第2346話
「……え?」
鹿に乗って走っていたアナスタシアは、一瞬何か起きたのか分からず……それでも、またいつでも精霊魔法が発動出来るようにしながら、周囲の様子を見る。
自分達を追っていたドラゴニアス達がいきなり半壊……いや、半ば壊滅と呼ぶに相応しい状況になったのが、理解出来なかったのだ。
精霊魔法を使って地面に簡単な落とし穴を作ったまではよかったが、その落とし穴で脱落するのはそう多くはないと思っていた。
実際には転んだドラゴニアスにその後ろを走っていたドラゴニアスが足を引っ掛け、それで転んだドラゴニアスに背後のドラゴニアスがぶつかり……といった具合にアナスタシアが予想していたよりも多くのドラゴニアスが転んだが、それでも後から転んだ方はすぐにでも復活してもおかしくはなかった。
「アナスタシアさん、あそこを見て下さい!」
そうファナが叫び、鹿を走らせながらも空を見て……
「嘘……レイ……?」
視線の先にはアナスタシアにとっても見覚えのあるグリフォンと、それに跨がっている男の姿。
それを見た瞬間、驚きからアナスタシアは鹿の動きを止める。
そして、隣を走っていたファナもまた、鹿の動きを止めた。
……二人の乗っている鹿はセトを怖がり、少しでも早くここを離れようとしていたが。
やはり野生動物の鹿にとって、自分達を捕食するだろうグリフォンというのは脅威なのだろう。
それこそ、自分達を喰い殺そうとして迫ってくるドラゴニアスよりも、余程に。
それでもアナスタシアとファナは鹿の動きを何とか抑えこむことに成功する。
何だかんだと、アナスタシアとファナがこの二頭の鹿と一緒に旅を始めてからそれなりに長い。
二頭の鹿も、アナスタシアとファナを信じているのだろう。
そうして信じていても逃げたくなるのが、セトという圧倒的な存在だったが。
それでも、レイとセトが一定の距離まで近付いてくると、鹿は逃げようとはしなくなる。
ここまで近付かれては、もう逃げようもないと、そう本能で理解してしまったのだろう。
とはいえ、今のところ地上に降りてきたセトに、鹿をどうこうするつもりはなかったが。
投擲した黄昏の槍を手元に戻しながら、レイが口を開く。
「アナスタシア、ファナ、無事だな?」
「レイ……?」
先程と同じくレイの名前を口にするアナスタシア。
だが、先程レイの名前を呼んだ時は、信じられないといった意味が強かったのだが、今は明確に自分の前にいるのがレイだと、そう理解しての呟きだ。
アナスタシアの横ではファナもまたレイとセトを見ているのだが、こちらは仮面を被っているせいか、どのような表情を浮かべているのかが全く分からない。
それでも雰囲気から、レイとセトの存在を喜んでいるというのはレイにも理解出来た。
「全く……ようやく見つけたかと思えば、まさかドラゴニアスに襲われているとはな。……それにしても、無事でよかった」
「無事じゃないわよ。全く……私達が今までどんな目に遭ってきたと思ってるのよ」
レイと合流出来た喜びからだろう。しみじみと呟くアナスタシアの目には、薄らと涙が浮かんでいるようにすら思えた。
もっとも、次の瞬間にはその涙も消えたように思えたので、もしかしたらレイの見間違えという可能性もあったが。
「グルルルゥ?」
セトも久しぶりにあった二人に対し、大丈夫? と喉を鳴らす。
そんなセトに鹿は更に怯えるが、それに気が付いたアナスタシアは、大丈夫だというように鹿を撫でる。
それによって、少し……本当に少しだが落ち着いた様子の二頭の鹿。
「色々と……本当に色々と聞きたいことはあるけど、ともあれ無事でよかった。とにかく、詳しい話に関しては俺達が現在拠点としている場所まで移動してから、ゆっくりと話したいんだが……」
戻れるか? とセトに向かって尋ねレイ。
セトの直感に従って移動してきた以上、当然の話だが来た方向に戻ればいい。
戻ればいいのだが……この場合、問題なのは空を飛んで移動するのならともかく、地上を走って移動して林まで戻れるかということだった。
空を飛ぶのと地上を走るのとでは、全く違う。
あるいはここが草原でなければ、ほぼ問題なく戻れるかもしれないが……残念ながらここは一面に草原が広がっている。
そうである以上、草原に慣れていない者にしてみれば、ここはどこまでも同じような光景にしか思えないのだ。
草原で生まれ、生き、死ぬケンタウロスであれば、少しくらいの差異でその辺りはどうとでも判断出来るのだろうが。
「何? ……もしかして、レイとセトも道に迷ってるの?」
「そういう訳じゃない。空を飛んでここまで移動してきたから、地上を移動してとなると……少し難しいんだよ」
「それは道に迷ってるって……」
「アナスタシアさん!」
と、不意にレイとアナスタシアの話を黙って聞いていたファナが、声を上げる。
一体何だ?
そう思ってファナを見ると、そのファナはドラゴニアスの死体が集まっている場所を見ながら、叫び声を上げている。
ドラゴニアスは全部死んだとばかり思っていてレイだったが、その死体の山の中で微かに動く影があったのだ。
とはいえ、その影……生き残りのドラゴニアスは、別に無傷という訳ではない。
何しろ転んだドラゴニアス達が集まっていた場所に、レイの投擲した黄昏の槍が着弾したのだ。
着弾……そう、レイの投擲した槍の威力は、着弾という表現が相応しい。
そんな攻撃の中を何とか生き延びたドラゴニアスではあったが、その手は片方が消失、もう片方は肘の辺りからあらぬ方に曲がっている。
下半身のトカゲの部位も、足を数本失っており、鱗のついた皮膚は破れ、肉が見えている場所も多い。
とてもではないが、戦闘能力を持っているようには思えなかった。
……ただし、それはあくまでも普通の生き物ならばの話だ。
ドラゴニアスの場合は、理性や知性というものは基本的になく、飢えに支配されている。
今のような状態であっても、飢えを満たそうと一歩、二歩とよろめきながらもレイ達のいる方に向かって歩き出す。
「セト、頼む」
「グルルルゥ!」
レイの言葉を聞いた瞬間、セトは地面を蹴ってドラゴニアスに向かって駆け出す。
ドラゴニアスは、半死半生といった状態であっても自分に向かって近付いてくるセトの存在には気が付き、牙を突き立ててその肉を喰らわんを口を引き……
「グルゥ!」
だが、次の瞬間にはセトの前足による一撃で、その頭部は砕かれる。
万全の状態であっても、通常のドラゴニアスはセトに勝つことは出来ない。
そうである以上、大きなダメージを受けている今の状況で、正面からセトと戦って勝てる訳がなかった。
そうして一撃でドラゴニアスを倒したセトは、褒めて褒めてとレイの近くまでやってくる。
レイはそんなセトの頭を撫でながら、ドラゴニアスの死体が固まっている場所を見る。
今のドラゴニアスはかなり大きなダメージを受けていたが、もしかしたら気を失っているだけのドラゴニアスがいるかもしれない。
かといって、一匹ずつ確認していくのは面倒なので……ミスティリングの中からデスサイズを取り出し、呪文を唱え始める。
『炎よ、汝の力は我が力。我が意志のままに魔力を燃やして敵を焼け。汝の特性は延焼、業火。我が魔力を呼び水としてより火力を増せ』
その呪文と共に、レイの……正確にはデスサイズの周囲に、火球が十個姿を現す。
『十の火球』
魔法が発動し、十個の火球は真っ直ぐにドラゴニアスの固まっている場所に向かい……命中した次の瞬間、巨大な炎を生み出す。
やはりドラゴニアスの中には気絶していた個体がいたのか、燃えている炎の中からはドラゴニアスの鳴き声が周囲に響き渡る。
レイはそんなドラゴニアス達の死体が燃やされ……中には生きたまま焼かれているドラゴニアスの様子を見ながらも、決して油断することはない。
ドラゴニアスの飢えを知っていれば、この炎の中から突然飛び出してこないとも限らない為だ。
だからこそ、こうして燃えていても最後に炭となって崩れるまで油断はしない。
実際、燃えているドラゴニアスの中からは、呻き声とも悲鳴ともつかない声が聞こえてくる。
……声を発しているということは炎によって苦しんでる訳で、それを考えると炎に強い抵抗力を持つ赤い鱗のドラゴニアスはレイの放った黄昏の槍の一撃によって死んでしまっていたのだろう。
「取りあえず、これで取りあえずは安心だ。……一応聞くけど、まだこれ以上追っ手が来てたりはしないよな?」
「そうね。ひとまずはこの追っ手だけの筈よ。……ドラゴニアスの考えは分からないから、もしかしたら追加で来る可能性もあるけど」
それは、林の集落に何度もドラゴニアスの集団を送られてきたレイにとっても、十分に理解出来たことだ。
アナスタシアの言葉に、嫌そうな表情で頷く。
「追加で来る連中は厄介だからな。次々と途切れることなくやって来るし」
「レイ?」
アナスタシアがしみじみといった様子で呟くレイに、疑問の視線を向ける。
それこそ、ドラゴニアスのことをよく知っているといった様子を見せるレイに。
「ともあれ、詳しい話は後だ。今はとにかくこの場を離れるぞ」
数秒前に浮かべていた表情はあっさりと消え、そう呟くレイにアナスタシアは頷く。
ファナもまた、アナスタシアの服の裾を引っ張り、早くここから離れた方がいいと示す。
そうして移動するように準備を始めたのだが……
「ピイイイィ……」
「ピイィ!」
アナスタシアとファナの二人がここまで乗ってきた鹿が、セトを怖がって全く近付こうとしない。
セトの存在に恐怖を覚えて暴れるような真似こそしなかったが、セトと一緒に動くといったような真似は、とてもではないが出来ないのは明らかだった。
「もう少し時間があれば、鹿もセトに慣れるんだろうけどな。……どうする? この鹿はここで逃がしていくか? 一応セトにはアナスタシアとファナの二人も乗れるし」
ギルムにいた時は、トレントの森の中央までセトがレイとアナスタシア、ファナの二人を乗せて移動していたのだから、アナスタシアにもレイの言葉は十分に理解出来た。
だが、それでもアナスタシアはレイの言葉に対して首を横に振る。
「いえ、自由に移動する手段は必要よ。それに……この子達にも情が移ったし」
アナスタシアの言葉に、ファナも同意するように頷く。
二頭の鹿も、セトを怖がってはいるがアナスタシアとファナに懐いている様子を見せている以上、レイとしてもどうするべきか迷い……結局妥協案を口にする。
「じゃあ、俺とセトが先を進むから、アナスタシアとファナは鹿に乗って離れてついてきてくれ」
「分かったわ」
一体どれくらい離れれば、鹿がセトを怖がらないのか。
また、離れることによってセトという恐怖から解放したとしても、そのセトの移動した方向に向かうのを許容するのか。
特に後者は、鹿がセトを怖がっているのを見る限り、とてもではないが難しいのではないか。
そうレイは思ったのだが、それでもアナスタシアとファナは鹿を連れていくことに固執した。
本人達が言ってる通り、鹿に対して情が移ったというのもあるのだろう。
実際にいつアナスタシア達が鹿を手に入れたのかは、レイにも分からない。
だが、見知らぬ世界で得た移動手段兼ペット。
精神的に消耗している――アナスタシアは寧ろこの世界に興味津々のようだったが――のを、鹿によって精神的な安らぎを得ていてもおかしくはない。
ペットセラピーという言葉を、レイは日本にいた時に聞いたことがあった。
知ってるのは大雑把な内容だったが、ともあれそんな感じでアナスタシアとファナが鹿に接しているのは間違いないように思えた。
(まぁ、鹿についてもそうだが、それ以外にも俺は色々と考える必要があるんだけどな)
具体的に言えば、セトと共に地上を移動して林に戻れるかどうか。
まだ昼になるかどうかといったくらいの時間だったが、アナスタシアとファナを見つけた以上、出来るだけ早く集落に戻る必要があった。
正直なところ言えば、アナスタシアとファナを保護するという目的を達した以上、レイがこの世界に残る理由はない。
だが、それでもレイもまたザイを始めとした何人ものケンタウロスと共に時間をすごし、情が移ってしまっている。
また、ドラゴニアスという存在……正確にはそれを生み出しているだろう存在に対しても、興味はあった。
だからこそ、今の状況においてさっさとエルジィンに戻るという選択肢をレイは取るつもりはない。
(アナスタシアの性格を考えても、大人しく向こうの世界に戻るとは思えないし)
そう考えながら、レイは林の集落に戻るべく行動を開始するのだった。
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