第2062話

 巨大な建物の残骸。

 それが、トレントの森の隣……ただし、レイ達が樵と共に伐採する場所とはまた違う場所に存在していた代物だった。

 だが、レイはその残骸を見て、すぐに首を横に振る。


「違うな。これは残骸じゃない」


 巨大な建物……恐らく城だろうが、それを最初残骸だと思ったのは、その建物の高さとは裏腹にかなり幅としては狭かったから。

 勿論、元が巨大な建物であると認識出来るだけに、幅が狭いとはいえ、それなりの大きさを持つ。

 その建物はそれこそまるでスプーンかなにかでくり抜いたかのように、綺麗に抉れていた。

 だからこそ、レイはその建物を最初に見た時に残骸か何かではないかと思ったのだろう。

 実際にセトが建物に近づいていけば、その建物そのものは残骸とは呼べないような……それどころか、綺麗な建物だと思われるのは明らかだ。


「セト、取りあえず地上に降りてくれるか? こうして外から見ているだけだと、あまり分からない。地上から近づいて、しっかりと確認したい」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトは喉を鳴らして、地上に向かって降下していく。

 トレントの森そのものは、レイにとっても既に馴染み深い場所だ。

 だが、いつもは日中に来ているのに、今は夜。

 それも、トレントの森の隣には建物が転移してきたということもあり、とてもではないが視線の先にある光景を見慣れた光景とは呼べない。


(問題なのは、あの建物に誰かいるかってことだよな。……普通に考えれば、この建物は城か何かだと思うんだけど……そうなると、グラン・ドラゴニア帝国か? 少なくても、ロロルノーラ達はこういう建物を建てたりとかはしないらしいし)


 レイがゾゾから聞いた限りでは、ロロルノーラを始めとした緑人達は、森や山の中で暮らしている。

 簡単な……それこそ木や草、蔦といったものを使って作る簡単な家を作ることはあっても、このように見るからに立派な建物を作るといったことはない筈だった。


「……リザードマンがいるとなると、ゾゾを連れてきた方がよかったか?」


 今更ながらにゾゾの言うことを聞けばよかったと思わないでもないが、あの時は、まさかこのようなことになっているとは思ってもいなかった。


「とはいえ……誰もいないな」


 高さ二十m程もある建物だったが、レイとセト、イエロの一人と二匹が近づいても特に誰かが出て来る様子はない。

 だとすれば、建物だけがやってきたのか?

 もしくは、周囲を警戒して建物の中に閉じこもっているのか。

 はたまた、転移したことにすら気が付かず、建物の中で眠っているのか。

 その辺の理由はレイにも分からなかったが、それでもこの建物を放っておく訳にいかないというのは、分かった。


「建物が転移してくるというのは、完全に予想外だったな。……それでも、トレントの森の中にこの建物が転移してこなくて助かったけど……ん?」


 建物を見ながら呟いていたレイは、自分の言葉に何か引っ掛かることがあったのか、疑問を抱く。

 そして建物を見て……スプーンでくり抜いたようになっている場所が、建物の中でもトレントの森の方だと気が付き、一気に背筋が冷たくなる。


「グルゥ?」

「キュ?」


 そんなレイの様子に、セトとイエロの二匹はどうしたの? とそれぞれ鳴き声を上げる。

 左右両側にいる二匹を撫でながら、レイは考えたことを整理していく。


(今回は、この建物だけがここに転移してきた。何であんな風に見事に抉れているのかは分からないけど、ともあれそのおかげで今のような状況になっている。けど……もし、あの建物と繋がっている部分がそのまま転移してきたら……どうなっていたんだ?)


 トレントの森の中に目の前の建物と繋がっていると思われる部分が出現するのなら、問題はない。

 いや、トレントの森の木を建築資材として手に入れることが出来なくなる可能性があるのを考えると、問題がない訳ではないのだろうが。

 それでも、最悪の場合……それこそ、グラン・ドラゴニア帝国の城とこのトレントの森が入れ替わるようにして転移してきた結果、この周辺に大きな被害が出ないとも限らない。


「おい、誰かいるのか! いるのなら出てこい!」


 一応そう叫んでみるものの、リザードマンの誰かが姿を現す様子はない。

 ……もっとも、ゾゾやガガの件を見れば分かる通り、レイとリザードマン達では使う言葉は違うので、もし建物の中にリザードマンがいてもレイの言葉の意味は通じていないのだろうが。

 言葉が通じない以上、レイの叫び声は、それこそモンスターか何かの鳴き声に聞こえてもおかしくはない。

 レイも叫んでいてそれに気が付き、それ以上は止める。

 もし建物の中に誰かがいても、外にモンスターがいると知られれば、それこそ絶対に出て来たりはしないだろう。


「どうする? 中に入った方がいいと思うか?」

「グルゥ」

「キュ? キュキュ!」


 レイの言葉に、セトとイエロがそれぞれ鳴き声を返す。

 正確な意味までは分からなかったが、それでも二匹はそうした方がいいと言っているように思えた。


「うーん……いっそ、一旦ギルムまで戻ってゾゾとガガを……いや、けど……」


 レイはこれをグラン・ドラゴニア帝国の建物……それも、恐らくは王城か何かの一部だと予想しているが、だからこそこのまま放っておく訳にもいかないと思えた。

 もしこの建物の中に誰かがいた場合、レイがいなくなったのをこれ幸いと、建物から逃げ出してどこかに消えてしまうという可能性があった為だ。


「となると、やっぱり少しだけでも様子を見ておいた方がいいか。建物ごと転移してきたとなると、中で怪我をしてる奴もいるかもしれないし。……セトは、周囲の見張りを頼む。イエロは俺と一緒に行くぞ」


 建物の入り口はそれなりに大きいが、それでもセトが入れるかどうかといった大きさだ。

 サイズ変更のスキルを使えば中に入ることは出来るかもしれないが、今のこの辺りの状況を考えれば、周囲の見張りは必要となる。

 ならば、セトを無理に建物の中に入れなくても、外の警戒を頼めばいい。

 レイにとって、セトとは全面的に信頼出来る相手なのだから。


「グルルルルルゥ!」


 レイに周囲の警戒を頼まれたセトは、任せて! とやる気満々に鳴き声を上げる。

 ……建物の中に人がいても、今のセトの鳴き声で余計に怯えるのでは? と一瞬思ったレイだったが、今は取りあえず行動するべきだと判断し、セトを一撫でしてからイエロを連れて建物に向かう。

 城の一部と思われる建物の扉に向かうレイだったが、ふと気が付く。

 スプーンで抉ったようになっている場所からなら、普通にセトも入れるし……何より、レイを警戒した相手がいる場合、そこから逃げるのでは? と。

 とはいえ、セトがいる以上は建物から抜け出した相手がいても、すぐに見つかってしまうだろうと判断し、改めてイエロと共に扉を潜る。


「見た感じ……俺達の建物とはそう変わらないな」


 勿論、建物の様式や廊下や床、天井の作りには独特なものがある。

 もっとも、レイも別に城に入ったことは……ベスティア帝国であるだけなので、このような様式を見てもそういうものなのかという感想しか抱けない。


「まぁ、考えてみればリザードマン達は俺よりも大きかったけど、ガガ以外は特別に大きいって訳じゃなかったんだし、そう考えれば建物の様式は違っても、大きさとかが変わらないのは当然か」


 建物の中を歩きながら呟くレイに、小さな羽で周囲を飛んでいるイエロが嬉しそうに鳴き声を上げる。

 イエロにしてみれば、ここがどのような場所なのかを理解出来ないのだろう。

 もっとも、そういう意味ではレイも似たようなものではあったが。


「それにしても、本当に誰もいないな。……もしかして、もうトレントの森に逃げ出した可能性もあるのか?」


 思いつきではあったが、それは決して有り得ないことではない。

 セトがこの建物の転移を感じ取ってから、実際にレイがここに到着するまでに十分程度は掛かっている。

 それだけの時間があれば、この建物と一緒に転移してきた者がいても、建物から抜け出るには十分な時間だった。


「とはいえ、トレントの森に逃げられれば……セトなら追えるか? いや、けど周囲の見回りも……」


 そう呟きつつ廊下を歩いていたレイだったが、不意にその足を止める。

 そして、じっと視線の先……上に続く階段を見ていた。


「キュ?」


 どうしたの? と鳴き声を上げるイエロをそっと撫でながら、レイは小声で呟く。


「何か音がしたな。あの階段を上ったところだな。……多分、リザードマンだとは思うんだが」

「キュ!」


 レイの言葉に、イエロは短く鳴く。

 そんなイエロと共に、レイは階段を上っていく。

 階段そのものはそこまで長い訳ではなく、一分かそこらで上りきる。

 幸いなことに、階段の続く先は転移の際に抉られているような場所ではなかった。

 目の前に広がっているのは、一つの扉。

 こちらもまた、扉の模様はレイが初めて見たものだったが、扉の形そのものはレイが見知っている物とそう変わりはない。

 例え世界が違っても、大筋ではこの世界とそう変わらないということなのだろう。

 もっとも、その辺はリザードマン達が装備していた武器や防具を見れば、明らかだったのだが。


「音はこの部屋の中から、か。それに扉の先には気配もある。……そこにいるのは誰だ?」


 扉の向こうにそう声を掛けるレイだったが、その扉の向こうから返事はない。

 代わりに、何かが動く気配を察することは出来た。

 つまり、この扉の先には誰かが……もしくは何かがいるということになる。

 それがどのような相手なのかは、レイにも分からない。

 分からないが、この建物の中で初めて遭遇した相手だというのは、間違いのない事実だった。


「誰かいるんだろう?」


 そう言いながら、軽く扉を叩く。

 リザードマン達にノックという習慣があるのかどうかは、レイにも分からない。

 だが、扉の向こうにいる何者かに対しこちらが敵意を持っていないと示すには、乱暴に扉を叩くのではなく、こうして軽く扉を叩いた方がいいのではないかと、そう思った為だ。

 しかし、扉をノックしても部屋の中から反応はない。

 それどころか、何とかレイをやりすごそうとして、余計に息を潜めているように思える。


(どうする? このまま扉の中にいる相手を無視して建物を探索するというのは却下だ。けど、強引に扉の中に入るのは、それはそれで問題なような気がする。……出来れば、向こうから出て来てくれるのが一番いいんだが)


 そう考えるレイだったが、扉の向こうにいる誰かは明らかにレイを警戒していて、出て来る様子はない。

 やはり強引に……そう考えたレイは扉に手を伸ばし……ふと、思いつくことがあった。

 ゾゾやガガと会話をした時、その名前だけはレイにもしっかりと聞き取れたのだ。

 そうである以上、ここでゾゾとガガの名前を口にすれば、それは扉の向こうにいる誰かにも分かるのではないか、と。

 ……もっとも、それはあくまでも扉の先にいるのがリザードマンであれば、の話だが。


「俺はゾゾとガガの知り合いだ」


 レイがゾゾとガガの名前を出した瞬間、間違いなく扉の向こうで何かが動いた。

 それを確認したレイは、改めて口を開く。


「ゾゾ、ガガ」


 そう口にした瞬間、再度扉の向こう側で何かが……誰かが動く。


(ゾゾとガガ、どっちの名前に反応したのかは分からないけど、多分ガガだろうな)


 レイがゾゾから聞いた話によると、ゾゾは第十三皇子というかなり皇位継承権の低い皇子だ。

 それに比べると、ガガは第三皇子であり、同時に強力な戦士としてその名前が知られている。

 そのどちらが有名なのかと言われれば、明らかにガガだろう。


(あ、そう言えばザザもいたな)


 ガガの弟にして、ゾゾの兄のザザ。

 その態度は悪い意味で皇族らしく、ゾゾを完全に下に見ていて喧嘩を売ったのだが……結果として、レイ達と模擬戦をした効果が発揮されたのか、それとも元から力の差があったのかは分からないが、ザザとゾゾが戦い、ゾゾが勝った。

 その後は、ザザがいると問題を起こす可能性があるということで、現在ザザはすごしやすいように特別に用意された地下牢に入れられている。

 ザザについて少しだけ考えたレイだったが、今はとにかく扉の先にいる誰かと接触する方が先だと判断し、扉に手を伸ばす。


「キュ?」


 中に入るの? と尋ねるイエロに、レイは頷く。


「そうだ。中にいる誰か……多分リザードマンだと思うんだが、そのリザードマン達は確保しておきたい。……ゾゾやガガに会わせれば、妙な誤解も解けるだろうし」


 そう告げ、扉を開けたレイが見たのは……


「●●●●、●●!」


 自分に向かって叫ぶ女のリザードマンと、その背後に匿われている二十匹程のリザードマンの子供。そして棚の上に幾つも存在する卵だった。

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