第2132話
「んー……うん。取りあえず大丈夫だろ」
「グルゥ」
夜中、少し眠れないからと、セトと一緒に生誕の塔を出て来たレイは、トレントの森の中央までやってきていた。
……当然その移動はセトに乗ってのものだったのだが、セトの五感が鋭いというのは冒険者達の間でも知られており、だからこそレイがセトを連れていくと言った時は見張りをしていた冒険者から不満の視線を向けられた。
それでも生誕の塔の護衛を任されるだけあって、多くの冒険者は見張りも当然のように出来る。
セトがいればある程度は気が抜けるというだけでしかない。
だからこそ、セトを連れて行くレイに不満の視線を向けたが、セトがいないのならいないで自分達で見張りは出来るのだ。
そんな状況で、こうしてレイはセトと共にトレントの森の中央部分にやって来ていた。
何か問題が起きてないのかと、そんな思いから。
マリーナの精霊魔法によって地下空間に続く道は見えなくなっている。
そうである以上、心配する必要もないのだが……それでも、やはりウィスプのことを考えると、一応確認しておきたかったのだ。
実際にこうして見に来た限りでは、特に何も問題はなかったのだが。
「研究者が派遣されて、冒険者……いや、騎士がしっかりとここを守るようになれば、こうしてわざわざ見に来る必要もなくなるんだろうけど」
冒険者ではなく騎士としたのは、単純に冒険者よりも騎士の方がダスカーに深い忠誠を誓っている為だ。
ダスカーにとって、ここを守る人物として重要なのは、実力もそうだが忠誠心はもっと必須だった。
ウィスプは、それだけ重要な存在なのだから。
(いずれ、ダスカー様もここを見に来るとは思うけど、それは一体いつになることやら)
ダスカーが見に来たという点では、湖も同様だ。
だが、ウィスプがいるこの地下空間は、ダスカーにとって非常に重要な意味を持つ場所なのは間違いない。
湖よりも重要な場所だけに、湖を見に行った時のように馬車で来るという訳にはいかない。
この場所は、可能な限り人に知らせないようにする必要があるのだから。
(そうなると、やっぱりセト籠? いや、セト籠はセト籠で目立つしな)
空を飛んでいる時であれば、セト籠はその能力で目立つようなことはない。
だが、地上に降下してくれば周囲の光景に溶け込むという能力は使えなくなり、どうしても目立ってしまう。
その辺の事情を考えれば、セト籠でダスカーを連れてくることは出来ない。
そうなると、やはり馬か何かに乗って護衛もつけずに……もしくはレイを始めとしてウィスプのことを知っている者だけが護衛として一緒に移動して、このトレントの森までやって来るといった方法が考えられた。
とはいえ、今のところレイが思いつくのはそれだけしかないのだが、実際にそれが出来るかと言われれば難しいのも事実。
「グルゥ?」
「いや、何でもない。ただちょっと、ダスカー様をどうやってここまで連れてくるか考えていただけだよ」
どうしたの? と尋ねてくるセトに、レイはそう返す。
するとセトが自分がやる! と喉を鳴らす。
セトにしてみれば、レイが困っているから自分が何とかしてやりたいと、そう思っただけなのだろう。
(まぁ、ヴィヘラ達がよくやってるように、セトの足に掴まって飛ぶといった方法をやれば、セト籠がどうかとか関係ないけど……ただ、例え命綱をつけても、まさかダスカー様にそんな真似をさせる訳にはいかないけど)
ギルムの領主にして中立派を率いているダスカーは、他に替えようがない存在だ。
勿論ダスカーがいなくなれば、誰かがその後を継ぐだろう。
だが、その人物がダスカーのような真似が出来るのかと言われれば、レイとしては多分無理と答えるだろう。
……多分とつけてはいるが、実際には絶対に無理というのがレイの予想だったが。
それだけダスカーというのは希有な存在なのだ。
そのような人物をセトの前足にぶら下げて移動するなどといったことをした場合、間違いなくレイは責められる。
ダスカーも責められるだろうが、やはり実際にそのような真似をしたレイこそが責められるだろう。
それらの理由から、レイとしてはそのような真似をする訳にはいかなかった。
「悪いな、セト」
「グルゥ?」
セトに謝りながら頭を撫でると、セトは何故謝られたのか理解出来ないようで、不思議そうに喉を鳴らす。
とはいえ、レイに頭を撫でられるのは好きなので、それに対して特に何もしなかったが。
「さて、取りあえずここに異常はないようだし、帰るか……と、そう思ってたんだけどな」
レイが最後まで言い切るよりも前に、最初にセトが気が付く。
そして一瞬遅れてレイが気が付いた。
誰かが……いや、何かが近づいてきていると。
普通に考えれば、襲ってきた相手はモンスターか何かだろう。
だが、もしそれがただのモンスターであれば、セトの存在を察した瞬間にその場で襲撃しようという考えは放棄し、一目散にこの場から逃げ出してもおかしくはなかった。
しかし近づいてくるモンスターは、既にセトの存在を察知してもおかしくない距離にいるのに、一向にその場から離脱する様子はない。
それどころか、寧ろ近づいてくる気配の速度は上がっているようにも思えた。
「ワオオオオオオオオン!」
聞こえて来たのは、そんな鳴き声。
その鳴き声から、レイは恐らく狼系のモンスターだろうと予想出来た。
だが、その場合はおかしなことがある。
基本的に、狼系のモンスターというのは動物の狼とその習性が似ており、大抵が群れで行動している。
にも関わらず、現在聞こえてきた雄叫びは一匹分だけでしかないのだ。
そして、近づいて来る気配もまた、一匹だけ。
何らかの理由で群れから追い出された個体が、それこそ空腹やら何やらでどうしようもなくなってレイとセトを襲いに来たという可能性は十分にある。
だが、それにしては戦意に満ちた雄叫びのようにも思えた。
追い詰められた者ではなく、自ら戦いを求めているかのような……
「ワオオオオオオン!」
「ワオオオオオン!」
「ワオオオオオオオオオオン!」
と、次に聞こえた来たのは、三つの鳴き声。
近づいてくる気配は一つなのに、何故? と、レイがそんな疑問を抱きつつも、デスサイズと黄昏の槍をミスティリングから取り出す。
セトもまた、レイと一緒に遊んでいる時間を邪魔されたのが面白くなかったらしく、いつ敵が来ても対処出来るようにしながら、待ち構える。
すると……木々の合間を縫うようにして姿を現したのは、巨大な犬のモンスターだった。
そう、巨大な犬で顔が三つあるモンスター。
当然のように、レイはそのモンスターの名前を知っている。
「ケルベロス、か。セトに気が付いても撤退しないはずだ」
正直なところ、予想外だというのが目の前のケルベロスを見たレイの感想だ。
身体の大きさはセトと同等。
黒い毛が生えているが、その毛は一本一本が長く、針のように鋭い。
それこそ、生半可な武器の一撃はその毛で弾くことが出来るだろう迫力を持っていた。
また、三つの首は獰猛な表情を浮かべつつ、夜の闇に光る炎の吐息と共にセトやレイを睨み付ける。
ランクBモンスター、ケルベロス。
ただし、その能力は限りなくランクAに近いと言われている。
非常に凶暴な性格をしており、自分よりも高ランクのモンスターを相手にしても、逃げるようなことはない。
いや、寧ろ嬉々として襲い掛かりすらする。
そんなケルベロスにとって、レイとセトは自分の中にある闘争心をぶつけるにちょうどいい相手なのは間違いなかった。
『ワオオオオオオオオオオン!』
今度は、三つの首が同時に吠え……その雄叫びが戦い開始の合図となる。
レイとセトと戦うのは、首を三つ持つケルベロス。
二対一の戦いではあるが、三つの首を考えれば二対三と判断することも出来る。
そんなケルベロスは、三つの首で噛みつこうとレイに向かって来た。
セトではなくレイを相手にしたのは、やはり身体の大きさが理由なのだろう。
セトとケルベロスは共に体長三m程。
先に弱い相手を倒して、後でセトという自分と同じ大きさを持つ相手と戦いたいと思ったのか、それともセトよりもレイの方が強いと思ったのか。
その辺りの理由はレイには分からなかったが、相手が自分に向かって攻撃をしてくるのであれば、それこそ願ってもない。
ケルベロスとは今まで戦ったことがなく、未知のモンスターだ。
つまり、その魔石を使えば魔獣術によってスキルを取得出来る可能性があるのだ。
いや、ランクBモンスターであると考えれば、確実にスキルを習得出来る筈だった。
「飛斬っ!」
デスサイズから放たれる飛斬が、ケルベロスに向かって飛ぶ。
とはいえ、相手はランクBモンスターだ。
レイも飛斬で倒せるとは思っていないし、この一撃はあくまでも牽制にすぎない。
ケルベロスも走りながら姿勢を低くし、飛斬をあっさりと回避する。
身を低くしても走る速度は一切変わらず、そのまま跳躍して三つの首がそれぞれの牙でレイに牙を剥く。
もしケルベロスの首が二つなら、両手でどうにか出来るだろう。
だが、ケルベロスが持つ首は三つだ。
右手と左手だけでは、その攻撃に対処出来ない。
「普通なら、な!」
魔力を込めたデスサイズを、大きく振るうレイ。
その一撃は、ケルベロスの身体を吹き飛ばすには十分な重さを持っていた。
百kgの重量を持つデスサイズは、レイとセトが持った場合に限って殆ど重さを感じないくらいの重量になる。
その一撃によって、顔の一つを殴り……セトと同程度の身体を持っていても、とても耐えられる一撃ではない。
真横に吹き飛ぶケルベロス。
それでもランクBモンスターらしく、デスサイズによって吹き飛ばされつつも数度地面の上でバウンドすると体勢を整える。
『グルルルルルルルルルルル』
レイに向かい、三つの首全てが威嚇の為に喉を鳴らす。
喉を鳴らす音そのものはセトとあまり変わらないのだが、そこに込められている感情によるものだろう。ケルベロスから聞こえてくるのは、その辺の冒険者が聞けば身体を震わせてもおかしくはないような、そんな音だった。
「来いよ。まさか、今の一撃で終わりじゃないだろう?」
デスサイズと黄昏の槍を構えたまま、挑発するレイ。
レイの言葉は分からなくても、ケルベロスも自分が挑発されているというのは分かったのか、地面を蹴ってレイに跳びかかる。
「パワースラッシュ!」
『ギャンッ!』
一撃の威力を極端に高めるパワースラッシュ。
それは、体長三m程もあるケルベロスを吹き飛ばすには十分な威力を持っていた。
しかも、吹き飛ばしたのは同じでも、その威力は先程の一撃とは全く違う。
先程は地面に数度バウンドすることでケルベロスは動きを止めることが出来たが、今度は地面にバウンドするようなこともないまま、それこそボールでも投げたかのように真っ直ぐ地面と水平に吹き飛び、生えている木にぶつかって、ようやくその動きを止めたのだ。
「食ら……えっ!」
そうして木にぶつかって地面に落ちたケルベロスに向かい、レイは左手の黄昏の槍を投擲する。
「ガウッ!」
投擲された槍に気が付いたのだろう。ケルベロスの真ん中の首が鋭く鳴くと、倒れた状態から一気に地面を蹴って黄昏の槍を攻撃を回避する。
だが、その動きはレイにとっても予想の範囲内だった。
黄昏の槍を投擲したレイは、既にデスサイズを手にして一気にケルベロスとの間合いを詰めていたのだ。
そうしてまだ体勢を完全に立て直していないケルベロスとの間合いを詰めるレイは、地面に突き刺さった黄昏の槍を手元に戻す。
念じるだけで手元に戻すという、黄昏の槍の持つ特殊な能力の一つだ。
そうして間合いを詰めたレイは三つの首の頭が持つ口が同時に開き、喉の奥にチラリと微かな炎が見えた瞬間、デスサイズを握る手に力を込めてスキルを発動する。
「マジックシールド!」
瞬間、姿を現す光の盾。
同時に、ケルベロスの持つ三つの口から一斉にファイアブレスが吐き出される。
本来なら、人一人くらいは容易に燃やすことが出来るだけの威力を持っているのだろう。
ランクBモンスター、それも上位に位置するモンスターであることを考えれば、それは当然だった。
だが、マジックシールドはどのような攻撃も一度だけではあるが、完全に防ぐ。
何らかの理由でマジックシールドを突破しても、レイが着ているのはドラゴンの素材を使ったドラゴンローブだ。
ランクBモンスターの炎程度では、それこそ焦げの一つもつけることは出来ない。
そして、ファイアブレスが消えてマジックシールドが砕けたところで、レイは更に前に出て……斬っ、と。
デスサイズの一撃により、ケルベロスの首は三つ全てが切断されたのだった。
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