様子がないヴィヘラだ。

 レイに言われ、セトに乗って地下から出て来たところ、そこではちょうどドラゴニアスとケンタウロス達との戦いが始まりそうなところだった。

 女王がいつ援軍を呼んだにしても、この地下空間に来るまで随分と早い。

 女王が土の精霊魔法を使って何らかの移動手段を用意したのか、それとも偶然この地下空間の近くにいた集団だったのか。

 その辺りの理由はヴィヘラには分からなかったが、それでもヴィヘラとセトが間に合ったのは事実。

 ……もっとも、つい先程までは女王を始めとして、知性あるドラゴニアス達と戦っていたのだ。

 それを考えれば、飢えに支配された普通のドラゴニアスとの戦いに、満足感を得ることが出来なかったのは仕方のないことだろう。

 そんな戦いを繰り返していたヴィヘラだったが、当然のように女王が呼び掛けたドラゴニアスは一つの集団ではなく、複数の集団だ。

 そうである以上、ヴィヘラ達が戦っている間にも次々と援軍が来るのは当然だった。

 そうして延々と戦い続け、その戦いはようやく終わった。

 もっとも、延々とというのは実際に戦った者達がそう感じてしまった訳で、実際にはそこまで長時間といった訳ではなかったのだが。

 また、次々に援軍が現れたということは、逐次戦力を投入したのと同じようなことになる。

 もし最初から全てのドラゴニアスが集まっていれば、ヴィヘラとセトはともかく、ケンタウロス達はその物量に対抗することは出来なかっただろう。


「ヴィヘラ、それでこれからどうするんだ? セトはまた地下空間に戻っていったが」


 ザイがそうヴィヘラに尋ねる。

 ヴィヘラのように完全に無傷という訳ではないが、この戦いでザイが負った傷はかすり傷程度だ。

 偵察隊の中で最強の――レイ達を入れなければだが――ケンタウロスだけに、複数のドラゴニアスを相手にしても、今では十分に戦えるだけの実力を持っている。


「セトのことだから、恐らくレイの何かを感じたんでしょうね」


 ヴィヘラもレイの事情については知っているので、当然だが魔獣術についても知っている。

 レイの魔力によって生み出されたセトである以上、レイとセトは魔力によって繋がっており、その辺りでセトが何らかのレイの危機を感じたのだろうと。

 そんなレイとセトの繋がりを少しだけ羨ましいと思いながらも、ヴィヘラは周囲の様子を確認する。

 取りあえず、襲ってきたドラゴニアスは全て倒したが、それはあくまでも今のところ襲ってきた相手だ。

 女王がどこまで遠くにいる他の拠点に連絡をしたのかは、ヴィヘラにも分からない。

 こうしている今もまた、ドラゴニアス達が襲ってくる可能性があるのだ。

 ……だからこそ、ヴィヘラはセトと一緒にレイを迎えに行くような真似はせず、こうして地上に残っていたのだが。


「……どうやら、ヴィヘラの言葉は正解だったようだな?」

「え?」


 ザイの言葉に、ヴィヘラは地下空間に続いてる坂道に視線を向ける。

 するとそこでは、気絶したレイを背中に乗せたセトが、ちょうど姿を現したところだった。


「レイ!?」


 予想外の光景に、ヴィヘラは驚きの声を上げながら走り出す。

 ヴィヘラにとって、レイというのは最強の人物だ。

 そんなレイが、セトの背中で気絶しているのを見れば、驚くなという方が無理だった。


「……女だな」


 周囲の様子も全く無視して走り出したヴィヘラを見て、ザイは呟く。

 自分を含めたケンタウロス達の訓練をしている時は、とても女だとは思えない。

 いや、実際ケンタウロスにしてみれば、足が二本しかないヴィヘラに女を感じることはないのだが。

 それでも、その体型からヴィヘラが二本足の中では女だというのは当然のように知っている。

 しかし……今のようにレイに向かって周囲の状況も無視して走っていく様子を見れば、しみじみとヴィヘラが女なのだと、そう理解出来る。


「取りあえず、今は二人にしておいた方がいいのか? ……いや、悪いけどそんな余裕はないな」


 本来なら、ヴィヘラとレイだけにしてやりたい気持ちはある。

 だが、いつまた新しいドラゴニアスが襲ってこないとも限らない以上、それに対応する準備はしておく必要がある。

 そしてレイが戦力としては使えない以上、何かあった時はすぐに自分達がその役目を負う必要があった。

 今の状況で最大戦力なのは、レイではなくヴィヘラだ。

 ……いや、セトもいるが、そのセトはレイが心配なのかそちらにばかり意識が集中しているように見える。

 そんなレイ達に悪いと思いながらも、ザイはそちらに向かって近付いていく。

 恋人達――正確には違うのだが――の邪魔をするなと、ケンタウロスの女達から責めるような視線を向けられるザイだったが、今の状況を考えれば誰かが悪役になる必要があった。


「ヴィヘラ、レイの様子はどうだ?」

「……どうやら致命的な怪我とか、そういうのじゃないみたいね。極度に消耗して、それで気絶……というか、これは眠ってるのかしら」


 ザイの言葉に、ヴィヘラは安心した様子でそう告げる。

 眠っているという言葉に、ザイもレイの様子を見ると……確かに、それはぐっすり眠っているという表現が一番相応しい様子だった。

 今の状況で眠っているということに思うところがない訳でもなかったが……ヴィヘラから聞いた女王の存在を思えば、そんな相手と最終的には一人で戦ったのだから、仕方がないという思いもある。


「そうなると、もし新しくドラゴニアスが来たら、レイを戦力としては当てに出来ないな」

「……レイは寝てるの? 女王について色々と聞きたかったのに」


 そんなザイの言葉に不満そうに呟いたのは、ファナを横に従えたアナスタシアだ。

 先程までは怪我をしたケンタウロスの治療を行っていたのが、レイが戻ってきたという話を聞いて様子を見に来たのだろう。

 好奇心が強いアナスタシアだけに、ドラゴニアスの女王がどんな最期を遂げたのか、聞きたかったのだろうが……生憎と、今のレイは眠っていて、話を聞くことは出来ない。

 そんな様子で少しだけつまらなさそうな表情を浮かべたアナスタシアだったが、すぐにザイに向かって口を開く。


「取りあえず、レイが地下空間から戻ってきたんだし……それにレイが戻ってきたということは、女王も倒したんでしょ? なら、別にいつまでもここにいる必要はないんじゃない? ここに来るドラゴニアス達から離れた場所に移動すれば、取りあえず安心でしょ」


 そう言われたザイは、思わず納得する。

 そう、そもそも自分達がここを死守していたのは、あくまでも地下空間に入ったレイ達の援護の為だ。

 だが、地下空間にいた女王をレイが倒したのであれば、いつまでもここで待っている必要はない。


「そうね。レイが女王を倒したのなら、別にここを守る必要もないんだし。なら、今のうちにさっさとここを移動しましょうか。……夜になる前に、出来れば野営出来る場所を用意しておきたいし」


 ヴィヘラの言葉に、それを聞いていた多くの者が地平線の向こうで沈みつつある夕陽に視線を向ける。

 このままでは、そう遠くないうちに夕方から夜に変わるのは明らかだ。

 そうなる前に、野営地の準備はしっかりとしておく必要がある。


「けど、レイがいないとなると……野営地はかなり危険になりそうだな」


 ザイが未だに気絶している……いや、眠り続けているレイを見て、そう呟く。

 女王によってドラゴニアスの援軍が呼ばれた以上、少し離れた場所にある無数の死体を生み出した以外にも、他のドラゴニアスがやってくる可能性は高い。

 そうなれば、当然の話だが野営地で休んでいるレイ達は襲いやすいだろう。

 今までであれば、レイの地形操作のスキルによって防壁や堀を作って防御を固めるような真似も出来た。

 だが、レイが眠り続けている今の状況では、そのような真似は到底出来ない。

 レイが目を覚ませば、地形操作を使って貰うといった手段もあるが……と、そう考えてザイは首を横に振る。

 今のレイは、疲れきって眠っているのだ。

 そんなレイを呼び出して地形操作を使わせようものなら、それこそヴィヘラが黙っているようなことはないだろうと。


(そうなると、出来るだけここから離れた方がいいのか)


 女王が援軍を呼んだということは、当然だがその援軍はここを目指してやって来る筈であり、ここから離れれば援軍のドラゴニアスと遭遇しなくてもすむ。

 もしくは、遭遇する可能性がかなり減る。


「よし、なら日が暮れる前に可能な限りここから離れるぞ! レイがいるとはいえ、今の状況ではここも決して安全じゃない。……いや、レイを狙ってドラゴニアスが来る可能性もある」


 ザイのその言葉に、皆が素直に従う。

 今の状況を考えると、ドラゴニアスが来るだろう場所から離れるという行為に、反対する者がいる筈もない。

 だが、そんな中でアスデナが不意に口を開く。


「ここから移動するのは俺も賛成だが、女王はレイが倒したんだろう? なら、ドラゴニアスが女王が下した命令に従うとは限らないんじゃないか?」


 その言葉は、何人かのケンタウロス達に納得の表情を浮かべさせるが……ザイは首を横に振る。


「アスデナが言いたいことも分かるが、女王が死んだからといって、その命令が取り消されるとは限らない。それこそ、女王の最後の命令だからということで、ドラゴニアスの進む足が止まらないという可能性は十分にある」

「……なら、やっぱりここから離れた方がいいのは間違いないか」


 アスデナも、別にここから離れるのが嫌で女王が死んだ今も、その命令が有効かどうかといったことを口にした訳ではないのだろう。

 そもそも、アスデナ達が今いる場所の近くには、ドラゴニアスの死体が大量に存在する。

 こうしている今もまた、ドラゴニアスの血や内臓の臭いが漂ってきているのだ。

 そうである以上、いつまでもここにいたいと、そう思う者は少なくて当然だ。


「さて、じゃあ出発するとしよう。移動すると決めた以上、出来るだけ早くここを離れた方がいいしな。それに……こうして疲れ切ったレイも、ゆっくり休ませてやりたいし」


 ザイの言葉に異論を口にする者はおらず、すぐに出発の準備が整えられる。


「なぁ、ザイ。……ドラゴニアスの死体はどうする?」


 アスデナが、ドラゴニアスの死体の群れを見ながら、そう呟く。

 当然の話だが、今のこの状況でドラゴニアスの死体が大量に存在している以上、時間が経てば結構な悪臭を発するのは間違いないだろうし、アンデッドとなる可能性も否定は出来ない。

 可能なら、それこそ死体そのものを全て焼いてしまった方がいいのは間違いないが……ザイは、そんなアスデナの言葉に首を横に振る。


「今の状況で死体を集めて燃やしていられるような余裕はない。明日以降、レイが目を覚ましたら纏めてどうにかしてもらうか……最悪、このままにしておくという必要があるか」

「本気か?」

「あくまでも最悪の場合だ。俺も出来ればそのままにはしておきたくはない。……例え、この辺りにケンタウロスの生き残りがいなくてもな」


 ザイ達が一時的な拠点として使っていた林の集落が、この辺りでは最後のケンタウロスの集落だった。

 そうである以上、ドラゴニアスの死体がアンデッドになっても構わないが……疫病となる可能性もあるし、それ以上にこの草原に生きる者として、出来ればそのような真似はしたくないというのが、ザイにとっても本心だった。

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