第2286話
「お、ほら。見えてきたぞ」
草原を走り続けること、数時間。
セトが空を飛んでの移動だとそこまで時間が掛からないのだが、地面を走りながらだとそのくらいの時間が経過し、それでようやくアスデナがそう告げる。
アスデナが槍で示した方に視線を向けると、そこには集落があった。
そして、間違いなくレイにとっても見慣れた集落。
ザイのいる集落に、間違いはない。
遠くから見ても、その集落の大きさはアスデナの集落とは明らかに違う。
そんな集落を見ながら、レイは口を開く。
「戻ってきたな。……あ」
嬉しそうに呟いたレイだったが、急速に近付いてくる集落を見ていて、ふと気が付く。
集落のすぐ側に、ドラゴニアスの死体があると。
以前のように百匹近くではなく、かなり数は少ない。
それこそ五匹程度の数だと思えたが、そこにあるのは間違いなく死体だ。
「ヴェエエエ」
そんな死体を見つけたのか、草原の風が妙な声を上げる。
そして草原の風の声を聞き、アスデナもまた同様に集落の外に置かれていた死体を発見して驚きの声を上げた。
「おい、レイ! あれはドラゴニアスの死体じゃないか!? あの集落は……」
「俺達がいない間に襲われたんだろうな。けど、あの死体を見れば分かる通り、倒すことに成功したんだろ」
「いや、だが……ドラゴニアスだぞ?」
アスデナの口から、とてもではないが信じられないといった様子で声が出る。
アスデナにしてみれば、自分達の集落では五匹であってもドラゴニアスが出ればかなりの苦戦を覚悟しなければならない。
ザイの集落と違って規模が小さい分、どうしても戦士の数は少なくなってしまう。
その上で、戦士の技量というのもそこまで高くはない。
この辺りの違いは、集落の規模が大きく反映されている形だ。
集落に存在する戦士が少ないからこそ、皆の技量がそこそこのものとなってしまう。
……これで一人でも突出した戦力を持つ者でもいれば、その実力に追いつこう、追い抜こうと考えてもおかしくはないのだが。
アスデナは集落の中では最高峰の強さを持つものの、そこまで突出した技量ではない。
実際にレイが模擬戦で戦ってみたところ、ザイの集落にいる戦士達の中でみれば、中の上……もしくは上の下といった程度の強さでしかない。
(それに……多分……)
アスデナは驚き、恐らくはドラゴニアスを倒したのは集落にいるケンタウロスだと思っているものの、レイの予想は違う。
ヴィヘラが……戦闘をこよなく愛するヴィヘラが、ドラゴニアスという決して諦めるということを知らないモンスターの相手を、他の者に渡すとは到底思えなかった。
そして事実、近付けば長剣や槍のような傷ではなく、殴られ……場合によっては、外傷がないのに死んでいるのが理解出来るようになる。
もっとも、ヴィヘラの手甲や足甲は魔力によって爪や刃を作ることが出来るという機能があるので、本人にその気があれば傷口が斬り傷だったりすることもあるのだが。
「グルゥ」
「ん? ああ、向こうからもお出迎えだな」
集落から何人かのケンタウロスが出て来たのをセトが教え、それを見たレイは納得の表情を浮かべる。
若干既視感のようなものがあるのは、アスデナの集落でも同じような流れだったからだろう。
だが、アスデナの集落とこの集落で違うのは、この集落はザイのいる集落で、レイとセトの存在をしっかりと理解しているということだろう。
だからこそ、アスデナの時のように警戒されるといったことはない……筈だったのだが……
「レイ、お前それは……草原の風じゃないか? 何で……」
ヴィヘラとの訓練の結果なのか、随分と疲れた様子を見せたザイが草原の風を見るとそう驚きの声を発する。
「ヴェエエエ?」
草原の風は、そのように驚かれたのを全く気にした様子もなく周囲の様子を眺めていた。
すぐ側でそれを見ていたレイは、まるで草原の風が自分の住むべき場所をしっかりと確認しているように思えた。
(ようにじゃなくて、実際にそうなんだろうけど。……どうなるんだろうな)
レイから見れば、この集落は多くの者が集まっており、草原の風が暮らすのに特に不味いところはないように思える。
草原の風が賑やかな場所を嫌いだとすれば、色々と問題になる可能性は十分にあったが。
ただ、レイが見た限りでは草原の風にそのような様子は見えない。
「何でって言われても、捕らえたからとしか言いようがないな。正確には助けたか?」
その言葉は、どちらもある意味で正しい。
ドラゴニアスに襲われていた草原の風を助けたのは間違いないし、同時にセトの迫力とレイの実力によって存在を認めさせたというのも、決して間違いではない。
そうである以上、今の説明はどちらも正しいのだ。
その辺りの事情を説明すると、ザイは頭を抱える。
(ヴィヘラの訓練が厳しかった疲れだろうな)
責任転嫁をしながら、ふと気が付く。
「あれ? ヴィヘラは? あのドラゴニアスは、ヴィヘラが倒したんだろ?」
「そうだ。かなり喜びながら戦っていたよ。……正直、何人かはそんなヴィヘラを怖がってすらいる」
「だろうな」
レイにも、怖がっている者の気持ちは理解出来る。
ヴィヘラの戦闘に対する熱い情熱……いっそ執念と呼んでも相応しいそれは、何も知らない者にしてみれば、それに恐怖してもおかしくはないのだろうと。
レイがその辺を気にしなかったのは、相性という一面が強い。
もしくは、日本にいる時に多くの漫画や小説、アニメ、ゲームといったサブカルチャーを楽しんでいた為に、そのような性格のキャラが出て来るのは珍しくなかったという一面もある。
「で、そのヴィヘラは?」
「ドラゴニアスが襲ってきたことを考えると、他にもまだ周囲にドラゴニアスがいるかもしれないと考えて、少し見回りに行ってる」
「見回りに? ……迷わないといいけどな」
お前がそれを言うな。
アスデナの視線がそう言ってるように思えたが、レイはそれを無視する。
そんな二人のやり取りを見て、ザイは何故ここにアスデナがいるのかを理解したのだろう。
呆れた表情でレイを一瞥すると、アスデナに感謝の言葉を口にする。
「レイを連れてきてくれて助かった」
「いや、草原の風を連れているのを見た時は、最初敵かと思ったが……二本足なのに、強い」
二本足は強さには関係ないと、そうレイは何度か言ったのだが、アスデナにしてみればやはりそこは絶対に拘るべきなのだろう。
そう告げるアスデナに、ザイは分かるといったように頷く。
最初から友好的に接してきたザイだったが、それでも二本足のレイに対して思うところが何もなかった訳ではない。
もっとも、その予想以上の強さをレイは持っていたのだが。
「うむ。それは納得出来る。ともあれ、集落に寄ってくれ。我らが恩人を助けてくれた者を、このまま帰す訳にはいかない」
ザイの集落も、決して食料に余裕がある訳ではない。
寧ろ、その辺に不安があるだろうということで、レイが何らかの獲物を探しにセトと共に狩りに出かけたのだ。
……結局、獲物を見つけることが出来ず、代わりに見つけたのは草原の風だったが。
もっとも、これはザイにとっては非常に喜ばしいことでもある。
草原の風は、この草原に生きる者にしてみれば尊ぶべき存在なのだから。
そんな草原の風が自分達の集落に来てくれたのだから、それで喜ぶなという方が無理だった。
とはいえ、草原の風の食料をどうするのかといった問題もあったのだが。
ザイの内心を見破った訳ではないだろうが、アスデナは首を横に振る。
「ザイの気持ちは嬉しいが、俺も早く集落に戻る必要がある。特にこのようにドラゴニアスの死体を見たとなれば、尚更にだ」
そう言われれば、ザイとしてもこれ以上は何も言えなくなる。
自分の立場であっても、同じような事になったらアスデナと同じような行動をするだろう。
それが分かる以上、ザイは短く頷く。
「分かった。では、そちらの集落が無事であることを祈る。……何かあったら、連絡してきて欲しい」
ザイにしてみれば、比較的近くにある集落で、この集落の恩人であるレイを連れてきてくれた相手だ。
そうである以上、何かあった時……具体的に言えば、ドラゴニアスに襲撃された時に連絡をして貰えれば、手助けするつもりは当然のようにあった。
もっとも、アスデナの集落は近くとはいえ、あくまでもこの草原の観点での近くであって、実際にはお隣といったところで数時間は掛かる場所だ。
セトのような空を飛ぶ翼があるのならまだしも、例えケンタウロスでもそう簡単にアスデナの集落までは到着出来ない。
ましてや、ケンタウロスの集落というのは基本的に移動を前提に作っているので、ギルムのような城壁の類も存在せず、どこからでもドラゴニアスが入ってくることが出来る。
……それはつまり、もしドラゴニアスに襲われてもどこからでも逃げることが出来るということではあるのだが。
ともあれ、そのような集落である以上、ドラゴニアスに襲われてしまえばどうしようもないのは間違いない。
それでも、もしかしたらという思いでザイは告げたのだ。
ザイの正直な気持ちとしては、アスデナの集落には一時的にでもいいから、自分達の集落と合流して欲しい。
だが、その件は当然のように以前に持ち掛けており、断られている以上、今ここで話すべきことではなかった。
「では、な」
「ああ。また」
短く言葉を交わすザイとアスデナ。
そして早速この場から去ろうとしたアスデナに、レイもまた声を掛ける。
「ここまで案内してくれて助かった」
「グルゥ!」
レイの言葉に続くように、セトもまた鳴き声を上げる。
草原の風は、二つの頭の両方がアスデナに興味はないと言いたげな態度を取っており、視線を周囲に向けていた。
もっとも、人の言葉を完全に理解出来るセトと違い、草原の風が言葉を理解出来るのかどうかは、レイにも分からなかったので、特に気にはならなかったが。
「ああ、そっちもまた今度寄ってくれ。……ただし、今度は迷子にならないようにしてな」
そう言うと、その場から走り去るアスデナ。
レイとしては何かを言い返したかったが、そもそも一面の草原が広がっているこの場所で、しかも別にここで生まれ育った訳でもなく、街道の類も存在しない。
そのような場所で、ここに来たばかりのレイやセトが道に迷うなという方が無理だった。
「レイ、取りあえず……草原の風はどうするんだ? 正直なところ、このまま迎え入れて暴れられたりすると困るんだが」
ザイもこの草原に住んでいる以上、当然のように草原の風がどれだけの強さを持っているのか知っている。
また、ドラゴニアスが来る前は草原の覇者と呼ばれていたケンタウロスよりも、走る速度は速い。
そのような存在だけに、ザイにしてみれば草原の風を集落の中に入れて、もし暴れられでもしたらどうするべきかと考えてしまうのは当然だった。
「草原の風については、その辺を心配しなくてもいいと思う」
「何故だ?」
自信満々に告げるレイに、ザイは疑問の表情を浮かべて尋ねる。
草原の風は、今まで多くの者が捕らえようと……もしくは倒そうとしてきた。
だが、その全てが失敗に終わったのだ。
それは全て、草原の風という個体が持つ能力故のことであり、だからこそレイと話していてもザイは素直に納得出来ない。
しかし、そんなザイに対してレイはセトを見ながら口を開く。
「同じモンスターであっても、存在の格をこれでもかと思い知らされたからな」
その言葉に、ザイは……そして今までは一言も発していなかったが、ザイと共にやって来たケンタウロス達も、セトを見る。
そして次の瞬間には複雑な表情を浮かべつつも納得する。
セトがどれだけの力を持っているのかは、この集落にいる戦士は全員が知っていた。
……セトの愛らしさにやられた者達にしてみれば、また別の感想を持つのだろうが。
セトの強さは知っているが、それでもこの草原に生きる者として、草原の風は敬うべき……場合によっては憧れにすらなる存在だ。
そんな草原の風が、セトに存在の格によってあっさりと従えられた――レイから見れば従うというよりは友達のように見えたが――というのだから、複雑な表情になってもおかしくはない。
「草原の風」
「ヴェエエ?」
レイの言葉に、顔の一つを向けて返事をする。
きちんと言葉を理解しているように見えるのだが、実際には他の者の言葉を理解しているようには見えない以上、恐らく『草原の風』というのが自分の名前を示しているのだろうと、レイはそう判断する。
ともあれ、まずは草原の風を一度集落の中に入れるということにするのだった。
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