第2214話
レイが呪文を唱え終わると、薄青の光の膜に包まれた建物諸共に赤いドームが包み、そこにはトカゲの形をした火精が次々に生まれていく。
いつも以上に大量に注ぎ込んだ魔力によって、生み出されたトカゲの数は数万……いや、数十万にも及ぶ。
あるいは数百万にすら達していてもおかしくはない。
火精そのものは小さいが、それでもそれだけの数が揃えば、当然のようにドームの中は火精で一杯になる。
小さな蟻が無数に存在しているかのような、そんな感覚。
それこそ、何も知らない者が見れば気持ち悪く思ってもおかしくはないだろう。
……レイの隣でその光景を見ているラザリアは、それとは別の意味で顔色を青くしている。
道化師のアジトを破壊した時の火力も、もの凄かったのだ。
だというのに、ラザリアが土の壁の穴から見ている光景は、それとは比べものにならない程の火精が集まっている。
これで魔法が発動したらどうなるのか。
いや、魔法が発動したらではなく、魔法が上手く制御出来なかったらどうなるか。
考えられる可能性としては、それこそスラム街そのものが消滅してもおかしくはない威力になるのではないかということだった。
「だ、大丈夫なんですよね?」
不安そうに尋ねるラザリアに、レイは特に気負う様子も見せずに頷き……魔法を発動する。
『火精乱舞』
瞬間、火精の一匹が爆発し、その爆発によって他の火精もまた爆発し、次の火精が爆発し……と、次々と火精は爆発していく。
その爆発ですら、大きな……大きすぎる被害を周囲に与えると確信出来るだろう無数の爆発。
だが、この魔法の真価がどこにあるのかというのは、先程その魔法を見たラザリアは知っていた。
多数の爆発に紛れてラザリアには分からなかったが、とうとう最後の火精が爆発し……次の瞬間、赤いドームの中は爆炎とでも呼ぶべき炎が生み出された。
天の光のアジトを覆っていた薄い青の光のドームは、最初こそ炎の攻撃を何とか防いでいたが、やがて次第にその光のドームにヒビが入っていく。
それこそ、外からは赤いドームの中の音は全く聞こえないが、レイの耳にはパキパキパキ、という音が聞こえたように思えた。
勿論、幻聴だろうというのはレイも分かっていたのだが。
ともあれ、天の光のアジトを守っているバリアとでも呼ぶべき薄い青の光のドームは、その防御力が足りなかった。
(あ)
一瞬、本当に一瞬だったが、赤いドームの中で荒れ狂う炎の隙間から、青いドームのすぐ内側で絶望的な表情を浮かべている男の顔を見ることが出来た。
だが、それは本当に一瞬だった為か、ラザリアにはその姿を見ることが出来なかったのだろう。
見られなかったのなら、見ない方がいい。
そう判断したレイは、ラザリアにその件は何も言わず、炎によって急速に劣化していく薄い青の光のドームを眺める。
そして……やがて、限界が訪れた。
まるで落としたガラスが割れるように、もしくは冬に水たまりの表面にある薄い氷が割れるように、薄い青の光のドームが破壊されたのだ。
先程同様に、パリンッという音が聞こえたような気がしたレイだったが、恐らく気のせいだろうと忘れておく。
だが、聞こえてきた音が気のせいであっても、薄い青の光のドームが割れたのは間違いなく……赤いドームの中で燃えさかっていた爆炎は、天の光のアジトに炎の舌を伸ばす。
天の光のアジトを守っていた防御がなくなった以上、それを防ぐ術はなく……炎は一体どれだけの温度になっているのか、それこそ触れた瞬間に建物を燃やし始める。
その恐怖からか、それとも薬を扱う組織だけに自分達でも薬を使っていたのか建物から数人が逃げ出してくるが、建物から数歩も歩かないうちに、どこからともなく襲ってきた炎に呑み込まれ、瞬時に死体と化す。
偶然……本当に偶然、仲間が燃やしつくされても、助かった者もいる。
だが、その人物も仲間が殺された恐怖から少しでも離れようと数歩走ったところで、次の瞬間には炎によって燃やしつくされた。
「……」
そんな光景を、それこそ言葉にも出来ないといった様子でラザリアが見つめる。
スラム街に薬を持ち込んだ憎むべき相手だったが、薬そのものは以前から小規模ではあるが存在していた。
それをここまで大規模に薬を蔓延させた者達が、次々に焼き殺されていく光景は、ラザリアにとっても何とも言いがたい……言葉にするのは難しい、そんな感覚がある。
ともあれ、唯一天の光のアジトを守っていた薄い青の光のドームが消えてしまえば、もう天の光の者達にはどうすることも出来ない。
幸いにして、炎が荒れ狂っている光のドームの中の音は聞こえてこないので、怨嗟の声が上がってもそれがレイやラザリアに届くようなことはない。
(とはいえ、少し魔力を込めすぎたか?)
視線の先で燃えさかる炎を見ながら、ふとレイはそんなことを思う。
建物を完全に燃やしつくす為に、かなりの魔力を注ぎ込んだのは間違いない。
だがそれでも、少し魔力を注ぎ込みすぎたのでは? と若干の疑問を抱く。
それだけ、建物を燃やしている炎は強烈だったのだ。
轟火といった表現でも、まだ足りないのではないかと思うくらいに。
だが、建物の中にある薬を完全に消し去り、またその薬が燃えた時に出る煙をも燃やし、更には地下通路の類があった場合は、そこを脱出する者達をも焼き殺す――この場合は蒸し殺すか――のだから、このくらいの炎は当然だった。
「あ……」
ラザリアが、赤いドームの中で天の光の建物が燃え崩れていく光景を見て、小さく呟く。
とはいえ、それだけで赤いドームの中の光景が終わった訳ではない。
崩れ落ちたとはいえ、そこにはまだ建物が形を残している。
レイの魔法によって生み出された、赤いドームの中の炎は、そんな建物の残骸の存在すら許さないとして、より一層炎の勢いが増していく。
建物の残骸……そして中にいた天の光の構成員や、建物の中にあった薬の類も、レイの生み出した炎が次から次に全てを灰にしていく。
中には何らかの手段で熱や炎に対して強い耐性を持っている者もいるのだが、そのような者は運がいい……どころか、悪いとしかいえない。
普通ならスキルかマジックアイテムか、それとも装備か。
理由は分からないが、これがただの火事なら、その耐性でどうにか乗り越えることが出来ただろう。
だが、その者達にとって不幸なことに、レイの魔法によって生み出された炎はとてもではないが普通の炎とは呼べない。
……寧ろ、高い耐性があるだけに一瞬にして焼き殺されるのではなく、少しずつ耐久を削っていくという、ある意味で自分が死ぬ寸前の光景をしっかりと認識出来てしまう。
その恐怖に耐えられなくなったのか、短剣で自分の首を斬る者。もしくは商品の薬を使って恐怖心を麻痺させる者……はたまた、建物が燃やされた影響で薬も燃やされ、その煙を吸って高揚したりする者といったように、それぞれがそれぞれの運命を辿る。
「辛かったら、別にお前が最後まで見る必要はないぞ」
「いえ、僕が頼んだことですから。……それに、壁の穴から見える光景だけが全てではないですし」
ラザリアのその言葉に、レイはそれ以上何も言わない。
この光景だけが全てではないというのが、具体的にどのような意味を持ってるのかは、レイにも分からない。
だが、ラザリアの真剣な表情を見れば、それが何か大きな意味を持つのだろうというくらいは予想出来る。
その辺の事情を知らない自分が、ここで何を言っても意味はない。
そう判断したのだろう。
(そう言えば、天の光のアジトが燃えてる訳だけど、ジャンキー達はどうなったんだ?)
ふと、そんなことが気になったレイは、土の壁に空いている穴から周囲の様子を見る。
そこには、ラザリアとは違った意味で言葉も出ないといった様子で燃えている天の光のアジトを見ているジャンキー達の姿があった。
壁の穴そのものがあまり大きくないので、しっかりとは分からない。
だが、ジャンキー達の視線にあるのは、絶望や虚無感のように思える。
もしくは、薬の効果でまだトリップ中で目の前の光景を理解出来ない者達か。
(取りあえず、出来るだけ早くここから脱出した方がいいだろうな)
天の光のアジトが消滅するということは、当然のようにこれまでのように薬を得られなくなる。
であれば、薬に依存している者達にとって、これから先は地獄となるだろう。
……もっとも、薬を続けていれば結局は破滅するのだから、そういう意味では絶望が近い方がまだよかったのかもしれないが。
「ラザリア、薬の中毒者になってる連中はどうするんだ? 数人程度ならともかく、見た限りだと結構な人数がいるらしいから、その連中の薬が切れて一斉に暴れ出したりしたら大事になるぞ?」
天の光が消滅して、これ以上ジャンキーが増えなくなったのは、誰にとっても朗報だろう。
だが、現在既にジャンキーとなっている者達の対処を間違うと、それこそスラム街で大きな騒動になりかねないのも事実。
中毒症状で暴れたりする者達をどうするのか。
レイにはその辺の事情はよく分からなかったが、薬を抜く治療というのもあるのだろう。
問題なのは、それが出来る人員がスラム街にいるかどうか。
そんな疑問を抱いたレイだったが、ラザリアは未だに燃え続けている天の光のアジトを見ながら、口を開く。
「その辺は心配いりません。黒犬の方で万全……とは言いませんが何とかしてみせます。僕もその辺の技術がありますし」
呆気なくそう告げるラザリアに、レイは少しだけ驚く。
いや、予想はしていたのだが、それでもそこまではっきりと言われるとは思わなかったのだ。
「そうか。……なら、その辺は俺がどうこう言う問題じゃないな」
黒犬の方でどうにか出来るのなら、レイが手伝うことはない。
いや、こういうことで下手に素人が手伝ったりすれば、それこそ最悪の結果をもたらしかねない。
(あ、でもマリーナ辺りなら精霊魔法で何とかしてくれそうだな)
そう思うも、黒犬を率いている人物のことを考えれば、マリーナの手を煩わせるような真似はしないだろうという予想は出来た。
「あ」
不意にラザリアが小さく呟く。
その声にレイが天の光のアジトに視線を向けると、そこでは燃えて半ば崩れていた建物が、今は半ばではなくほぼ完璧に地面に崩れ落ちたところだった。
だが、当然ではあるがそれでも赤いドームの中の炎は全く弱まることはない。
それどころか、少し前より炎の勢いが強くなったようにレイには思えた。
薬が焼かれて出た煙そのものも燃やそうとしていると考えれば、それは寧ろ当然のことかもしれなかったが。
「多分、後もう少しだな」
レイの呟きに、ラザリアは同意するように頷く。
ラザリアは、具体的にどのくらい燃え続けるのかというのは、当然のように分からない。
だが、それでもこうして見ている限り、炎の舞台とでも言うべき光景がクライマックスになったように思えた。
(スライムの炎の方も、そろそろどうにかなってくれればいいんだけどな)
そんな風に思うレイだったが、湖の側で燃え続けている炎は今のところ燃えつきる様子は一切ない。
「う……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」
湖の近くで燃えているスライムのことを思い出していたレイだったが、ふと聞こえてきたそんな声ですぐ我に返る。
一体何があった? と疑問を抱くが、土の壁の穴から外の様子を見れば、すぐに叫びの理由が判明する。
それは、赤いドームの外側にいたジャンキーの一人が、崩れ去った天の光の建物を見て叫んでいた声。
(我に返った奴が出たか。……そうなると……)
嫌な予感に、レイは改めて土の壁の穴から外の様子を見る。
すると、そこではレイが出来れば起きて欲しくないと思っていた出来事が起こっていた。
一人のジャンキーが、絶望の表情を浮かべながら、赤いドームに近付いていく。
すると、そんな一人の様子を見てか、他の者も同様に赤いドームに近付いていった。
天の光のアジトが燃えたことで、もう自分達が薬を手に入れることが出来ないと、そう理解したのだろう。
実際、それは決して間違っている訳ではない。
あるいは、偶然建物から出ていた天の光のメンバーがいるかもしれないが、いてもほんの少数だろう。
また、何よりも薬の在庫の大半があっただろう建物が燃えた以上、薬を売り捌くことは難しくなった。
あるいは、燃えているのは結局のところ支部である以上、もしかしたら本部からまた薬や人員といったものが派遣されるかもしれないが……それもまた、すぐにとは言えないだろう。
そう考えつつ、レイは周囲で騒いでるジャンキー達の絶望の声を聞きながら建物が完全に燃えつきるまで赤いドームを眺めるのだった。
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