第2166話

 デスサイズと黄昏の槍を手に、レイは二人の男女に視線を向ける。

 本来ならもう一人向こうには戦力がいたのだが、その一人はレイによって背骨を踏み砕かれ、とてもではないがレイと戦える状態ではない。

 ……いや、まだ生きているのかどうかも、分からなかった。

 ともあれ、喧嘩をしていると見せ掛けて自分を狙ってきた暗殺者……それも、殺気を紛らわせるような、それなりの手練れを相手にしているのだから、ここで油断するという選択肢は当然のようにレイの中にはなかった。


「行くわよ」


 刃に毒を塗った女が短く呟くと、長針を手にした男が無言で頷く。

 暗殺者達にとっても、出来れば騙し討ちが決まれば一番よかった。

 だがそれが失敗してしまった以上、取れる選択肢は多くはない。

 逃げるか、戦うか、降伏するか。

 このうち、三つ目の選択肢は問答無用で消える。

 そうなると、残っているのは逃げるか戦うか。

 だが、レイに顔を見られてしまっている以上、ここで下手に逃げても警備兵や騎士に自分達の情報が流されるだけだ。

 であれば、顔を見られたレイを殺してしまった方が色々と手っ取り早い。

 ……また、殺された仲間とは何だかんだとそれなりに付き合いは長く、その仇討ちという思いも僅かにある。

 これが、決定的なまでに不利な状況であれば、二人の暗殺者もすぐに撤退を選んだのだろうが……そういう意味では、暗殺者達は運が悪かったのだろう。

 ……そう、運が悪かったのだ。


「グルルルルルゥ!」


 レイと向かい合った二人の暗殺者に、セトが突っ込んでいく。

 レイを襲った相手も、セトの存在についてはしっかりと理解していた。

 だがそれでも、自分達なら対処出来ると、そう思っていたのだ。

 しかし、結果としてそれは意味がなかった。

 セトの速度は、暗殺者達にとっても完全に予想外だったのだ。

 ギルムに住んでいる者なら……もしくはギルムに来たばかりの者であっても、きちんと情報を集めるような者であれば、セトの存在を知っているし、その能力がどれだけのものかという情報も集めようとする筈だ。

 だが、それで得られる情報は少ない。

 ギルムの住人にとって、セトというのは愛玩動物なのだから。

 実際に戦えば強いのだが、街中でセトが戦ったことは……ない訳ではないが、非常に少ない。

 だからこそ、暗殺者達はそこまで詳細な情報を得ることが出来なかったのだ。

 ……冒険者の中になら、セトの実力を直接自分の目で見たことがある者もいたのだが、そのような者達には万が一のことを考えて出来るだけ接触したくなかったのだろう。

 時間がなかったというのも、その理由の一つではあった。

 ともあれ、街中でもその強さを見せることが多かったレイに関しては、暗殺者達も実力を察することが出来たようだったが、セトに関しては完全に予想外だったらしく……


「ちぃっ!」


 そんなセトに真っ先に反応したのは、長針を持った男。

 毒を塗った短剣を持っているとはいえ、近接戦闘をやらなければならない女と、飛び道具で離れた場所から攻撃出来る男。突っ込んでくるセトにどちらが対処しやすいのかは、考えるまでもなかった。

 男の投擲した長針は、かなりの速度でセトに向かう。

 だが……純粋に長針の投擲という点では、セトは男よりも技量が上のビューネという相手を知っていた。

 身体能力的には、明らかに男よりビューネの方が劣っている。

 それでも、男の投擲する長針よりも、ビューネの投擲する長針の方が明らかに速い。

 セトは走りながらも身を屈め、あっさりと長針を回避する。

 だが、男の方も自分の攻撃だけでセトをどうにか出来るとは思っていなかったらしく、すぐに第二射として、最初に投擲した右手ではなく、左手で次の長針を投擲する。

 しかし、その時既にセトは地面の上にはいない。

 最初に身を屈ませた時の動きを利用し、そのまま跳躍したのだ。

 上空に跳躍したセトは、翼を羽ばたかせて強引に進行方向を変え……次の瞬間には、男に向かって空中でクチバシを開き……


「グルルルルゥ!」


 その鳴き声と共に、クリスタルブレスが放たれる。

 男は、まさかセトからそのような攻撃が来るとは思っていなかったのか、完全に意表を突かれ……クリスタルブレスを正面から浴びる。

 水晶に覆われていく男の身体。

 男は自分が一体どのような状況にあるのかは分からなかったが、それでも身体を動かすことが出来なくなっているというのは、理解出来た。 

 セトが使ったクリスタルブレスというのは、その名の通り水晶のブレスで相手を水晶の中に閉じ込めるといった能力を持つ。

 ……もっとも、現状ではまだレベルが一と低い為に、クリスタルブレスを相手に使っても水晶に閉じ込めるといった真似は出来ず、出来るのは相手の身体を水晶でコーティングするだけだ。

 薄い水晶によるコーティングなので、使われた方もその気になれば対処するのは難しい話ではない。

 だが、それはあくまでも自分が一体どのようなことをされたのかというのが、分かっていればの話だ。

 男は未知の攻撃に戸惑い、恐怖した。

 身体が動かない……いや、動かしにくく、身体を動かすだけでパキパキ、パリパリといったような音が聞こえるのだから、当然だろう。

 そうして、ほんの数秒にも満たない時間動きを止めた男は、次の瞬間には地面に着地していたセトの前足の一撃を食らい、吹き飛ぶ。

 その衝撃で男の身体をコーティングしていた水晶は砕け、空から降り注ぐ太陽の光が煌めき、一瞬ではあるが幻想的な雰囲気を周囲に漂わせる。

 だが、そんな幻想的な光景はすぐに終わる。

 ここは行き止まりの場所である以上、セトの一撃にとって吹き飛ばされた相手は当然のように離れた場所にあった壁に身体をぶつけ、その一撃であっさりと意識を遮断された。

 そして……セトがそのような戦いをしている間、レイもただそれをじっと眺めているだけではなく、行動を起こす。

 長針を使っていた男をセトが倒したのだから、当然のようにレイが狙うのは刃に毒を塗った短剣を手にした女だ。

 レイが自分の方に向かって近づいて来たのを察した女は、自分の負けが濃厚に……いや、ほぼ確実になったのだが、それでも諦めることはない。

 それこそ、まるで諦めるという選択肢を最初から知らないかのような、そんな様子でレイに向かって短剣を構え、走り出す。


(毒か。厄介だな)


 短剣に塗られている毒が、具体的にどのような効果を持つ毒なのかは、レイには分からない。

 薬師や錬金術師としての知識があれば、もしかしたらどのような効果を持つ毒なのか分かったのかもしれないが、レイにそのような知識はない。

 ただし、暗殺者が使ってくるような毒であることを考えると、相手を麻痺させたり……といったような、優しい効果でないのは間違いないだろう。

 ほぼ間違いなく、普通の人なら少し体内に入っただけで即死してもおかしくはないような、そんな毒。


(まぁ、その毒も相手に当てないと意味はないし……そもそも俺に効果があるか分からないけどな)


 ゼパイル達によって作られた自分の身体に、毒が効くかどうかは分からない。

 だがそれでも、その毒の刃を自分の身体で味わってみたいとは、到底思えない。

 だからこそ、レイは女に向けてデスサイズを振るう。

 明らかに女には命中しない距離での一撃。

 それを見た女は、レイのミスに笑みを浮かべ……だが、次の瞬間レイが左手で持つ黄昏の槍が横薙ぎに振るわれ、脇腹に命中したかと思うとそのまま吹き飛ばされる。

 女も自分の実力には相応の自信があるし、敵の攻撃を一撃何とか持ち堪えるくらいであれば、出来ないこともない筈だった。

 だが、そんな自信は黄昏の槍の柄に打たれた瞬間、完全に瓦解した。

 耐えることすら不可能な、凶悪無比な一撃。

 ……見た目だけでは、とてもではないがレイにこれだけの力があるとは思えない。

 だが、女の受けた強烈な一撃は、そんな常識をあっさりと覆し、長針を持っていた男と同じように壁にぶつかる。

 長針を持っていた男と違ったのは、壁にぶつかっても気絶するようなことはなかったということか。


「ぐ……うう……」


 呻き声を上げながらも何とか立ち上がろうとする女だったが、レイの一撃による衝撃で完全に足に来ており、まるで生まれたての子鹿のように足を震わせている。

 そんな状況であっても、短剣を手に取り……不意に、その刃を自分の方に向け、勢いよく自分に突き刺そうとし……次の瞬間、激しい衝撃と共に短剣は吹き飛ばされた。


「自分で自分を口封じか。随分と仕事熱心だな」


 レイとしては、自分を襲ってきた相手の情報は欲しい。

 特に雇い主については知りたいので、それを喋られる前に自殺される訳にはいかなかった。

 そのまま黄昏の槍の石突きで女の鳩尾を殴り、気絶させる。


「さて、この女が躊躇なく自殺しようとしたのを考えると、そっちの男も意識が戻ったら自殺しかねないな」


 そうさせないように、男女ともにロープで縛り、舌を噛み切ったりしないように猿轡も噛ませる。

 もう一人の男はと確認するが、そちらはやはり既に死んでいた。


「……で、どうするべきか」


 呟きながら、現在の自分の状況を確認してみる。

 行き止まりの場所で背骨を踏み砕かれて男が一人死に、二人の男女は猿轡を嵌められ、身動き出来ないように手足を縛られている。

 そこにレイとセトがいる。

 ……普通に考えれば明らかにレイが怪しく、何も知らない警備兵に見つかれば、レイが捕まってもおかしくはない、そんな光景。

 そんなことを考えつつも、レイは周囲を見回す。

 暗殺者がいた場合、基本的にそれを見届ける役割を持つ者が配備される。

 もしかしたらそのような人物を見つけることが出来るのではないか。

 そう思ったが、残念ながらレイには見つけられない。


「セト、誰か隠れていたり、こっちを見張ってるような奴はいないか?」

「グルゥ? ……グルルゥ」


 レイの言葉に、周囲の様子を確認するセトだったが、すぐに首を横に振る。

 ここが森の中……とまでは言わないが、ギルムの外であれば、そのような相手を見つけることも出来るだろう。

 だが、ここはギルムの中だ。

 大勢の、それこそ数え切れない程の者達が集まっている。

 そんな中から、いるかどうかも分からない一人を探すのは、それこそ砂漠で砂金を探すかのようなものだ。

 ごめんなさいと頭を下げてくるセトに、レイは気にするなと、そっと撫でる。

 あくまでも、見つけられればラッキーといった程度の気持ちだったのだから、見つけられなかったからといってセトを怒るつもりはない。

 セトもそんなレイの思いを感じたのか、嬉しそうに喉を鳴らす。

 そんなセトを撫でながら、さてこれからどうするかとレイは悩む。

 あのような芝居をしてまで襲ってきたのだから、暗殺者の狙いがレイなのは間違いない。

 そしてレイには、自分が狙われる理由には、それこそ両手両足の指でも足りないだけの覚えがある。

 最近の状況で一番に思いつくのは、やはりヴィーンの関係だろう。

 ダスカーから見ても面倒な相手と認識されている人物だけに、レイを邪魔に思って排除したいと考えても、おかしくはない。

 何より、生誕の塔に貴族を差し向けてきた相手だ。

 それを邪魔したのがレイだと知れば、当然のように邪魔に思うだろう。


(いや、それだとちょっと早すぎないか? 俺があの貴族を捕らえた……捕らえた? まぁ、捕らえたでいいか。ともあれ、捕らえてから、まだそこまで時間は経っていない。なのに、あれだけの技量の暗殺者を用意する? ……別の相手が黒幕で、偶然タイミングが重なっただけって可能性の方が高いな)


 全てを読んでこのような手を打ってきた可能性もあるが、それよりはやはり偶然と考えた方がいい。


「ともあれ、どんな奴が俺を狙っているのかは、それこそこのまま普通に生活してれば、また襲ってくるかもしれないし……何より、この連中から情報を聞き出せれば、もっと簡単に分かるかもしれないな。……そうなると、問題なのはどうやって情報を聞き出すか、か」


 相手がチンピラや盗賊の類であれば、少し痛めつけただけである程度の情報を吐いてくれる。

 だが、現在レイの視線の先にいる二人は、訓練を……それもかなり高度な訓練を受けた暗殺者だ。

 そのような暗殺者、それも複数用意出来るかと言われれば、レイは素直に頷くことが出来ない。


「まぁ、その辺は警備兵に頼むとするか。……問題は、俺とセトのどっちがここでこの連中を見張ってるかだな」


 レイが警備兵を呼び行った場合、セトが気絶している暗殺者達を見張り、セトが呼びに行った場合はレイが見張る。

 問題なのは、どちらの方が適切なのかということだろう。

 どうするべきか迷い……そして、やがてレイは決断するのだった。

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