第2273話

 ざわり、と。

 その言葉を聞いた瞬間、集落にいたケンタウロス達はざわめく。

 先程のセトの鳴き声で、何か異常事態が起きているのは知っていた。

 だがそれでも、まさかここでまたドラゴニアスの名前が出て来るとは思わなかったのだ。


「おい、それは本当か! ドラゴニアスは、ザイ達が滅ぼした筈だ! もし本拠地にいなかった生き残りがいるにしても、そう数は多くない筈だ!」


 ケンタウロスの一人が、集落に入ってきてドラゴニアスが来たと報告してきた相手にそう叫ぶ。

 叫んだのは一人だったが、その疑問……気持ちは他にも多くの者が抱いていたらしく、多くのケンタウロスの視線が、ドラゴニアスが来たと言った者に向けられる。

 だが、そんな視線を向けられたケンタウロスは、レイ達がドラゴニアスの本拠地を滅ぼしたというのは知らなかったのか、何故自分がそんな視線を向けられるのかといったように驚きの表情を受ける。


(俺達がドラゴニアスの本拠地に向かったというのは、それこそこの集落の者なら誰でも知っている筈だ。それを知らないなんてことがあるのか? あるとすれば……考えられる可能性は多くはない)


 レイは近くにいるザイに向かって小さく尋ねる。


「ザイ、もしかしてあいつはこの集落の者じゃないのか?」

「……恐らくは。少なくても、俺がレイ達と共にドラゴニアスの本拠地に向かった時はいなかった。だが、俺達がいない間にこの集落に加わった奴だという可能性は否定出来ないが」


 レイ達がこの集落に戻ってきてから、まだ半日と経っていない。

 その間に、レイ達がドラゴニアスの本拠地に向かっている間にこの集落にやって来た者の全員の顔と名前を覚えろというのは、不可能ではないが難しいのは当然だった。

 そもそも、ドラゴニアスの本拠地を潰した以上、ヴィヘラが倒した程度の少数のドラゴニアスならともかく、先程のように『ドラゴニアスが来た!』と大騒ぎするだけの規模でやって来るとは、普通思えない。

 ましてや、この集落はこの近辺では一番大きな集落だ。

 それだけに、ドラゴニアスに追われてやって来る者は後を絶たない。

 ……実際、レイ達がドラゴニアスの本拠地に向かおうとする途中で遭遇したケンタウロスの一団も、この集落を目指してのものだった。

 その辺を考えれば、それこそドラゴニアスの本拠地に行ってる間にどれだけのケンタウロスがこの集落にやって来たのかというのは、考えるまでもない。


「それに……見ろ、結構な荷物を持っている」


 ザイの言葉に、レイがドラゴニアスの襲撃を知らせたケンタウロスの姿を見ると、確かに結構な荷物を持っている。

 つまりそれは、このケンタウロスはどこかからやって来て、今この集落に到着したということを意味してるのだ。

 そうである以上、ここで嘘を吐いているとは思えない。


「ともあれ、だ」


 レイはデスサイズと黄昏の槍を手に、口を開く。

 ケンタウロス達にしてみれば、レイは圧倒的なまでに小柄だ。

 それでもレイと一緒に行動した者は、レイの実力がどれだけのものなのかというのは十分に知っている。

 それ以外の……戦闘力のない者達にしても、レイから発せられる雰囲気が変わったのは分かったのか、黙って視線を向ける。


「ドラゴニアスが来たのなら、反撃する必要がある。まさか、このまま黙って受け入れるといったようなことはしないだろ? そうなれば、それこそ全員が死ぬだけだ」


 そんなレイの言葉には、不思議な程に説得力がある。

 あるのだが……ザイは、申し訳なさそうに口を開く。


「レイ、宴で既に潰れてる奴がいる。それに酒を飲んでいた者は、多かれ少なかれ酔っ払っている。とてもではないが、ドラゴニアスの相手をするのは難しい」


 ケンタウロスが、個々の実力で勝っているドラゴニアスと戦う時に必要なのは連携だ。

 当然の話だが、その連携というのはしっかりと訓練されてこそ行えるものであり、精密な動きが必要となる。

 多少ではあっても酔っ払っている者が、そのような動きを出来るかと言われれば……正直なところ、出来る者もいれば出来ない者もいるだろう。

 そういう意味では、現在酔っ払っている者達はまず役に立たない。

 いや、役に立たないどころか、酔っ払った影響で連携を崩して味方を危険な目に遭わせるという可能性は否定出来なかった。

 そうである以上、ザイの立場として酔っ払っている者を戦闘に参加させる訳にはいかない。


「だろうな。ただ……こういうのを、不幸中の幸いって言うのかもしれないな」


 そう言ってレイの視線が向けられた先にいるのは、ヴィヘラ。

 手甲と足甲の様子を見て、いつでも戦いに参加出来るように準備を整えている。

 正直なところ、レイにとってはケンタウロスが多数いるよりも、高い実力を持ち、何度となく戦場を共にしてきたヴィヘラがいる方が、圧倒的に戦いやすい。


「勿論行くわよ?」


 レイが何を言わなくても、ヴィヘラはそう告げる。

 そんな言葉を聞き、何人ものケンタウロスが希望の満ちた視線をヴィヘラに向ける。

 レイ達が帰ってくる前に襲ってきたドラゴニアスをヴィヘラが倒したのを、自分達の目でしっかりと見ている為だろう。

 レイもそんな様子を見れば納得の表情を浮かべる。


「なら、問題ないだろ。……ドラゴニアスの数はどれくらいだ?」

「え? その……百を超えてるのは間違いないと思うけど……」


 何が起きているのか、全く理解出来ない様子でケンタウロスがそう答える。

 つい先程この集落にやって来たケンタウロスにしてみれば、レイとセトが全く問題なく敵を……ドラゴニアスを倒せると、そう信じている様子を見せているからだ。

 ケンタウロスにしてみれば、自分よりも圧倒的に小さなレイがそんな実力を持っているのか? と疑問を抱く。

 しかし、周囲のケンタウロス達の様子を見れば、レイの実力を完全に信頼していた。

 ましてや、デスサイズと黄昏の槍を手にしたレイが発する雰囲気は、レイを知らないケンタウロスですら圧倒されるものがある。

 

「百か。……そうなると、実際に戦うのは二十かそこらってところだな」

「え?」


 レイが一体何を言ってるのかと、ケンタウロスは唖然とした視線を向ける。

 何故百匹近くいるという敵と実際に戦うのは二十匹程度となるのか。

 そんな疑問を抱くが、レイが一体どのような戦いをするのかが分からなければ、当然のことだろう。

 それでも何も言わなかったのは、やはりレイの発する雰囲気によるものか。


「ザイ、動ける奴だけ連れて来てくれ。……ただし、戦闘よりも集落を守る方を優先しろ。戦闘は俺とヴィヘラとセトに任せておけばいい」


 普通なら、たった二人と一匹でどうするのかといったことを口にするだろう。

 だが、幸いなことに、ザイはレイの実力をこれ以上ない程に知っている。

 集落を守るのに、自分達の実力では足りないというのは誇り高いケンタウロスとしては非常に悔しい。

 しかし、自分の誇りを優先して集落に被害を与える訳にいかないというのも、間違いのない事実だった。


「分かった。頼む」


 短くそう返し、酒を飲んでいない者の名前を呼んでいく。

 中には少しだけしか酒を飲んでいない者もいたが、いざドラゴニアスとの戦いになった時、酔っ払った影響で味方に被害が出るかもしれないと思えば、少しでも酒を飲んでいる者は待機させざるを得ない。

 しかし、そうなると使える人数はどうしても少なくなってしまう。

 今日の宴は、ドラゴニアスの本拠地を殲滅した宴だ。

 当然のように多くの者が気分を楽にし、酒を飲んで楽しんでいたのだ。

 そんな中で酒を飲んでいない者が一体どれくらいいるのか。

 特にケンタウロスは遊牧民ということもあってか、頻繁に酒を飲む。

 薄めた酒ではあるが、子供の頃から飲んでいるだけに、当然慣れる。

 ……そういう意味では、レイのように酒を好んで飲まないというのは軟弱者と見られる風潮もあるのだが、さすがにレイを見てそのように思う者はいない。

 何しろ、レイはその実力を見せつけているのだから。


「すまない、レイ。こちらで出せる人数は十人にも届かない」

「宴の最中だったし、それはしょうがないだろ」


 これが普通の時なら、レイもザイを責めていたかもしれない。

 だが、ドラゴニアスの本拠地を潰し、誰一人欠けることなく無事に帰ってきたこと――それとヴィヘラの歓迎――で宴を行っている最中に、まさか本拠地が潰された筈のドラゴニアスが百匹近くも襲ってくるとは、思いもしないだろう。

 これでザイを責めるのは、明らかに不公平だ。

 それこそ、レイが酒を飲んでいないのは、偶然酒を好まないからというだけにすぎないのだから。


「レイ、そろそろ行きましょう」

「ああ。……あまりはりきりすぎるなよ」

「そうね」


 戦闘を楽しみにしている、獰猛な光がその目には浮かぶ。

 それを確認し、レイはヴィヘラにそう声を掛ける。

 ……声を掛けつつも、実際には殆ど効果がないだろうと、そう思いながら。

 何しろ、ドラゴニアスは強い。

 ヴィヘラの実力と比較すれば劣るが、ケンタウロスよりも強く……何より飢えに支配されている為に、攻撃に容赦というものはない。

 それどころか、少しでも隙があれば噛みつこうと……肉を喰い千切ろうとしてくる。

 そういう意味では、ヴィヘラの望む戦いの相手としては最適ではあったが。

 実際にドラゴニアスと戦ったヴィヘラも、当然そのことについては理解しているのだろう。

 だからこそ、戦いを待ち受けるかのように獰猛な光を目に宿しているのだ。


「さて、なら行くか。ドラゴニアスがやって来てるのなら、集落には出来るだけ近づけない方がいいだろうし」


 それは集落をドラゴニアスに襲われないようにするという意味もあるが、もっと大きな理由としては、魔法の効果範囲によるものだ。

 レイの魔法は極めて強力だが、ゲームのように味方には効果がないなどという訳ではなく、効果範囲に味方がいれば、普通に炎によるダメージを受ける。

 そういう意味で、敵を倒すのは出来るだけ集落から離れた場所の方がいい。


「そうね」


 真っ先に賛成したのは、当然のように戦いを求めているヴィヘラ。

 ザイもまた、何らかの理由で酒を飲んでいなかった戦士達を引き連れ、戦いの準備を行う。


「皆、これから俺達がドラゴニアスを撃退する! レイがいる限り心配はないと思うが、それでも戦いの中では何があるか分からない! いつドラゴニアスが来てもいいよう、避難の準備をしてくれ!」


 ザイの指示を聞きながら、レイはセトとヴィヘラを連れて集落の外に出る。

 実際にはどの方面からドラゴニアスがやって来てるのかは分からなかったが、それでも集落の外に出てみれば、気配で大体理解出来た。

 飢えという本能によって突き動かされているドラゴニアスは、凶悪ではあるが、本能で動いている分だけ気配を察知しやすい。


「向こうか」


 そして実際、集落の外に出て少し集中すれば、どちらからドラゴニアスがやって来ているのかというのは、容易に察知することが出来た。


「じゃあ、レイ。お願いね。……何なら、私が先行してもいいけど」

「後ろに集落がなければ、それもよかったんだろうけどな」


 レイがヴィヘラを紹介する時にザイに言ったように、近接戦闘の技術という点でヴィヘラは凶悪なまでの技術を持つ。

 だが、基本的に戦闘スタイルが格闘である以上、あくまでも一対一……だけではないが、それでも少数を相手にした時の戦いに特化しているのだ。

 レイが行動を共にするメンバーで言えば、エレーナはミラージュという連接剣を持っているし、各種魔法を使え、更には竜言語魔法という奥の手もある。

 マリーナは精霊魔法によって、寧ろ広範囲への攻撃は得意としている。

 ビューネやアーラはどちらかと言えば個人としての戦闘に特化しているという点ではヴィヘラ寄りだが。

 特にビューネはヴィヘラに戦闘訓練をして貰うことが多い為に、余計にその傾向は強い。


「さて……セト、少し敵に近付きたい」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 そんなセトの背に乗ると、一人と一匹は空に舞い上がる。

 本来ならヴィヘラもそれについていきたかったのだが、レイがこれから何をしようとしているのかが分かっている以上、邪魔をするつもりはなかった。

 そうしてセトは集落に向かっているドラゴニアスの近くまでやって来ると、レイは呪文を唱え始める。


『炎よ、我が魔力を力の源泉として、全てを燃やし尽くす矢となり雨の如く、嵐の如く、絶えず途切れず降り注げ』


 レイの周囲に、次々と現れる炎の矢。

 その数、約五百本。


『降り注ぐ炎矢!』


 魔法が発動すると同時に、レイの生み出した炎の矢は、雨の如き勢いでドラゴニアスの集団に向かって降り注ぐのだった。

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