第2108話

 湖を調べに来た学者達も帰り、日も大分傾きかけてきた頃……時間としては、午後五時になったくらいか。

 そのくらいになると、生誕の塔の護衛を任されていた者達も大分気が緩んでくる。

 一応湖の調査や、そこにいる魚を食べるといったことはあったが、それ以外の……特に何かに襲われるといったことはなかった。

 正確には朝にレイがアメンボのモンスターに襲撃され、しかもそのモンスターは魔石を持っていなかったこともあり、到底何もないとは言えなかったのだが。

 それは十分に何かがあったと言ってもいい。

 ……とはいえ、レイにしてみればそれこそいつものことといったような感じでしかないのだが。

 ともあれ、太陽も傾き掛けている現在は、夕食の準備が始まっていた。

 今日のメインは、鹿肉を使ったシチュー。

 本来なら鹿肉というのは野性味溢れる肉質なのだが、調理した者の技量によって、そのシチューの鹿肉は非常に柔らかくなっていた。

 何人かは、懲りずに湖から獲った魚を木の枝に刺して焚き火で焼いている。

 一応学者達が軽く調べた限りでは毒の類はないと判明しているが、それでも後から何らかの問題が起きるとも限らない。

 にも関わらず、それでも平気で焼き魚にして食べる辺り、度胸があるというべきなのか、何も考えてないというべきなのか、レイは迷う。

 もっとも、レイはレイで取り出したチーズを枝に刺して焚き火で炙り、表面が溶けてきたところでパンの上に乗せて食べる……といった真似をしているが。

 焼き魚とチーズ、それ以外にも馬車が持ってきた串焼きを温め直したりといったことをしている者もいた。

 そうして全員で食事をするというのは、冒険者にとっては慣れていることではあったが、以前はセトとだけ行動し、今は紅蓮の翼の面々という決まった者達と行動することの多いレイとしては珍しかった。

 昨日の夕食や今日の朝食、昼食といったものも普通にこの人数で食べてはいるのだが。


「いやぁ、それにしてもまさか湖が転移してくるとは思わなかったな」

「俺はそれよりもあの貝が怖かったぞ。ああいうのが湖の中にあると知っていれば、ちょっと入るのは遠慮したいな」

「くそっ! あの学者は何であんなに偉そうなんだよ!」


 まだ護衛の仕事中なので、酒の類を飲むようなことはない。

 何人かの冒険者はそれが不満そうではあったが、それでもこうして大勢で食事をすると当然のように盛り上がる。

 多くの者がそれぞれ自分の食べたい料理を食べ、今日あった出来事について愚痴を言い……といった具合に、皆が楽しそうに食事をしているこの光景は、食堂で食べる時とはまた違った美味しさをレイに感じさせてくれた。


「うーん、この鹿のシチュー……美味いな……」


 冒険者の一人が、しみじみと呟く。

 その隣では、その冒険者の男と仲良くなったのかリザードマンが美味そうに焼き魚を口に運んでいた。


「●●、●●●」

「そっちの魚も美味い? それは分かるけど、やっぱり俺は魚よりも肉派だな」


 そんな会話をしている二人を見ながら、あれで会話が成立してるのか? とレイは疑問に思う。

 こうして見る限りではしっかりと話が通じているようには見えるのだが、当然のようにリザードマンが口にしているのはリザードマンの言葉で、冒険者が口にしてるのはこの世界の言葉だ。

 それでもお互いがそこまで気にした様子がないのは、それなりに一緒の時間をすごしたから、というのもあるのだろう。


「それにしても、ここ数日でこの辺も一気に忙しくなったな」


 レイの側で鹿肉のシチューを食べていた冒険者が、しみじみと告げる。

 そこまで大きな声ではなかったこともあり、その声が聞こえた者はそう多くはなかっただろう。

 だが、それだけにレイはその言葉に頷く。


「そうだな。特に湖が転移してきたのは大きかった。……ああいう巨大なスライムが湖の底にいたというのも分からなかったし」


 未だに燃え続けているスライムを見ながら、レイはその言葉に頷く。

 今日やってきた学者達も、燃え続けているスライムに興味を示している者は多かった。

 中にはそれだけ巨大なスライムに興味があるのか、出来れば自分の目で直接見てみたいので、出来れば魔法を消して欲しいと要望してくる者すらいたが、レイは当然のようにそれを却下している。

 こうして燃え続けている現在であっても、全くその大きさが減る様子はない。

 あるいはスライムも燃やされて小さくなっているのかもしれないが、レイから見た感じでは特に大きさが変わっているようには思えない。

 だとすれば、もし縮んでいたとしても、それは見て分からない程ということになる。


(まさか、魔力や炎を吸収して、縮むどころか大きくなる……何てことはないよな?)


 多少の不安を抱かない訳でもなかったが、恐らく大丈夫だろうという確信がレイにはあった。

 具体的に何らかの理由がある訳ではないのだが、それでもだ。

 この辺りは、この世界に転移してきたからかなりの激戦を潜り抜け、数多くのモンスターと戦ってきたという経験が大きい。

 もっとも、レイの予想が正しければこの湖は異世界から転移してきた湖であり、当然のようにその湖から出て来たスライムも異世界のモンスターということになるので、レイの予想が通じるかと聞かれれば、素直に頷くことは出来ないのだが。


「グルゥ? ……グルルルルルゥ!」


 と、他の面々と一緒に食事をしていた中で、不意にセトが周囲に危険を知らせるように喉を鳴らす。

 この場にいるような者で、セトの感覚を信じないという者はいない。

 それこそ、自分の感覚が信じられなくても、セトの感覚は信じられるという者もいる。

 また、セトがどれだけの強さを持っているのかは当然リザードマンも知っており、冒険者や騎士と同様にすぐに臨戦態勢に入る。

 食事をしながらでも、生誕の塔の護衛という依頼は継続中なのだ。

 当然のように、食事をしている中でも手を伸ばせばすぐに自らの武器を手に出来るようにしており、即座に対応するのは難しくはない。


「気をつけろ、敵は湖からだ!」


 セトが湖の方を見て唸っているのを確認し、レイが叫ぶ。

 トレントの森の隣に生誕の塔がある以上、トレントの森側から……もしくは平原となっている場所から、何らかの動物やモンスターが襲ってきてもおかしくはない。

 大抵の動物やモンスターなら、セトの存在を感じた瞬間に逃げていく。

 だが、中にはセトの存在を知りつつ、それでも全く逃げようとしない者もいる。

 そのような動物やモンスターが襲ってきたという可能性もあったのだが、今セトが見ているのはあくまでも湖だ。


(あれ? ちょっと待った。動物やモンスターがセトの存在を察知して近づかないのなら、それこそ湖にいるモンスターでも同様なんじゃないか?)


 そう思うレイだったが、巨大なスライムはともかく、アメンボはセトがいても全く関係なく襲ってきた。

 それが異世界のモンスターだからなのか、それとも魔石を持っていない――まだ本当に確定はしていないが――からなのか。

 そこはレイにも分からなかったが、ともあれセトが湖を警戒しているということは、当然のように今回もセトがいても関係なく襲ってくる相手がいるのは確実だった。


「見ろ! 数が多い! アメンボじゃない!」


 冒険者の一人が、湖の波打ち際を見ながら鋭く叫ぶ。

 その言葉に、皆が湖の上ではなく、波打ち際を見る。

 月明かりとスライムが燃えていることで生まれた明かりによって映し出されたのは、一言で言えば爬虫類といったところか。

 ただし、ワニのように……いや、ワニよりも口が長い。

 尻尾まで合わせると全長二m半ば。

 そのうちの半分くらいが口となっていた。

 自分が見られているのに気が付いているのかどうかは分からなかったが、それでも夜目の利くレイには短いが鋭い歯が何本も並んでいるのに気が付いた。


「トカゲのようなモンスターだ。結構でかいから気をつけろ。特に口が大きく鋭い歯がある!」


 レイの言葉に、それを聞いた冒険者の多くが嫌そうな表情を浮かべる。

 このタイミングで湖から出て来たということは、間違いなく敵対すべき存在であると、そう思った為だ。

 まさかこの状況でこれだけ大量に姿を現しながら、遊んで欲しいと懐いてくるなどとは到底思えない。

 それどころか、その目を見れば食欲に満ちているというのは明らかだ。

 つまり、このモンスターは獲物を食らう為に湖から出て来たのだろう。

 

「集団なのは厄介だな。あの巨大な……いや、長い口も、面倒が多そうだし」


 レイの隣に立つ冒険者が、槍を手に嫌そうに呟く。

 その言葉に同意するように頷きつつ、レイはミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。

 一対一で負けるといったつもりは、レイにはない。

 だが、集団で一斉に襲い掛かられるようなことになれば、それは相応に厄介な事態なのは間違いなかった。


「とにかく、未知のモンスターだ。……一応聞くが、あのモンスターの詳細を知ってる奴はいないよな?」


 巨大なトカゲを見ながら、レイがその場にいる全員に尋ねる。

 少なくても、レイは視線の先にいるモンスターに見覚えの類はなかった。

 そんなレイの問いに、冒険者達は黙って首を横に振るだけだ。

 レイはそれなりに図書館に通ったりすることもある。

 図書館には多くの本があり、モンスター辞典の類だけでも何冊もあった。

 それらの全てを見ている訳ではないが、それでもレイは視線の先にいるようなモンスターを見るのは初めてだ。

 未知のモンスターを前に、レイの口は弧を描く。


「アメンボの時は頭部を破壊してしまったけど、こうして地上まで来てくれればそんな心配をする必要もないな。さて、本当に魔石がないのか……もしくは、頭部にあった魔石が湖に落ちたのか。確認させてもらうとしようか」

「グルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトもやる気で鳴き声を上げる。

 当然だろう。アメンボを倒した時は、セトがその頭部を破壊してしまい、湖に沈めてしまったのだ。

 そうである以上、この湖に生息するモンスターに魔石があるのかどうか……それを本当の意味で確認する為には、この地上でトカゲを倒す必要があった。


「来るぞ!」


 不意にレイが叫び、咄嗟にその場から退避する。

 瞬間、トカゲの集団の先頭にいた一匹が、レイに向かって飛ばした何かが、一瞬前までレイの身体のあった場所を何かが貫く。

 何だ? と疑問に思ったレイだったが、今はそれよりもしなければならないことがあった。


「あのアメンボと同じく、遠距離からの攻撃を持っている! 気をつけろ!」


 叫ぶレイは、デスサイズを握りながらマジックシールドと叫び、スキルを発動させる。

 どこからともなく姿を現した光の盾は、一度だけではあるが敵の攻撃を防ぐという能力を持つ。


(あのアメンボといい、この湖のモンスターは何かを飛ばす攻撃手段を持ってるんだな)


 今回レイがあっさりとトカゲの攻撃を回避出来たのは、アメンボの一件があった為だ。

 アメンボの一撃は非常に危険な一撃で、だからこそそれを見たレイは今回のようにトカゲが遠距離攻撃をしてくるかもしれないと思い、それは見事に当たった。


(牙……か?)


 月明かりや燃えているスライム、焚き火といった光源があるとはいえ、それでも今は夜だ。

 そうである以上、トカゲが何を飛ばしてきたのかというのは、レイにもしっかりと確認は出来ない。

 だがそれでも、白く小さく鋭い何かだったのは間違いなく……口の中から飛ばされてきた何かだとすれば、最初に思いつくのはやはり牙だろう。


「各自、気をつけろ! 敵は牙を飛ばしてくると思われる!」


 皆に注意をしつつ、まずは様子見とデスサイズを振るう。


「飛斬っ!」


 その言葉と共に、斬撃が飛ぶ。

 まっすぐに飛んでいった斬撃は……だが、鱗を持つトカゲの身体の表面を軽く斬り裂いただけで終わる。


「嘘だろ」


 そうレイが呟きたくなったのは、当然だろう。

 デスサイズの飛斬というスキルは、レベル五になったことにより、その威力はかなり上がっている。

 それこそ、普通のトカゲ程度ならあっさりと胴体を切断出来る程度の威力は楽に持っているのだ。

 だというのに、その飛斬が命中したトカゲは鱗を持つ身体の表面を軽く斬り裂いただけ。

 それが、トカゲの胴体がどれだけの防御力を持っているのかということの証と言ってもいい。


「鱗は頑丈らしいな。素材としては上々だ」


 レイの隣にいた冒険者が、トカゲを見て呟く。

 実際、飛斬であの程度の傷しか付かないのであれば、あのトカゲの皮や鱗を素材として使った場合、強力な防具となるのは間違いない。

 純粋に冒険者として見た場合、美味しい獲物なのは間違いなかった。……あくまでも、倒せればの話だが。


「そうだな。未知のモンスターなんだし、臨時収入としては悪くない!」


 叫びつつ、レイは……そして冒険者やリザードマン達も、前に出るのだった。

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