第2344話

「じゃあ……今日も無事に一日がすぎたことを祝って……乾杯!」

『乾杯!』


 ザイの言葉で、皆が持っていたコップを掲げて乾杯という言葉を口にする。

 ……もっとも、夕食で飲める酒はそのコップに入っている一杯だけだったが。

 汗を流し、水を飲み……と、仕事をした結果、今朝二日酔いに苦しんでいた者達は、夕食の時には既に完全に二日酔いの状態を脱していた。

 だからといって、また酒を飲みすぎて二日酔いにならないようにする為には、そこまで酒を飲ませる訳にはいかなかった。

 今日のように、二日酔いの状態で敵が襲ってきたらと考えると、ザイの立場としては絶対に酒を好きなだけ飲ませるようなことは出来ない。

 それでも、昨日飲んだ酒の美味さを考えると、どうしても酒を飲みたいという者も多い。

 それだけではなく、今日一日延々と穴を掘ったり、その土を運んだりといったような採掘作業をしていたり、テントの残骸を漁っていたりといったような仕事をしていたのだ。

 特に前者の採掘作業は、本当にこの集落の地下に何かがあるのかどうかすらも分からず……もしあっても、一体どれだけの深さの場所にあるのか分からない以上、作業をする方は精神的な消耗が激しい。

 実際、レイは日本にいた時に読んだ本で、何の意味もなく地面を掘って、それを埋めてまた掘って……というような行為を拷問で見た覚えがあった。

 ケンタウロス達が掘っているのは、あくまでもこの集落の下に何かあるかもしれないという思いからのことであり、きちんとした目的もあったのだが……それでも精神的に厳しい作業であるのは変わらない。

 酒の一杯くらいで、ある程度ではあってもその精神的な疲れが癒やされるのなら……と、そんな風にレイが考え、酒を振る舞ってもおかしくはないだろう。


「いいの?」

「一杯だけだし、今朝のようなことにはならないだろ。ケンタウロス達も、二日酔いのまま仕事をするのがどれだけ苦しいのかは、知ってるだろうし。……何より、ドラゴニアスが襲ってきた時に二日酔いだったら、一体どれだけ厳しいのかは思い知っただろ」

「思い知ったのは間違いないでしょうけど、一杯でも酒を飲んだら、その辛い思い出をすぐに忘れたりするんじゃない?」


 ヴィヘラの口から出た言葉は、強い説得力があった。

 ヴィヘラもベスティア帝国を出奔した後は冒険者として活動してきたのだ。

 その時に、当然のように酒に関するトラブルがあってもおかしくはない。

 ……とはいえ、それがこの状況で効果があるのかどうかというのは、また別の話だったが。


「何人かが、酒をもっと飲みたいと騒ぐかもしれない。けど……その酒がなければ、どうしようもないだろ」


 今回の乾杯で使われた以外の酒は、既にレイのミスティリングに収納されている。

 幾らもっと酒を飲みたいと言っても、その酒がなければ意味はない。

 ……あるいは、もしかしたら、本当にもしかしたらだが、この集落の中を探せば、どこかに酒があるという可能性は否定出来なかったが。


(あ、でも酒とかがあったら、ドラゴニアスにもう飲まれていてもおかしくはないか)


 この集落を襲ったドラゴニアスのことを思えば、酒があっても食料と一緒にドラゴニアスによって既にないという可能性は非常に高かった。

 酔っ払ったドラゴニアスというのは、見てみたいとレイも思わないでもなかったが。


「レイ、これ」


 そう言ってヴィヘラがレイに渡してきたのは、料理の乗った皿。

 ケンタウロス達の中でも、料理自慢の者達が作った料理だ。

 当然のように、その料理の材料は殆どがレイのミスティリングから出たのだが……少ないが、他の食材も使われていた。


「林の食材か。……この集落では普通に食べられていたって話だったし、問題はないと思うんだけどな」


 受け取り、羊の肉と野菜や香草を一緒に煮た煮物をスプーンで口に運ぶ。

 味付けは若干癖があるが、それでこれまでの食事で何度も食べているので、特に問題はなく食べることが出来たし、美味いと言うことも出来た。

 ただ、レイが少しだけ心配したのは、この煮物を含めて他の料理にも集落の周辺にある林から採れた食材……香草だったり、木の実だったり、山菜だったりが使われていることだ。

 この集落の周辺にある林が普通の林ではないのは、一晩で風化したドラゴニアスの死体を見れば明らかだ。

 そうである以上、林にもどのような効果があるのか……それが分からない。

 それこそ、慎重に行動をするのなら食材はレイのミスティリングに収納されている物だけを使えばいい。

 ミスティリングに入れてある食材は、それこそ時間が止まっている関係上、いつまでも新鮮なままなのだから。

 だが、それでもケンタウロスの食べる全ての食材がミスティリングに入っている訳ではない。

 中には希少なものだったり、在庫がなかったりといった理由で提供されなかった食材もある。

 また、何よりもいつ本拠地を見つけることが出来るのか分からない以上、食材は可能な限り節約する必要があった。

 そのような理由や、この集落の生き残りの面々は普通に林から食材を採取して食べていたという話を聞き、林から食材を採取し、それを料理に使うということにしてみたのだ。

 ……結果として、今日の料理はいつもと一味違うものになったが、それでも美味いのは間違いなかった。


「そうね。ほら、皆が喜んで食べてるわよ」

「不満を言ってる奴もいるけどな」


 レイの言った、不満を口にしている者。

 それは、別に食事に対して不満を抱いている訳ではなく、酒が一杯しか飲めないからこその不満。

 今朝の二日酔いの件はもう忘れたのかと、レイは呆れの視線を不満を口にしているケンタウロス達に向ける。

 すると、そんなレイの視線を感じたのか不満を口にしていたケンタウロス達は視線を上げ……レイと視線が合ったのを理解すると、慌てた様子を見せる。

 まさか、自分達が口にしていた不満をレイに聞かれているとは思っていなかったのだろう。

 そそくさと、酒の入ったコップを持ってレイの視線から逃げるように移動する。


「あらあら」


 そんなケンタウロスを面白しそうに見送るヴィヘラ。

 ……ただし、明日の戦闘訓練においては、じっくりと模擬戦をやろうという思いを込めての視線。

 レイはヴィヘラの様子からそれを感じたのか、人混みの中に紛れてたケンタウロス達に対し、哀れなといった視線を向ける。


「それで、レイ。明日はどうする予定? やっぱり今日みたいにセトと一緒に本拠地を探しに行くの?」

「ああ、そのつもりだ。斑模様のドラゴニアスの一件もあるし、あの近くにはもしかしたら本拠地があるかもしれないしな。……それらしい場所は見えなかったけど」


 セトに乗って、空から見ているのだ。

 ドラゴニアスの本拠地があるのであれば、それを見つけることは難しくはない。

 だが、斑模様のドラゴニアスと戦った場所の近くには、そのような怪しい場所を見つけることは出来なかった。


「そうなると、本拠地じゃなくて大きな拠点とかがある可能性はあるかもしれないわね」


 ヴィヘラの言葉に、レイも頷く。

 実際、今日だけで複数の拠点を強襲した以上、近くに別の拠点があるという可能性は否定出来ない……どころか、かなり可能性の高い話だ。

 そして、レイとしてはその拠点が普通の拠点ではなく、本拠地と繋がるような重要な拠点であればという思いもある。


(まぁ、そんなに上手くいくとは、思えないけどな。そうなったらそうなったで、こっちとしてもやりやすいんだが)


 レイにしてみれば、当然のようにドラゴニアスの本拠地は少しでも早く見つけたい。

 だが、空を飛んで探してもそう簡単にみつからないとなると、見つけるのにはもう少し時間が必要だと予想するのも当然だった。

 とはいえ、こういう時は見つけられる時はあっさりと見つけられる……というのが、レイがこれまで経験してきた中でそれなりにあったことだが。

 問題なのは、そのあっさり見つけられるのがいつになるかということだろう。


「おーい、レイ。二日酔いに効く魔法とか、知らないかい?」


 コップを持って近付いてきたドルフィナの言葉に、レイは一瞬何を言われてるのかが分からなかった。

 そして言葉の意味を理解すると、呆れの視線を向ける。


「あのなぁ。俺の魔法については説明しただろう? それをどこでどう考えれば、二日酔いに関して俺に何とかしろなんて言葉が出て来るんだ?」


 そう返しつつも、ドルフィナの様子を見た限りでは本気で言ってるようには見えないので、レイの口から出た言葉も半ば冗談半分だ。

 レイの魔法の属性は炎。

 それ以外の魔法を使うとなると、常識では考えられない程の……それこそ、普通の魔法使いなら発動するのすら難しい程の魔力が必要となる。

 それを考えれば、あるいは二日酔いを解消する魔法も作ろうと思えば作れるだろう。


(二日酔いの原因になっている何かを燃やす? いや、けどその何かが分からないし……アルコールを燃やすってイメージでいいのか? けど、そうやってアルコールを燃やした場合、相手の体内を燃やすことになる訳で……)


 数秒だけ考えてみるが、結論としては難しいというものだった。

 あるいは、もっと本格的に研究すれば可能になるかもしれないが、生憎とレイはそんなことをするつもりは現在のところない。


「残念だね。レイが二日酔いを治す魔法をつくってくれれば、毎日でも酒を飲めるのに」

「いや、そもそも次の日に残るような酒を飲むなよ。……というか、それなら俺じゃなくてドルフィナがその魔法を作ればいいんじゃないか?」


 レイは自分が炎特化の魔法使いだと知っているし、それに対してドルフィナは幾つもの属性を持つと知っている。

 そうである以上、もし二日酔いを治す魔法を作るのなら、自分よりもドルフィナの方が向いているというのが、レイの予想だった。

 だが、ドルフィナはそんなレイの言葉に対し、首を横に振る。


「魔法の開発の仕方が違うからね。もし僕が二日酔いを解消する魔法を作ろうとした場合は、それこそ細かいところから色々と決めていく必要があるんだ。それに対して、レイの場合は想像出来れば、それで魔法が発動するんだろう?」


 その言葉に、レイは素直に頷く。

 理論派のドルフィナに、感覚派のレイ。

 どちらも魔法を使うという意味では同じだったが、実際に魔法を使う際に二人の間にある差異は大きい。


「そう言ってもな。それこそ成功するかどうかも分からない魔法だし、失敗すれば体内を焼かれて死ぬことになるぞ?」


 その説明は、ドルフィナにとっても予想外だったのか、『うげぇ』といった言葉がその口から漏れる。

 自分の体内がレイの魔法によって焼かれる想像をしたのだろう。

 おまけに、その魔法は攻撃をする為に行われた魔法ではなく、二日酔いを治す為の魔法なのだ。

 ……レイと敵対して攻撃された結果として燃えるのならまだしも、二日酔いを治す為の魔法で体内から焼かれて死ぬとなると、とてもではないが耐えられないだろう。

 このような時、理論で魔法を構成しているドルフィナのようなものであれば、魔法を構成している式のどこがおかしいといったように説明出来るし、そのおかしなところを弄って修正も可能となる。

 だが、感覚で魔法を使っているレイの場合は、一度そういうものだと認識した場合、それを修正するのは無理……とまではいかないが、かなり難しいのも事実。

 感覚で魔法を使うだけに、レイは自分がイメージ出来ることであれば、即座にそれを魔法として構成することが出来る。

 だが、感覚で魔法を使っているが故に、レイの魔法はあくまでもレイだけの魔法なのだ。


「取りあえず、二日酔いについては諦めろ。酒も今日は出す気はしないしな」


 そうレイが告げると、ドルフィナは諦めてその場から立ち去る。


「あら、残念ね。二日酔いが治る魔法とかあったら、凄く便利そうなのに」


 冗談半分――つまり半ば本気――でそう言ったのは、ヴィヘラ。

 ヴィヘラはレイと違って酒に弱いわけではないので、それなりに酒を飲む。

 ……それどころか、酒豪と言ってもいいくらいに酒には強い。

 レイと食事をする時は、あまり飲むようなことはないが。


「ヴィヘラには必要ない魔法だろ?」

「そうね。でも、ギルム……に限らず、酒場でこの魔法があると知れば、かなり儲かるわよ?」

「いや、別に俺は金に困ってないしな。感謝はされるだろうけど」


 実際、酒場で飲みすぎて二日酔いになり……その状況で依頼に出掛けるという危険な真似をする者は少なくない。

 それどころか、場合によっては二日酔いで依頼をキャンセルするような者すらいる。

 そのような者達にしてみれば、二日酔いを治す魔法などというものがあれば、それこそ心の底から欲しがるだろうが……レイがそれに付き合う必要はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る