第2077話

 傭兵が生誕の塔を襲ったという話は、当然ながらダスカーの耳にも入っている。

 いや、寧ろ最優先でダスカーに知らされた、というのが正しいだろう。

 ギルムの領主たるダスカーにとって、生誕の塔という存在は非常に大きな意味を持つ。

 そのような場所が傭兵に襲撃されたとなれば、当然のようにそれを企んだ者……傭兵達を雇った黒幕を突き止める為に動き出す。


「……で? 情報は吐いたのか?」


 執務室で書類を整理しながら、ダスカーの口から不機嫌そうな声が出る。

 今回の一件は、間違いなく自分の落ち度となるだろう。

 グラン・ドラゴニア帝国と交渉をするようなことになった場合、生誕の塔の襲撃の一件は向こうのカードとなるだろう。

 それはもう避けられない。

 であれば、そのダメージを少しでも少なくするべく動く必要があった。

 そう、襲撃を企んだ者は既に捕らえ、処分を下したといった風に。

 だからこそ、出来るだけ急いで今回の一件の首謀者を捕らえる必要があった。


「はい」


 部下の言葉に、厳しく引き締まっていたダスカーの表情は、ほんの少しだけではあるが和らぐ。

 それは、昨夜からの報告の中で、間違いなく嬉しい報告であった為だ。

 だが……その報告を持ってきた男の表情は明るくはない。

 いや、寧ろ暗いと言ってもいい。

 部下の様子に気が付いたダスカーは、書類を読むのを一旦止めて視線を向ける。


「どうした? 黒幕は分かったんだろう? なら、後はそいつを捕まえればいいだけだ」

「無理です。黒幕の商人は、昨日のうちに既にギルムを発っており……」

「……そう来たか」


 ダスカーも、部下が何故そのような表情を浮かべているのかを知り、苦々しげな表情になる。

 傭兵達の襲撃が成功すればよし。

 失敗しても、それが判明する頃には自分はギルムにいないので、捕まる心配はない。


「とはいえ、これでその程度で諦める訳にもいかないな。中立派の者……それと、貴族派でもこちらに友好的な相手に手紙を送って、その人物を捕らえるように要望を出してくれ」

「は!」

「ふんっ、この状況でギルムを逃げ出したのはいいが、逃げ切れるとは思うなよ」


 不愉快そうに告げるダスカーだったが、すぐに新たな……そしてより緊急性の高い問題を口に出す。


「それで、生誕の塔を襲ったその商人は、どこから情報を手に入れたのか分かったのか? 傭兵達が襲撃した時点で、生誕の塔について知っている者は決して多くはなかった筈だ。であれば、誰が情報を流したのかといったことは、分かりやすいと思うが?」

「現在捜査中です。傭兵もその辺りについては知らなかったらしく……詳しい事情を知る為には、商人を捕らえる必要があるかと」

「そうか。なら、急げよ」


 そう言いながらも、恐らくこの件で情報を流していた人物を特定するのは難しいだろうというのが、ダスカーの判断だった。

 自分達が調べていると知れば、当然のように後ろ暗いところのある者は何らかの理由をつけて逃げ出すだろう。

 黒幕の商人が捕まれば、情報を流した自分も危険になる。

 そう判断すれば、ギルムに留まる理由もなかった。

 ましてや、今のギルムは増築工事をしており人の出入りが非常に多い。

 であれば、逃げ出すのも難しい話ではない。

 部下が執務室から出て行くのを見送ると、ダスカーは自分の中にある怒りの炎を消すかのように、水を飲む。

 だが、それで苛立ちが全て収まる訳でもない。


「ちっ、厄介な真似をしてくれる。……俺達を妨害したいとなると、国王派の仕業か? 可能性としては決して低い訳じゃないが……」


 数ヶ月前に起こった、コボルトの一件。

 いや、更にその前の赤布の一件からして国王派が動いていたのは間違いない。

 であれば、今回のような一件で国王派が動いていても不思議ではなかった。

 しかし、ダスカーに入っている情報では、王都で国王派で特に動いている貴族がいるという情報は入っていない。

 正確には、色々と陰謀を企んでいる貴族は幾らでもいるのだが、その中で現在ギルムに何らかの攻撃を仕掛ける……といった者は、王都に送り込んでいる人員から聞く限りではない、という表現の方が正しい。


「なら、やはり国王派の中でも跳ねっ返りの連中がやったのか? 可能性としては、ない訳じゃねえだろうが」


 呟き、また一口水を飲む。

 暖かくなってきた春だが、まだ暑くはない。

 それでもこうして喉が渇いているのは、現状のギルムが酷く不安定な状況にあり、そのことに対してダスカーが強いストレスを感じているからだろう。


「下手な行動をすれば、ギルムの増築どころかギルムそのものが消滅しかねない、か。……させん。そのようなことは、絶対にさせん」


 自分に言い聞かせるように呟きつつ、ダスカーは何とか現状を好転させるべく方策を考えるのだった。






「ほう。では、リザードマンはこちらに友好的だと?」


 面会をしている貴族の言葉に、エレーナは紅茶を一口飲んでから頷く。


「うむ。既に知っていると思うが、転移してきたリザードマンは国を作っているらしい。それだけでも、高い知能を持っているのは明らかだ。そんなリザードマン達が、自分の知らない場所に転移してきたとして、そこで遭遇した相手に敵対的な態度を取ると思うか?」


 自信満々といった様子で告げているエレーナだったが、実際にはリザードマンの中には最初敵対的な態度を取った者もいたし、何より緑人に攻撃をしている者もいた。

 その辺りの事情を考えると、エレーナの言葉はかなり無理があるのは事実だ。

 とはいえ、ゾゾやガガのように友好的なリザードマンがいるのも事実である以上、全くの嘘という訳でもないのだが。


「なるほど。……だとすれば、そのリザードマン達とは交渉も可能なのですか?」

「可能だ」


 迷う様子もなく、即座に頷くエレーナ。

 これは決して嘘という訳ではなく、例えばガガはレイと模擬戦を行い、それで負けたからこの地にいる間は緑人に攻撃しないと誓っている。

 そこまで大きな、重い約束ではなくても、リザードマンときちんと約束が出来るということは大きい。

 勿論、約束は出来ました。ですが向こうは全く約束を守るつもりはありませんでしたというのであれば、意味はない。

 きちんと交わした約束は守るという意味で、約束が出来るというのは、貴族にとって朗報だった。

 ……モンスターのリザードマンが? と若干信じられないような気持ちがあったのは、事実だが。


「そうなると、貴族派としても色々と動いた方がいいのでは? そのような存在を中立派だけが擁するというのは、この先は問題になるかと」

「気持ちは分かるが、今の状況で下手にこちらから手を出すと、ダスカー殿との間に問題が起きかねん。少なくても、こちらから手を出すのではなく向こうから手を貸して欲しいと頼んでくるのを待つ方がいいだろうな」

「……それでは、時間が掛かりすぎるのでは?」

「かもしれん。だが、ガガやゾゾという存在は非常に貴重だ。下手に焦って手を出して失敗するよりは、慎重にことを進めた方がいい」


 貴族は若干不満な様子だったが、それでもエレーナにそこまで言われてしまっては、これ以上言い募ることは出来ない。

 もしそのような真似をすれば、貴族派の中で自分の立場が不味いことになる。

 貴族派の象徴にして姫将軍の異名を持つエレーナは、それだけの影響力があるのだ。

 だからこそ、今は大人しく退く必要があった。


「分かりました。エレーナ様がそう言われるのでしたら、私からはこれ以上何も言いません」

「うむ、助かる」


 エレーナも、目の前の貴族が何を考えてそのような発言をしたのかというのは分かっている。

 だが、今は大人しく退いてくれる方が先である以上、そんな相手の態度に文句を言うつもりはない。

 それどころか、こうして大人しく引き下がってくれたのなら最善の結果ですらあった。

 その後は十分程世間話をすると、やがて貴族は部屋を出ていく。


「ふぅ。正直なところ、このようなことはあまり好みではないのだがな」


 温くなった紅茶を口に運びながら、エレーナは気怠そうに呟く。

 その苦手な行為であってもやらなければならないのは、これがレイの為になると理解しているからだ。

 ゾゾとガガというリザードマンと関わってしまい、更にゾゾはレイに忠誠を誓っている。

 口では色々と言うし、実際に果断な決断をすることも多いレイだったが、身内となった者には優しい。

 そして、ゾゾはレイにとって半ば身内に近い存在になりつつある。

 だからこそ、貴族派の貴族が先走ってリザードマン達にちょっかいを出し、それが結果としてリザードマン達を保護しているダスカーとの間に亀裂を作る訳にはいかなかった。

 そうなれば、現在友好的な関係を築いている中立派と貴族派の関係にも問題が起きかねない。

 エレーナは、公人としても私人としてもそれを認める訳にはいかなかった。……私人としての思いの方が強いのだが。


「エレーナ様、新しい紅茶はどうですか?」


 部屋を出ていった貴族を見送ったアーラが、部屋に戻ってくるとエレーナにそう尋ねる。

 だが、エレーナは首を横に振ってから、温くなった紅茶を味わう。


「アーラが淹れてくれた紅茶は、多少温くなっても十分に美味いからな」


 紅茶を淹れる腕を褒められ、アーラは嬉しげに笑みを浮かべる。

 今まで何度も褒められたことではあるが、それでもやはり敬愛するエレーナに褒められるのは嬉しいのだ。


「ありがとうございます。これからも頑張りますね。……それより、次の方が来るまで時間に余裕はありますが、どうしますか?」

「ふむ、そうだな。イエロはどうしている?」

「イエロなら、中庭で遊んでますよ」


 親友のセトもいないのだが、それにも関わらずイエロは中庭で飛び回って遊んでいた。

 それを見たアーラは、何が楽しくてそのような真似をしているのかと疑問にも思ったのだが、中庭で遊んでいるのなら問題はないと判断してそのまま放っておいた。


「そうか。イエロなら、てっきり外に出て行くかと思ったのだがな」

「エレーナ様の使い魔だからか、好奇心が旺盛ですしね」

「……それは私に関係あるのか?」

「竜言語魔法でしたっけ? エレーナ様がそれで作り出したのですから、やはり関係はあるのでは?」


 アーラにそう言われれば、エレーナとしても納得するしか出来ない。

 エレーナも、自分が強い好奇心を持っているのを自覚しており、それがイエロに影響したと考えるのは自然だったからだ。


「ともあれ、中庭にいるのならいい。……今のギルムには、妙な相手もいることだしな」


 生誕の塔を傭兵が襲ったという話は、レイから聞いている。

 何を考えてそのようなことをしたのかは不明だったが、その理由くらいは予想出来る。

 生誕の塔を生誕の塔だと……つまり、リザードマンが孵化したり育ったりする場所だというのであれば、リザードマンの子供や卵を狙ったのだろう。

 そのような者達がイエロという黒竜の子供を見つければ、一体どうするか。

 それは、考えるまでもなく明らかだった。

 イエロはその強固な皮膚や透明になれる能力もあって、悪意を持った相手にそう簡単に捕まるようなことはない。

 だが、それでも捕まえようと思えば、捕まえることは可能なのだ。

 防御という点では強いが、自分を捕まえようとする相手に攻撃する習慣が殆どないのが痛い。


(私の場合は、寧ろ攻撃の方が得意なのだがな。それこそ、私に影響されたというのであれば、その辺りも影響されてもいいものを)


 ままならないものだ。

 そう思いながら、最後に残った紅茶を口に運ぶ。

 すでに温いのではなく冷たくなっている紅茶だったが、不思議なことにそれでも不味くはない。

 基本的に紅茶というのは、お湯で淹れたものは冷めると不味いのだが。


「エレーナ様、今日の昼食はどうします?」

「うん? マリーナが作ってくれたものがあるだろう?」


 正確には下拵えをしており、後は火を通すだけというのが正しい。

 エレーナもアーラも、そのくらいであれば普通に出来る。

 また、スープの類は朝食の残りを温め直せば問題はない。

 なら、特に昼食について気にする必要はないのではないか。

 そう告げるエレーナに、アーラは首を横に振る。


「いえ、たまには街中で食べてみるのもいいのではないかと思いまして。イエロも、そうしたいと考えているでしょうし」

「……ふむ、外か」


 呟きながら、エレーナの視線は外に向けられる。

 そこでは、春らしい柔らかな日差しが降り注いでおり、そんな日差しを浴びながら昼食を食べるのも悪くないと思えた。

 朝も庭で朝日を浴びながら食べているのだが、日中の太陽を浴びながら食べる食事も悪くはないだろうと。


「そうだな。では、午前の残りの面会希望者達との面会を終えたら、そうするとしよう」


 生誕の塔にいるレイに会いに行っても面白いかもしれない。

 そう思いながら、エレーナは笑みを浮かべるのだった。

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