第2234話

 レイにとっては予想外のことに……そして幸運なことに、アナスタシアとファナの二人は、野営地に戻ってくると積極的にゴブリンの集落に捕らえられていた女達の世話をした。

 普段は人見知りのファナですら、積極的に女達の世話を行う。

 これには、レイを含めてこの場にいる者達にとってかなり助かるのは間違いなかった。


(まさか、アナスタシアがここまで積極的に女達の世話をしてくれるとは思わなかったよな)


 そう思いつつ、レイはアナスタシアに促されるままに、布の類を出していく。


「そう言えば、女達が寝る場所はどうするんだ? 俺のマジックテント……」

「却下よ」


 マジックテントを貸してもいいと、そう言おうとしたレイの言葉を遮るようにアナスタシアは告げる。

 レイとしても他人にマジックテントを貸すというのはあまり気が進まなかったので、断られたらそれ以上勧めるといったつもりはなかった。

 だがそれでも、まさかこうもあっさりと断られるとは思っていなかったのか、驚きの視線をアナスタシアに向ける。

 そんなレイの視線に、アナスタシアは呆れの視線を向けて口を開く。


「あのね、マジックテントはレイが普段から使っているテントでしょ。今の彼女達に、男が使っていたテントを使わせるのはどうかと思うわよ。幾らマジックテントが快適でも、今日は誰も使っていなかった予備のテントの方がいいのよ」


 そういうものなのか? と思うレイだったが、アナスタシアがそう言うのであればと納得する。

 実際、予備のテントもそれなりにあるので問題がないという点も大きい。

 もし予備のテントがなければ、渋々レイのマジックテントを使っていた可能性もあったのだろうが。


「ほら、分かったらさっさとテントを建ててきて。場所は私のテントの隣よ」


 アナスタシアに急かされたレイは、今の状況では自分が出来るのはそれくらいだと判断し……ふとその足を止めると、鍋を取り出す。


「取りあえずあの女達も腹が減ったら気力も湧かないだろうから、これでも飲ませておいてくれ」


 レイが取り出したのは、野菜スープ。

 肉の類は全く使われていない、本当に野菜だけで作ったスープだ。

 肉を使っていないので男の冒険者にはあまり評判がよくないスープなのだが、女の冒険者にはそれなりに評判が高い。

 ……作るのにかなり手間暇が掛かっているので、それこそ肉の入ってるスープよりも高いというのも、肉を好む男の冒険者にはあまり好まれていない理由なのかもしれないが。


「あら、気が利くわね。あの子達も、このスープなら飲めるでしょうから、ありがたくいただくわ」


 そう言い、アナスタシアは鍋とお玉、皿とスプーンをレイから受け取って立ち去る。

 そんなアナスタシアを見送ってから、レイはセトの姿を探す。

 すると、水狼と戯れているセトの姿を発見した。

 ……とはいえ、戯れているというのはあくまでもセトと水狼の感覚での話だ。

 周囲にいる者達にしてみれば、模擬戦……いや、喧嘩をしているようにしか見えない。


「おい、レイ。セトと水狼……止めなくてもいいのか?」


 冒険者の一人がレイに向かってそう尋ねてくるが、レイはその言葉に問題はないと首を横に振る。


「ああ見えて、遊んでいるだけだ。心配する必要はない」

「……そう、なのか?」


 客観的に見れば、とてもではないがそのようには思えない。

 思えないのだが……それでも、セトの飼い主にして、水狼の交渉相手のレイがそう言うのであれば、と冒険者も納得する。

 それでも心配そうに水狼とセトを見ていたが。


「さて、少し遅くなったけど、そろそろ夕食にするぞ」


 レイの言葉に、セトと水狼の心配をしていた者も、待ってましたと笑みを浮かべる。

 夕食と口にしているレイだったが、太陽は完全に落ちている。

 それでも焚き火や巨大なスライムが燃えている明かりもあってか、光源に困ることはなかったが。

 腹が減りすぎて焚き火でパンや魚を焼いていた者もいたのだが、そのような者にとってもレイの言葉は待ち焦がれていたものだ。

 レイが次々にミスティリングから料理を取り出していく。

 そんな中でも皆のテンションが一番上がったのは、オーク肉のブロック肉……それこそ三十kgはありそうな塊の肉を取り出した時だろう。

 勿論その肉は生という訳ではなく、じっくりと火を通されており、普通に食べることが可能だった。

 料理の種類としては、そこまで特別なものではないのだが、やはり丸焼き……とまではいかずとも、大きな肉を料理して食べるというのは、男の本能を刺激するのだろう。

 とはいえ、その歓声は本当に心からのものという訳ではなく、かなり無理をしてのものでもある。

 ゴブリンの集落を完全に殲滅することが出来ず、集落を率いていた上位種か希少種を逃がしてしまったというのは、やはり思うところがあったのだろう。

 それでも、少し無理をしてでも騒ぎながら夕食を楽しむ。

 肉やパン、魚、野菜……様々な素材を使った料理が用意され、それを食べる。


「ワン!」


 と、そんな夕食の場所に、水狼が姿を現す。

 吠えた水狼の横には、かなり大きな……それこそ全長一mはあるだろう魚が置かれていた。


『うおっ!』


 いきなり出て来た巨大な魚に、皆が驚きの声を上げる。

 突然巨大な魚が出て来たのだから、それも当然だろう。

 とはいえ、魚が大きいということで問題もある。


「これ……どうやって焼く?」


 そう、どうやって調理をするのかといった問題が。

 かなりの大きさを持つ魚だけに、普通に焼こうとしても中まで火を通すのは難しい。

 そうなると、考えられる手段としては切って焼くという方法だろう。

 ……とはいえ、もう皆が食事をしている中で料理をするというのも、あまり気が進まない。

 レイもまた、他の面々同様に空腹なのだから。


「貸して下さい。調理器具もありますよね?」


 と、そんなレイの背中に掛けられる声。

 声のした方を振り向いたレイが見たのは、仮面をつけた女……ファナだった。

 人見知りをする性格をしているファナなのだが、今は何故か堂々とした姿を見せている。

 そんなファナの迫力に押されるように、レイはミスティリングの中から包丁やまな板、フライパン、鍋といった簡単な調理器具の他に、各種調味料を取り出す。


「簡単な料理しか出来ませんけど、いいですか?」

「え? ああ、それは別にいいけど……平気なのか?」


 レイの問いに、ファナは小さく頷く。

 実際には、やはりまだ人見知りが直ったという訳ではなく、無理をしているというのはレイにも理解出来た。

 だが、ファナはレイ達の為を思ってこうして出て来たのだから、その善意に甘えることにする。


「では、ちょっと失礼します」


 そう告げ、包丁の背中で鱗を取り、頭を切って腹を裂き、内臓を取り出す。

 一m程もある魚だけに、捌くのは大変そうだと思っていたのだが、多くの冒険者やリザードマン達が見ている前で、ファナは素早く調理をしていく。

 魚を捌くことに集中している為か、次第にファナは周囲の視線を気にしなくなっていく。


「ワウ」


 そんなファナを見て水狼が嬉しそうに鳴いたのは、魚の内臓を丸呑みして体内で吸収したからだろう。

 その内臓が美味かったのかどうかは、レイにも分からない。

 基本的に、レイは焼き魚を食べる時は内臓を取る。

 サンマの内臓を食べる人のように、内臓を好まれる魚もいる。

 レイの場合は内臓があってもなくてもどっちでもよかったが、どちらかと言えばやはり内臓はない方が食べやすい。

 この辺は人の好みにもよるし、レイは日本にいた時の自分は味覚がお子様だったという自覚もあった。

 ……あん肝を始めとして、少数の例外は存在するが。

 ともあれ、水狼が魚の内臓を美味そうに食べたのは事実だ。

 それを見た冒険者やリザードマン達の中には、もしかして今の魚の内臓は美味かったのか? と疑問に思う者も多かったが……水狼がゴブリンの肉も美味そうに食べていたのを思い出せば、自分も食べたいとは言えなかった。


(美味い……のか?)


 そんなことを考えている間にも、ファナは手早く料理を進めていく。

 スープ用の大きな鍋に油を敷き、洗った魚をぶつ切りにして野菜……夏が旬の、いわゆる夏野菜と一緒に炒めた後で、ソースを入れて手早く煮込む。

 まだ若干余っている魚のうち、三枚下ろしにした頭部と中骨、身と身の間にある骨や身についていた腹骨は焚き火で炙った後で別の鍋に残っていた身と一緒に入れる。

 こちらは夏野菜という訳ではなく、適当な野菜と一緒に炒め……レイが以前買った魚醤を使い、味を調える。

 結果としてスープが二品となったが、全く違う種類のスープだけに、どちらを見ても皆が美味そうに思える。


(じゃっぱ汁みたいな感じだな)


 じゃっぱ汁というのは、元々は青森県の料理ではあったのだが、レイの住んでいた場所でも普通にその名前は使われていたし、作られてもいた。

 言ってみれば、魚のアラを使った味噌汁だ。


「こっち、貰っていきますね」


 料理を作り終わったファナはそう言い、最初に作った魚と夏野菜のスープを自分達が食べる分だけ別の鍋に移すと、そのまま去って行く。

 残ったのは、多少減った魚と夏野菜のスープと、こちらは手つかずの魚のアラのスープ。

 それを、この場にいる男達は皆で争うように食べる。


「ワン!」


 水狼が自分もと鳴き声を上げれば、今回の料理のメインとなる食材を用意したのが水狼である以上、分けない訳にもいかない。

 そうして皆でファナの作った料理を食べ……楽しい夕食の時間は終わる。


「ワウ……ワウワウ」

「グルゥ? グルルルルゥ」


 レイはセトと話している水狼を眺めながら、ふと湖の方に光が見え、そちらに視線を向ける。

 すると、そこには以前も見た空を飛ぶ光るクラゲの姿があった。


「お」


 そんなレイの言葉に、食事を終えてゆっくりとしていた者達も湖に視線を向け、光るクラゲが浮かんでいるのを目にする。

 以前と同じように、光るクラゲは空中を浮かびながら岸の方にやって来たのだが……

 ビクリ、と。

 水狼がいるのを見つけたのか、クラゲの群れは全てが一斉に空中で止まる。


「ワン!」


 そんなクラゲに一鳴きする水狼。

 それを聞いたクラゲ達は、再びレイ達の方に向かって近付いてくる。

 水狼がクラゲ達に向かって許可を出したのだろう。

 自分の腕に触手を伸ばしてくるクラゲを見ながら、レイは改めて水狼について考える。

 その実力と、クラゲに命令することが出来ていたことを考えると、水狼が湖の中で上位に位置する存在であるのは間違いない。

 レイはてっきり現在も燃え続けているスライムが湖の頂点に位置する存在だと思っていた。

 だが、こうして見た限りでは、圧倒的なまでの巨体ではあっても、ろくに知能らしい知能のなかったスライムと比べて、自分達の言葉を理解出来る水狼の方が、明らかに知能は高い。

 だとすれば、水狼の方が湖の主と呼ぶべき存在なのではないか。

 実際、水狼はレイ達とも交渉――今朝行われたのが本当に交渉と言えるのかどうかは微妙だが――すらしている。

 夜の闇……というには周囲が焚き火や燃えているスライムで明るいが、ともあれ夜の闇に光るクラゲを見ながら、レイはそんなことを考え……そんなレイの様子にクラゲは不満を持ったのか、離れていく。


(クラゲと遊んでいる時、水狼のことを考えたのが悪かったのか?)


 空中を浮かび、それこそ漂うという表現が相応しい様子のクラゲを眺めつつ、レイはそんな風に考える。

 とはいえ、離れていってしまった以上、今ここでそれ以上何を考えても意味はないだろうと判断し、周囲の様子を眺め……と、何人かの女が男達のいる方に向かって歩いて来ているのが見えた。


(何かあったのか?)


 もしかしてゴブリンがどこかから出たのか。

 一瞬そう思ったが、女達には慌てていたり、逃げようとしていたりしている様子はない。

 それどころか、笑みすら浮かべて話しながらレイ達のいる場所まで近付いてくる。


『……』


 女達も、レイを含めて男達の前にやってくるとさすがに笑ってはいられないのか、緊張した様子を見せる。

 また、レイ達もこの状況でどう声を掛ければいいのか迷う。

 結果として、双方ともに沈黙を保ったまま数秒が経過し……やがて、先頭にいた女が口を開く。


「その、ありがとう。魚のスープ美味しかったわ」

「喜んで貰えて何よりだ……って言いたいところだけど、あのスープを作ったのはファナなんだよな。材料を獲ってきたのは水狼だし」

「ワン!」


 レイの言葉が聞こえたのか、水狼は自慢げに鳴き声を上げ……それを聞いた皆は笑い、全員で光るクラゲを見物するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る