第2389話

 レイとセトが去っていくのを、当然の話だが七色の鱗のドラゴニアスも黙って見送ろうとした訳ではない。

 レイがどれだけ危険な相手なのか……それこそ、嫌という程に見せつけられていたのだから。

 それを考えれば、七色の鱗のドラゴニアスも自分達の女王のいる場所に向かわせるなどといった真似を許容出来る筈がない。

 だがそれでも、七色の鱗のドラゴニアスは動けなかった。

 この場に残ったヴィヘラの存在が、どうしようもない程に不吉な予感を抱かせるのだ。

 もしこの場から去っていったレイとセトを追った場合、間違いなく自分は致命的な失敗をするだろうと、そのような思いを抱かせるのだ。

 ヴィヘラも女王の前まで一緒に行ったし、その周辺にいたドラゴニアス達の攻撃をレイとセトが受けていた時は、セトの前足に掴まっていた。

 だからこそ、七色の鱗のドラゴニアスが転移能力を持っていたり、空を歩いたりといったことが出来るのは知っていた。

 知っていたが、それでもやはりこうして直接戦うとなると、そのことを意識する必要があった。


「言葉が通じるとは思えないけど、一応言っておくわね。……レイだけに意識を集中して私を無視するような真似をしたら、すぐに死ぬわよ?」


 そう言い、ヴィヘラは歩き出す。

 地面を蹴って一気に七色の鱗のドラゴニアスとの間合いを詰めるのではなく、本当に普通にただ歩きだしたのだ。

 とはいえ、歩くという行為はそれを見ただけでどれだけの実力の持ち主なのかというのを、察することが出来る者も多い。

 七色の鱗のドラゴニアスも、ドラゴニスの頂点に位置する以上はヴィヘラの歩き方を見ただけで実力を把握出来た。

 ……レイという存在を見ていたからこそ驚くことはなかったが、もしレイの前にいきなりヴィヘラを見ていれば、間違いなく驚いただろう。

 そんな見事な歩き方をしながら自分に近付いてくるヴィヘラに対し、七色の鱗のドラゴニアスはその場で待ち受ける。

 転移という攻撃手段をとるのではなく、正面からヴィヘラがやってくるのを待ち受けているのだ。

 それは、自分の技量に相応の自信があるからこその態度なのは間違いないが、同時にヴィヘラという存在を十分に警戒しているという意味でもある。


「ふふっ」


 ヴィヘラもそんな相手の思惑は理解出来たのだろう。

 笑みを浮かべながら、そのまま歩を進め……やがて、一定の距離まで近付くと足を止め、構えを取る。

 もしレイがヴィヘラの構えを見れば、ボクシングに似ていると連想するだろう。

 もっとも、レイが知っているボクシングというのは、日本にいた時にニュース番組で見る程度か、それこそ漫画やアニメで見た程度だ。

 だからこそ、その構えを見てもボクシングに似た構えだとしか理解出来ないだろう。

 ……実際には、あくまでもボクシングに似た構えであって、細かい場所は色々と違うのだが。


「ギィ!」


 牽制の声を発する七色の鱗のドラゴニアス。

 だが、ヴィヘラはそんな相手の声でどうにかするような真似はせず、ただじっと見て……やがて、地面を蹴って瞬時に七色の鱗のドラゴニアスとの間合いを縮める。

 その動きは素早く、それこそ七色の鱗のドラゴニアスが持っている転移能力を使ったのではないかと、そのように思えるくらいの速度。


「ギイッ!?」


 そんな速度の一撃であっても、転移能力を自由に駆使する七色の鱗のドラゴニアスは、しっかりとヴィヘラの動きを目で追っていた。

 そうして振るわれる拳の一撃に反応し、鉤爪を振るう。

 歩いている時の身体の動かし方から、ヴィヘラの一撃が見た目通りの一撃ではないのは確実だった。

 それこそ、下手に当たれば致命傷になってもおかしくないような……そんな一撃だと判断し、実際にその反応は決して間違ってはいない。

 ヴィヘラの身体能力はレイ程に人間離れしたものではないのだが、それでも極めて高いのは間違いのない事実だ。

 浸魔掌という、ある意味一撃必殺という言葉がこれ以上ないくらいに相応しい攻撃手段も持っているが、七色の鱗のドラゴニアスにとって幸運なことに、今回放ったヴィヘラの一撃はあくまでも拳での一撃であって、浸魔掌ではない。


「ギイイイィ!」


 鋭い鳴き声を上げつつ……だが、次の瞬間七色の鱗のドラゴニアスが振るった爪が斬り裂いたのはヴィヘラではなく空中で、そして同時に激しい衝撃と共に七色の鱗のドラゴニアスは吹き飛ばされる。

 七色の鱗は、普通のドラゴニアスが持つ鱗と比べてもかなり高い防御力を持つ。

 ……にも関わらず、ヴィヘラの突き出した拳を覆っている手甲には、何枚もの七色の鱗が付着していた。

 それが一体どのような衝撃があってのものだったのかは、それこそ正確に理解出来るのは吹き飛ばされた相手だけだろう。

 吹き飛ばされた七色の鱗のドラゴニアスの身体からは、何枚もの鱗が剥げて飛び散る。

 もしこの地下空間の中の光が、地面や壁、天井が光ってはいるものの、その程度の光ではなく煌めく太陽の如き強烈な光を発していれば、その光が剥がれた鱗に反射して、綺麗な……それこそ、実際に起きている出来事とは似ても似つかないような、そんな光景を目にすることが出来ただろう。

 一瞬そんなことを考えたヴィヘラだったが、次の瞬間には素早くその場から後ろに下がる。

 するとヴィヘラのいた場所を、七色の鱗のドラゴニアスの爪が通りすぎていった。

 勿論、この七色の鱗のドラゴニアスは最後の一匹ではなく、ヴィヘラによって吹き飛ばされた個体だ。

 胴体の一部の鱗が剥げているのを見れば、それは明らかだろう。

 ヴィヘラに殴られ、吹き飛ばされている最中に転移能力を使って強引に吹き飛ばされているという状態からヴィヘラの横に転移したのだろう。

 そのような無茶な真似をしながら、ヴィヘラのいる――正確にはいた――場所に向かって一撃を放つ辺り、ドラゴニアスの頂点に位置する存在なのは間違いない。


「なるほど。こうして実際に戦ってみると、私とは少し相性が悪いわね」


 これが例えばレイであれば、デスサイズで一閃すれば胴体や首といった場所を斬り飛ばし、もしくは黄昏の槍の一撃で爆散させるような一撃を放ち、それだけで敵の息の根を止めるには十分だ。

 だが、ヴィヘラの場合は普通の成人男性よりも圧倒的に高い身体能力を持っているとはいえ、一撃で七色の鱗のドラゴニアスの命を奪うような真似は出来ない。

 ……勿論、それはあくまでも普通の一撃ならの話で、スキルを使ったりマジックアイテムとしての手甲の能力で生み出された魔力の爪を生み出したりといったようなことをすれば、話は別だったが。


「ギイイイイィ!」


 ヴィヘラに向かい、鋭い鳴き声を上げながら続けて放たれる一撃。

 だが、転移してきた瞬間に放たれた一撃ならともかく、そこにいると理解した上での一撃となれば、それに反応するのは難しい話ではない。

 ましてや、ヴィヘラは格闘を得意としている以上、あるいはレイよりもこの手の攻撃を捌くのは得意だ。

 ドラゴニアスという種族の頂点に位置するだけに、七色の鱗のドラゴニアスが放つ一撃は強力で素早く、鋭い。

 それこそ、ケンタウロスが相手であれば、何をされたのかが分からないままに致命的な一撃となっても、おかしくはないだろう。

 そんな強力な一撃だったが……生憎と、その一撃を受けるのはケンタウロスではなくヴィヘラだ。

 身体を翻すことによってあっさりとその攻撃を回避し、それどころか振るわれた腕にそっと触れ、力の流れを意図的に逸らし……タイミングを合わせ、自分の力も一気に入れる。

 瞬間、まるで七色の鱗のドラゴニアスは自分から跳躍したかのように跳び上がり、そして背中から地面に叩きつけられ……る瞬間、ヴィヘラの手の中からその姿が消える。


「あら」


 少しだけ驚いた様子を見せ、ヴィヘラは周囲を見回す。

 すると少し離れた場所には、若干バランスを崩してはいたものの、それでも地面の上に立っている七色の鱗のドラゴニアスの姿があった。


「やっぱり相性が悪いわね」


 ヴィヘラは、当然のように七色の鱗のドラゴニアスが現在何をしたのかというのは、理解出来た。

 自分によって投げられた瞬間、地面に叩きつけられる前に空中で転移能力を発揮したのだ。

 ……ヴィヘラにとって少し意外だったのは、七色の鱗のドラゴニアスに触れていた自分は転移せずその場に残っていたことか。

 転移が具体的にどのような形で行われるのかというのは、ヴィヘラにも分からない。

 だが、転移する対象に触れていれば、あるいは自分も一緒に転移するのではないかと、そう考えていたのだ。

 もっとも、その場合は下手をすると七色の鱗のドラゴニアスを中心にして一定範囲内だけが転移する……といったようなことになっていた可能性もあり、もしそうなれば最悪の場合、ヴィヘラの両手だけが身体から切断されて転移していた……という可能性もあったのだが。

 勿論、ヴィヘラもその可能性については理解している。

 だが……それでもいざとなればどうにでも出来るという判断がヴィヘラにはあったし、同時にもし何かがあったとしても、それは自分の判断の結果だという思いもあった。

 だからこそ、投げられる途中で転移をするなどといった真似をした七色の鱗のドラゴニアスに驚嘆こそすれ、恨むといった気持ちはなかった


「でも……私と貴方の相性が悪いように、貴方と私の相性が悪いのも事実ね。近接攻撃しかない時点で、それは明らかだったけど」


 その言葉を七色の鱗のドラゴニアスが理解出来たのかどうかは分からなかったが、それでも間違いなく事実ではあった。

 そして、ヴィヘラの言葉を聞いた七色の鱗のドラゴニアスは、その動きを警戒するように一歩踏み出す。

 本来なら、もう少ししっかりとヴィヘラを警戒したいという思いはあるのだろう。

 だが……七色の鱗のドラゴニアスには、そのようにしていられるような余裕がないのも、間違いのない事実だった。

 何しろ、ヴィヘラがここに残っているということは、レイとセトは女王に向かって進んでいるのだから。

 七色の鱗のドラゴニアスは、自分以外にもう一匹いるのは間違いのない事実ではあったが、レイ達が気軽にどうこう出来る相手ではないというのは、それこそ今こうしている自分自身が一番理解出来ていた。

 だからこそ、多少の無茶ではあってもヴィヘラを出来るだけ早く倒す必要があると判断しての行動だったのだろうが……


「そんな気軽に倒せると思われるのは、少し心外ね。ただでさえ、こちらにとって相性がいい相手なのに」


 七色の鱗のドラゴニアスにとって、攻撃手段は通常のドラゴニアスと同様に牙や爪といったような近接攻撃しかない。

 だが、それらの攻撃は、全てがヴィヘラにとってはカウンターで迎撃出来るような技量でしかない。

 圧倒的なまでに有利な状況でしか戦ってこなかった……いや、そもそもヴィヘラがレイやセトと共にこの地下空間に入った時、女王の側にいたのを思えば、もしかしたら実戦経験そのものすらない可能性があった。

 これが普通のドラゴニアスであれば、飢えに支配されている以上は自分の負傷など全く気にした様子もなく、敵を喰い殺そうとする。

 だが、七色の鱗のドラゴニアスを始めとして、高い知性を持っている個体となれば、下手に知性が高いだけに、本能に任せて敵を喰い殺そうとするような真似は出来ない。

 つまり、女王の側にいた知性を持つドラゴニアス達は、ろくな戦闘経験がないままにレイ達と戦っていたという可能性が高い。


(戦闘訓練の類でもしていれば、少しは話も違ったんでしょうけど……見たところ、そんな戦いはしているようには見えないし)


 ヴィヘラの視線の先にいる七色の鱗のドラゴニアスは、そういう意味では磨けば光る原石のようなものなのだろう。

 それこそ、今までろくに戦ったことはなかったのに、それなりにヴィヘラやレイ、セトとやり合える程度には戦えているのだから。

 そういう意味では、ヴィヘラにとって七色の鱗のドラゴニアスは惜しいと感じる存在だった。

 それこそ、出来れば確保して鍛え、自分の模擬戦の相手として戦えるようになったら……と、そう思ってしまう。

 だが、今の状況でそのようなことを言っても無意味なのは事実だ。

 ドラゴニアスが蟻や蜂のような性質を持っているのなら、女王を裏切るなどといった真似は、まずしないだろうと、そう思えたからだ。


「そんなことを考えても意味はないわね。……私も女王と戦いたいところだし、そろそろ本気で行くわよ?」


 そう言い、ヴィヘラはそのまま七色の鱗のドラゴニアスに向かって走り出し……七色の鱗のドラゴニアスは転移する場所を探すのだった。

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