第2076話

『どうやら、朝食が美味しくて驚いたようですね』


 生誕の塔にやって来たレイは、早速ガガが朝食の時に何と言っていたのかを聞き、納得する。

 ガガも、自分が何を言いたかったのかをゾゾが通訳してくれたことで、満足そうに頷いていた。


(やっぱり、ゾゾがいないと……いや、通訳用の石版がないと、色々と困るな。今夜にでもグリムに連絡してみるか?)


 そう思ったレイだったが、グリムも石版はゾゾが使っている一つしか持っていないと言っていたのを思い出す。

 だとすれば、グリムに連絡をしても意味がないのは間違いない。


(目玉のモンスターの素材で、何か実験をしていれば邪魔されるのは嫌うだろうし)


 グリムの性格を考えれば、ここでレイが連絡してもそこまで怒るようなことはないだろう。

 だが、ないと言われているのだから、そこで無理を言っても意味はない。

 ある物を欲しいと要望するのならともかく、ない物を欲しいと言っても、それはどうしようもない。

 レイが希望を託すとすれば、ダスカーが探している同じような性能を持つマジックアイテムだろう。


「朝食か。……実際に美味かったからな。ゾゾは朝食はどうした?」

『ギルムから朝食を運んできて貰って食べました。……レイ様と一緒に食べた料理に比べると、どうしても美味しくはなかったですね』


 その言葉に、レイは納得する。

 運ばれてきた料理も、決して不味いものではないのだろう。

 だが、マリーナの家で食べる料理に比べれば、どうしても味は落ちてしまう。

 それは、当然のことだった。

 また、ゾゾにしてみれば自分が心酔するレイと一緒に食事が出来ないというのも大きい。

 それでも生誕の塔で待機していたのは、レイに心酔しているからといって、ずっとレイと一緒にいなければならない訳ではないと言われたことも大きいだろう。


「そうか。取りあえず昼食は俺が持ってきたし、ここで一緒に食べるから、美味いと思えればいいな」


 今日はレイも一日生誕の塔で護衛をすることになっている。

 幸いなことに……本当に幸いなことに、昨夜は不心得者が生誕の塔を襲ってくるということはなかった。

 だが、日中には傭兵が襲っている以上、警備に手を抜く訳にもいかない。

 そのような訳で、昨日の二の舞にならないようにレイという戦力を今日はこうして生誕の塔に張り付けておくことになったのだ。

 レイがいれば、自然とセトもいる。

 また、ガガも日中は生誕の塔にいる以上、妙なことを考えた者がいたとしても、それは決して目的を達成出来ないことを示していた。


『レイ様と一緒に食事が出来るガガ兄上が羨ましいです』

「そうか? ……まぁ、美味い料理を食べられるということは、ガガにとっても嬉しいんだろうけど」


 実際に今日の朝食だけに限らず、それ以前の料理でもガガは満足そうに料理を食べていた。

 そういう意味では、ゾゾはガガを非常に羨ましく思う。


『私からすれば、これ以上ない程に贅沢をしているように思えますね。……本当に』


 しみじみと呟くゾゾだったが、その言葉の中にはガガに対する羨ましさはあっても妬みの類はない。

 そこがゾゾの長所なんだろうと思いつつも、レイは周囲に視線を向ける。

 一応護衛として来た以上、何か異変はないかと思っての行動だったのだが……


「グルゥ!」


 視線の先では、リザードマンの子供がセトと一緒に遊んでいた。

 大人のリザードマンは、セトの強さを本能的に理解している為か、あまり近づくようなことはない。

 この辺りは、リザードマンがモンスターだからこそ、同じモンスターという括りのセトを怖がっているのだろうと、レイにも予想出来た。

 だが、大人ではなく子供は、セトを見ても怖がらない。

 子供だからこそ、怖い相手を本能的に察知出来るのでは? とレイも思わないでもなかったのだが、こうして見ている限りではそういうのとは関係なく、セトを信頼出来る相手として認識しているように思えた。


『子供達も、セトに懐いているようですね。……いいことです』


 セトに遊んで貰っている子供達を見ながら、ゾゾはしみじみと呟く。

 ゾゾにとっても、同じリザードマンの子供となると、愛すべき存在なのだろう。

 もっとも、ゾゾは明らかに普通のリザードマンとは違うし、それ以上にガガも普通とは呼べない姿をしているが。


(普通のリザードマンは、ファイアブレスを吐いたりとかは出来ないよな)


 とはいえ、ガガはヴィヘラとの模擬戦ではファイアブレスを使ったりはしていない。

 場所がマリーナの家の中庭なのだから、当然なのだが。

 ファイアブレスがなくても、ガガは十分な強さを持つ。

 本当の意味で本気とは呼べないが、実際にそのような状況でもヴィヘラは模擬戦に満足していたのは間違いない。

 ヴィヘラも浸魔掌の類を使ってはおらず、純粋に格闘技の技だけでガガと戦っていた。

 そういう意味では、ガガとヴィヘラの戦いは模擬戦と呼ぶのに相応しいのだろう。


「それで、話は変わるけど……昨夜は誰も転移してこなかったのか?」

『え? ああ、はい。緑人も含めて、誰も転移してきませんでした』

「そうか。……今までは、最低でも一日一回は転移してきたんだけどな。やっぱり生誕の塔が転移してきたのが大きいのか? けど、一体何でこんなのが転移してきたんだろうな」


 今まで転移してきたのは、緑人とリザードマン。それも、緑人の住んでいる森からの転移だった。

 だというのに、この生誕の塔があったのはグラン・ドラゴニア帝国の帝都。それも城の一部。

 明らかに、今までの転移とは状況が違う。


『それは……何故なんでしょうね』


 レイの言葉にゾゾも戸惑ったように生誕の塔に視線を向ける。

 ゾゾにしても、自分が何故転移してきたのかは分からないし、生誕の塔が転移してきた理由も分からない。


「取りあえず大物が転移してきたということで、これから暫くは転移してこない、とか? ……何かの確信がある訳じゃないけど」


 確信がある訳ではないが、生誕の塔という建物を転移させるのと、リザードマンや緑人を転移させるとのでは、どうしても使用するエネルギー……それが魔力なのか、それとも何らかの他の力なのかは分からないが、消費量は違う筈だ。

 だとすれば、ゾゾ達の世界からこの世界に転移させているエネルギーが回復するまで、転移は一段落したかもしれないと考えるのは、そうおかしな話ではない。

 ……もっとも、それはあくまでも予想でしかないが。

 例えば、レイの魔力。

 恐らくこのエルジィンにいる誰よりも莫大な魔力を身に宿しているレイのような存在がゾゾの世界にもいて、その魔力を持つ者が転移をさせているとすれば、まだ余裕があっても、おかしくはなかった。

 勿論、レイのような特異な存在がそう多くいる筈もないが、かといって可能性は皆無という訳でもない。


『私としては、レイ様の思った通りになってくれるといいのですが』


 生誕の塔を守るという立場のゾゾであれば、リザードマンの数は多い方がいい。

 だが、ガガが……そしてザザが転移してきたのを考えると、場合によっては転移してこない方がいい相手もいるのだ。

 皇子の中には、ガガとは違ってザザ寄り……いや、ザザの方がまだ性格的にまともな者もいる。

 そのような者が転移してきた場合、下手にゾゾよりも立場が高い以上、問題を起こす可能性は十分にあった。

 また、中にはリザードマン至上主義といった価値観を持っている者もいる。

 なまじ実力があるだけに、そのような人物がここに来れば最悪の結末すら考えられる。……そう、緑人達を皆殺しにする、という最悪の結末が。

 現在は友好関係を築いているが、それが反故にされるようなことをしかねない者もいるのだ。

 ……それでいて、リザードマン至上主義だけにリザードマンに対しては優しいので、慕われてもいる。


「ん? どうした?」


 と、レイは不意に視線をセトの方に向ける。

 そこでは、複数のリザードマンの子供を背中に乗せたセトが、レイの方に何かを求めて円らな瞳を向けていた。

 一瞬セトが何を求めているのかは分からなかったが、すぐに納得して頷く。


「分かった。トレントの森の中には行ってもいいけど、子供達は絶対に守れよ」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは当然! といった様子で喉を鳴らすと、トレントの森の中に入っていく。

 護衛のリザードマン達はセトを止めた方がいいのか、それとも止めない方がいいのかで迷っていたが、ガガが何かを言うとすぐに動揺が消える。

 この辺りは第三皇子であるのと、何よりもグラン・ドラゴニア帝国の中でも五本の指に入るだけの実力を持っていて慕われ、信頼されている証だろう。

 その様子を見ていたゾゾは、安堵したような、羨ましそうな、そんな感情の交ざった視線を向ける。

 ガガはゾゾにとって頼れる兄であると同時に、目指すべき目標でもある。

 だからこそ、今のガガと自分を見比べると、そこにある差をしみじみと実感してしまうのだ。

 レイも、ゾゾの様子を見れば何となくその気持ちは分かるのか、ゾゾに声を掛けるような真似はしない。


「さて、俺達も仕事をするか。もっとも、ここにいる人間は少ないけどな」


 一応何かあった時の為にということで、冒険者や騎士も若干はここにいる。

 だが、既に生誕の塔の防衛に関しては、リザードマン達が主力となっているのだ。

 人間や冒険者も必要ではあるが、人数が少なくなったのは昨日の傭兵の一件が関係しているのは間違いない。


(そう言えば、結局昨日の傭兵の件はどうなったんだ? 騎士や警備兵が色々と動いてみるって話だったけど……成果はあったのか? いや、成果があれば俺達に言うか)


 冒険者とはまた違った存在の傭兵が、ここに来て問題になっている。

 だからといって、まさかギルムに傭兵を入れさせない訳にもいかないし、全ての傭兵に監視を付ける訳にもいかない。

 結局出来るのは、こうして幾らかでも騎士や冒険者をこの場に配置し、決してこの世界の者の全てが敵ではないと示すことだけだろう。

 幸いにも、ゾゾやガガを始めとしたリザードマンはギルムの者とそれなりに友好的だ。

 ダスカーがリザードマン達を保護し、領主の館で衣食住を保証したことも大きいのだろう。……衣食住と言っても、衣類には特に何もしていないので食住と言うべきかもしれないが。

 そのおかげで、多くのリザードマン達はダスカーに……そしてギルムの人間に対して好意的になってくれた。

 いきなり自分達の知らない異世界――それを認識してる者がどれくらいいるのか、レイには分からなかったが――に転移させられて、そこで攻撃されるのではなく保護されたのだ。

 余程の恩知らずでもない限り、そのような相手に好意や恩義を抱くなという方が無理だろう。

 ……もっとも、傭兵達の襲撃があったことを思えば、その信頼も完全にという訳にはいかないのだろうが。


「俺達は昼になったら一度ギルムに戻るように言われてるけど、レイはどうするんだ?」


 そう尋ねてきたのは、冒険者の男。

 ここに配属されている以上、腕利きでダスカーからも信頼されている冒険者なのは間違いない。


「俺はここに残る。今日は夕方まではここにいるよ。……また、あの馬鹿共のような連中が来ないとも限らないし。とはいえ、俺も夜にはギルムに戻るけど」


 昨日生誕の塔を襲っていた傭兵達は、レイが来たと知った瞬間に逃げ出した。

 それはつまり、レイがどれだけの力を持っているのかを知っているということを意味している。

 勿論、レイの……正確には深紅の噂はかなり広まっている為に、そのことを知っていてもおかしくはないのだが。

 ともあれ、襲ってくるのが昨日のような傭兵だとすれば、レイがいる状況で襲撃するということはまずない。

 問題は夜にレイがギルムに帰ってからだが……夜の辺境でギルムの外に出るというのは非常に危険だということで、恐らくは大丈夫だろう。

 とはいえ、中には命知らずの傭兵もいるし、高額の報酬の為なら危険も受け入れるという者もいる。

 何よりも生誕の塔があるのだから、いざとなれば生誕の塔に逃げ込めばいいと考えるような者がいてもおかしくはない。……本来なら城と繋がっていた部分は、スプーンでくり抜かれたように綺麗に消滅しており、そこから出入りするのは難しくないのだが。


(そういう意味では、ガガのような戦力もここに残った方がいいと思うんだが。……ゾゾだけでどうにでも出来ると考えてるのか?)


 そんな疑問を抱くレイだったが、ガガにはガガの考えがあるし、ゾゾにもゾゾの考えがあるんだから、多分大丈夫だと思っている……と、そう思いたい。

 それにいざって時には、さすがにこっちに連絡がくるだろうし。

 そう思いながら、レイは冒険者達との話を続けるのだった。

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