第2221話

「じゃあ、今日も無事に一日が終わったことを祝って……乾杯!」

『乾杯!』


 レイの言葉と同時に、皆がそれぞれコップをぶつけ合ったり、すぐに口に持っていって飲んだりと、嬉しそうな様子を見せる。

 ……もっとも、今夜も見張りの仕事がある以上、当然のように酒を飲んだりといったことは出来ない。

 その為、皆が持っているコップの中に入っているのは、冷えた果実水だ。

 それでも飲んでいる者達が嬉しそうなのは、夜になったにも関わらずまだ決して涼しいとは言えないからだろう。

 焚き火をしているというのも影響しているのか、少し動けば軽く汗を掻くくらいの暑さではある。

 すぐ側に湖がある以上、もう少し涼しくなってもおかしくはないのだが。

 ともあれ、それだけ暑いだけに酒ではなくても冷たい果実水でも十分に嬉しかったのだろう。


「それにしても、まさかスラム街の裏の組織を五つも潰すとはな。レイのやることだから納得は出来るけど、驚きの方が強いな」


 レイの側で食事をしていた男の一人が、豪快に笑いないがらそう言う。

 ここにいるのは相応に腕が立ち、ギルドから信用されている冒険者達だ。

 それだけに、スラム街に幾つも裏の組織があるということは当然のように知っているし、そのような組織がどれだけの実力を持っているのかというのも知っている。

 だからこそ、そんな組織をレイが一日で五つも滅ぼしたと言われれば、それに驚くなという方が無理だった。


「そうか? 裏の組織を潰すのは、ここにいる奴ならそれなりに出来るんじゃないか?」


 レイのその言葉に、話していた男……だけではなく、他の男も微妙な表情になる。

 レイの言う通り、ここにいる者なら裏の組織と互角に戦うことは出来るだろう。

 だが、それはレイが行ったような正面からの戦いではなく、言ってみればゲリラ戦を行い、敵の組織のメンバーを一人、もしくは数人ずつ順番に倒していけばの話だ。

 また、組織の中にも……いや、裏の組織の人間だからと言うべきか、相応に強い者も多い。

 そのような者と戦った場合は、それこそ一対一で勝てるかどうかも怪しい。


「俺達も一定以上腕が立つという自信はある。だが、それでもお前のように正面から戦いを挑んで組織を潰すなんて真似は出来ねえよ」

「そういうものか? ……まぁ、それならそれでいいけど。……それより、あっちを何とかした方がよくないか?」


 ふとレイの視線が逸れたのは、アナスタシアの近くにいる男だ。

 何とかしてアナスタシアに話し掛けようとしているのだが、勇気が出ないのか実際には話し掛けることが出来ないでいる。

 そんな男の様子を見ているのは、レイだけではない。

 他の者達も何人か、そんな様子に視線を向けている。


「あいつも、ここに回されるくらいなんだから、冒険者としての実力は高いんだがな」


 はぁ、と。

 レイの側でオーク肉の煮物を食べていた冒険者の一人が、呆れたように言う。


「お前の言いたいことも分かるけど、敵を倒すのと惚れた女に声を掛けるのだと、戦う方が楽だって奴もそれなりにいるぜ? ……まぁ、どこかの誰かさんは美女ばかりを口説き回ってるようだがな」


 また別の冒険者の一人が、意味ありげにレイを見ながら告げる。

 視線を向けられたレイは、相手が何を言いたいのかは分かっていた。

 エレーナ、マリーナ、ヴィヘラという、方向性は違うが全員がとんでもない美人な三人から好意を寄せられ、更にはアーラやビューネといった二人とも一緒に行動している。

 そんな状況である以上、自分が嫉妬の視線を向けられるというのは、当然のことだと理解出来たからだ。

 ……もっとも、好意を寄せられている三人はともかく、アーラとビューネもエレーナ達の一員に入れるのは、正直どうかと思わないでもなかったが。

 アーラはあくまでもエレーナの側近としてレイと一緒に行動しているのであり、ビューネの方はヴィヘラがレイと行動を共にしているから一緒に行動をしているのだ。

 勿論、アーラとビューネもレイに好意を持ってはいるが、その好意は男女間のそれではなく、仲間や友人に対してのものでしかない。

 もっと正確に言えば、アーラはエレーナの想い人であるという好意で、ビューネにいたっては自分に食べ物をくれる人という認識だろう。

 とはいえ……その辺の説明をしても上手く説明出来るとは思えないし、何よりもその説明で相手が納得するのかというのは、また別の話だ。

 レイが何と言おうと、アーラが貴族の令嬢で美人と呼ぶのに相応しいくらいに顔立ちが整っているのは変わらないし、ビューネの方も最近は好きなだけ食べられるようになっている為か、女らしい身体つきになりつつあるのだから。

 真実はどうあれ、そんな面々と一緒に行動しているレイに嫉妬するのは、ある意味で当然だった。

 ましてや、ここにいる冒険者は全員が男だ。

 それだけに、余計レイに対しては強い嫉妬を抱いてしまうのだろう。

 それでもギルドに信用されている者だけがここにいるので、嫉妬からレイに喧嘩を売るなどといった馬鹿な真似をするような者がいないのは、レイにとっても面倒がないという意味で幸運だったのだろうが。


「取りあえず、今日は色々と忙しかったのは間違いないな」

「そうかい。それなら明日も忙しくなるかもしれないな」


 何らかの確信を持っているかのように尋ねてくるその様子に、一体どういうことだ? と若干の疑問を持つレイ。

 だが、レイがそれについて聞くよりも前に、男は別の冒険者と話しに行く。

 後を追ってもっとしっかりと話を聞くべきか? と思わないでもなかったが、ここで何かを聞こうとしても、今の様子から見る限りでは何も言わないだろうと判断する。


『レイ様、お疲れ様です』


 ゾゾが近付いてきて、持っている石版を使い、そう話し掛けてくる。


「ああ、今日はリザードマン達に何かおかしなところはなかったか?」

『いえ、特にこれといったことは。皆が穏やかに暮らしていました。兄上が少し張り切ってましたが』

「そっちはそっちでいつも通りだろ。……ならいい。湖の件で何かあったかと思っただけだ」


 そう言いながら、レイは未だに燃えている巨大なスライムに視線を向ける。

 レイがあのスライムを燃やそうとしてから、一体どれだけの日数が経過したのか。

 それこそ、いつまで燃え続けているのかは、魔法を使ったレイですら分からない。

 ……永遠に燃え続けていると言われても、今のレイなら信じてしまえる。


「リザードマンの子供達は?」

『問題ありません。元気よく周囲を走り回ってますよ。……この世界の冒険者達を見ても、特に怖がったり警戒したりしないのは、正直助かります』

「その辺は、子供だからこその強い好奇心があるからだろうな。もしそれがなければ、それこそ一体どうなっていたことか」


 小さい頃から冒険者……ゾゾ達がいた世界ではなく、この世界で生活をすることが出来れば、それは将来的にこの世界の者達を見ても敵対したいとは思わない筈だった。

 いや、何か理由があって敵対するようなことはあるかもしれないが、問答無用で敵対するといったことは気にしなくてもいい筈だ。


『そうだといいですね。……この世界は私達にとっても素晴らしい世界だといいのですが』


 どこか遠くを見てそう告げるゾゾを、レイは不思議そうに見る。

 一体何がどうなってそんなことを言うようになったんだ? と。

 ……もっとも、レイがそんなことを思っているとは、ゾゾも思ってはいないのだろうが。


「ともあれ、今この辺りはそれなりに平穏を保っている。これは正直、嬉しいことだ」

『そうですね。リザードマン達も、何だかんだとここに慣れてきてますし』


 レイの言葉にゾゾが短く告げ……そこに、ガガが姿を現す。

 いつものように三mの高い身長を見せつつ、姿を現したガガ。

 少しの間、ゾゾとガガは言葉を交わす。

 ……どちらかといえば、ガガがゾゾに向かって何かを頼んでおり、ゾゾの方はそんなガガの頼みを断っているかのような……レイの目には、そんな風に思えた。

 もっとも、あくまでもそれはレイから見たらの話であって、実際にはどうなのか分からなかったが。


(いや、でも多分そこまで間違ってる訳じゃないと思うけど。……何だか微妙に嫌な予感がしてきたな)


 ガガとゾゾの様子からそんな風に思っていたレイだったが、そんなレイの言葉を示すかのように、ゾゾは溜息と共に口を開き、その言葉が石版によって翻訳される。


『レイ様、実は兄上がレイ様と模擬戦をしたいと。……それも武器を使わず、素手でと』

「……なるほど」


 レイにとっても、ガガと模擬戦をするのはそこまで不満はない。

 だが、武器を持たずに素手でとなると、レイとガガでは身長差が大きすぎる。


(ガガの性格を考えれば、無意味に俺に不利な戦いをして勝とう……なんてことは、考えない筈だ。だとすると、何か別の理由があると思った方がいいと思うんだが。何なんだろうな)


 レイはそんな疑問を抱きつつ、ガガに視線を向ける。

 そんなレイの視線を、ガガは真っ正面から受け止めた。

 そして数秒。

 やがて、レイは小さく息を吐いてから口を開く。


「分かった、やるか」

『いいんですか?』

「ああ。ガガの様子を見る限り、引くようには思えないしな」


 お遊びで戦いを挑んでくるのではなく、何か理由があって戦いを挑んでいるというのは、ガガの様子を見ればレイにも分かった。

 であれば、向こうの要望を聞くくらいはしてもいいだろうと判断し、そう返す。

 ……実際には、何だかんだと今日は忙しかったので、ゆっくり眠りたいというのが正直なところだったのだが。

 レイが模擬戦を引き受けたのを知り、ゾゾはガガに向かってリザードマンの言葉で何かを喋る。

 リザードマンの言葉そのものは、レイには分からない。

 だが、それでも今の状況を考えれば、何を言ってるのかというのは理解出来た。


『レイ様。では、早速やりたいと兄上が』

「分かった。なら……向こうでやるか。幸い、今日は雲もないから、月明かりがあれば明かりは十分だろ」


 この場合の明かりというのは、レイではなくガガにとっての明かりだ。

 元々レイは夜目が利くので、このくらいの暗さでは全く何の問題もなく、行動出来るのだから。

 夜目が利かなくても、スライムが燃えている炎で明かりは十分かもしれないが。


『それで問題ないそうです』


 ガガとの通訳をしているゾゾの言葉にレイは頷き、その場を後にする。

 当然のように、ガガもそんなレイの後に続く。

 いや、それだけではなく、先程まで夕食を食べていた冒険者達までもが、何故かレイ達の後を追う。

 ……その中に、アナスタシアとファナがいて、その隣にはちゃっかりと今の話の流れで話し掛けることに成功したのか、先程からアナスタシアに話し掛けようとしては躊躇っていた冒険者の姿もある。

 周囲からは、上手くやりやがってといった視線を向けられているが、本人は全く気にした様子もない。

 そんな集団が、焚き火をしている場所から十分に離れていく。

 そうしてレイはガガと向かい合う。

 レイとガガから少し離れた場所では、それぞれが料理を手にして模擬戦を見学している。

 向かい合い、数秒。

 ガガは地面を蹴って前に出る。

 その巨体を活かして拳を振るうガガ。

 当然の話だが、デスサイズや黄昏の槍といった長物を持たないレイのリーチは短い。

 ある意味、レイの戦闘はその長物によって自分の背の低さから来る手足の短さをカバーしていると言ってもいい。

 ガガも当然その辺は理解しているので、現在はこうしてレイを近づけさせないようにして攻撃をしているのだろう。

 だが……例えレイの攻撃がリーチの差で当たらないとしても、それはあくまでも同じ場所から攻撃をすればの話だ。

 敵の攻撃を回避しながら、レイはガガの懐に入り込む。

 ガガはその巨体とは裏腹に攻撃の速度は決して遅くはない。

 うどの大木という言葉とは全く無縁のリザードマンだ。

 だが、それでもレイにしてみれば、決して速くはない。

 ガガの懐に入り込み、拳を突き出そうとして……


「ちぃっ!」


 不意に聞こえてきた風を切る音で、その場から離脱する。

 ……それでいながら、離脱する前にガガの胴体に拳の一撃を放っている辺り、抜け目がないということだろう。

 とはいえ、退避しながらの一発だけに、威力はそこまでない。

 いや、これが普通の相手なら悶絶してもおかしくはないダメージを与えられるのだが、今回に限っては相手がガガということもあり、そこまで強力な一撃ではなかったのだ。

 そしてレイが退避した次の瞬間にはガガの肘がレイのいた空間を貫き……そして、お互いは無言のままで再度対峙するのだった。

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