第2004話

『おおおおおおお』


 それが、セト籠から降りた樵達がギルムを見て、一斉に上げた声だった。

 本来なら五人前後という人数用のセト籠に、十人……それも樵らしい筋肉質な男達が乗っていたのだから、その狭い場所から解放された喜びもあるだろう。

 だが、それ以上に自分達の視線の先にあるギルムという街に目を奪われるのは当然だった。

 樵の多くは、村という小さな場所からやって来た者だ。

 中には街からやって来た者もいるが、同じ街という区分ではあっても、普通の街とギルムを比べるというのは無理があった。

 当然のように、ミレアーナ王国に住んでいる以上は、ギルムという辺境に唯一ある街を知ってはいる。

 だが、それでも……そう、それでも、やはりこうして直接自分の目で見るというのは、格別の衝撃を与えているのだろう。

 そのまま数分、感動し、あるいは圧倒されたようにギルムを見ていた樵達だったが、もういいだろうと判断して、セト籠をミスティリングに収納したレイが口を開く。


「外からギルムを見るのは、十分に満足したか? なら、そろそろギルムの中に入る手続きをするぞ」


 レイの言葉で我に返ったのか、樵達は慌てたように振り向く。

 完全にギルムに魂を奪われ、そこにレイがいたということすらすっかりと忘れてしまっていたのだろう。


(やっぱり街道から外れた場所に降りて良かったな)


 顔を擦りつけてくるセトを撫でながら、しみじみとレイは思う。

 春ということもあり、現在ギルムには多くの者が仕事を求めて集まってきている。

 増築工事の仕事をする為だったり、建築資材やそれ以外に色々な商品を売る商人といったように。

 特に今は、馬車に乗った商人も多く、街道を何台もの馬車が移動していた。

 そんな状況だけに、もし街道で樵達が周囲の状況を全く気にした様子もなくギルムに目を奪われていれば、商人達の邪魔になるのは確実だった。

 ……もっとも、商人というのは情報が命だ。

 特にギルムに来るような商人であれば、当然のようにレイとセトのことは知っているだろう。

 であれば、樵達の側にレイやセトがいれば、強引に樵達を馬車で吹き飛ばして移動する……といったことは行わないだろう。

 寧ろ、レイやセトに好印象を与える為に、配慮するような真似をしてもおかしくはない。


(ギルムに目を奪われているのが、子供だったりすれば微笑ましいと思うかもしれないけど、樵達じゃな)


 樵達は、とてもではないが微笑ましいような外見をしたりはしていない。

 外見の差というのは、このような時にも大きく関係してくるのだ。

 レイの言葉で我に返った樵達は、少しだけ気恥ずかしそうにする。

 二十代から三十代といった年齢の樵達だけに、自分達が大きく口を開けてギルムに目を奪われていたのが、気恥ずかしかったのだろう。


「ほら、行くぞ。言っておくけど、結構並ぶからそのつもりでな」


 そう言い、レイは正門の前に並んでいる行列に視線を向ける。

 そこでは、かなりの人数が並んでいるというのが、見れば分かった。

 自分達の住んでいる村や街では見たことのない行列に、樵達の動きが止まる。


「……え? 何かの冗談か?」


 数秒の沈黙の後、樵の中の一人がレイに向かってそう尋ねる。

 だが、レイは真顔で首を横に振る。


「いや、冗談でも何でもない。そもそも、お前達をギルムに呼んだのは、腕の立つ樵が少ないからだ。ギルムが増築工事をやっているってのは、前もって言っておいただろ? このくらいは毎日のように……というのはちょっと言いすぎかもしれないけど、珍しくはない」


 今は春になったばかりなので人が多いが、それでもこれから冬になるまでの間、かなりの数がこうしてギルムにやって来る。

 勿論来る一方という訳ではなく、ギルムでの一仕事を終えて出て行くような者もいるのだが。

 そんな訳で、基本的にギルムに入る為には手続きをするのに行列に並んで順番を待つ必要があった。


「嘘だろ……って、おい、ちょっと待て。なぁ、レイ。俺達は樵としてここで働くんだよな? そうなると、当然のようにギルムの中じゃなくて外で仕事をする訳で……」


 レイに最初に話し掛けた樵が、嫌そうな、そして面倒臭そうな様子でレイに視線を向けてくる。

 当然だろう。仕事をする度に、このような行列に並んで手続きをしなければならないのだと言われれば、不満を抱いてもおかしくはない。

 その樵の言葉に、他の樵達もレイに視線を向けてくる。

 勘弁してくれといった視線を向けられたレイだったが、安心させるように口を開く。


「樵だけじゃないが、ギルムの外で一時的に仕事をする場合は、ギルムから出入りする時簡単な手続きで済むし、あの行列には別に並ばなくてもいい。今回は、初めてギルムに入るから並ぶ必要があるけどな」


 ほっ、と。

 明らかに、樵達はレイの言葉に安堵する。


「そんな訳で、まずは最初に並んでギルムに入る手続きをする必要がある。その後は、ギルドに連れていって……そこからはギルドの方で世話をしてくれる筈だ」


 そう言いながらも、今更ながらに樵達の宿はどうするのだろう、という疑問がレイの中にはあった。

 現状であっても宿の問題があるのに、そこに樵を連れて来ても……と。

 それも、連れてくる樵はこれが最後ではない。

 今日はこのままギルムに泊まるが、明日からはまた別の場所に樵を迎えに行くのだ。

 ギルムの上層部からギルドを通しての依頼なので、具体的にどれくらいの人数を集めればいいのかというのは、レイも把握していない。

 依頼を出してきたギルムの上層部が満足するだけの人数になるまで、樵を運び続けることになるだろう。


(ああ、もしかしてギルドの倉庫を使うのか? ギガント・タートルの解体が終わって、もうスラムの連中もいなくなってる筈だし)


 かなりの広さの倉庫だったので、樵が数十人一緒に暮らすといった真似をしても、狭さは感じないだろう。

 もっとも、狭さは感じなくても暑苦しさは感じるだろうが。


「さて、事情を理解したところで、さっさと並ぶぞ。こうして待っているうちに、行列はどんどん長くなっていくからな」


 そう告げるレイの言葉通り、こうして樵達に事情を話している間にも行列の最後尾が少し前よりも確実に長くなっていた。

 それを見た樵達は、慌てて行列の方に向かう。

 行列に並んでいる者達は、そんなレイやセト、樵達を見て不思議そうにしてはいたが、冒険者のやることだからということで納得していた。


「ん? あれ、何でレイも並んでるんだ? 並ぶのは俺達だけでいいんじゃないのか?」

「そうだな。けど、お前達をギルドまで連れていくってことは、結局俺もお前達と一緒に行動する必要があるってことだろ? なら、こうして並んでいた方が面倒がなくていい。……なぁ?」

「グルゥ……」


 レイの言葉に、セトは少しだけ不満そうに喉を鳴らす。

 セトにしてみれば、出来れば先にギルムの中に入り、屋台で何らかの料理を食べながら樵達を待っている……というのが、最善の選択だったのだろう。

 だが、レイがこうして樵達に付き合うという以上、セトのその狙いは破壊されてしまった。

 とはいえ、別にセトも樵達が嫌いという訳ではない。

 盗賊を倒してから、樵の何人かは明らかにセトに対する態度が軟化したのだから。

 ……それでも、一緒に遊んでくれる程ではなかったのだが。


「ほら、ギルムに入ったら何か適当に買ってやるから、それで我慢してくれ。取りあえず、これでも食べてるか?」


 そう言い、レイはミスティリングの中から干し肉を取り出す。

 それは普通の干し肉ではなく、オークの肉を使って作った干し肉。

 冒険者が普段持ち歩くような実用品ではなく、嗜好品や贅沢品の類……といえば、どのような干し肉なのかが分かるだろう。

 冒険者用に作られている干し肉とは違い、香辛料の類もたっぷりと使われており、製造工程も職人が手間暇を掛けて作られている。

 それこそ、それなりに裕福な者が酒のツマミに食べるような、そんな干し肉だ。

 当然固いだけの干し肉とは違い、干されていてもある程度の柔らかさを持つ。

 そんな干し肉は、セトにとっても好物の一つだったので、セトはその干し肉であっさりと機嫌を直した。


「グルルルゥ」


 喉を鳴らしながら干し肉を食べるセトを見ながら、香辛料がもっと安ければ、こういう干し肉も増えるし、料理の味付けももっと増えるのに、とレイはしみじみと思う。

 とはいえ、香辛料という点ではギルムは他の村や街よりも圧倒的に恵まれている。

 辺境であるが故に他の地域には存在していないような色々な植物が自生しており、それらの中には香辛料として使える植物も多い。

 それどころか、このギルムでしか採れないような香辛料の類もある。

 だが……それはあくまでも自生しているのであって、栽培されている訳でもない。

 今まで何人もが香辛料になる植物の栽培を試そうとしたが、結果として成功例はない。

 いや、一応何とか栽培が成功した例もあったのだが、それは大量に資金を……それこそ、光金貨の類まで使っており、とてもではないが採算が取れるものではなかったらしい。

 その上、栽培された植物から作られた香辛料は自生している植物から採れた香辛料に比べると、一段も二段も……それこそ比べるのが嫌になるくらいに味が劣っていた。

 そうなれば、香辛料を自分達で栽培しようなどと考える者がいなくなるのは当然だろう。

 結果として、森や林、山、草原……様々な場所にある植物から香辛料を採ってくるというのも、冒険者の仕事の一つとなっている。

 もっとも、その手の依頼は植物を見つけるのも大変だし、採れる量も基本的に少量なこともあって、得られる報酬もそこまで多くはないのだが。


(香辛料の栽培か。……金には困ってないんだから、挑戦するならしてみてもいいんだよな)


 セトが干し肉を食べている光景を眺めつつ、レイはそう考える。

 光金貨を使って野生の香辛料よりも味の悪い香辛料しか採れなかった。

 それはレイも知っているが、であれば品種改良をしていけばいいのだ。

 ……その為には、更に大量に金を使うことになるかもしれないが、それこそ盗賊というのはどこにでも存在するのだから、レイが金に困るということは一切ない。

 困るのは唯一盗賊だけだが、盗賊はボーナスキャラと認識しているレイにとっては、それは全く困ることではなかった。

 寧ろ、盗賊を倒し続けることによって、そのうち盗賊が絶滅危惧種になるのではないか? という思いがあったのだが、そうなったらそうなったで、別に盗賊ではなくても街中に存在する違法組織を襲えばいいか、という思いもある。

 そんな、ギルムのスラム街に存在する裏の組織が聞けば、すぐにでもギルムから脱出したくなるようなことを考えている間にもギルムに入る為の手続きの列は進み、やがてレイ達の番となる。


「お、レイか。セトも。何だってまた、わざわざこっちに並んでるんだ?」


 警備兵がレイとセトの姿を見つけると、笑みを浮かべてそう声を掛けてくる。

 警備兵にしてみれば、目玉の一件もあってレイに対して好意的なのだろう。

 もっとも、それ以前からレイは警備兵とそれなりに友好的ではあったのだが……


「ギルドからの依頼で、出稼ぎに来てもいいっていう樵を迎えに行ってきた。だから、俺だけでギルムの中に入っても待ってないといけないしな」

「あー……なるほど。なら、さっさと手続きを済ませるか」


 レイの言葉に納得した警備兵が、すぐに手続きを開始する。

 もっと人が少なければ、レイと世間話をしてもいいのだが、レイ達の後ろにも次々と手続き待ちの列は並んでいる。

 荷物の検査等も含め、五十人以上で手続きを行っている警備兵達だったが、そのような状況である以上、世間話をしているような余裕はない。

 今は、少しでも早く手続きを終え、可能な限りこの行列を捌く必要があった。

 そんな訳で、レイとセト、樵達は手続きを素早く終わらせると、問題なしとしてギルムの中に入る。


「これが、ギルムか」

「うわぁ、人が多いな……うちの村なんか、祭りでもここまで人の数は多くないぞ」


 ギルムの中の景色を見ながら、樵達がそれぞれに感想を口にする。


「ほら、感心してないで行くぞ。お前達も今日から暫くはギルムで暮らすんだから、ギルムの景色なんて幾らでも見ることが出来るだろ」


 レイのその言葉は、決して誇張でも何でもない。

 特に樵は、毎日のようにギルムの外に出るのだから、正門の近くから見ることが出来るこの景色は、冬になって増築工事が終わるまでの間、それこそ何度となく見ることが出来るだろう。

 そんな樵達を連れ、レイはギルドに向かうのだった。

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