第2175話

「んー……今日もいい天気ね。というか、朝なのに大分暑くなってきたけど……夏も近いのかしらね」


 アナスタシアが、雲一つない青空を眺めなら、大きく伸びをして呟く。

 早朝……というには少し遅いが、それでもまだ十分に朝と呼べる時間。

 そんな中、アナスタシアはファナと一緒に朝の森の空気を思う存分楽しんでいた。

 とはいえ、その言葉通り朝だというのに、既に結構気温は高い。

 湖が側にあるので、ギルムの街中より快適なのだろうが、毎日のように気温が上がるのは、アナスタシアにとって次第に夏に向かっているということを実感させていた。


「そうなのか? まぁ、そのうち慣れるだろ」


 あっさりとそう言うレイだったが、レイの場合は簡易エアコンの機能を持つドラゴンローブを着ているので、周囲の気温が暑くても全く気にした様子はない。


「ファナはどう思う?」


 レイに呆れの視線を向けたアナスタシアは、ファナに向かって尋ねる。

 話し掛けられたファナは、アナスタシアの言葉にどう対処すればいいのか迷う。

 ……いつものように仮面を被っているので、現在のファナがどのような表情をしているのかは分からないが、それでも雰囲気で戸惑っているのは分かる。


「ほら、ファナもアナスタシアにははっきりと言った方がいいぞ?」

「う……」


 ただでさえ戸惑っているところに、更にレイからの言葉が発せられると、ファナは何も言えなくなる。

 少しして、今の状況でそのような真似をしても意味はないと、アナスタシアとレイは理解し、それ以上話し掛けるのを止める。


「それで、当然だけど今日も行くんだよな?」

「ええ。今はまだ殆ど何も分かっていない状況だけど、少しでも研究を進めたいわ」


 どこに行く、何の研究を進めるか。

 その辺りについては明確に表現しないままに、レイとアナスタシアは言葉を交わす。

 ウィスプの一件は極秘情報だ。

 それこそ、知っている者の数はかなり少ない。

 だからこそ、生誕の塔の護衛に回されている者達に聞かれても問題のない範囲で会話をしていたのだ。

 ……もっとも、冒険者の中にはレイがアナスタシアと話しているのが羨ましいと思い、そのような意味で視線を向けている者もいたが。

 生誕の塔の護衛は、決してつまらない依頼ではない。

 近くにある湖からは、未知のモンスター……それも美味い魚のモンスターが獲れるし、リザードマン達もまだ完全に意思疎通出来る訳ではないが、気楽な相手なのは間違いない。

 一応護衛としてここにいるが、実際に護衛としての仕事をしたことはそう多くはない。

 それでいながら、結構な額の報酬が貰えるのだから、非常に割のいい仕事なのは間違いなかった。

 ただ一つ……いや、二つ不満があるとすれば、酒と女だろう。

 護衛の依頼をしている以上は当然だが、酒は飲まない方がいいのは明らかだ。

 ギルドから明確に禁止されている訳ではないのだが、ここの護衛にギルドから回された冒険者ということで、一定以上のモラルを持っている者が揃っているのだろう。

 そしてもう一つの不満が、女。

 冒険者の中に女でもいれば別なのかもしれないが、ここにいる女は生誕の塔と一緒にやって来たリザードマンの世話係だけ。

 種族が違いすぎて、女というのは認識出来ても口説こうとは思えないような相手だった。

 そんな中でアナスタシアがやって来たのだ。

 実際にはファナもいるのだが、ファナの場合は仮面を被っているので女と認識していない者が多数だ。

 そんな訳で、アナスタシアはこの場にいる多くの者にとって唯一の女という認識であり……そんなアナスタシアとこうして話しているレイは、当然のように嫉妬の視線で見られるのだ。

 もっとも、アナスタシアもレイもそんな周囲の視線は全く気にしていないが。

 アナスタシアは、ウィスプの研究にもう気持ちが向かっており、レイの場合はエレーナ達と一緒に行動することも多いので、この手の視線には慣れてしまっている。

 唯一、人見知りであるが故に他人の視線に敏感なファナのみが、周囲の視線に微妙な思いを懐いていたようだが。


「さて、じゃあそろそろ……行くか?」

「そうね。朝食もしっかりと食べたし、取りあえず夕食までは何も食べなくてもいいわ」

「いや、昼食くらい食えよ」


 昼食を食べる時間も惜しんでウィスプの研究をする気満々のアナスタシアに、レイは思わず突っ込む。

 レイとしては、少しでも早くウィスプの研究を進めて貰いたいという思いがあるのだが、だからといってアナスタシアが昼食を抜いてまで研究をしろ……とまでは思わない。

 そもそもの話、そのような真似をしても得られる時間は十分か、二十分か。

 食事の時間は人によっても違うので、しっかりとこうだとは断言出来ないが、それでもそう大きな時間を取れるとは思えない。

 であれば、そのくらいの時間はしっかりと食事をし、万全の体調でウィスプの研究を続けて欲しいというのが、レイの正直な気持ちだ。


「ファナ、料理は置いていくから、昼になったらアナスタシアにしっかりと食事をさせてくれ」


 そう言うレイだったが、ファナは少し困った様子を見せる。

 どうした? と思うレイに、話を聞いていたアナスタシアが呆れたように言う。


「あのね、時計なんて高価なマジックアイテムを持ってるわけじゃないのに、どうやって時間が分かるのよ?」

「……なるほど」


 レイの場合は、マジックアイテムの懐中時計を持っている。

 また、その懐中時計がなくても、ギルムでは定期的に鐘の音で時間を知らせていた。

 だが、アナスタシアとファナがいるのは、地下にある空間だ。

 とてもではないが、ギルムの鐘の音は届かないし、地下であるが故に太陽の位置で時間を理解したりといった真似も出来ない。

 地下空間にいる以上、時間を調べるのは……それこそ、腹の減り具合といったようなことで時間を知る必要があった。

 そのような時間感覚のなさが影響したのが、昨夜のようにレイが来るまで時間の経過について全く理解していなかったところだろう。

 既に夕食の準備を終えてそれを食べている時にレイとセトはアナスタシア達について忘れていたことを思い出し、迎えに行ったのだが……研究に集中していたアナスタシアは当然だが、そのアナスタシアの助手をしているファナも全く時間のことに気が付かなかったのだ。


「そうなると、取りあえず時間が云々という訳じゃなくて、腹が減ったら食事をするということで」

「それしかないでしょうね」

「……頑張ります」


 アナスタシアの言葉にそうファナが付け加えるが、頑張ることで時間感覚が分かるのか? という疑問がレイにはあった。

 数分程度であれば、ある程度は分かるかもしれない。

 だが、太陽のように時間の経過を知らせてくれるようなものがなく、本当に自分の感覚だけで調べなければならなくなった時、数十分、数時間といった時間が分かるのかと言われれば、それは難しいだろう。


「アナスタシアは時計を持ってないのか? 研究者なんだし、時計の類を持っていてもいいと思うんだが」

「うーん、王都にならあるけど、それだと意味はないしね」

「……旅をするのに、時計とかは必要だと思わないか?」

「普通ならそこまで細かく時間を気にしたりはしないわよ」


 そう言われたレイは、ふと日本にいた時のことを思い出す。

 TVでやっていた内容なのだが、電車の類で一分の狂いもなく運転をしている日本に対して、外国では数分から十数分、酷い場合には数十分もの間、電車が遅れるのは珍しくない、と。

 そう考えると、やはり自分も日本人の感覚が染みついてるのだな、と。そう思う。


(かといって、俺の懐中時計を貸すのもな)


 レイの持つ懐中時計は、非常に高価な代物だ。……もっとも、レイの場合は買った訳ではなく、盗賊狩りで入手した代物なのだが。

 ミスリル製の懐中時計だけに、値段としてもかなり高い。

 レイとしても、気軽に貸す訳にはいかない代物なのだ。


「しょうがないから、やっぱりさっきの提案通り腹が減ったら食べてくれ。夕方にはきちんと迎えにいくから」


 結局、そう話は決まるのだった。


「アナスタシアさん、どういう研究をしてるのかは分かりませんが、頑張って下さいね」


 昨夜アナスタシアに必死になってアピールしていた男が、セトの背に跨がったアナスタシアにそう声を掛ける。

 セトに乗っている順番は昨夜と同様で、ファナ、アナスタシア、レイの順番だ。

 昨日三人でセトに乗った為か、ファナもこの状況に慣れているらしい。

 ともあれ、アナスタシアに背後から抱きついているように見えるレイに、男は羨ましそうな嫉妬の視線を向ける。

 その視線に何を勘違いしたのか、レイは男に頷きを返す。


「アナスタシアはしっかりと目的の場所まで送るから、心配するな」

「あー……うん。そうだな。頑張ってくれ」


 思っていたとのは全く違う答えが返ってきたことに、男は拍子抜けしたようにそう告げる。

 男にしてみれば、現在アナスタシアと一番近い関係にあるのは、レイだ。

 だからこそ、そんなレイに対抗心を燃やしていたのだが……レイにしてみれば、そんな男の気持ちなどは分からないが故に、そう返したのだろう。


「任せろ」


 そう告げ、レイはセトに合図を送って出発するのだった。






「さて、と。……アナスタシアも無事に送り届けたし、これからどうする? やっぱり樵達から木を回収していくか?」

「グルゥ? ……グルルルゥ」


 レイの言葉に、セトはどっちでもいいと鳴き声を上げる。

 セトにしてみれば、レイと一緒にいられるのなら、どこで何をしても嬉しいのだ。

 ……もっとも、出来ればモンスターを狩りに行きたいと、そう思っているのだが。

 レイもそんなセトの様子を理解しているのか、なら樵の場所に行こうと告げる。

 レイの言葉を聞き、セトはすぐに走り出す。

 アナスタシアやファナを乗せていた時よりも速度は上だ。

 そうして数分も走ると、やがて樵達が見えてくる。

 樵の護衛をしている冒険者達が、走ってくるレイとセトの姿に気が付く。


「おーい! どうした? 今日も随分と早いけど」

「いや、ちょっとこっちに用事があってな。昨日最後に俺が来た後で伐採された木と……今朝伐採された木も、少しはあるみたいだな」

「ああ。樵の連中は今日も頑張ってるよ。……ほら」


 そう言い、耳を澄ませるように告げてくる冒険者。

 当然のように、レイにもその音……樵が斧を振るって木を切り倒そうとしている音は、聞こえてきていた。


「そう言えば、樵の人数が足りないってのは、どうなったんだ? 人数は増えたのか?」

「ん? ああ。レイが頑張って集めてきた以外にも、ギルムの上層部は色々と手を打っていたらしいからな。以前に比べるとかなり増えてるぞ。……もっとも、トレントの森に慣れるまでに時間が掛かってるから、本当の意味で使えるようになるにはもう少し掛かりそうだけどな」

「なるほど。そっちの戦力が増えると、こっちとしても伐採された木を大量に持っていけるから、ギルムの方でも楽になりそうだな」


 そうして軽く言葉を交わして冒険者と別れ、レイは伐採された木を次々とミスティリングに収納していく。


「グルゥ……グルルゥ!? グルゥ、グルルゥ!」


 近くで伐採された木をミスティリングに収納していくのを見ていたセトだったが、不意に伐採された木の間からウサギが出て来たのを見て、追いかけ始める。

 勿論ウサギといっても、ガメリオンのようなモンスターとは違う、普通のウサギだ。

 そのウサギは、セトの姿を見た瞬間に素早くその場から逃げ出そうとし……だが、素早く間合いを詰めたセトが振るった前足の一撃で、真横に吹き飛ぶ。


「グルゥ!」


 普段の……街中でのセトしか知らない者であれば、この光景を見て悲鳴を上げるような者もいるだろう。

 愛くるしいウサギを、セトが一撃で殺したのだから。

 吹き飛ばされたウサギは、近くに生えていた木にぶつかって首の骨を折り、既に死んでいる。

 そんなウサギを咥えて、どう? どう? とレイに見せつける。

 レイにしてみれば、ウサギというのはあまり食う場所がない獲物ではある。

 日本にいた時に何度か食べた経験があるが、骨が多いという印象だった。

 とはいえ、セトが獲ってきた獲物であるというのも事実なので、今日の夕食にでもするかと判断して、ウサギの死体をミスティリングに収納する。


(何だかんだと結構動物もいるようになったよな)


 そんなことを思いながら、レイは次々と木をミスティリングに収納し……やがて、セトに乗ってギルムに向かう。

 空を飛ぶセトだけに、それこそあっという間にギルムに到着し、手続きを済ませてギルムの中に入るのだが……


「ん?」


 ふと、妙な違和感があり、レイは周囲を見回すのだった。

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