第2262話

「あれ……か」


 レイが視線の先に存在するドラゴニアスの集団を見ながら、そう呟く。

 夕日の光によって照らされているドラゴニアスの集団は、それこそ鱗が赤く染まっているのが見えた。

 ……その為、実際には何色の鱗を持っているのかが非常に分かりにくかったが。


「はい。……以前来た時と同じです」


 ここまで案内したケンタウロスが、様々な感情の込められた様子で呟く。

 偵察に来たのはいいが、自分以外は全員死んでしまったことを思っているのだろう。

 それでも、またケンタウロスはここに戻ってきたのだ。

 一度仲間を全て失った場所に戻ってくるのは、色々と思うところがあったのは事実だ。

 ここまでの旅の途中で、足が震えたのも、弱気になったのも、数え切れない。

 だが、自分の集落を守る……そして草原をドラゴニアスに喰い散らかされない為にも、現在は自分のやるべきことをやる必要があった。


「にしても……前に偵察に来た時から本拠地を動かしてないってのは、ちょっと意外だったな。いや、おかげであっさりと見つけることが出来たんだから、それはそれで助かったけど」

「どういう意味だ?」


 レイの呟きが気になったのか、ザイがそう尋ねる。

 他の面々も同じようにレイに視線を向けているのを見れば、レイは自分がその考えにいたったのは、異世界の者だから……もしくは、この草原の外からやって来た存在だからなのか? と疑問に思う。


「ドラゴニアスの飢えを考えれば、それこそこの周辺一帯にある物は何でも食いつくす筈だ。……実際、木の類もこの辺には全く生えていないしな」


 草原とはいえ、本当に草だけが生えている訳ではない。

 それなりに木も生えているし、場合によっては林と呼ぶくらいに木々が生えている場所もあった。

 それは、ザイ達の集落からここまで来るまでの間に見ている。

 だというのに、ドラゴニアスの本拠地周辺たるこの場所は、木々の類が一本も生えていない。

 偶然木々の類が生えていない場所をドラゴニアス達が拠点としたのかと言われれば、その答えは否だろう。

 ここに生えていた木々も、飢えに負けたドラゴニアスの腹の中に収まったのだろうというのが、レイの予想だった。


「だからこそ、ここからもっと別の場所……他にも木々が生えている場所に本拠地を移動するというのも、考えられると思わないか?」

「木を喰う、か。……それは少し予想外だったな。木の実の類であれば、話はまだ理解出来たが」


 レイの説明を聞き、ザイが驚きと共に呟く。

 飢えから、倒したケンタウロスを喰い殺すといった真似をしても、木を喰うとまでは思ってもいなかったのだろう。

 だが、動物ですら空腹になれば木の皮を食べる。

 飢えに支配されたドラゴニアスなら、それこそ喰えそうな物なら何でも口に運んでもおかしくはない。

 ……ましてや、木どころか石ですら食べてもおかしくはないのだ。

 だというのに、ドラゴニアス達の本拠地はここから動いてはいない。

 レイにしてみれば、一体何故ここに留まる必要があるのかと、そんな疑問を抱くのは当然だろう。


「それが、そこまで気にするようなことか? ……寧ろ、レイの魔法で周辺諸共焼き滅ぼされるのなら、周囲に燃える木々がないのは幸運だろう?」


 レイとザイの話を聞いていたドラットが、そう口を挟む。

 そのドラットの意見はもっともだったのだが、ドラゴニアス達が何を考えているのかというのは、知っておいた方がいいと思うのがレイの正直な気持ちだ。

 ……とはいえ、今の状況でどうにか出来るかと言われれば、それもまた難しいのだが。


「ともあれ、折角ここまで来たんだ。すぐにレイが奇襲をするよりも前に、ドラゴニアスについての情報を少しでも多く集めた方がいい」

「ザイ、本気か? 今ならこっちから圧倒的に有利な状況で攻撃を出来るんだぞ? なのに、ここで無駄に時間を使えば、それこそドラゴニアス達に俺達の存在が知られるかもしれない」


 ザイとドラットの言い争い。

 とはいえ、ここにいるケンタウロス達にしてみれば、どちらの気持ちも分かる。

 ここで問答無用で攻撃してドラゴニアスを殲滅出来れば、安心出来るのは間違いない。

 だがそうなった場合、次にこれとは別のドラゴニアスの集団が襲ってきた時、向こうの情報を知っているのと知らないのとでは、大きく違ってくる。

 今回はレイという、圧倒的な力を持つ存在がいるからこそ、問答無用でドラゴニアスを殲滅出来るが、次にドラゴニアスが襲ってきた時、そこにまたレイがいるとは限らないのだ。

 その時に自分達だけで対処出来るように、少しでも情報を集めたいという気持ちは理解出来る。

 同時に、まだドラゴニアスがこっちの存在に気が付いていない今のうちに、一気に殲滅するというのは、相手に見つかって……それにより、ドラゴニアスに逃げられたりする危険を考えなくてもいい。

 どちらの意見も、十分に納得出来るものなのだ。

 ケンタウロス達が困った様子をしているのを見て、レイが口を開く。


「ドラゴニアスも、夜になれば多分眠るんだろ? なら、今は夕方だし、夜になって……それこそ、深夜になってから攻撃をする方が奇襲としては効果があると思うけどな。後は深夜までドラゴニアス達の様子を観察して、何らかの情報を得ればいい。……もっとも、数時間程度でどのくらいの情報が入手出来るのかは、俺にも分からないけど」


 それでも、何も情報を得られないよりは、何か少しでもドラゴニアス特有の情報を得られるのなら、それはケンタウロスとして利益になるだろう。

 そう、レイは告げる。

 レイとしても、ドラゴニアスの情報は少しでも多い方がいいのは間違いない。

 グリムやダスカーにドラゴニアスの死体を渡したが、それを使って何かをするにしても、そのような情報が役に立つという可能性は決して否定出来ないのだから。


「……分かった」


 レイの言葉に、ドラットは不承不承といった様子で頷く。

 基本的に今まではレイの指示に大人しくしたがっていたドラットだったが、それでも今回は素直に頷くことが出来なかった。

 ドラットにしてみれば、少しでも早くドラゴニアスを焼き滅ぼしたいと、そう思っていた為だ。

 ドラゴニアスには、ドラットの知り合いや友人も喰い殺されている。

 それだけに、可能な限り早く……と、どうしてもそう思ってしまうのだ。

 それでも奇襲を行うのはレイである以上、ドラットとしてはそれに文句を言うような事は出来ない。


「なら、決まりだな。……ただし、俺達がドラゴニアスに見つかって、それが本拠地に知らされるといったことがあった場合は、すぐにでも奇襲を行う。それはいいよな?」


 レイの言葉を聞いていたザイ達は、それに異論はないといった様子で頷く。

 隠れていてもドラゴニアスに見つかってしまえば、それは意味がなくなってしまう。

 そうである以上、レイの言葉に反対する者は誰もいない。


(問題なのは、夕食を食べられないってところか。干し肉とかなら……いや、臭いがかなりきついしな)


 現在レイ達がいる場所とドラゴニアスの本拠地は、かなり離れている。

 それでも、ここで普段レイが食べてるような……ここまでの旅路でレイが用意してきた料理や、ケンタウロス達が料理を作ろうものなら、ドラゴニアスがその匂いを嗅ぎつけないとは到底思えない。

 そして嗅ぎつけられれば、間違いなく戦いになってしまうのだ。

 その辺の事情を考えると、深夜に奇襲を仕掛けるまでは食事をするのは止めた方がいいのは間違いなかった

 水の類も、レイが好んで飲む果実水の類はその甘い香りでドラゴニアスを引き付ける可能性は否定出来ない。


(となると、やっぱり水だな。……流水の短剣の水でも使うか?)


 レイの持つ流水の短剣というマジックアイテムは、本来なら水を鞭のようにしたりして使う武器だが、炎の属性に特化しているレイが使えば、それは水を生み出す程度の効果しかない。

 ただし、レイの魔力によって生み出された水は貴族や王族ですら飲んだことがないような、天上の甘露とでも言うべき味を持つ。

 ただの水であるのだが、白金貨……場合に寄っては光金貨を使ってでも飲みたいと思う者が出ても、おかしくはないくらいに。


(とはいえ、ここで緊張して待ってるだけってのは、色々と問題だし)


 ザイやドラット、以前ここに偵察に来たケンタウロスは勿論、それ以外のケンタウロス達も見て分かる程に緊張していた。

 このままでは、それこそ実際に奇襲をする夜中になるまでに精神的に消耗してしまう。

 それを避ける為に、少しリラックスさせる方がいいだろうと、レイはミスティリングの中から木のコップを人数分――セトの分は木の皿だが――取り出す。


「レイ? 一体何を?」


 そんなレイのいきなりの行動に、疑問の声を上げるザイ。

 他のケンタウロス達も、レイが何故いきなりコップを取り出したのかが分からず、不思議そうな視線を向けている。


「今から緊張していたら、いざって時に実力を発揮出来ないぞ。この距離だから匂いの出るような料理とかは食べられないけど、取りあえずこれでも飲んでゆっくりしろ」


 そう言い、流水の短剣を起動させて切っ先から水を生み出すとコップの中に注いでいく。

 短剣の切っ先から水が出るという、初めて見た者にしてみれば一体何が起きているのか分からない様子に、ケンタウロス達は驚く。

 ……普通に暮らしていれば、短剣の切っ先から水が出るなどという光景を目にする事はないのだから、当然かもしれないが。

 そうして驚いている間に、レイはコップに水を注ぎ終えると、最後にセトの為の木の皿にも水を入れ、流水の短剣をミスティリングに収納する。


「レイ、これ……飲めるのか?」


 ザイにしては珍しく、恐る恐るといった様子で尋ねる。

 短剣の切っ先から出た水を飲めと言われても、素直に納得出来るものではないのだろう。


「ああ。自慢じゃないが、その水を飲んで不味いと言ったり身体の具合が悪くなったりとか、そういう奴はいないぞ。セトを見てみろ」


 レイに言われてセトを見ると、そこでは木の皿の水を嬉しそうに飲んでいるセトの姿があった。

 クチバシで器用に水をすくい、飲んでいる。

 時々目を細めて水の味を堪能している様子は、それこそ見ている者が誰であってもその水が不味いとは思わないような、そんな様子だ。

 そんなセトの様子を見れば、当然のようにザイ達も強い興味を抱くようになり……恐る恐るといった様子でコップを口に運び……


「っ!?」


 口の中に広がった味に驚き、半ば反射的に……それこそ本能に導かれるように、コップの水を飲み干す。


「どうだ?」


 一息で水を飲み干したのはザイだけではなく、他のケンタウロス……それこそドラットを含めて全員だ。

 そんなケンタウロス達に、自分の分の水を飲みながらレイは得意げな笑みを浮かべて尋ねる。

 レイに対して決して友好的な訳でもないドラットですら、自分の持っているコップに視線を向ける。

 出来ればもう一杯欲しい。だが、レイにそれを言うのは非常に面白くない。だが、それでも……そんな風に混乱しているのだ。

 そんな面々に、レイは再びミスティリングから流水の短剣を取り出して、それぞれのコップに水を注いでやる。


「取りあえず、夜までは暇なんだ。……飲め」


 普通なら、こういう台詞は酒と一緒に出されるものだろう。

 だが、レイが注いだのは水だ。

 ……それでも、コップの中の水の味は、それに文句を言うような真似は一切出来ない程に極上のものだった。


「……美味い……」


 しみじみといった様子で感嘆の声を上げるザイ。

 つい先程の、これからドラゴニアスの本拠地を襲撃するということで緊張していた様子は、今はもうない。

 そんなザイ達の様子に、夜までは特に緊張する様子を見せることはないだろうとレイにも思えた。


「さて、後は夜まで待つだけだけど……水を飲むのもいいけど、ドラゴニアスの観察も忘れるなよ。その為に、こうして夜中まで待つという選択をしたんだからな」


 レイのその言葉に、ザイは慌ててドラゴニアスに視線を向ける。

 他の者達もそれは同様だ。

 レイもまた、水を飲み終わって草原の上で横になっているセトに体重を預けつつ、ドラゴニアスの本拠地の観察を開始する。

 とはいえ、今のところは特に動きがあるようには思えなかったが。


(さて、一応ドラゴニアスの情報を集めるということにしたけど、実際はどの程度の情報を入手出来るんだろうな。……そこまで多くの情報を得られるとは思わないけど)


 そんな風に考えつつ、レイは時折襲ってくる眠気と戦いつつ時間はすぎていき……やがて、夜中になるのだった。 

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