第2352話
マジックテントの中に入って三十分程。
アナスタシア達がこの世界に来てからのことをほぼ聞き終え、レイも自分達がどのような行動をしてきたのかを説明し終わる。
そんな中でレイが驚いたのは、やはりアナスタシア達が鹿と遭遇した時のことだろう。
「草原を走っていたのは、直接見たから分かる。けど……それでも、普通鹿ってのは山の中に住んでるんだと思ってたけどな」
「そう? 平地で暮らす鹿もそれなりにいるわよ?」
レイの場合は、日本にいた時のイメージからだろう。
実際には、鹿が人里に降りてきて農作物を食べるといったことは、珍しくはない。
世の中には、鹿狩りで生活している猟師がいるくらいには、鹿の数は多いのだ。
そんなレイに対し、アナスタシアはエルフだけに山や森で生まれ育った存在だ。
それだけに、鹿についてもよく知っていた。
……レイも日本では山の近くで暮らしていたので、普通の人よりは鹿に詳しいのだが、エルフに比べればどうしても劣る。
「ドラゴニアスに襲われていた鹿の群れを助けたら、その鹿の群れから二頭が協力してくれるようになった、か。……凄いな」
アナスタシアから聞いた話の中で、何に一番驚いたのかといえば、やはりその一件だった。
ドラゴニアスの本拠地が近いこの辺りで草原に生きる鹿の群れが生き残っていたことにも驚いたが、その群れをアナスタシア達が助け……しかも鹿にそれを理解出来るだけの知能があるというのは、驚き以外のなにものでもない。
「そうね。かなり知能の高い鹿が群れを率いていたから、そのせいなんでしょうね」
「アナスタシア達が乗っていた鹿も、かなり角が大きかったけど……そんな鹿を率いているとなると、あの鹿よりも更に角が大きかったりするのか?」
「正解。群れを率いていた鹿の角は、かなり見応えがあったわ。それこそ、レイやヴィヘラにも、出来れば一度は見て欲しいと思うくらいには」
そう言うアナスタシアだったが、実際にもう一度見てみたいと思っているのは、それこそ本人なのだろう。
(あのアナスタシアがそこまで言う代物か。……見てみたい気はするけど、多分無理だろうな)
ドラゴニアスという存在が、いつこの世界で生まれたのかは分からない。
だが、ザイの集落までドラゴニアスがやって来ていたということは、それなりに時間が経っている筈だった。
そんな時間、ドラゴニアスの本拠地の近くで生き残っていた鹿の群れともなれば、相応に用心深くなっている筈だった。
それを思えば、そう簡単に鹿の群れを見つけるのは難しいだろう。
……レイの場合は、セトに乗って空から探すという方法があるので、可能性は皆無ではないのだが。
「ともあれ……こっちに来てからの件はそれでいいとして、問題はドラゴニアスだ。この辺にアナスタシア達がいたということは、やっぱり本拠地はこの辺にあるんだな?」
鹿についての話題は取りあえず置いておき、レイは本題に入る。
「ええ、大体の目処はついてるわ。……寧ろ、私としてはレイ達がどうやってここまで来たのかが、疑問なんだけど?」
大体の目処はついているという言葉に、レイは驚きつつも納得の表情を浮かべる。
アナスタシアの能力を考えれば、そのくらいは不思議でも何でもないのだろうと。
「ドラゴニアスが指揮官の特殊なドラゴニアスと一緒に移動するのは知ってるか? 俺はそれを拠点を作る為の集団だと考えた。つまり、その集団が来た方に向かえば拠点があるとな。幸い、分散して周囲の様子を調べていた中の二つがその集団を見ていたから、その二つの発見場所を線で結んで……ここに到着した訳だ」
「へぇ。運がよかったのね。……いえ、その偵察中の集団にしてみれば、ドラゴニアスの群れと遭遇したんだから、運が悪かったのかしら」
「その集団を見つけたら、すぐにその場を離脱したことを考えれば、運がよかったと言ってもいいんだろうな。とにかく、そんな訳でこの辺りを見つけた訳だ。……俺達はそんな感じだったけど、アナスタシアはよくここまで来られたな」
「精霊魔法の力ね。正確には精霊の気配を辿ってといったところかしら。私やファナだと、ドラゴニアスと戦ったら、一匹や二匹ならともかく、集団を相手にした場合はまず勝てないし」
「そうか? 精霊魔法でどうとでも出来ると思ったけどな。実際、俺がお前達を見つけた時も、精霊魔法で対処してたし」
そんなレイの言葉に、主に話していたアナスタシアは勿論、ファナまでもが首を横に振る。
精霊魔法を使えるアナスタシアはともかく、ファナは仮面を被っていて一見それなりに戦えそうに思えても、実際の戦闘能力という点では自衛が精々だ。
その自衛も、相手が冒険者以外の……それこそ、街のチンピラといったような者達を相手にするのが精々であり、とてもではないがドラゴニアスに対処するといった真似は出来ない。
アナスタシアが戦う邪魔にならないようにするのが、精一杯の出来事なのだ。
それだけに、複数のドラゴニアスとアナスタシアが戦うとなれば、それこそファナに出来るのはアナスタシアが戦いに専念出来るようにその場から離脱するくらいだろう。
……もっとも、ファナの戦闘力を考えれば、アナスタシアから離れた場所でドラゴニアスに遭遇した時点で、詰みとなってしまうが。
「あのねぇ、私を貴方達みたいな馬鹿げた戦闘力を持っている、腕利きの冒険者と一緒にしないでくれる? 私はあくまでも研究者であって、本来なら戦闘をする者じゃないのよ」
「そう言っても……アナスタシア程の精霊魔法の使い手は、そうはいないぞ?」
それはお世辞でも何でもなく、純粋にレイが感じていることだ。
腕利きの冒険者が集まる辺境のギルムにおいても、魔法使いというのは珍しい。
ましてや、それが精霊魔法の使い手ともなれば、尚更だ。
そんな精霊魔法使いにとって、その辺の相手に対処するというのは、難しい話ではない。
それが、レイの考えだったのだが……これはマリーナという、精霊魔法使いとしては天才的な実力を持つ者を知っているからこその考えだろう。
マリーナの精霊魔法は、それこそほぼ万能に近いと言ってもいいだけの代物だ。
それだけに、レイはマリーナと同じ精霊魔法使いならドラゴニアスを相手にしても何とかなるだろうという思いを抱いていたのだが……それは、アナスタシアにしてみればいい迷惑だった。
アナスタシアも、自分ではあまり戦闘に自信のないようなことを口にしていたが、実際には自分はそれなりに戦えると、そう思っている。
だが……それはあくまでもある程度であって、レイが期待するような戦いは到底無理だ。
マリーナと同じような戦いをしようものなら、それこそ最終的には死んでしまうだろう。
「言っておくけど、私の精霊魔法の腕は結局それなりといったところよ。マリーナとかいう常識外れの相手と一緒にしないでくれる?」
アナスタシアのその言葉に同意するように、ファナも激しく頷く。
もしアナスタシアが激戦に巻き込まれるようなことになった場合、自分もその戦いに巻き込まれる可能性が高いと、そう理解しているのだろう。
精霊魔法使いということで一緒にして欲しくはないと、そう告げるアナスタシアの言葉に、レイもそれはそうかと納得する。
例えば、格闘家……実際に長剣や槍といった武器を使わずに格闘で敵を倒す相手は、そう多くはない。
だが、そのような数少ない者達にしても、自分をヴィヘラと一緒にして欲しくはないだろう。
……とはいえ、これがレイとなると少し話は変わってくるのだが。
深紅の異名を持ち、その異名や活躍が広がるに従って、大鎌を武器としようとする者も少ないが出て来た。
そのような者達にしてみれば、自分が憧れたレイと一緒にされるのは、困るといった一面もあるが……嬉しいといった一面もあるだろう。
もっとも、大鎌はその見た目の迫力とは裏腹に、かなり扱いが難しい武器だ。
実際に一定以上大鎌を使いこなせている人物は……間違いなく少ないだろう。
ましてや、現在のレイの戦闘スタイルは、デスサイズと黄昏の槍の二槍流。
これを真似しようとしても、とてもではないが普通の身体能力では難しい。
基本的に大鎌は重く、両手で扱うような武器なのだから。
それを片手で扱えという方が、それこそ常識外れの身体能力を必要とされる。
「まぁ、精霊魔法についてはその辺にしておくとして、だ。ドラゴニアスの件に話を戻すぞ。……それで、アナスタシアはドラゴニアスの本拠地が具体的にどこにあるのかは、分かってるのか?」
「うーん……具体的にどこと決めるのは少し難しいけど、ある程度範囲を絞ることは出来ると思うわよ。それに、この集落の地下に埋まっている土の精霊に関係する何かを確保出来れば、その精度はより上がるでしょうね」
「……土の精霊の何か、か。そもそも、ドラゴニアスは何でそんな物を欲しがってるんだ? それも、この集落に住んでいたケンタウロス達がここに集落を移してから、それなりに時間が経っている筈だ。なのに、何で今まで手を出してこなかったのか……それが気になる」
この集落の生き残りとレイが偶然遭遇したので、実際にはそこまで問題はなかった。
だが……ドラゴニアスがこの集落を襲撃するのが十日程も早ければ、この集落の生き残りとレイ達が遭遇することはなかったのだ。
それだけに、何故自分達が近付いてきた今この状況で……と、そう思ってしまうのも当然だろう。
しかし、そんなレイの疑問にアナスタシアは気楽に首を横に振る。
「さぁ? 正直なところ、何でそうなったのかは私にも分からないわ。それこそ、ドラゴニアスは基本的に飢えという本能で動いてるもの。……指揮官の個体は知性があるけど、言葉が通じない時点でそれを知るのは難しいし」
アナスタシアの説明には、レイも納得するしかない。
納得するしかないのと同時に、疑問も抱く。
(俺達とケンタウロスは言葉が通じてる。けど、ドラゴニアスとは言葉が通じない。……最初はドラゴニアスには言葉がないのかと思ったけど、指揮官の個体がいるのを考えれば……それに、銅の鱗のドラゴニアスはかなり頭がよさそうだった。なら……言葉があってもおかしくはない)
そもそも、レイ達が使っている言葉とケンタウロスが使っている言葉が同じという時点でおかしい。
あるいは、異世界に来たことによって何らかの力が働いて言葉が通じるようになった……ということも考えたのだが、それはあまりに都合がよすぎるだろう。
「ともあれ、ドラゴニアスの本拠地を殲滅したら……俺達の世界に戻るぞ」
そう告げるレイの言葉に、アナスタシアは不満そうな表情を浮かべる。
好奇心の強いアナスタシアだけに、この異世界に強い興味を持つのは当然なのだろう。
ドラゴニアスを見ても、かなり興味深い存在だ。
そのドラゴニアスを調べられるのは嬉しいが、この世界には他にも色々と興味深い存在がいる筈だった。
レイやヴィヘラが散々二本足といったように言われたように、この世界には二本足の存在もいる。
そのような場所に行ってみたいと、アナスタシアにしてみれば、そう思っているのだろう。
レイも、そちらに興味がないと言えば嘘になる。
だが……この世界とエルジィンの繋がっている空間がいつまで保つのか分からないという点もあった。
もっとも、その空間を維持しているのがグリムである以上、レイとしてはそれこそいつまででも大丈夫なのではないかと、そう思っていたのだが。
だが、それでも万が一ということもある。
グリムの能力ならかなり安心出来るのは事実だが、同時に何にでも絶対ということはないのだ。
そうである以上、レイとしては出来るだけ早くエルジィンに戻った方がいいと思うのは当然だった。
……もっとも、何だかんだとレイがこの世界に来てからは、結構な日数が経っている。
そうである以上、そのようなことを思っても今更という気がしないでもなかったが。
「とにかく、ダスカー様が心配してるのは間違いないんだから、またこっちに戻ってくるつもりであっても、一度は向こうに戻った方がいい」
改めてレイにそう言われれば、アナスタシアとしても頷くしかない。
偶然に偶然が重なってこの世界にやって来たのは事実だし、この世界にはアナスタシアの好奇心を満たしてくれる色々な物が多い。
それでも、自分を雇ったダスカーが心配をしていると言われれば、それをそのままにするといった訳にはいかなかった。
「分かったわよ。でも、顔を見せたらまたこっちに来るからね。それと、レイの師匠にも挨拶をしたいから、紹介してくれると嬉しいわ」
師匠という言葉に、レイはその問題があったかと悩むのだった。
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