第2061話
「グルルルルルルルルルゥ!」
夜、不意にマリーナの家の中に……場合によっては、周辺の屋敷にまで届くような鳴き声が響き渡る。
当然そんな鳴き声を聞けば、レイも即座に起き上がる。
普段は寝起きに弱いレイだったが、今のセトの鳴き声は明らかに普通ではない。
それを半ば本能で察したからか、レイも寝起きに寝ぼけるといった真似はしなかったのだ。
殆ど着の身着のまま……それでもドラゴンローブを着て、スレイプニルの靴を履き、部屋から出て中庭に向かう。
そうして中庭にやって来たレイが見たのは、中庭で眠っていたゾゾとガガが起きて周囲を見回している光景であった。
……先程のセトの鳴き声を聞けば、眠っていても起きるのは当然だろう。
ましてや、セトはゾゾやガガと同じく中庭にいたのだから。
エレーナを含めた女達がここにいないのは、やはり女だから最低限の身支度に時間が掛かる為か。
ともあれ、中庭に出て来たものの、周辺には何も違和感の類はない。
てっきり、何らかのモンスターがギルムを襲ってきたのではないかと、そう思ったのだが。
「セト? 何があったんだ?」
中庭の一ヶ所でじっとしているセトに声を掛けるレイだったが、いつもならレイの声を聞けばすぐにでも嬉しそうに鳴き声を上げるセトが、現在は一ヶ所をじっと見て、動く様子はない。
そんなセトの様子は、レイの目から見ても明らかに普通ではなかった。
「セト?」
再度セトの名前を呼ぶレイだったが、それでもセトは一ヶ所をじっと見たままだ。
「レイ、さっきのセトの鳴き声は何!?」
そう言いながら、マリーナが……そして他の面々も同じタイミングで姿を現す。
全員が寝起きではあるが、何があっても即座に対応出来るように武器を持っている辺り、戦闘に身を置く者としては一流の証だろう。
「分からない。ただ、セトの様子を見る限りでは、よっぽどの何かが起きたのは間違いないだろうな」
マリーナの言葉に、レイはセトを見ながらそう告げる。
そんなレイの言葉に、初めてマリーナ達も中庭にいるセトがとある一点を見て動きを止めていることに気が付いたのだろう。
「どうやら、レイの言葉が正しいみたいね」
自分の相棒たるレイを大好きなセトなのに、レイがここまで近くにいるにも関わらず、全く反応しない。
それは、普段のセトを知っている者にしてみれば、天変地異の前触れか? と思ってもおかしくはない様子だった。
「それで、セトの見ている方には何があるのだ?」
エレーナのその言葉に、レイはセトの見ている方に何があったのかと考える。
幾つかセトが気に入っている屋台が出ている場所があったと思うが、まさか屋台に何かあったからといって、夜中にあれだけの鳴き声を口にするような真似はしないだろう。
……そもそも、マリーナの家の中庭から、屋台に何かあったとどうやって知ったのかといった問題もあるが。
ともあれ、セトの様子を考える限りではそんな出来事であれだけの鳴き声を出さないということくらいは、レイにも理解出来た。
「ゾゾ、セトが鳴き声を上げる前に、何か気が付いたことはなかったか?」
『いえ、特に何も』
レイの問いに、ゾゾは石版にそう返す。
一応ということで、ガガにも何か気が付かなかったかとゾゾに通訳して貰って聞いたのだが、生憎とそちらでも特に何か気が付いたといった様子はないようだった。
「ゾゾもガガも分からないとすると、一体何が……」
そう考えたレイは、ふと気が付く。
最近もこれと同じことがなかったかと。
レイには特に何も感じられなかったのに、セトだけが気が付いたこと。
結果として、セトのその感覚は正しかったことが証明されている。
その上、セトが見ている方向。
そちらにはギルムには何もないが……ギルムを出て、その先を見れば、そこに何があるのかということにレイは気が付く。
何故なら、そこはここのところ毎日レイが通っている場所なのだから。
「トレントの森」
レイの口から出た小さな言葉だったが、それを聞き逃すような者はここにはいない。……ガガだけは何か分からないといった様子を見せていたが。
「ちょっと待って。じゃあ、もしかしてセトが感じたのって……転移の前兆?」
毎晩の夕食の時の報告で、セトが転移してくるリザードマンや緑人達の前兆を感じられるということは、既に説明してある。
だからこそ、今のセトの状態とトレントの森を見ているということで、転移の前兆を察しているのだと気が付いたのだろう。とはいえ……
「恐らくはそうなんだと思うけど……」
レイは断言出来ない。
何故なら、今までレイがギルムにいる間にトレントの森で転移が起こったことはあったが、その時はセトが転移の前兆を感じることが出来なかった為だ。
それを思えば、今回に限ってセトが転移の前兆を感じたという理由が分からない。
分からないからこそ……
「取りあえず確認しに行ってみるしかない、か」
そう、レイが呟く。
ここで何が起きたのかといったことを考えていても、結局のところは実際にトレントの森まで行って確認してみた方が早い。
「でも、どうやって? 今は正門が閉まってるでしょ? そうなると……」
レイの呟きを聞いたヴィヘラは、上を見る。
本来であれば、そこには結界が張られている筈だった。
いや、正確には以前程ではないにしろ、春になってからダスカーが色々と手を回して結界は張られている。
だが、その結界は当然のように以前のように強力なものではない。
それこそ、セト程の強さがあれば、突き破るくらいは間違いなく可能な程度の結界。
そこを通れば、ここから正門を開けて貰って出るよりも圧倒的に速く移動出来るのは間違いない。
とはいえ、当然そのような真似をすれば明日にでも問題になるのは間違いないのだろうが。
「行きなさい、レイ」
ヴィヘラの視線を追ったマリーナは、そう告げる。
「いや、けど……いいのか? 後で問題になるぞ?」
「後の問題よりも、今の問題でしょ。セトの様子を見る限り、転移かどうかは分からないけど、何か大きなことがあったのは間違いないわ。そうなると、すぐにでも様子を見に行った方がいいでしょ。ダスカーには、今から私が話を通しておくから」
それは冗談でもなく、真面目に言ってるのが周囲にいる者には分かった。
また、レイも今の状況を考えると、少しでも早くトレントの森に行った方がいいのは確実なので、数秒考えた後で頷きを返す。
「分かった。じゃあ。ダスカー様に報告は頼んだ。……セト!」
「グルルゥ!」
レイの呼び掛けに、ようやくトレントの森を見て動きを止めていたセトが、レイの方を見る。
そんなセトを見て、近くにいたイエロは安心したように鳴き声を上げていた。
レイは、ここで初めてセトの側にイエロがいたことに気が付く。
セトの友達……いや、親友のイエロだが、誕生して数年が経ってもセトのように大きくなることはない。
だからこそ、レイが中庭に来た時はセトの陰に隠れており、またレイがセトの様子を心配していたこともあって気が付かなかったのだ。
「悪いな、イエロ。セトは今から俺と一緒にちょっと出掛けるんだ」
「キュ……」
そんなレイの言葉に、イエロはセトと一緒にいたいと鳴く。
「レイ、悪いがイエロを一緒に連れて行ってくれないか? イエロは防御力だけは高いから、大抵の危険ならどうにか出来る」
「……いいのか? 正直なところ、本当に何があるのか分からないんだぞ?」
「構わん。それに……場所はトレントの森なのだろう? であれば、イエロがいれば役に立つことがある可能性は十分にある」
そう言いながら、エレーナはゾゾとガガを見る。
ガガも、ゾゾ程ではないがイエロやエレーナに対して敬うような思いを抱いてるというのは、レイも知っていた。
だからこそ、トレントの森で何かが起きたというのであれば、確率として半分はリザードマン関係である以上、イエロがいれば役立つ可能性は十分にあった。
レイは数秒考え、頷く。
『レイ様、私も』
「いや、空を飛んでいくから、ゾゾは連れていけない。悪いが、ここに残ってくれ」
ゾゾにしてみれば、仕えているレイと一緒に行くのは当然だった。
だが、レイはそんなゾゾに対して即座に却下する。
これが、セトの背に乗って地上を走るのであれば、ゾゾも連れて行けただろう。
しかし、今回はセトが空を飛んで移動するのだ。
そうなると、ゾゾを連れて行くにはセト籠を使うか、セトの足に掴まって移動するしかない。
ゾゾと出会ってからまだ数日だが、今はもうレイもゾゾのことを信用している。
少なくても、自分を味方だと思わせて実は裏切る……などといったことを考えているとは、思えなかった。
そうである以上、セト籠に乗せるのは問題ないのだが、トレントの森で現在何が起きているのか分からない以上、セト籠を悠長に使っている暇はない。
それ以前に、セト籠を使うのならここにいる多くの者……それこそ、ダスカーに会いに行くマリーナ以外の全員が行くと言っても不思議ではないのだが。
向こうで待っているのが戦いなら、レイもその手段を考慮しただろう。
だが、今回はあくまでも偵察なのだ。
だからこそ、レイは自分だけでいくつもりだった。
……セト籠は大量輸送に便利なのは間違いないが、その分出し入れに時間が掛かったりするのが大きい、というのもある。
いや、正確には出し入れするにはそれに触れればいいだけなので、客観的に見た場合はそこまで時間が掛からない。
だが、セト籠の乗り降りを含めて何だかんだと時間が掛かる可能性があった。
セトの様子から見て何か危険なことが起こっているのがほぼ確実な以上、そんな悠長な真似はしていられない。
見るからに肩を落としているゾゾに、レイは確認するように言葉を続ける。
「お前はここで待っていてくれ。何かあった時、すぐ対応出来るように」
それは、ある意味でゾゾをここに残す為の方便でもある。
しかし、セトの様子から何が起きたのか分からない以上、何かあった時にここを守る人物が必須なのも、間違いのない事実だった。
ゾゾはここで我が儘を言うのはレイの負担になると判断し、大人しくレイの言葉に従う。
「セト、じゃあ一気にギルムを出るぞ。結界に触れることになるかもしれないけど、一気に突き破って構わない」
「グルゥ!」
「イエロは、俺から離れないようにな」
「キュ!」
セトとイエロがそれぞれ自分の言葉に頷いたのを確認すると、レイはセトの背に跨がる。
「イエロのことを頼む」
エレーナの短い言葉に頷いたレイは、セトの首の裏を軽く叩く。
それが出発の合図だと知っているセトは、そのまま庭の中で数歩の助走をした後で翼を羽ばたかせる。
マリーナの家の庭は、精霊魔法によって快適にすごせるように調整されている。
だからこそ、庭から飛び出る時は何らかの違和感があるのかもしれないと思ったのだが、幸いにも特にそのようなことはなかった。
庭を突っ切ったセトは、そのままギルムの上空に向かい……途中で軽い、本当に軽い感触と共に結界を破る。
セトの背に乗っていたレイも、一瞬だけ感じた抵抗に、それが結界だったのか? と疑問を抱くが、それ以上は特に何もないままに上空に到達したことを思えば、先程の感触が結界だったのは間違いないだろうと判断した。
そうして、夜の空に出ると不思議と月の存在をしっかりと確認出来るようになっていた。
マリーナの家の庭にいる時は、周囲に明かりがあった為かそこまで気にならなかったのだが……不思議と、こうして夜の空に上がると強く月の存在を意識する。
もっとも、今は月の存在よりもトレントの森の方で何が起きたのかといったことを確認する必要がある。
実際にはセトが鳴き声を上げてみていたのはトレントの森ではなかった可能性もあるのだが、それでもレイの中には恐らくトレントの森であるという確信があった。
セトがあそこまで鳴き声を上げる以上、絶対に何らかの意味があると、そう思っていた為だ。
「セト、行くぞ。トレントの森だ」
「グルルルゥ!」
「イエロは落ちるなよ」
「キュ!」
レイの言葉に、セトとイエロがそれぞれ鳴き声を上げる。
そうしてトレントの森に向かうレイたち。
セトの背の上でイエロが落ちないようにとしっかりと掴みながら、一体何があったのかということを心配するレイ。
先程の大きなセトの鳴き声を思えば、とてもではないが何もないとは思えない。
それこそ、信じれないような何かがあり、それをセトが感じたと考えるのが当然だった。
そうして、飛ぶこと数分程……トレントの森に近づいてきたレイが見たのは、トレントの森の隣に存在していた、巨大な建物の残骸と思われる物だった。
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