第2287話

「これはちょっと驚きだな」


 草原の風が家畜が放牧されている場所で普通にすごしているのを見て、レイは呟く。

 双頭の山羊といった外見の草原の風は、非常に目立つ。

 それこそ、最初に集落の中に連れて行った時には、多くのケンタウロスが驚いた。

 ……草原の風を連れて来たレイを、信じられないといった表情で見た者も多い。

 だからこそ、そんな草原の風が他の家畜と同じ場所にいても、特に嫌がらないというのが驚きなのだろう。


「グルゥ」


 そして、そんな光景を見て少しだけ羨ましそうにするセト。

 草原の風を、その格で圧倒したセトだったが、だからこそ他の動物達と一緒の場所にいると、基本的には怖がられることが多い。

 ある程度の時間を一緒にすごせば、やがて慣れはしてくるのだが。

 それがセトには、若干残念なのだ。

 セトとしては、別に何かしようと思っている訳ではない。

 ないのだが、それでも向こうが怖がってしまうのは、グリフォンである以上どうしようもないのだ。

 セトとしては、敵対しない相手である限りは仲よくしたいというのが正直なところだった。

 ……とはいえ、普通の馬や牛、山羊、羊といったような、今までセトが接してきた動物にしてみれば、セトという存在は自分達よりも圧倒的に上だ。

 そうである以上、すぐセトに慣れろという方が無理だった。

 そういう意味では、実はセトを見ても普通に襲い掛かっているゴブリンというのは、何気に凄いのだろう。


「これは、予想外の光景だな」


 レイと一緒にここまでやって来たザイもまた、他の家畜達と大人しくしている草原の風を見て、驚きの声を発する。

 この光景は、とてもではないが普通なら信じられない光景だ。


「取りあえず……草原の風って言い方も何だし、しっかりとした名前を付けないか? その方が呼びやすいし、草原の風もこの集落に馴染みやすいだろ」

「レイ、本気か?」


 ザイにしてみれば、草原の風というのは敬うべき相手だ。

 そのような相手に、自分達の都合で勝手に名前を付けるなどというのは、本当にそのような真似をしてもいいのかと、そう思ってしまう。

 ……レイにしてみれば、単純に草原の風という名前を呼ぶのが面倒臭いという理由だけなのだが。

 この辺りは、やはり育った世界の違いというのも大きいのだろう。


「ああ、本気だ。そうすれば、草原の風は……そうだな、この集落の守護者となってくれるかもしれないぞ? まぁ、ザイ達にしてみれば面白くないかもしれないけど」


 誇り高いケンタウロスにしてみれば、自分達の集落を自分達の力だけで守れないというのは、屈辱でしかない。

 だが、ザイはそんなレイの予想とは裏腹に、素直に頷く。


「分かった。その言葉に頼らせて貰う」

「……いいのか? てっきりザイのことだから、自分達でこの集落を守ると言い張るかと思ったんだが」

「レイは俺を何だと思ってるんだ? ……いや、正直なところを言わせて貰えば、レイの言葉に対して思うところがないとは言わない。だが、俺は見てしまったからな。敵の本陣ではなく、その拠点の一つにしかすぎないのに、そこにどれだけのドラゴニアスがいたかを。そして……」


 更に何かを言おうとした様子のザイだったが、結局それは言葉には出さずに首を横に振る。

 本来なら、敵の拠点にいたドラゴニアスの群れをレイが蹂躙する様子を見て、自分達の力に自信をなくし掛けていたと、そう言おうとしたのだ。

 だが、それを口にする程に、ザイはまだ折れていなかった。

 この辺りの芯の強さがザイが集落の中でも皆に慕われている理由なのだろう。


「どうした?」

「いや、何でもない。とにかく、力は力だ。この集落を守る為なら、俺はどんなことでもする」


 少し前であれば、ザイの口からもそのようなことは出なかっただろう。

 だが、現在この集落には多くのケンタウロスが……ドラゴニアスの襲撃から逃げてきた女子供や老人といった者達が集まっているのだ。

 そうである以上、ここで自分の誇りだけを大事にし、レイやヴィヘラ、セト、草原の風といったような、単独で複数のドラゴニアスを相手に出来るだけの実力を持った者達の力を借りないという選択肢は存在しない。

 勿論、それを悔しいか悔しくないかと言われれば、ザイは悔しいと言えるだろう。

 だが、自分が悔しいと思うだけで多くのケンタウロスを……逃げてきたケンタウロス達を守ることが出来るのなら、自分の悔しさなどは全く何の意味もない。

 いい意味で、そう吹っ切れることが出来たのは、良くも悪くもレイの影響からだろう。


「そうか。……なら、いい。取りあえずドラムに今回の一件は説明しておく必要があるか?」

「いや、それは俺の方で知らせておく。……多分、レイが知らせると、長もかなり驚くだろうし」

「それは別に俺が知らせず、誰が知らせても同じじゃないか?」


 ザイの言葉が不満でそう告げるが、ザイは即座に首を横に振る。

 それどころか、周囲で話を聞いていた者達ですら首を横に振っていた。

 全員一致でそのような態度を取られれば、レイとしてもこれ以上は何も言わない。

 ……いや、ドラムに対する報告という面倒をザイが引き受けてくれるのだから、それは寧ろ喜ばしいことなのは間違いないのだが。

 話が纏まり、ザイが早速ドランに報告をしに向かうのを見送ったレイは、そのまま集落の中を進み……


「あら、レイ。何でも面白いモンスターを連れて来たんですって?」


 紫の髪を掻き上げながら、いつの間にか見回りから集落に戻ってきていたヴィヘラがレイに向けて笑みを向ける。


「戻ってきてたのか? ……で、ドラゴニアスは他にもいたか?」

「残念ながらいなかったわ。さっき来たドラゴニアスは、何らかの命令を受けて来たんじゃなくて、偶然ここに辿り着いたといったところじゃないかしら?」

「命令か」


 命令という言葉は、ドラゴニアスにとっては似合わないとレイには思えた。

 だが、金の鱗を持つドラゴニアスを見たレイとしては、ドラゴニアスの大半が飢えに支配されて思考能力がないのは確実だったが、それとは別に少数……それこそドラゴニアス全体で見ればほんの一握りにすぎないが、それでも金の鱗を持っていた個体のように、しっかりと考える能力を持ち、更には他のドラゴニアスに命令出来る上位存在がいるというのも分かっていた。


「金の鱗を持つドラゴニアス」


 レイの考えを読んだかのように、呟くヴィヘラ。

 ドラゴニアスとの戦いを十分に楽しんでいるヴィヘラだったが、より強い相手がいるのなら、そちらと戦いたいと思うのは当然だろう。


(実際、金の鱗のドラゴニアスは強かったしな)


 レイが戦った時には、最終的にごり押しといった感じで倒した。

 だが、黄昏の槍の投擲を、鱗を削られながらも受け流すといったような真似をしたのだから、その実力は相当に高い。

 通常のドラゴニアスが飢えに支配されて本能だけで戦っているのに対し、金の鱗のドラゴニアスは、通常のドラゴニアスよりも高い身体能力を飢えに支配されず、十分に使いこなして戦っていた。

 ドラゴニアスの全ての拠点に金の鱗のドラゴニアスがいるのか、もしくは偶然レイの戦ったドラゴニアスが強かったのか。

 その辺はレイにも分からなかったが、ヴィヘラが戦えば十分満足出来る相手なのは、間違いないと言えた。


「次に拠点が見つかったら、私が戦ってもいいのよね?」

「そうだな。ヴィヘラに任せる」


 これでドラゴニアスが魔石でも持っていれば、魔獣術の使い手としては自分やセトで戦闘する必要があった。

 だが、ドラゴニアスの死体には魔石がない以上、レイが自分で戦う必要はない。

 ……もし魔石があったとしても、異世界のモンスターの魔石というのは魔獣術の糧となるかどうかは、レイにも分からなかった。

 ただ、天才の中の天才が集まったゼパイル一門が生み出した魔獣術だけに、世界の壁などはあっさりと超えられそうな気がしないでもなかったが。

 何しろ、ゼパイル一門はレイの知るグリムですら入ることが出来ず、一方的に憧れることしか出来なかった相手なのだ。

 もっとも、今のグリムはあくまでもアンデッドになった後もずっと研鑽を続けてきた結果なので、ゼパイルが生きていた時代のグリムとはその実力は大きく違うのだが。


「ふふん、それは絶対に約束だからね」


 満面の笑み……それこそ太陽のような笑みと表現するに相応しい笑みを浮かべるヴィヘラに、レイは二言はないと頷く。


「任せる」


 そんなレイの言葉でようやく満足したのか、ヴィヘラは再度笑みを浮かべるとその場から立ち去る。


「って、どこに行くんだ?」

「ちょっと身体を動かしてくるわ。まだ鍛えておきたい相手もいるし」


 ケンタウロスの訓練をしている中で、ドラゴニアスと戦い、それが終わってから他のドラゴニアスを求めて見回りに行き、戻ってきたらすぐにまたケンタウロスの訓練をする。

 普通に考えれば、明らかにやりすぎだと言われてもおかしくはないのだが、レイから見たヴィヘラは、全く疲れた様子はなく……寧ろ、その肌は艶めいてすらいる。

 レイとしては、そんなヴィヘラに疲れていないのかと尋ねる訳にもいかず……取りあえず、訓練をつけられるケンタウロス達の視線が向けられていることに気が付き、そっと視線を逸らす。

 視線を逸らされたケンタウロスは、かなり衝撃を受けたらしく、大きく口を開けている者もいる。

 ケンタウロスは強くなる為なら必死になって訓練をする。するのだが……ヴィヘラを相手にしての訓練だと、どうしても思うところがあるのだろう。

 それでも実際には訓練をやらないという選択肢がないのは、ケンタウロスという種族だからだろう。

 もしくは、この草原で生まれ育ったが故か。

 その理由はともあれ、ケンタウロス達はヴィヘラをすぐに追う。


(そう言えばセトは……ああ)


 セトの姿を探したレイは、ケンタウロスの子供達と一緒に遊んでいるのを見つける。

 本来なら、この集落にいる子供達の中にはドラゴニアスの襲撃によって、自分の集落から逃げてきた者も多い。

 これが大人ならまだしも、子供はドラゴニアスような凶悪なモンスターから逃げてきて、初めて来る……もしくは以前何度かやって来ただけの集落で暮らすことになったのだから、寂しい思いをする者も多かった。

 だが、現在こうしてセトと一緒に遊んでいる間は、そんな寂しさを感じなくてもすむ。

 それはあくまでもこの一時だけの話だが、それでも何もしないよりマシなのは間違いなかった。


(もっとも、セトはそこまで深く考えてはいないだろうけど)


 人の言葉が分かるセトだったが、現在のケンタウロス達の状況を考えて……という訳ではなく、単純にケンタウロスの子供達と一緒に遊びたかっただけなのだろう。

 元々セトはギルムでも子供達から強い人気を誇っていた。

 それを思えば、この流れは当然と言ってもよかった。


「取りあえずセトはあのままにしておくことにして……俺は何をすればいいんだ?」


 ヴィヘラがいないのなら、それこそ自分がケンタウロス達に訓練をつけてもよかった。

 だが、ヴィヘラがいる現状では、そのような真似は出来ない。

 ……いや、やろうと思えば出来るだろうが、ケンタウロス達の体力が保たないだろう。

 その結果として明日に悪影響が残れば、それは意味がない。

 かといって、子供達と遊べるかと言えば……ギルムの子供達なら、セトと一緒にいる間にレイにも慣れたが、まだ来たばかりのこの世界では子供達もセトには慣れたが自分には慣れていない。

 いつもであれば美味い料理でも食べるのだが、この集落は急激に人が増えて決して満足に食料がある訳でもない。

 そもそも、レイとセトが草原の風に遭遇した時も、何らかの食料になるような動物かモンスターを探しての事だったのだから。


「本当にやることがないな。……あ」


 呟いた瞬間、一人のケンタウロスがレイの側を通る。

 その人物が誰なのか、レイは見覚えがあった。

 お婆、とケンタウロス達に呼ばれている人物だ。

 この集落で、ドラム以外に唯一魔法を使えるケンタウロス。

 そして本来なら、お婆が使う魔法を見せて貰うという約束をレイはしていたのだ。

 ……実際には、魔法を見せて貰う前にドラゴニアスの集団が近付いてきているということで、有耶無耶になったのだが。

 時間がないのならともかく、今の自分は本当にやるべきことはない。

 そうである以上、ここでお婆にこの世界の魔法を……もしくはケンタウロスの魔法を見せて貰うのに、ちょうどいい時間ではあった。


「お婆」


 レイはお婆に向かってそう声を掛けるのだった。

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