第2055話

 その馬車の集団は、当然のように街道を歩いている者達の人目を引いた。

 十五台もの馬車が纏まって移動しているのだから、それも当然だろう。

 また、正門前では御者と警備兵の簡単なやり取りだけで中に入ったというのも関係している。

 特にギルムに入る為に並んでいた者の中には、つい先程馬車がギルムを出て行った時にまだ並んでいた者もいたのだから。

 そのような者達にしてみれば、十五台もの馬車が出て行って、それからすぐに戻ってきたことになる。

 それを気にするなという方が無理だろう。

 とはいえ、何があったのかと警備兵に聞いても、その理由は分からない。

 警備兵は、当然のようにある程度の事情を知っていたが、それを話す程に迂闊ではない。

 中には儲け話の臭いでも嗅ぎつけたのか、賄賂を使ってでも聞き出そうとする商人もいたのだが、警備兵の中にそれを漏らす者はいなかった。

 ギルムの中に入った馬車は、慣れた様子で領主の館に向かう。

 ……その中の一台が他の馬車に比べると若干遅いように思えるのは、その馬車に乗っているのがガガだからだろう。

 そうして領主の館にある、騎士の訓練場に到着する馬車。

 そこには、以前に何度かレイが見たように、ダスカーの姿があった。

 初めて見るような、巨大なリザードマンがいるということで、ダスカーは若干緊張したまま、そこで待っている。

 そして、馬車が停まり……セトの側にあった馬車から、誰かが下りてくる。


「あ、ダスカー様」


 その聞き覚えのある声に、ダスカーは反射的に崩れ落ちそうになる。

 何故なら、その人物はダスカーにとっても見覚えのある……ありすぎる人物だったからだ。

 とはいえ、その馬車の近くにセトがいたのだから、その馬車にレイが乗っているというのは考えるまでもなく明らかだったのだが。


「レイか。……それで? 巨大なリザードマンというのは?」

「いますよ。ガガ」


 馬車から下りたレイの言葉が聞こえたのか、ガガが姿を現す。

 ざわり、と。

 ダスカーの護衛として周囲にいた騎士達の口から、驚きの声が漏れ出た。

 当然だろう。身長三m程もあるリザードマンが、頭がぶつからないようにしながら馬車から下りてきたのだから。

 その相手は、顔や尻尾を見る限り、間違いなくリザードマンだ。

 だが、その大きさが違う。

 前もって話は聞いていたが、そんな話よりも実際に見て、初めてその大きさを実感したのだ。


(百聞は一見にしかずってのは、まさにこのことなんだろうな)


 驚いているダスカーや騎士達を見ながら、レイはしみじみとそう思う。

 自分も初めてガガを見た時は、まさに度肝を抜かれたといった感じになったのだから、自分と同じように思って欲しいと思うのは当然だろう。

 そんな風にダスカーや周囲の者達が驚いている間に、他の馬車からも次々とリザードマンが姿を現す。

 だが、ガガの巨体に目を奪われているダスカーは、そのことに気が付いた様子はない。

 ガガの身長は三m程で、ゾゾより一m程度大きいだけだ。

 しかし、今はその一mというのが大きな意味を持っていた。

 周囲の様子に気が付かずガガに目を奪われていたダスカーだったが、やがて我に返る。


「レイ、ご苦労だった。それで詳しい事情を聞きたいのだが」

「はい。このリザードマンは、ガガ。ゾゾの兄で、グラン・ドラゴニア帝国の中でも五本の指に入る戦士にして、第三皇子らしいです」

「……何?」


 レイの言った内容が理解出来なかった……いや、理解したくなかったのか、そうダスカーは返す。

 どうか今のは、自分の聞き間違いでありますようにと、そんな意志を込めて。

 だが、そんなダスカーの期待に全く応える様子は見せず、レイは再度同じ内容を口にする。

 そして、二度目ともなればダスカーも聞こえなかったことには出来ない。


「そうか……第三皇子か……」


 呟き、ガガをどう対処すればいいのか迷う。

 これがゾゾであれば、十三皇子という皇位継承権が圧倒的に低く、またレイの従魔ということになっていることもあり、そこまで気にする必要もなかった。

 だが、第三皇子ともなればダスカーとしても丁重に扱う必要がある。

 ……例えグラン・ドラゴニア帝国がこの世界ではなく、異世界に存在する国だとしても。

 ダスカーは、グラン・ドラゴニア帝国が異世界にあるというのを全く疑っていない。

 何故なら、その情報を持ってきたのがレイ……正確には、レイの師匠だからだ。

 レイの師匠がどれだけの強さを持っているのかというのは、冬の一件で理解している。……何より、レイの師匠であるというだけで、十分に納得出来てしまう。


「そうなると、まずは部屋を用意……」

 

 する必要があると言おうとしたダスカーだったが、不意にガガがゾゾに何かを話し掛け、会話を始める。

 それを邪魔するのも不味いと思って黙るダスカー。


「ダスカー様?」


 そんなダスカーの様子を疑問に思ってレイが尋ねるが、今は黙るようにと視線を向けられれば、レイとしても黙るしかない。

 そのまま数十秒が経過すると、ゾゾは石版をダスカーの方に向ける。


『ガガ兄上が言うには、自分のことは皇子ではなく他のリザードマン達と同じように扱って欲しいと』

「それは……だが、いいのか?」


 ダスカーとしては、第三皇子という立場である以上、それこそ王都に連絡を入れろとまで言われる可能性すら考えていた。

 だが、ガガが言ってきたのは、そんなダスカーの予想とは正反対と言ってもいい内容。


『はい。元々ガガ兄上は堅苦しいことが嫌いな性格なので……それに、レイ様との戦いがかなり気に入ったので、また戦いたいと』


 ギギギ、と。

 そんな音を立てながら、ダスカーの顔が動き、レイに視線を向ける。


「戦ったのか?」

「はい」


 恐る恐るといった様子で尋ねてきたダスカーに、レイはあっさりと答える。

 そんなレイに何かを言おうとしたダスカーだったが、レイもこのままではダスカーに注意されるというのは分かったので、先手を打つ。


「戦って勝ったら、ギルムにいる間は緑人達と敵対しないと約束したので」


 そう言われれば、ダスカーとしてもレイに注意は出来ない。

 緑人がどれだけギルムに利益をもたらすか、それは明らかだったからだ。

 そして何より、ガガがレイに友好的な視線を向けていて、その上でまた戦いたいと言っているのだから、この件でレイを責められる筈がなかった。


「あー……分かった。ただし、くれぐれも大きな問題にはならないように頼む。いいか? く・れ・ぐ・れ・も、だぞ」

「分かりました。もっとも、ガガの性格からして、余程のことでもない限りは問題にならないでしょうが」

「なら、いい。それで、ガガ様……いや、ガガ殿か。ガガ殿を普通の戦士として扱うにしても、どこに部屋を用意するかだが……」

『その、レイ様と同じ場所に泊まりたいと』


 ダスカーの言葉に、ゾゾがガガに尋ねるとそんな言葉が返ってきた。

 ダスカーがお前の管轄だといったようにレイに丸投げするが、レイとしても自分と同じ場所に泊まると言われても困る。

 現在のレイは、ゾゾの関係もあって定宿の夕暮れの小麦亭ではなく、貴族街にあるマリーナの家に泊まっている。……もっとも、ガガが夕暮れの小麦亭に泊まると言っても、まず無理だろうが。

 だからといって、マリーナの家に泊まっているのに勝手にガガを連れて行く訳にもいかない。

 そもそもの話、身長三mのガガが眠れるような寝具は、マリーナの家には当然存在しない。

 いや、寧ろ部屋の中に入るのすら難しいだろう。

 つまり、もしガガがマリーナの家に来ても、泊まる場所として用意出来るのは中庭だけとなる。

 幸いな……という表現がこの場合相応しいのかどうかは不明だが、マリーナの家の庭は精霊魔法によって非常に快適にすごせるようになっているので、一応庭で寝ようと思えば眠ることも出来るのだが。


(とはいえ、仮にも第三皇子という身分のガガを、庭で適当に眠らせるのは……任されたと言われても、色々と不味いんじゃないか?)


 ガガとは武器の件もあってそれなりに気が合うレイだったが、それでも庭に寝せるのが不味いというのは分かる。


「ゾゾの件もあって、今はマリーナの家に泊まってるんですが、もしガガを連れて行ってもマリーナの家には入らないと思うので、庭しか寝る場所がないんですが……大丈夫ですかね?」

「あー……どうしたもんだろうな」


 ガガの扱いをレイに丸投げしたダスカーだったが、それでもレイの言葉を聞いてしまえば、それに頷くことは出来ない。

 出来なかったのだが……


『ガガ兄上が、それで構わないと。その、通訳が出来る私が一緒にいる方がいいとのことです。それに、ガガ兄上は戦士として兵士達と一緒に野営をすることも多いので、あの庭くらいの暖かさがあれば、問題はないかと』


 ガガの言葉を通訳したゾゾが、そう告げる。

 その言葉は、ダスカーにとっても驚きであると同時に、納得出来ることでもあった。

 ゾゾという、意思疎通出来る相手がいないと、色々と困るのは間違いないのだから。

 だが、皇族であるガガなら、それこそゾゾをこの屋敷に泊まるようにと命令してもおかしくはない。

 少なくても、ダスカーが知っている貴族の多くであれば、そう言う。

 もしダスカーがガガの立場であっても、庭で寝るという風には言えないだろう。

 出来るかどうかで言われれば、それは間違いなく出来る。

 事実、ダスカーが領主になる前に騎士をやっていた時は、野営をしたことなど珍しくも何ともないのだから。

 その時に比べれば、マリーナの精霊魔法によって環境が整えられており、食事の心配をしなくてもいいそれは、野営とすら呼べない。

 ただ、今のダスカーは領主だ。

 それも、中立派を率いている、ミレアーナ王国の中でも重要人物の一人でもある。

 そのような人物が庭で寝るというのは、外聞として非常に悪い。

 そういう意味では、ガガも第三皇子という立場である以上、色々と問題があると、そうダスカーは思うものの、ガガは特に気にした様子はない。


(もしかして、リザードマンにとっては野営をするというのは普通のことなのか?)


 人間ではなく、リザードマン……それも、この世界とは別の世界のリザードマンである以上、ダスカーの常識がガガの常識と違っていてもおかしな話はない。

 だとすれば、自分がここで無理に何かを言うことこそが、将来的に問題になるかもしれないとして、ダスカーはレイの方を見る。


「ガガ殿に関しては、レイに任せる」

「え? その……いいんですか?」


 レイにしてみれば、まさかダスカーからそのような言葉が出て来るとは思っていなかったのだろう。

 驚きの視線を向ける。

 だが、その視線を向けられたダスカーは、若干思うところはありつつも、レイの問いに頷く。

 恐らく……いや、間違いなく、今回の一件はマリーナに借りを作ってしまうことになるだろう。

 とはいえ、ダスカーがマリーナに借りを作るというのは、それこそ小さい頃から何度となく行われてきたことであり、今更という思いがない訳でもなかったのだが。


(小さい頃から、色々と弱みを握られてきたしな)


 はぁ、と。

 半ば現実逃避的に、昔のことを考えるダスカー。

 だが、そのような真似をしても今は意味がないと知り、改めてダスカーはレイに声を掛ける。


「取りあえず、ガガ殿がマリーナの家に泊まれるようにしてくれ。頼んだぞ」

「えっと、つまりそれは……俺がマリーナから許可を取れってことでしょうか?」

「……頼んだぞ」


 そっとレイから視線を逸らしつつも、ダスカーは『頼んだぞ』と繰り返す。

 そんなダスカーに何かを言おうとしたレイだったが、今は何かを言っても無駄だと判断して、話を強引に変える。

 ……いや、実際にガガのことなので、そこまで話は変わってないのだが。


「泊まる件はともかくとして、今日これからも色々と俺は行動する必要があるんですけど、それにはガガを連れて行けませんよ?」


 トレントの森で伐採された木材を錬金術師達が待っている場所に持っていく必要があるのだが、そこにガガを連れて行けば、絶対に一騒動あるとレイは確信出来る。

 セトの毛や爪といった素材を欲しがり、目玉の素材を欲しがる、場合によっては黄昏の槍やデスサイズですら欲しがる者達だ。

 そこにとてもではないが普通のリザードマンとは思えないガガを連れて行けば、一体どうなるのか。

 考えるまでもなく明らかだろう。

 と、そこまで考えたレイは、ふと疑問を感じる。


(この世界のリザードマンは色々と素材として有用な部分が多いけど、ガガやゾゾはともかく、普通のリザードマン達は素材としてどうなんだ? もしこれで素材としてこの世界のリザードマンと違うと判明すれば、それは異世界だと……いや、単純に特殊なリザードマンと認識されるだけか?)


 そんな疑問を覚えつつ、レイはガガに取りあえずここで待ってるように説得するのだった。

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