第2212話
「……ふぅ」
レイは床に倒れているダーブを見て、ようやく安堵の息を吐く。
ダーブは、強いという訳ではなかった。
いや、強いと言えば強いのだが、より正確には戦いにくい相手という表現の方が相応しかったのだ。
ともあれ、いつまでもこうしてはいられないと判断し、ダーブの顔面を貫いた黄昏の槍を手元に戻す。
こういう時、望めばいつでも自分の手元に戻ってくるという黄昏の槍の能力は、非常にありがたい。
そんな風に思いつつ、レイはデスサイズと共にあのおかしな黒い液体に触れたことで、何か異常がないかを確認し、刃や穂先、柄についている黒い液体を振り払ってからミスティリングに収納する。
そうしてから、改めてダーブの様子を確認していく。
本来なら、胴体を上下に切断され、顔面を黄昏の槍に貫かれるといったことになっている以上、周囲に強烈な血の臭いが……そして内臓や体液の臭いが漂っていなければおかしい。
もっとも、血の臭いという意味ではこの部屋の中には多くの死体があるので、そこから漂っていたが。
金属球を投擲していた女も、気が付けば出血が多すぎたせいか、既に死んでいる。
そんな中で新たに血の臭いが漂っても、それこそ気が付けというのが難しいだろう。
「取りあえず、これで違和感がなくなったのは助かったけどな」
ダーブの胴体が切断され、黒い液体が大量に流れ出るに従って、ギルムに来てからレイの中にあった違和感が急速に消えていくのが実感出来た。
「にしても、この液体は……何だ?」
上下二つに切断された胴体。
そこから黒い液体が流れており、それがレイやセトに違和感を与えていたのは分かっていたが、レイが思わず動きを止めたのはそれだけが理由ではない。
切断された胴体の間から、手が見えたのだ。
……そう、手。
あるいは、これがダーブの本体なのか? と思いつつ、レイはダーブの下半身を軽く蹴って上半身と離す。
すると、次の瞬間にごろりという感じに、ダーブの胴体から何かが落ちてきた。
何か。
いや、それが何かという曖昧なものではなく、人の手足、そして顔だというのはレイにもしっかりと理解出来た。
黒い液体に塗れていることから、どのような顔をしているのかというのは、レイにもはっきりとは判別出来ない。
だが、顔や……そして胴体の中から現れた身体には服を着ておらず、胸の膨らみから女であるというのは理解出来た。
「これは、一体……」
この女がダーブの正体なのか? と、改めて疑問を感じるレイ。
だが、それにしては疑問がある。
胴体を真っ二つに切断したのに、何故か黒い液体に塗れた女は胴体と四肢、頭部がそれぞれ切断されている状態でダーブの体内にあったのだ。
一応といった様子で女の顔を確認するレイだったが、その女の顔を見たことはない。
顔に黒い液体が付着しているので、しっかりと顔を確認した訳ではなかったが、それでも見覚えはなかった。
実はこの女がレイを暗殺するように言われていたフランソワという女だとレイが知っても、実際に顔を合わせたことのない相手……それも自分の命を狙っていた相手だと知れば、特にどうという事も思わなかっただろうが。
ともあれ、レイはダーブの体内に切断された状態でいた女が、そのような女であるというのは知らないので、何らかの理由でダーブによって殺された女……それもダーブの体内にいて、黒い液体に浸かっていたということは、恐らく自分に違和感を与えていた理由が何かあるのだろうと、そう思うだけだ。
そういう意味では、女に哀れみすら抱いていると言ってもいい。
女の能力として、レイに違和感を与えていたのか、それとも黒い液体こそがレイに違和感を与えていた理由であり、その黒い液体を有効に働かせる為に女の存在が必要だったのか。
今となっては、その辺の事情は分からない。
レイが分かるのは、ただ目の前にはダーブの死体があり、その死体の中には女の死体が入っていたというだけで、そしてレイがギルムに来てからずっとあった違和感が消えたというだけだ。
「まぁ、ダーブの死体という表現はどうかと思うけど」
一応ダーブの頭部が破壊されて、そこから血は流れている。
それだけを見れば死体と言ってもいいと思うのだが、胴体に収まっていたのが内臓の類ではなく、女の死体と黒い液体だったのだ。
それを見れば、とてもではないが目の前に倒れているダーブが、死体だとは思えない。
「そうなると、やっぱり人形の方式だったのか」
ダーブが生身ではない以上、もしかしたら風船のような胴体に小柄な相手が入っていて、ロボットを操縦するかのようにダーブを動かしていたのではないか。
そんな疑問もあったが、ダーブを見ていれば、今の状況では何を考えても意味はない。
「……さて。どうするべきか」
道化師という裏の組織の戦闘要員達は、レイがほぼ殲滅したと言ってもいい。
あるいは、まだ若干の実力の持ち主が建物の中にいる可能性はあるが、今のこの状況で出て来ないとなると、その実力はレイを倒せるような者ではないのだろう。
勿論、あくまでもいればの話なのだが。
「建物を破壊されたくなければ、出て来い」
一応といった感じでそう告げるレイだったが、誰かが出て来る様子はない。
鞭を持っていた女とのやり取りから、この建物のどこかに戦闘能力を持たない人員がいるのは、ほぼ確定だった。
だが、その人物をどうやって見つけるかとなると、また難しい。
違和感が消えたので、気配の類を察知する能力は元に戻ったが、そんなレイであっても、建物の中にある気配を察知するのは難しかった。
「マジックアイテムとかお宝がどこにあるのか、それが分かっていればそこにいけるんだけどな。それも難しい訳だ」
はぁ、と。
現在の状況で一体どうしたらいいのかと、そんな疑問を抱くレイ。
道化師の面々は、その多くが何らかのマジックアイテムと思われる武器を使っていた。
特に姿を隠し、気配を察知させないという能力を持つマジックアイテムは、レイにとっても是非欲しいところだ。
しかし、そのマジックアイテムがどこに保管されているのか分からなければ、どうしようもない。
だからこそ、誰か出て来いといったように言葉を発しているのだ。
だが、そうやってレイが言葉を発しても、誰も出て来る様子はない。
レイの言葉を聞いて、それでも隠れているのか。
もしくは、単純にどこかに隠れていてレイの言葉が聞こえていないのか。
(そうなると、やっぱりこの建物は綺麗に燃やした方がいいか? そうすれば、誰か俺以外の者が道化師の持つマジックアイテムを入手するのも難しくなるだろうし)
自分が入手出来ないマジックアイテムを、他の誰かが持っていくのは面白くない。
そんな、言ってみればレイの我が儘ではあったが、それは同時に道化師という組織を早く壊滅させた方がいいという思いから来ているものでもあった。
また、ここでマジックアイテムやお宝を探して時間を掛ける訳にもいかないという思いもある。
そんな考えから、建物を破壊することを決意するレイ。
「誰かが出て来て、大人しくマジックアイテムとお宝を差し出すのなら、建物を破壊したりもしないんだけどな」
意味ありげに……誰かに聞こえていればいいという思いからそう呟くレイだったが、やはりレイの言葉を聞いても誰かが出て来る様子はない。
取りあえずということで、人形と思われるダーブの死体――と表現してもいいのかどうかは微妙だが――と、そのダーブの体内にあった女の死体をミスティリングの中に収納して建物を出る。
もしかしたら、建物の外でセトが何人か道化師の者達を捕らえているのではないか。
そんな思いを抱いたのだが、残念ながら外にいたのはセトだけで、地面に気絶したり、死んだりしているような者はいない。
「セト、この様子を見る限りだと、誰も来なかったのか?」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトは残念そうに喉を鳴らす。
だが、すぐに一瞬前とは違って嬉しそうに喉を鳴らした理由は、レイにも当然のように理解出来た。
「そうか、やっぱりセトも違和感が消えたのか」
「グルゥ!」
そうだよ! と鳴き声を上げながら頭をレイに擦りつけるセト。
レイはそんなセトの頭を撫でながら、ダーブを殺したことによって自分だけではなくセトも違和感が消えたことを喜ぶ。
「取りあえず、これでスラム街に来た最大の目的は達成した訳だけど……」
「え? じゃあ、今日はもう終わりにしますか?」
そうレイに声を掛けてきたのは、ラザリアだ。
レイが道化師のアジトから出て来て、安心した様子でセトと話をしているのを見て、もう安心だと判断したのだろう。
だが、レイはそんなラザリアに首を横に振る。
「いや、あの薬を流してる組織は潰しておきたい。時間も時間だし、今日はその組織を潰して終わりだな」
そうあっさりと告げるレイの口調は、農作業をしている時に最後にもう少し頑張るかといったような、簡単な口調だった。
実際、これまでと違ってレイは薬を流している組織を相手に悠長な真似をするつもりはない。
「そんな簡単に言っても……その、本当に大丈夫なんですか?」
「ああ、見てろ」
そう言い、レイはミスティリングの中からデスサイズを取り出す。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
その呪文を唱えるとの同時に、道化師のアジトの建物を中心に赤い線が地面に引かれて、やがてその線が赤いドームとなる。
『火精乱舞』
魔法の発動と同時に、赤いドームの中にはトカゲの形をした火精が何匹、何十匹、何百匹、何千匹と姿を現していき……
不意に、一匹の火精が爆発すると、それに連鎖するように他の火精も爆発していく。
一匹一匹の爆発はそこまで大きくはないのだが、その数が何千という数になれば話は別だ。
そうして全ての火精が爆発した瞬間、赤いドームの中には灼熱の炎が生み出され、ドームの内部にある全てを燃やしつくす。
ドームがなければ、炎の威力が逃がされるかもしれないが、炎は赤いドームの中に存在し、威力が弱まることなく内部の全てを燃やしつくす。
数分も経たずに建物は燃やしつくされ、赤いドームの中に何も残っていなかった。
それこそ、炭の一欠片も残っておらず、全てが完全に灰と化していた。
当然のように、建物の中にあった道化師の者達の死体も全てが燃やしつくされ、骨の一欠片も残ってはいない。
また、もしレイが考えていたように、建物の中に誰かが隠れていたとしたら、その者も当然のように燃やしつくされただろう。
「……」
その光景を見ていたラザリアは、文字通りの意味で言葉も出ないといった様子で、赤いドームが消えて、少し前までは建物のあった場所が更地になっているのをただ見ているだけだ。
ラザリアも、レイが凄腕の……それこそ深紅の異名を持つ魔法使いであるというのは知っているし、軽くであるが戦っている光景を見たこともある。
だが……それでも、今の魔法はとてもではないが信じられない光景だった。
とはいえ、いつまでも呆然としている訳にもいかないと、レイはラザリアに声を掛ける。
「どうだ? この魔法を使えば、その薬を持ち込んだ組織もすぐに消滅すると思うけど」
「え……その……でも、いいんですか? レイさんは、マジックアイテムとかを集めてたんじゃ……薬を持ち込んだ組織ともなれば、多分僕には想像も出来ないようなマジックアイテムとか、お宝がありますよ?」
「ああ、別に構わない。薬とかそういうのは、好きじゃないんでな」
レイは別に麻薬の類を知り合いが使っていたとか、そういう経験はない。
そもそも、レイが日本にいた時に住んでいたのは、都会でも何でもない田舎だ。
当然のように、麻薬の類が流れてくるといったことはなかった。
……いや、あるいは麻薬の類があってレイが気が付かなかっただけなのかもしれないが。
ともあれ、レイにとって麻薬というのは身近にあったようなものではない。
それでも学校では麻薬の危険性について何度となく説明された。
レイが麻薬の類に嫌悪感を持っているのは、その辺が理由なのだろう。
ある意味、これも教育の成果と言ってもいいのだが……レイが玲二だった時に麻薬の危険性を教えた教師達や警察官達も、まさか玲二が異世界で薬物を売っている組織を建物ごと燃やすような真似をするとは思っていなかっただろう。
「そ、そうですか。じゃあ、その……お願いします」
ラザリアは、レイの言葉に若干及び腰になりながらも頷くのだった。
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