第2233話

 ゴブリンの集落を壊滅させたレイ達が野営地に戻ってきたのは、既に夕方になろうかという時間だった。

 本来ならもっと早く野営地に到着することも出来ただろう。

 だが、ゴブリンの集落に捕まっていた女達がいる以上、どうしても速度は出なかったのだ。

 それ以外にも手足を木の杭で貫かれていた傷の治療はレイが持っていたポーションで何とかなったが、ゴブリン達によって乱暴されたことに関してはレイ達が何とか出来る訳ではない。

 あるいは、レイ達の中に女でもいれば話が別だったが、野営地にいる女は生誕の塔にいたリザードマンの女と、ウィスプを調べる為に来ているアナスタシアとファナしかいない。

 そんな中でもアナスタシアとファナの二人は、今はウィスプのいる地下空間にいるし、リザードマンの女もこの世界の女が、それもゴブリンに乱暴された女の介抱が出来るかと言われれば、話は別だった。

 結局ゴブリンに捕まっていた女の中でも、まだ元気だった女に他の女の介抱を任せるしかなく、レイが出来たことは流水の短剣で水を用意するくらい。

 ……一瞬、水狼の身体を構成している水でもいいのでは? と思わないでもなかったが、女達にしてみれば水狼よりもレイの方がまだ頼れる相手として認識されたのだろう。

 そうして怪我を治療し、身体を綺麗にしてから野営地まで行くことになったのだが、靴も何もない。

 いや、服すらゴブリンに破られて、全裸……もしくは精々半裸といった状況だった。

 ここでもレイがミスティリングに入っていた布を渡し、女達はそれを適当に切って取りあえず服の代わりにしている。

 そんな女達を連れている以上、歩く速度が遅くなるのは当然だった。

 いっそセト籠で連れていった方が手っ取り早いのではないか? とレイも思わないでもなかったが、正気と狂気の狭間にいる女もいるということを考えると、セト籠で運ぶのは危険すぎた。

 それこそ最悪の場合、飛んでいる最中にセト籠から飛び出したり、セト篭の中で混乱して暴れ出したりといったようなことにもなりかねないのだから。

 冒険者の中には、いっそ殺してやった方が女にとっても幸福なのではないかと、そう言う者もいた。

 それでも、レイとしては取りあえず連れていき、その辺の判断は責任者たる騎士に任せようと判断し、こうして時間を掛けて野営地までやって来たのだ。


「レイ! 無事でよかった。時間が掛かってるから、どうなったのかと思ったが……」


 護衛の為に野営地に残されていた冒険者の一人が、帰ってきたレイ達を見てそう声を掛ける。

 レイの実力を知っている以上、ゴブリンの集落を相手にどうこうなるとは思っていなかったのだろうが、それでも時間が掛かった以上、予想外の事態が何かあったのかもしれないと、そう思ったのだろう。

 ……実際、予想外という訳ではなく予想出来る事態ではあったが、ゴブリンの集落に捕らえられていた女達を救出したのが原因で遅れたのだが。


「ああ。取りあえずこっちは無事だ。死人は当然いないし、怪我人も軽傷程度だ」


 軽く斬られたり、噛みつかれたり、殴られたり。

 そんな、それこそ軽傷と呼ぶのもどうかと思えるような軽傷を負った程度で、そのような軽傷も既にそれぞれがポーションで回復している。


「そうか、よかった。……その割にはあまり嬉しそうじゃないな」

「あれだよ」


 話し掛けてきた冒険者に、少し離れた場所にいる女達を示す。

 憔悴している女達を見ただけで、冒険者もその理由を察したのだろう。

 ゴブリンに対する怒りを抱きつつ、口を開く。


「そうか」

「ああ。それに、ゴブリンの集落を纏めていた上位種や希少種を殺すことも出来なかった。多分、戦いの騒ぎに紛れて逃げ出したんだろうな。そうなると、またどこかで新しい集落を作るかもしれない」


 ゴブリンの上位種か希少種が生きている。

 その言葉に冒険者は嫌そうな表情を浮かべていた。

 そして、若干レイを責めるような視線を。

 冒険者にしてみれば、レイとセト、それに水狼がいるのに集落を纏めていたゴブリンを逃がすというのは、普通に考えて有り得ない。

 つまり、何らかのミスをしたのだろうと、そう思ったのだ。

 実際、肉の盾を用意したゴブリンの側に上位種か希少種がいた可能性が高い以上、その冒険者の考えは決して間違っている訳ではなかったが。


「悪いけど、まずは女達を休ませたい。それに、報告もしないといけないしな。……アナスタシア達を迎えに行く必要もあるか」


 何だかんだと、レイがやるべきことは色々と多い。

 とはいえ、問題なのは女を休ませる方法だ。

 ここにいるのは男だけで、女はリザードマンしかいない以上、女達の面倒は女達で見て貰うしかない。

 不幸中の幸いにも、女達の中にはしっかりとしている者もいる。

 またゴブリンの集落にいた時は精神的にも肉体的にも参っていた女も、集落が殲滅された事で精神的に多少持ち直した者もいた。

 女達は明日ギルムに馬車で運ぶとして、今日は女達でどうにかして貰おうというのが、レイの考えだった。


(アナスタシアとファナがいれば、世話を焼くかもしれないけど。……どうだろうな)


 アナスタシアは自分の研究の方に集中していそうな気がしたし、ファナはそもそも人見知りの気配が強い。

 そうなると、アナスタシアとファナがいても女達の世話は出来ないのではないかと、レイには思える。

 冒険者と話していたレイは、騎士のいる場所に向かって進む。


「レイ」


 騎士もゴブリンの集落については気になっていたのだろう。

 レイの姿を見ると、すぐに近付いてくる。


「どうだった?」

「最悪……って程ではないけど、最善って程でもないな」


 水狼が湖に戻っていくのを見ながら、そう告げる。

 集落で倒したゴブリンの全ての死体を食ったにも関わらず、その姿は全く変わっていない。


(体内で溶かしたゴブリンは、水のロープを通じて湖に流れてたとか?)


 そんな疑問を抱きつつ、レイは騎士に集落の件について説明する。

 集落を率いていたゴブリンを逃がしてしまったということには、騎士も残念そうな様子を見せてはいたが、それでもゴブリンの集落を殲滅出来たということが朗報なのは間違いないなかった。


「捕らえられていた女達については、そっちに任せる。取りあえず、明日の馬車にでも乗せてギルムまで運ぶってのがいいと思うけど」

「そうだな。それがいい」


 騎士としても、ゴブリンの集落から連れてこられた女達にどう接したものか迷っていたのか、レイの言葉に素直に頷く。

 そうして話が纏まると、レイはすぐにその場から立ち上がる。


「じゃあ、俺はアナスタシアとファナを迎えに行ってくるから、こっちの件は頼んだ」

「いや、だがそれは……」


 何かを言おうとした騎士だったが、レイは騎士よりも先に口を開く。


「アナスタシア達がどこにいるのか、分かるのは俺だけだ。そしてもう夕方になっている以上、ここで時間が経てばそれだけ迎えに行くのが遅くなるぞ。そうなったら、アナスタシアに事情を説明するのはやってくれるのか?」


 そう告げるレイだったが、実際には迎えに行くのが遅くなってもアナスタシアは決して不満を口にはしないだろう。

 それどころか、研究の時間が増えると喜びすらする筈だ。

 だが、それを言えば騎士はこれ幸いとここで引き留め、色々と仕事を……特に女の世話を任せようとしてくるだろうと判断し、レイがそれを口にすることはない。

 騎士をその場に残すと、レイはセトを呼んでトレントの森の中央に向かう。

 途中で数匹のゴブリンと遭遇したが、レイとセトにとってはそんなゴブリンなど敵ではない。

 集落からここまでの距離を考えると、恐らくこの付近にいるゴブリンは、まだ自分達の集落が壊滅したことを知らないのだと予想しながら、レイは通りすがりのゴブリンを殺していく。

 とはいえ、ゴブリンの死体は数匹程度なのでそのままにしておいたが。

 持って帰れば水狼が喜ぶだろうが、わざわざ足を止めて回収するのは面倒だったのだ。

 放置しておけばアンデッドになる可能性があったが、ゴブリンのアンデッドなら特に問題はないだろうし、アンデッドになる前に動物やモンスターが肉を食うのではないかという期待もある。

 ともあれ、そうしてゴブリンを倒しながらレイは目的の場所に向かうのだった。






「あら、もう来たの?」


 それが、地下空間に姿を現したレイを見て、アナスタシアが最初に口にした言葉だ。

 予想通りのアナスタシアの反応に、レイは呆れながらも口を開く。


「もうって言うけど、とっくに夕方になってるぞ」

「……あら、ようやく来たの? 遅かったわね」

「今更言い直しても遅い」


 アナスタシアの言葉に呆れの言葉を返しつつ、レイは地下空間の中を見回す。

 特に何か変わっているところはない。

 実験や書き物に使う机の上にある諸々や、机のある場所は変わっているが、言ってみればそれだけでしかない。

 他に……特にウィスプの周囲では、特に変わった様子はなかった。


「今日は何か研究に進展があったか?」

「あったと言えばあったけど、ないと言えばないわね」

「……どういう意味だ?」


 アナスタシアの性格を考えれば、進展がなければないと断言する。

 だというのに今のような言い方をするということは、何か進展があったのかもしれないと、そうレイに思わせるには十分だった。


「うーん、そうね。まだ正確には分からないけど、ウィスプを通して放出されている魔力がちょっと普通と違うみたいなのよ。とはいえ、私もウィスプは殆ど見たことがないから、正確には言えないんだけど」

「放出か。……異世界から召喚するんだから、そう考えればおかしな話じゃないのかもしれないな」

「具体的にどうやって異世界から転移させているのかが分からない以上、それが鍵じゃないかと思ってるんだけど……ただ、その辺を確実にそうだと言えないのが痛いのよね」

「それがはっきりすれば、もしかしたら異世界からこちらが希望する物を転移させたり、場合によってはこっちから人を送れたりする可能性もあるのか?」

「どうかしら。その辺はもっと時間を掛けて調べてみないと分からないわね。そうだと、こちらも色々と興味深いんだけど」


 そう告げるアナスタシアの目には、強い好奇心の光がある。

 それを見て、だから先程自分がやってきた時、もう来たのかと言ったのかとレイは納得する。

 いつものまだ研究していたいという思いから出た言葉ではなく、ウィスプの能力を解明する……かもしれない、鍵を見つけたからこその言葉。


「その気持ちは分かる……とは言えないが、ともあれ今日は戻るぞ。アナスタシアとファナには頼みたいこともあるしな」

「頼みたいこと? 一体何があったの?」

「ゴブリンの集落でな」


 そう言い、レイはゴブリンの集落であったことを説明していく。

 最初に冒険者に、そして騎士に説明したこともあってか、レイの口から出る説明は非常に聞きやすい。……もっとも、聞きやすいからといってゴブリン達の行ったことを不愉快に思わないかと言えば、それはまた別の話なのだが。


「……そう。ゴブリンが……」


 レイの説明を聞き、短く呟くアナスタシアだったが、その口調の中には紛れもなく怒りが混ざっていた。

 ファナは仮面でその表情が分からないが、それでも雰囲気で怒っているのが分かる。


「そんな訳で、明日の馬車でギルムに連れていくんだけど、それまで女達の世話をする奴がな……な?」


 レイの言葉に、アナスタシアは野営地にいる面々を思い出し、納得する。


「なら、しょうがないわね。……ただ、レイ。一つ聞きたいんだけど、そんな真似をしたゴブリンは殲滅したのよね?」

「殲滅って……いやまぁ、殆どは殺したけど、集落がかなり大きかったし、こっちも人数的な問題があったし、トレントの森の中だから大規模な魔法も使えないし」

「つまり、殲滅は出来なかったの?」

「そうなる。元々日中の襲撃だから、集落の外にいたゴブリンも多い。実際、野営地からここに来るまでの間にゴブリンに襲われたからな。ただ……正直なところ、集落を率いていたゴブリンを逃したってのは痛い。出来ればあの集落で倒しておきたかったんだが」

「なら、倒しておいて欲しかったんだけど」


 不満そうな様子のアナスタシア。

 アナスタシアにしてみれば、ゴブリンの存在は決して許せるものではないのだろう。

 レイもそれは分かっていたが、それでも今回逃してしまった以上、どうしようもない。


「次に見つけたら、可能な限り殺すよ」


 結局、レイが口に出来るのはその言葉だけだった。

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